あべっちの思いをこめた雑記帳

横綱大関は優しい人であってほしい

 大関朝乃山が不祥事で6場所の出場停止が決まった。予想では三段目以下までの降下になるらしい。本人にとっても大相撲ファンにとってもまことに厳しい処分ではある。しかし元をただせば本人の蒔いた種。やむを得ないのは当然といえなくもない。

 横綱や大関はただ強さだけではない。その日々の行動に品行方正が求められてしかり。弟子たちの見本となり、国技であることを考慮すれば、一般の人たちにもその影響力を考えなければなるまい。つまり心身共に国民の手本にといっても過言ではないと思う。

 横綱大関は優勝に一番近い位置にいる力士。優秀であり、他の力士より優っている。優という字が付いた言葉がほんとうにふさわしいと思われなければなるまい。

 この優という字は「やさしい」とも読む。人偏に憂と書いている。太宰治が昭和21年に河盛好蔵に宛てた手紙の一節に書いているが、人を憂える、人の淋しさや思いに敏感なこと、これが優しさらしい。
 憂えるとは辞書によれば「よくないことになるのではないかと心配する」などと載っている。

 ちなみに優しいを辞書では「周囲や相手に気をつかって控え目」「おだやかである」「悪い影響を及ぼさない」「情深い」などとある。
 朝乃山にも優しさのある力士でいてほしい。三段目からいずれは幕内に戻ってくるであろうし、やがてはその上に返り咲くであろうと願っている。
 彼はその技量を十分に備えていると思われるし、その気力も秘めていると思っている。
 あとは自身の心の優しさ。それを兼ね備えて虚偽のない相撲人生を送ってほしい。


      「つれづれ(21)横綱大関は優しい人であってほしい」

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