5歳になる孫はコロナ感染拡大を恐れてか、もう一年以上もわが家に顔見せに来ていない。コロナさえなければとてもそんなことはあろうはずもないし、私だってその間何度も遊びに行っているはずだ。コロナのおかげで長い間ご無沙汰が続いている。
思えば、ご無沙汰になる少し前の頃。その時は3歳頃だったろうか。
遊びに来た孫が座卓の下にいきなりもぐった。息子が仕事から帰ったのを察してのとっさの行動である。いわば本人は隠れたつもりなのだ。2、3ヶ月前に会ったばかりのご対面のはずなのに、顔見せがはずかしかったのだろうか。
座卓とは和室用の足の短いテーブルのことで、昔はちゃぶ台といった。厳密にいえばこの二つは用途も形も違ってくる。ちゃぶ台は戦前や戦後少しの間まで用いられた食事用テーブルで、今の中華用の丸い大卓を畳の間に短い足を付けてミニ化したような感じ。現代では畳の上での座卓使用も年々少なくなってきているとは思う。時代の流れというだけでは悲しいような気もするが、やはり欧米化された椅子文化に勝てない事実は否めない。
けれども私はなぜか座卓やちゃぶ台というと小津安二郎監督の映画「東京物語」を思い出す。ちゃぶ台と東京物語の直接的な因果関係はないのだが、どうしてもこの映画と重ねてしまう。いずれも日本人の底に流れる何かがあるのではないのかなどと思ってしまう。
そうはいっても実は私にはちゃぶ台の経験はほとんど皆無に近い。生まれてから今までの間、連れ合いと一緒になり千葉県で暮らした4年間だけは毎日お世話になったものの、それ以外はずっと洋式テーブルである。家族が4人になってからも、特別な記念日などの時にだけ顔を出した座卓。
それがどういうわけか孫が来るときに限り、毎回狭い和室に座卓を出して食事などの時間を過ごしている。一歳を過ぎた頃からずっと続いた「座卓の下にかくれんぼ」。
今こうして小さな忍者がかくれんぼ気取りで利用していることがわが家の座卓の歴史をぬり変えてくれようとしている。
手に持ったLEDの懐中電灯の光がよけいにまぶしく、それでいて元気に動きまわっている。
ひょっこりひょっこりあっちこっちに顔を出す一歳半の忍者は元気
平成30年4月「名言はがき等コンクール」
一般財団法人ゆうちょ財団
「つれづれ(8)座卓の下からこんばんは」