母の日の昨日、近くのスーパーにカーネーションとお寿司を買いに行った。その時に刺身の盛り合わせがあまりにも美味しそうだったので、ついでに買い物籠に入れる。あわせて、隣に並んでいる鰹の刺身も調子に乗って買うことにした。
お寿司も好きだが、刺身は今では私の好物の文字の上に大が付くくらいの食べ物。特にこの時期は生の鰹に、にんにくを入れた醤油に付けて食べるのは最高で、「この国に生まれてよかった」ほどの幸せ気分におちいる。鰻とともに、幸せ二点などと勝手に刺身を決めこんでいる。
ところが鰻もこの鰹も少年時代には食べたことがほとんどなかった。
今の令和の時代になっても車で下道なら海へは3時間近くかかるこの町では、昔は生鰹などというのは近所はどこのお宅でも食事のお供にはできなかったのだろうと他人事のように勝手に想像する。
反面、鰻はけっこう食べていた。といってもそれはわが家族の話。どういうわけか私は鰻は苦手で、幼い頃から大の食べず嫌いから、口にしたのはおそらく一度もなかったのではないかと記憶している。もちろんそんな人は、当時家族7人のなかで私だけ。鰻を食べるときはいつも一人だけ蚊帳の外だった。
沼や川が近く、鰻には事欠かない土地という事情から、家人は私以外全員が鰻好きなので、それが食卓に並んだときは、子どもの頃の私はなんだか村八分にでもあったような感じさえ覚えている。食べ物の腹八分は良いが、村八分はあまり歓迎できるものではない。まあ自業自得というものか。
人間の気持ちは変わりやすいというが、人間の嗜好品も年齢とともに変わるものだと大人になってから気がついた。
相方も私も北関東の場所こそ違え、それぞれ鰻料理が名物という町が出身であり、それが起因してか今では私も気づかぬうちに鰻好物人間になっている。
鰹と鰻
母の日にはケーキなどよりも、はるかにいいとは思っている。どういう訳か今回は鰻は並ばない夕食ではあったが、生鰹と刺身盛り合わせとお寿司で十分満足の私の目と腹。
鰻は一年後にしようと一人決め込む。それには、来年の母の日まで健康でいなければとあらためて自分にカツを入れることにする。
「つれづれ(15)鰹と鰻」
鰹釣り
父(とう)よ
おいらも行きてえな
大きな海のまんなかで
おいらも鰹が釣ってみてえな
おいらも船にのりてえな
まってろ
まってろ
その腕が樫の木のやうになるまで
「おとぎの世界」山村暮鳥