渓流沿いに入った頃からあたりが暗くなりかけてきた。
やがて小ライトを点灯させる。対向車もほとんどが点灯走行の今の時間。
トンネルではそのライトは大きなものに瞬間変わる。まわりがいくらか見えにくくなる逢魔が時とはよく付けたものだとハンドルを握りながら感心する。
明日またねと次の日遊ぶのを約束したり、はるかな上級生が家路を急いだり、豆腐屋さんのラッパがなったり。たそがれは、旅に出たときほど幼い頃をなつかしく思い出させる。
この塩原温泉は最近では3ヶ月半ぶりと、4ヶ月ぶりに訪ねる。
その時は赤や黄の敷きつめたじゅうたんの山並み。あるいは渓流沿いの紅葉に惚れ惚れしたものだった。
けれど、今は3月とはいえまだ朝晩は寒い。山の温泉の景色といったら裸の木がほとんどで、自然を楽しもうにも、その対象がない。けれど何もない自然もまたのんびりしていていいものだと思う。
今回は小さい宿をわざわざ選んでみた。
おそらく20代の時に房総や伊豆に泊まった時以来の小規模旅館だろう。大きさよりもお湯が源泉だということに惹かれたから。
夕食は今時めずらしい部屋食。
人手や維持費の関係から、いろいろ制約を設ける宿が多い中、これはさすがにうれしい。そして女将さんのおもてなし。温かいものは温かく、手作りも心のこもった料理はさすがに気に入ってしまった。 それに5つのお風呂はすべて24時間入り放題。建物の裏口から多少の石段を数段上がり、さらに飛び石段をいくらか上った所にある二つの露天風呂は見事だ。湯舟から眺める景色のすばらしいこと。宿泊のホテルを眼下に、まわりの山々をたっぷり眺める。設備ではなく、自然の中にマッチしたこのゆったりした感覚をまさに風情と呼ぶのだろう。
立派さや派手さはないし、決してお世辞にも豪華とはいえない宿だが、また来てみたい宿泊施設の一つとして確実にハートにインプットしていた。
社長さんの話によると、ホテル経営はわりと固定資産税が大変らしい。土地も家もたいしたことない私には想像すらむずかしいけれど、それはかなりの額になるんだろうなと思う。お客さんが入っても入らなくても、売り上げに関係のない税金だという。
ロビーには雛人形が飾られている。
聞いてみたら社長さんの自宅のものを毎年今の時期このようにしてお客さんに楽しんでもらいたいという。これは超豪華だ。
部屋の窓の外には、二階建ての民家に寄り添うように観光トテ馬車が冬眠中。馬さんもきっとどこかで長期休暇を楽しんでいるのだろう。しっかりスタミナを蓄えて、来るべきシーズンに備えている。
充電が必要なのはなにも人間さまばかりではないんだなと窓から見下ろしながら思う。
だからオフシーズンに訪ねる観光地は充電の真っ最中という感じがする。しかしそれは冬眠とは違う。
やがて来る観光シーズンにパワー不足にならないよう、しっかりエネルギーを今から蓄える。そんな準備期間なのだろう。
そう思ったら、宿も馬車も木々たちも応援してみたいなあという気持ちになってきた。
松泉堂の温泉まんじゅうを食べながらしみじみ思う。
「心に残る旅(4) 塩原温泉の小さな宿で湯ったり飲んびり」
上記は令和2年11月20日撮影