これからは台風の一番くる季節だなと思う。7月8月もやってくるけれど、やはり台風シーズンといえば、9月が即座に思い浮かぶだろう。
あるイベントの前日の朝、息子が初めててるてる坊主を作った。翌朝はそれでも雨は降った。効きめがなかったなと思う。イベントは17~21時。市内のとある場所の祭りでボランティア演奏をするという。
幸いしたのか、その日は15時くらいから雨がやんだ。21時までの間に降ったのはほんのひと時であった。
てるてる坊主 てる坊主
あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに
晴れたら金の鈴あげよ
この歌は101年前(大正10年6月)にできた童謡である。中山晋平がまだ駆け出しの頃の作品。その時は、カチューシャの唄、ゴンドラの唄の2作品くらいしか世に出ていず、知られた彼の童謡作品としては、これが最初となるのだろう。だからかな、私には中山作品としては哀愁味たっぷりで、中山氏にしては異例の曲にみえてならない。
詩を書いた浅原鏡村は、幼年時代に北アルプスの山々を見て育った。後に大正10年、松本市の城山公園にて、山にかかる茜雲の奥に、不気味に垂れ込めた黒雲をとらえた。翌日は自分の生まれた池田町方面へ歩いて行く予定だったらしい。
「あすは雨だろうか。あしたもきょうのように天気であってくれればいい」。
本人の手記によると、この時ふと「てるてる坊主の唄」の詩の着想が心に浮かび上がってきたという。その後、4番まで歌詞を付けた。
現在は3番までしかないのは、実は現在の1番はもともとは2番であった。幻の1番は中山晋平氏が好まず、削除したらしい。参考までに付すと、
一、二行目は同じ
もしも雲って泣いてたら
空をながめてみんな泣こう
3番の「首を切る」は、子供が一面に持つ残酷性を取り入れたと説明し、冷徹な目で現代人の宿命を洞察している。
この歌を最初にレコードを出した平井英子さん。今回久しぶりに彼女の歌声をレコードで聴いてみた。つい最近亡くなられたが、聴いていて、惜しいなあという気持ちがなぜかあふれてくる。
「てるてる坊主」のような照照坊主の習慣はもともと中国にあった。平安時代に日本に入る前に中国では、それは坊主ではなく娘さんだった。必ずほうきを持って、霊や悪事を掃き払う掃晴娘(そうせいじょう)だった。
4日前に、縁あって旅仲間と会津の東山温泉に泊まった.。みんなでホテルの一室でカラオケをやったが、その時の最後の一曲がこの歌だったのは、会津という山に囲まれた地であったために、印象にひときわ残っている。
てるてる坊主を息子が作ったと知ったのは、イベントが終った翌日のことであった。てるてる坊主は、人形も歌もほんとうは子供のものなのに、そのてるてる坊主を作った話を聞いた時、いつの間にか息子も大人になっていたのだなと思った。
「童謡、唱歌、歌謡曲などのカラオケ(20)てるてる坊主」