原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者はいつからか??

2025年01月20日 | 自己実現
 冒頭表題は、朝日新聞2025.01.15付「声」欄の「「高齢者いつから どう思いますか?」と題する特集記事より引用させていただいた。


 この原左都子も今年古希を迎える身であり、「高齢者」に大いに関心がある世代であるのが事実だ。 ここのところ、我がエッセイ集にてもその手のテーマで記事を書いて公開する機会が増えている。


 とは言えども、原左都子自身は今尚抱えている課題(ノルマ)が多く(現在も義母の不動産賃貸業の「青色申告」に向けて、申告作業に集中している最中だが。) 
  自身が「高齢者」を客観的に論評する暇もないのた実情だ。


 とりあえず、冒頭表題の朝日新聞記事「高齢者いつから どう思いますか?」に寄せられた読者からの投稿の表題の身を、以下に紹介させて頂こう。
 (投稿表題と、投稿者の性別年齢、及び投稿内容の一部のみを記させて頂きます。)

 〇 「安心できる生活続けられるのか」 63歳男性
    65歳までは、それまでと同じような働き方は難しくても、働くこと自体は可能な方が多いかもしれない。 しかしそのためには、体力や家庭環境などを条件が整っていないと難しく、限られた人にしかできないのではないか。

 〇 「働き圧力」かけないでください 69歳女性
    小学校教員を33年勤め、満身創痍となり55歳の時に退職した。 高齢者はダラダラしていると為政者は思っているのだろうか。高齢者にこれ以上「働け圧力」を掛けないで欲しい。

 〇 「AIに仕事を奪われていたら…」 高校生女性
     私は高齢者の定義を引き上げていいと思う、医療の発達によって、平均寿命が延びた。 実際私の祖父母は70歳以上だが元気だ。 私自身はできるだめ長く働きたいと思っているが、AIに仕事を奪われる時代になると問題も起こり得る。

 〇 「頭もある程度の負荷が必要」  83歳パート男性
     人生100年時代と言われる昨今、65歳は体も心も青春だ。 高齢者の定義は70歳どころか、75歳に引き上げてもおかしくはない。 私は現在も、週一パートを続けている。

 〇 「第二の人生 前向きに見据えたい」  43歳 中学教師
     年齢を重ねても働き続ける人が増えた。 65歳から69歳の就業率は52%と聞く。 定年後に第二の職業として何がしたいのか、高齢者としてどんな趣味を追求していくのか、そのためにも今のうちから趣味の幅を広げ、コミュニティとのかかわりも大事にしていけたらと思う。

 (以上、朝日新聞「声」欄の特集より、一部を引用したもの。)



 原左都子の感想を書かせて頂こう。

 既に高齢域に達して、例えば上記に紹介した83歳にして未だパートに励んでいらっしゃる男性など、私からも拍手を贈りたいものだ!!

 その他の投稿者の皆さんは、残念ながらすべて私よりも年齢が若い方々からの投稿だ。

 これ正直言って、私よりもお若い方々(特に40代以下の方々)のご意見は私にとって何らの参考にもならない!、と捨て去りたい思いだ。
 若気の至りで何を言われたとて、既に古希を迎える我が身にして参考になり様がない、のが正直なところと豪語して許されるだろう。


 そんな、立派に高齢域に達している原左都子も。

 今年 古希を迎える身にして、義母の「不動産賃貸業・青色申告」を頑張っています!
 
 大学院にて「経営法学修士」を取得し、国税庁に「税理士試験税法3科目免除申請」を提出している身にして。

 来週の申告予約日まで、まだ日数がありますから。 
 必ずや義母の「不動産賃貸業・青色申告」を完璧・正確に仕上げて、期限までに青色申告会に提出します!!
 

そもそも「老後」がどうして不安なのか?? を考察しよう。

2025年01月19日 | 自己実現
 世の老人皆が、日々“不安感”に襲われつつ暮らしている訳でもないであろう。

 
 この原左都子自身(今年「古希」を迎える立場だが)のことを思い浮かべてみるに。
 おそらく私の場合 高齢域に達したからと言って、決して“日々不安感に苛まれている”訳ではない。

 むしろ たった今、その不安感に苛まれようとしている感覚があるのだが。😨 😰 
 それは、今回のエッセイテーマが「そもそも『老後』がどうして不安なのか??」なるマイナー心理を分析せんとするものであるが故だろう。

 要するに、この手のテーマ課題とは。
 その時々の心理状態に大きく左右される対象物であると言えよう。

 そうなると、だ。

 この課題を正確に分析するためには、人それぞれの生活実態分析から開始するべきだろう。
 ただおそらく 楽天家の方々とは自身の生活実態にかかわらず、日頃から“不安感”に襲われる経験すら無いとも分析可能だ。??

 この原左都子を分析するに、決して「楽天家」ではない。 かと言っていつもいつも「悲壮感」に苛まれている程でもないし。
 まあ一応 “平均的な心理状態”で人生を送っている立場かな??

 いや、人の「心理状態」の分析とはそれ程いい加減かつ簡単では無いことだろう。
 この辺の分析は、「心理学者」等々の専門家にお任せするとして。



 「老後の不安感」に話題を戻そう。

 そうだなあ。
 本日、この原左都子がこの種のテーマでエッセイを書こうと思いついた原点とは。

 最近、日々の人とのかかわりの中で ついつい自身の「古希」を意識してしまう故だ。
 正直言って、昨年までそんなことは絶対無かった!!
 年齢よりも比較的若く見える外見を保っている事実(ホントかよ!??)が自慢の我が身だったし… 😜 😖 
 とにかく、愚かにも(空虚な自信)に溢れていた我が身だと、つい最近まで勘違いしていたようだ。😱 


 その勘違いに少しづつ気付かされるようになるのが、「古希」を迎える意味合いなのか… とすら思わされるこの頃だ…

 いや、実際。 
 人間とはいつまでも、“勘違い”でこの世を渡っていける訳もない。

 もしかしたら、古希との年齢に達する事態とは。

 いつまでも“若気の至り”で勘違いしている私の如くの人種に。

 「空虚さを捨て去って、せめて余生を真っ当に生きよ!」 とアドバイスされる年代であるのだと。
 
 やっと、自覚できた気もする…


寿命を迎えるまでの老後とは不安なものか???

2025年01月18日 | 自己実現
 本日のテーマは、おなじみ朝日新聞「悩みのるつぼ」より拝借した。

 早速、2025.01.18付朝日新聞「悩みのるつぼ」より、60歳女性相談者による「寿命を迎えるまでの老後が不安」と題する相談内容の一部を、以下に引用しよう。

 男女雇用均等法第一世代で、大学卒業後様々なあつれきの中ずっと働いてきた。 
 幸運にも正社員で数回転職し、現在の企業で勤務して20年余り。 役職定年を経て現在はシニア社員として働いている。
 32歳の時に結婚。 1年足らずで離婚、そのまま独身だ。 (中略)
 シニア社員としてだんだん仕事の量や質が低下し居場所がなくなったうえ、子育て中の女性に囲まれ日々傷心でいっぱい。
 仕事だけの人生から仕事が無くなったときの空虚感は、子育てに専念していた母親が子離れをするのと同じような状況なのだろうか。
 仕事一筋の割には大して出世もせずに定年を迎え、親戚付き合いも無く子供もいないため老後が不安な私は、寿命を迎えるまでどのような人生を歩めばいいのだろうか。

 (以上、「悩みのるつぼ」相談より一部を引用したもの。)



 今回この相談に回答されているのは、社会学者の上野千鶴子氏だが。

 「おひとりさまフレンズをつくりしょう」との回答題目だ…


 原左都子の感覚だと、それが出来る人格的能力や魅力がこの相談者に備わっているのならば、この相談者が「悩みのるつぼ」に相談を寄せる必要が無かったように、私は推測する。

 とにかく「暗さ」に苛まれてがんじがらめになっている相談者の姿が、原左都子には見える気がする。

 上野氏は、「あなたには会社以外の人間関係や活動の場があるでしょう? なかったら今からつくりましょう!」と声を掛けられているが。

 原左都子の視点では、この女性は人間関係の素晴らしさを何ら経験せずして現在に至っている感を抱かされる。
 32歳で結婚に至ったらしいが、1年足らずで離婚したとのことだし。 結婚相手が女性がフルタイムで働くことに好意的ではなかったために離婚に至った、とあるが。
 “女性がフルタイムで働くことの良しあし”等々の結婚条件とは、婚姻前に2人で十分に話し合ったはずだ。 婚姻時に32歳だったのならば決して若気の至りの結婚ではあり得ず、そんなの常識としてお互いに自身の生き様を語れただろうに…  何故、たったの1年足らずで離婚に至ったのかが理解不能だ。
 しかもだ。 
 相談者の職場には、ワーキングマザーが多数在籍しているとのこと。 働く女性にとって好意的な職場であろう事実が読み取れるが。
 どうして、この相談者は自身もそうあろうと努力するでもなく、自身を責めつつ生きてしまっているのだろう??

 
 この相談女性は、現在60代との事。
 原左都子の推測では、おそらく60代前半期の女性であろう。

 まだまだやりたい事満載であって、何らおかしくない年齢層だ!

 どうか、早めに発想の転換をして。

 上野千鶴子先生がおっしゃるように、フレンズを作るのも良し! 
 晩婚再婚目指して、ネット上でその種の業種に登録して“出会いパーティ”に出席するも良し!! (今時、高齢者相手のその種の“出会い系サイト”がうだる程存在するようだ!)
 仕事の専門が不明だが、職業によっては再就職がまだまだ可能な職種もあるのではあるまいか!?!?

 とにかく 不安感にばかり苛まれていないで、行動を起こしましょうよ!

 行動することにより 人間とは活性化され、活気づくものです!!😃 😁 


依存性が高い成分を含む市販薬の規制が強化されるようだ

2025年01月17日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2024.01.11付朝日新聞記事「依存性高い成分含む市販薬、規制強化へ」より転載したもの。


 本エッセイ集内において、しつこくも繰り返している話題だが。
 
 この原左都子は、ほぼ医療及び医薬品の世話にならない人生を歩んでいる人間だ。
 これには理由がある。
 まず 生まれ持っての健康体質であり、滅多に病気にかからない身であるが故に、病院へ行く必要がほとんどない人間であるのが一番の理由だ。

 加えて医学部出身の医学関係者であり、自身の体調管理が完璧と言えるほどに徹底できていて😜 (?)、実際滅多に病気にかからない体質・体調をキープ出来ている故だ。
 いえいえ、怪我はよくします… 😵 😱 
 2年前には 不覚にも左膝を複雑骨折して入院・手術の身となり、その後一応骨折は治っているものの、未だに歩行が完全ではない有様です…😭 

 それでも 今年古希を迎える身としては、病気とはほぼ縁が無い我が人生をラッキーと捉えるのか。 あるいは、医学関係者故の知識量の豊富さがもたらしてくれている幸いなのか。
 とにかく実際、病気らしい病気とは何ら縁のない日々を送れている我が身に感謝感激です!!😃 



 それでは 冒頭に記した2025.01.11付朝日新聞記事を、以下に要約引用しよう。

 国は市販薬のオーバードーズ(OD)対策として、依存性の高い成分が含まれる製品には販売規制をかけてきた。 
 「乱用のおそれのある医薬品」として、「コデイン」など6成分を指定している。
 この成分を含む製品の販売は、原則一人1個までとする等の対応を求める。 日本OTC医薬品協会によると、6成分を含むのは約1500製品あるという。 
 だが、薬局などによっては徹底されていない例もある。 また、指定された成分以外の製品もODに使われており、国はさらに規制成分の対象を広げることも検討している。 (途中大幅略)
 ただ、こうした規制だけでは不十分で、ODをする人の背景にある生きづらさや孤立への支援が不可欠だと識者は指摘している。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より引用したもの。)



 医学素人の一般人の方々が 病気をしたり怪我をしたりした場合に、医療機関や薬局に依存するのは良識的な行動であることには間違いない。

 そうすると、医師の診察の後に医学処置を受けたり薬剤を所用されたりするのが通常の道筋なのであろう。


 ところが 医学者である原左都子は医学知識があるが故に、そもそも医学処置を必要とするべく疾患にはかかりにくい人間だ。(生まれ持っての健康体質との理由が十分に大きいのだろうが。) 

 その身にして実際、普段 医療機関を好き好んで訪れる訳もないし。 薬局にて薬を買い求める機会も極少だ。 (高齢域に達した現在、皮膚のかゆみ止めのムヒとか、目の充血対策の目薬等を購入する機会はあるが…😩

 この現実こそが古希を迎えようとしている今尚、我が身を医療依存を退けて尚健康体を維持出来ている証拠であろうと自己分析している。


 そうは言えども、医学素人の皆さんにとっては病院や薬局は日頃欠かせない存在であり、それら組織に依存しつつ我が身を守っておられることであろう。

 その身にして 「市販薬のオーバードーズ(過剰摂取)」を時には脳裏に思い浮かべつつ。 

 その害からご自身の身体を守られてはいかがでしょうか?


「主演女優賞」は要らないが…

2025年01月16日 | 自己実現
 本日の東京はどんよりと曇って、冬らしい寒い1日だった。


 再来週に義母の青色申告を控えている身だが。
 本日は その準備作業をすべてサボって、比較的ゆったりと過ごして夕刻になり。

 エッセイも書いて公開せねば…  と、いつもの義務感に苛まれつつ。 
 我がエッセイ集バックナンバーを飛ばし読みしてみて、過去に記して公開した以下のコメント欄内の文章が我が目に留まった。 

 そのエッセイのコメント欄から、私自身が頂いたコメントへの返答として書いた文章の一部を、以下に再掲載させていただこう。

 私と女優〇〇子氏との共通項は、人生を演じ抜いているという点かもしれません。
 女優としての〇〇子氏は27年間のみだったかもしれませんが、私はもうウン十年も自分の人生を演じ抜いております。 今後も死ぬまで果てしなく続きます。
 そろそろ主演女優賞が欲しい位です。
 いつもいつも私なりの美意識を描いて、不完全ながらも自分が目指す完璧な自己演出を重ねつつ自分の人生を演じ抜いてきているつもりです。
 〇〇子氏は幸せな女性ですね。そうやって今尚スターとして存続し得るのですから。
 私は一生スターではあり得ない一庶民の立場ですが、今後も私なりの“〇〇子”を演じ切って人生を全うしたいと思っております。

 (以上、「原左都子エッセイ集」初期頃公開したエッセイ宛に頂いたコメントに対する我が返答の一部を、再掲載したもの。)


 「原左都子エッセイ集」は2007年秋に第一作を公開した故に。 
 初エッセイ公開後、既に17年以上の年月が経過している。
 
 上記エッセイに関して説明すると。
 当時未だ生存されていた“絶世の美女”との誉れ高き某大女優氏と、我が本名が同一であることを題材としてエッセイを綴った内容だ。
 その頃には既に、その大女優氏は現役を引退されていたのだが。 それにもかかわらず、未だ国内で大いなる人気を誇っていらっしゃった頃だ。

 その大女優氏との存在はこの私にも活気を与えてくれ、そのおこぼれを頂戴したものだ。
 例えば、役所や病院にての待合室で椅子に座って待っていると、院内スピーカーから「〇〇子さん、診察室にお入り下さい」なるアナウンスが入って私が立つと。 待合室の視線が一斉に私に向く。 
 あるいは、ある程度の年齢の男性にはその女優氏のファンが未だあちこちにいらっしゃる様子で。 私が自身の本名を名乗ると、「へえ、私は過去にその名の女優氏の大ファンだったんですよ!」 などと会話が弾んだものだ。

 当該女優氏には、若手男性ファンもいて。
 私が現在「年金受取口座」として指定している金融機関など、そこに勤めている某若手男性が大女優〇〇子氏の大ファンとのことで。 「顧客名簿を調べていましたら、その大女優氏と同姓同名の女性が近くにお住まいとの事で、急いで年金受取口座を作っていただきたくて参上しました!!」 などとおっしゃる。 その後口座を作った後は 営業目的のみならず、当該女優に関する最新情報を届けて下さるためにわざわざ我が家にお越し下さり談話したりもした。


 残念ながら、当該大女優氏が亡くなられて後に既に年月が流れ。
 今となっては、我が本名が巷の話題に取り上げられることも無くなりつつある実態が多少寂しいのが本音である。


 いやいや、この私も実際年老いたなあ、との実感に襲われる今日この頃であり。
 こうなっては、「主演女優賞」はもちろんのこと、何らの賞も要らないのだが。

 それでも日々自分が果たさねばならないノルマを抱えている実態とは、実に有り難い事とも再認識しつつ。
 昔のように「えっ? 〇〇子さんと同姓同名なのですか??」などと声掛けされることが、皆無となった事実を寂しくも感じながら…

 さらに年老いていくのだろう…