数日前の読売新聞に「東日本大震災10年」と題して載っていた岩手県大槌町の記事を読んだ。人口約16000人の町の人口のうち、死者行方不明者はあわせると1272人にのぼるという。犠牲者の中には町長をはじめ、多くの子供たちも含まれていたと聞く。
大槌町の、ある保育園。園児108人を21人の保育士らが抱きかかえたりして、約150m先のコンビニ駐車場へ急いで避難した当時の状況を記している。
震災2ヶ月前の昼寝の時間のいきなりの訓練にはパニックになったそうだが、その1ヶ月後に行った給食中の訓練はうまくいったらしい。
震災当日は0~6歳の子のうち、母親などが車でそのコンビニ駐車場まで迎えにきたので、引き渡したとのこと。園の地震時の訓練には避難するまでは徹底していたが、親への引き渡しに関しての訓練はなかったようである。
そして津波が押し寄せてきたのがはるかに見えたので、まだ引き渡しをしていない園児40人を連れて一目散に裏山へ。斜面に道はなく、伐採された木の切り株をつかみ、園児をおぶったり抱き抱えかかえたりして登ったとのこと。
地図を見たり、大槌の町を思い出したりして、あああのあたりの山だなとこれを書きながら全員無事だったことに胸を撫でおろしている。
しかし、親に引き渡された園児のうち残念ながら9人の犠牲者が出てしまった。「親元なら安心」と思っていた園長の無念さが痛々しい。自分の足にしがみついて、怖いよ~と叫んでいた5歳の女の子もその犠牲者の中に含まれていた。
陸中海岸には仕事柄何度も行き、何度も泊まっているが、この狭い大槌の地は、宮城県石巻などとともにその無念さを強く感じる。
その日から10年。
ご冥福を心からお祈りいたします。
「つれづれ(7)大槌町の、その日」