お隣から白菜の大きいのを二ついただいた。
スーパーなどで目にするのと違い、それはかなりの大きさ。これじゃ家族三人では毎日食べないととてもじゃないがなどと思う。
今頃の季節には白菜料理がうれしい。
鍋に入れて、あったかーい味は最高だろう。身も心もしっかりとあたたかくなってくる。
お正月用品には入らないにもかかわらず年末から急に売れ出すのは、数ある中でもこの白菜は筆頭クラスかもしれない。
帰省した子などを囲む一家団欒の鍋料理。冬の寒さを凌ぐあたたかい食事はなんともありがたい。
白菜は俳句の世界でもまさしく冬の季語になるが、実感として納得できる。
旅のサークル仲間たちと白鳥を見に行ったことがある。帰り際に寄った道の駅で、男の人がそれは大きな白菜を買った。都内で一人暮らしなので、彼にそんな特大のを買ってどうするのか尋ねたことがある。鍋にするんだと答えてくれたが、聞いた私のいかにも愚かだったこと。真冬に白菜と言えば、鍋は自ずと想像がつく。
今年も二週間が過ぎた。
一年の二十四分の一が終わった。そういうこの時期に白菜料理を食せて、日本人に生まれた嬉しさをかみしめる。
そしてこの白菜一つにしても、女の人の手がいくつも染み込んでいるのだと思ってみる。
蒔く人、育てる人、収穫する人、売る人、買う人、料理する人。 私は食べる人だけだけれど、女たちの染み込んだ日本の冬の味のひとつだなと思いながら白菜を食べている。
「つれづれ(52)白菜は日本人の冬の味」