原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校教育現場に於ける “勘違い教師” の存在をどうにかしたい!!

2024年12月03日 | 教育・学校
 昨日の「原左都子エッセイ集」トップ50の1位に、 「再掲載『娘の高校夏季課題より 憲法第21条『表現の自由』に関して」が、ランクインしていた。


 このバックナンバーに関しては、その事件の発生時期が我が娘の高校時代であるため。 事件発生から既に10数年の年月が経過しているにもかかわらず。 我が記憶内に消えることなく存在する“娘に関する事件”として、今尚我が脳裏に刻み付けられているのだが。

 まさに、この事件に触れる度に腹が立ってしょうがない感覚が、我が体内に今尚ある!


 実に 何度この我がバックナンバーを読み返しても、この娘の高校時代の「情報処理」教師に嫌悪感を抱かされる。😡 😱 


 本日も、何度も読み返したのだが。

 また新たな我が「嫌悪感」の発見があった!! 

 それは 当該教師が配った夏季課題の冒頭部分なのだが。
 以下に掲載しよう。

 「この宿題の内容はNIEや情報関係研究会、学校のWebページで発表する場合があるかもしれないので、真面目に丁寧に答えて下さい。」

 高校教諭経験もある私に言わせてもらうに。 まったくもって、「よく言うわ!」だ!

 あんたこそが、担当している生徒達の能力・実力の程をきちんと見極めた上で、それに見合った夏休みの課題を出せ! と言いたくもなる!


 この「情報処理教諭」による夏季課題は、親の手伝いも含めて たったの3名の生徒からの提出に終わり。 学校側の判断で、「課題自体に問題があった故に課題提出の必要無し」との取り返しがつかない結果をもたらしている。

 そもそもこの教師は、この夏季課題を生徒相手に出すに当たり一体何を目指したかったのだろう。
 それは本人が書いてある通り、「NIEや情報関係研究会、学校のwebページに発表する」のが本来の目的であったのだろうか?
 ならば、だ。
 普段の授業中に、その指導を自身が究極努力して成せば済んだことであろう。とも推測できよう。
 それを一切せずして、(少なくとも元高校教諭かつ保護者の私の視点からは、そうとしか判断できない)。  よくぞまあ、ぬけぬけとこんな課題を出したものだ。

 まあ、学校側の事前の夏季課題のレベルの程の確認が落ちていた点にも、大きな落ち度はあるだろうが。


 いやはや、教師としては実にみっともない事件だったのではあるまいか?

 この情報処理の教師に対しては、この事件後如何なる処分がなされたのかは私には計り知れないが。

 当時、一保護者であった私にとっては。
 我が専門力を大いに活かせる課題であったことには間違いないが。
 たかが娘の高校の「情報処理課題」に、“要らぬ時間”を潰されたものである。


 この「情報処理」担当教師の、その後の進退の程をまったく知らないが。

 もしも、「情報処理教師」としての人生を歩み続けているとして。
 どうか生徒はもちろんのこと、(特に夏休み中の課題に関しては)親の労力の程にも配慮した対応に期待したいものだ。
 

ポインセチアを買って来ました!

2024年12月02日 | 自己実現
 (冒頭写真は、本日午後 原左都子が自宅近くの JAあおば にて買って来た ポンセチアの鉢植え。)



 クリスマスには、多少早いのですが。


 本日 自宅近くの JAあおば を訪れますと、早くもポンセチアが販売されていました!

 未だ3鉢しか販売されていませんでしたが。

 どの鉢のポインセチアも、既に可愛らしい真っ赤な葉っぱを誇っていました!!

 その中で、私が一番気に入って購入したのが、冒頭写真のポンセチアです。



 こんな早い時期にポインセチアを購入したのも初めてでしたが。

 おそらくクリスマス近くになると、その価格が5倍から10倍程に高騰すると考えた私は、本日買って来ました。 😱 😜 



 とりあえず ピアノの上に飾りましたが、その黒と赤のコントラストが綺麗です。
                                       

 (参考ですが、ポインセチアの右上 スピーカー上部の小さな銅像は、ブエノスアイレスにて購入したバレリーナ像です。 )




 これが 美しい赤色を誇ったまま、クリスマスまで持ってくれることを楽しみにしています!! 😊 
 

我が地元の「区立美術館」が建て替えられるらしい…

2024年12月01日 | 芸術
 (冒頭写真は、2024.11.28付朝日新聞記事「区立美術館 揺れる建て替え 練馬 人件費など高騰で費用増」と題する記事より転載したもの。)


 この区立美術館へ、私が通うようになって23年程の年月が流れている。

 特に 娘が未だ子どもだった時代には、休日には娘も誘ってよく当該美術館へ美術鑑賞に出かけたものだ。
 
 この美術館の特徴とは、とにかく周囲の環境が良いことにあろう。
 元々練馬と言う土地はそもそも田畑が多い地域であったようだが、そのためか、美術館をはじめ公共施設の面積が広く、広場等も含めてゆったりと設計されているのが特徴ではなかろうか??
 と私など、感じているのだが。
 そんな“ゆったり感を好む私は、娘が独り立ちした後も、単身でよくこの美術館を訪問している。

 近年記憶にあるのは、昨年秋にNHK連続テレビ小説にて放映された「らんまん」の舞台である、牧野富太郎展を鑑賞しに行った。


 「練馬美術館」の一番の特徴とは、いつも館内が混雑していないことにあるのではなかろうか??
 これが、ゆったりと美術館賞をしたい私にとっては実に好都合なのだ!!

 この「ゆったり感」を好む私は、特段開催中の展覧会自体を見たいと思わない時にも、昼間一人でよく美術鑑賞に出かけたものだ。
 それでも十分に寛げて、初めて知るアーティスト及び作品であれ私なりの感激を頂け満足することが叶ったものだ。

 加えて、この美術館には中規模程度の広さの庭があり。
 その庭に 子ども達が喜びそうな動物のオブジェが沢山展示されていて、いつも小さな子供たちが楽しそうに遊んでる。
 そんな光景を目にするのも楽しみで、気軽に出かけることが出来たものだ。



 ここで、当該朝日新聞記事の一部を引用しよう。

 練馬区の「練馬区立美術館」を建て替える整備計画の費用が、大きく膨らむ可能性があることが分かった。 当初の76億円から少なくとも89億円に膨らんでおり、今後100億円を超える可能性も出て来た。 新しい美術館の設計を巡ってもバリアフリー対応が不十分などとして、一住民から戸惑いの声があがっている。 (途中大幅略)
 議論を呼んでいるのは、整備費だけでない。 新たな美術館は「年齢、生涯に関わらず、誰もが美術館・図書館・緑地を一体的に利用できる」という方針のもと、図書館ゾーンが設けられ、外観も近未来的なものになる。 だが、このバリアフリーにについて懸念が出ている。 (途中大幅略) 区民からも「見た目のデザイン重視で、高齢者や障害者にとってバリアフリーになっていないのでは」との不安が出ている。
 図書館ゾーンも同様で、区のある図書館関係者は取材に「階段を利用しないと本が読めなくなる」と同様の懸念を示す。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事の一部を引用したもの。)



 最後に 原左都子自身の感想と、今後の希望を述べさせていただこう。

 確かに冒頭写真の下の「建て替え後の(美術館の)イメージ」図を見ると。

 随分と“大袈裟な美術館”に生まれ変わるんだなあ… 😲 

 なる、ある意味 区民の一人としては、この区にこれ程大袈裟な美術館が必要なのか??? (要するに、この区にそれ程の集客力があるのか? 交通網が都心と比べるとさほどの規模でもないのに、ここまで立派な美術館を建設して、そこにそれにふさわしい観客を動員可能なのか???) との見解も抱いてしまう…


 区政の思いも分からなくはないが。
 
 この区に住んで、既に23年の年月が経過している私に言わせてもらうと。
 
 この区はこの規模だから住み易いし。
 緑が多いにもかかわらず都心に近く利便性が高いからこそ、私はこの区がお気入りなんだけどなあ…


皆さん、来年の年賀状は投函されますか??

2024年11月30日 | 人間関係
 この原左都子、2025年度からの年賀状を一部を除き 大方「廃止」の方向で考えていた。


 ところが投函時期が迫る程に、意志薄弱となってきている。
 
 と言うのも、その「一部」の絞り込みに難義している故だ。

 一応自分なりに、「この人は出す」「この人はやめる」の線引きをしてみたのだが。

 後から重要な人物からの年賀状が届くのも面倒なので、それも年内に出すことにするか… 
 等々と考えていると、まとまりがついかなくなるのだ… 

 
 昨年までの私の年賀状の特徴とは。

 自己顕示欲の強い原左都子の場合、自身の(大抵は全身の)写真を前面に出す体裁となっている。
 これには賛否両論ある事は、重々承知の上だが。

 私としては我が年賀状に対して「否定的な人物」に関しては、こちらとしても最初からお付き合いするつもりはない!!との強気の意気込みを通しているため。 
 嫌われて結構!! これを嫌う奴らは、こちらも今後願い下げだぜ! てな方針だったという事だ。😱 

 それは、今後も勝手にさせてもらうとして。😜 



 とにかく、もうそろそろ何が何でも年賀状(頂いた年賀状への返信も含めて)を出さねばならないなる(義理)心理状態から、私自身が解放されたいと正直に思うのだ。

 この我が気持ちこそを、大事にしたいと欲している。



 と言いつつ、年賀はがきは自分の分として 10枚程購入しましたよ。


 そのまっさらの年賀はがきを眺めつつ。

 明日12月に突入するが、まだまだ年賀状投函締め切りまで日数があるなあ、などと。

 結論を先送りにして、悠長に構えている原左都子です…
 

65歳以上は「新型コロナ」重症化リスクが高い、と言われると…

2024年11月29日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2024.11.22付朝日新聞・広告欄より転載したもの。)


 この原左都子、新型コロナに関しては特段の感染リスクを感じることは無い日常なのだが。

 何だか近頃、とみに感じるのは「認知症」だ。
 いえいえ、それに我が脳が絶体絶命的におびやかされているとのことでは無いのだが。
 確実に、脳の働きが低下していると自覚する出来事が日々ままあるのだ。
 上述の如く、例えば本日昼間にどこかに出かけたのだがすぐには分らないとか。 (いえ、真面目に思い出そうとすると思い出すことが出来るが、さほど真面目に考えねばならない現象ではないだろう。)
 誰に会ったかに関しては、すぐに思い出せるものだ。 やはり人とのかかわりとは印象に残りやすい現象なのであろう。

 特に日常茶飯事である買い物などの記憶が、薄れることがよくある。😱 
 そこで対策として私が考えたのは、いつも同じ店舗へ行かずに 行先の店舗にバリエーションを持たせる、との方策だ。😜 
 これが功を奏しているのか、近頃は自分が何処で買い物をしてきたのかを明瞭に記憶できていて、安堵している。😶 

 やはり、生活に“あえて変化を持たせる”との事実が効果的なのだろう。😷 



 さて、話題を冒頭写真の「重症化リスクが高いと言われる『新型コロナ』」に戻そう。

 この種の感染症が、高齢域に達する程に重症化リスクが高くなるは自明の理であろう。
 故にこれが自身の身に降りかかったとしても、上に記した「買い物の記憶忘却」よりも自己責任の度合いが低いようにも思われるが…

 いや、そうではなくて。

 買い物の記憶を多少忘却したところで、大した損失が無いのに比して。
 国民皆が既に忘れかけている「新型コロナ」に感染することの方が、よほど命取りであることには間違いない!!

 ただ 原左都子の場合は、昨年、本年と立て続けに秋に郷里医学部同窓会出席目的で、航空便の旅をしている。
 その間、多くの人々と相まみえたにもかかわらず、特段の「新型コロナ」はじめ感染症罹患の症状は何ら出ずに済んでいる。

 これこそが、「新型コロナ禍」が一応過ぎ去った証かとも分析したりもしているのだが…


 最後に余談だが。

 冒頭新聞広告には、「認知障害などの後遺症(罹患後症状)にも注意が必要」とある。
 その症状として、倦怠感、呼吸困難、筋力低下、認知障害や記憶障害といった神経障害などの症状が現れ、続くことがあります。 と書かれている。

 その種の症状が一切無い原左都子であるが故に、今のところは我が「忘却癖」は、おそらく「新型コロナ感染症」から発した症状では無いと断定できるであろう。

 新聞広告の下に、「2024年10月から定期接種がスタート」欄があり。 
 それによれば、その定期接種の対象者として。
 ❶ 65歳以上の高齢者
 ➋ 60~64歳の基礎疾患を有する者  
              と、書かれている。


 元医学関係者としては合点が行かない内容であり、この指導には従いたくない思いが強いが。


 もしも「新型コロナ」に関して、不安材料が大きい国民の方々が存在するのであれば。
 この制度を利用される手もあると、考えます。


 (参考ですが、この原左都子は今後一切「新型コロナワクチン」接種の意向はありません!)