急行おが号のサボです。気動車の急行「おが」は上野~秋田間が全線電化区間なのに気動車で運転されていました。
列車は上野~秋田間の運転でしたが、写真の1号車から3号車までは新庄で切り離しされていました。
なんで当時秋田行き車両の写真を撮らなかったのか悔やまれます。
(写真は、上野駅地平ホーム→)
列車は上野~秋田間の運転でしたが、写真の1号車から3号車までは新庄で切り離しされていました。
なんで当時秋田行き車両の写真を撮らなかったのか悔やまれます。
(写真は、上野駅地平ホーム→)
急行ゆけむりのサボです。高崎線・上越線経由で上野-水上間の運転で、吾妻線万座・鹿沢口行き急行草津と併結(急行あかぎと併結の列車あり)で運転されていました。特急谷川の前身です。
(撮影:上野駅)
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(撮影:上野駅)
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新特急が走る前の時代、急行あかぎ号のサボです。
高崎、新前橋回りで両毛線経由小山行きの列車なので「あかぎ1号」です。
(撮影:上野駅)
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高崎、新前橋回りで両毛線経由小山行きの列車なので「あかぎ1号」です。
(撮影:上野駅)
列車(下りのみ記載) | 運転区間 |
あかぎ1号 | 上野-小山(前橋~小山間は快速) |
あかぎ3号 | 上野-桐生(前橋~桐生間は各駅) |
あかぎ5号、7号 | 上野-前橋(全区間急行) |
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豊肥本線を走っていた急行火の山と、久大本線を走っていた急行由布のサボです。北九州の国鉄線踏破の際に撮影しました。
北九州のローカル線のサボはこちら(該当ページにとびます)
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名称 | 運転区間 |
急行「火の山」 | 三角・熊本~(豊肥本線)~別府 |
急行「由布」 | 博多~(久大本線)~別府 |
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急行つくばね号のサボです。上野-勝田間を走っていましたが、この列車は常磐線ではなく、上野-(東北本線)-(水戸線)-(常磐線)-勝田という、今考えるととんでもないルートを走っていました また、東北本線、水戸線経由で走るのに水戸線の分岐駅で新幹線停車駅の小山に止まらない、というか短絡線を経由して小山駅を目の前に通過すらしないという特殊な列車でした。水戸線の普通列車でこの短絡線を走る列車はなかったので、旅客列車でこの短絡線を走るのは「つくばね」号だけでした。
結局急行つくばね号に乗ることがないまま、この列車は廃止されてしまいましたし、最近の地図からはこの東北本線-水戸線の短絡線は消えてなくなっているので、この短絡線は乗らずじまいでした。残念。(交通公社時刻表'81.5)
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結局急行つくばね号に乗ることがないまま、この列車は廃止されてしまいましたし、最近の地図からはこの東北本線-水戸線の短絡線は消えてなくなっているので、この短絡線は乗らずじまいでした。残念。(交通公社時刻表'81.5)
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小中学校時代に鉄道を乗りつぶしていた頃に撮影した旧型客車につけられていたサボです。(上:常磐線上野行き普通列車)
僕が小学生の頃、さすがに上野口では東北本線の普通列車は全て電車化されていましたが、常磐線経由では旧型客車列車がまだ健在でした。
磐越西線郡山行き普通230列車(撮影場所:喜多方駅)。
日中線熱塩行きの発車を待っていたら、はるばる新潟から230列車が郡山行きがやってきました。もう時間は夕暮れ時ですが、列車はこの後会津若松、猪苗代、スイッチバックの中山宿を越え郡山まで走って行きます。
僕は日中線を往復したあと、会津若松から夜行急行ばんだい12号で上野に帰りました。
【参考】
普通230列車:新潟13:01発-喜多方16:03発-会津若松16:42発-郡山18:31着
急行ばんだい12号:会津若松23:32発-上野4:37着
現役時代の日中線列車・サボの写真はこちら(該当ページにとびます)
奥羽本線秋田行き普通421列車のサボ(撮影:福島駅)
小学5年生のとき、同級生と二人で父の田舎の米沢に行った際に撮影したもの。列車はこれから米沢にかけて板谷峠の連続スイッチバックに挑みます。途中の峠駅では「峠の力餅」を駅売りのおじさんから購入しました。
今では板谷越えも山形新幹線に組み込まれ、スイッチバックもなくなってしまいました。福島-米沢間は新トンネルの計画もあるとやらでそうなると在来区間は碓氷峠同様廃止になってしまうのでしょう。
高崎線高崎行き普通2321列車(撮影:上野駅)
常磐線仙台行き普通列車(撮影:上野駅地平ホーム)
僕が小学生の頃は常磐線上野口に旧型客車列車が健在でした。写真のように常磐線経由仙台行きなんて長距離列車も健在でした。特急、急行、通勤電車が頻繁に行きかう中、飄々とやってきて飄々と出発してゆくのでした。
清水港線のサボ(撮影:清水港線三保駅(廃止))
いわずとしれた超有名路線清水港線のサボです。この路線は1日1往復しか列車がないことで有名でした。
ですから、この線に乗るには必ず片道は路線バスを使うことになります。
在りし日の清水港線(該当ページに飛びます)
仙山線仙台行き(撮影:山形駅)
仙山線は当時すでに電化されており、急行仙山号が電車で運転されていましたが、普通列車は客車か気動車のみで、電車列車はありませんでした。
福井行き普通列車(撮影場所:多分、富山駅。自信ありません)
城端線城端行き(撮影:高岡駅)
高岡駅からは氷見線と城端線が分岐していますが、城端線では客車列車が健在でした。早朝なので暗くてストロボを焚いての撮影となりました。
北陸本線直江津-富山普通列車のサボ(撮影場所:忘れた)
撮影場所は忘れましたが、おそらく富山駅です。
常磐線平行き普通列車(撮影:上野駅)
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僕が小学生の頃、さすがに上野口では東北本線の普通列車は全て電車化されていましたが、常磐線経由では旧型客車列車がまだ健在でした。
磐越西線郡山行き普通230列車(撮影場所:喜多方駅)。
日中線熱塩行きの発車を待っていたら、はるばる新潟から230列車が郡山行きがやってきました。もう時間は夕暮れ時ですが、列車はこの後会津若松、猪苗代、スイッチバックの中山宿を越え郡山まで走って行きます。
僕は日中線を往復したあと、会津若松から夜行急行ばんだい12号で上野に帰りました。
【参考】
普通230列車:新潟13:01発-喜多方16:03発-会津若松16:42発-郡山18:31着
急行ばんだい12号:会津若松23:32発-上野4:37着
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奥羽本線秋田行き普通421列車のサボ(撮影:福島駅)
小学5年生のとき、同級生と二人で父の田舎の米沢に行った際に撮影したもの。列車はこれから米沢にかけて板谷峠の連続スイッチバックに挑みます。途中の峠駅では「峠の力餅」を駅売りのおじさんから購入しました。
今では板谷越えも山形新幹線に組み込まれ、スイッチバックもなくなってしまいました。福島-米沢間は新トンネルの計画もあるとやらでそうなると在来区間は碓氷峠同様廃止になってしまうのでしょう。
高崎線高崎行き普通2321列車(撮影:上野駅)
かつて高崎線にも客車列車が1本だけ走っていました。上野駅高架8番線6:14発の2321列車でEF58が牽引していました。 この1本前の5:52発高崎線普通列車723Mの行先はなんと長岡行きでした。733Mの長岡行き夜行普通列車は有名でしたが、こちらは気がつかなかったなあ。 |
常磐線仙台行き普通列車(撮影:上野駅地平ホーム)
僕が小学生の頃は常磐線上野口に旧型客車列車が健在でした。写真のように常磐線経由仙台行きなんて長距離列車も健在でした。特急、急行、通勤電車が頻繁に行きかう中、飄々とやってきて飄々と出発してゆくのでした。
清水港線のサボ(撮影:清水港線三保駅(廃止))
いわずとしれた超有名路線清水港線のサボです。この路線は1日1往復しか列車がないことで有名でした。
ですから、この線に乗るには必ず片道は路線バスを使うことになります。
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仙山線仙台行き(撮影:山形駅)
仙山線は当時すでに電化されており、急行仙山号が電車で運転されていましたが、普通列車は客車か気動車のみで、電車列車はありませんでした。
福井行き普通列車(撮影場所:多分、富山駅。自信ありません)
城端線城端行き(撮影:高岡駅)
高岡駅からは氷見線と城端線が分岐していますが、城端線では客車列車が健在でした。早朝なので暗くてストロボを焚いての撮影となりました。
北陸本線直江津-富山普通列車のサボ(撮影場所:忘れた)
撮影場所は忘れましたが、おそらく富山駅です。
常磐線平行き普通列車(撮影:上野駅)
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鹿児島本線といえば、つばめではなく、特急有明。
僕が中学生のころ北九州のりつぶし旅行に行った際に撮りました。特急有明号は通常電車特急ですが、夜行特急として有明51号が客車で運転されていました。
当時は門司港-西鹿児島(現鹿児島中央)に夜行「急行かいもん」というのも走っていて、上下かいもん号が熊本ですれ違うので上下列車乗り継いで宿代を浮かした記憶があります。定かでないけど。
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僕が中学生のころ北九州のりつぶし旅行に行った際に撮りました。特急有明号は通常電車特急ですが、夜行特急として有明51号が客車で運転されていました。
当時は門司港-西鹿児島(現鹿児島中央)に夜行「急行かいもん」というのも走っていて、上下かいもん号が熊本ですれ違うので上下列車乗り継いで宿代を浮かした記憶があります。定かでないけど。
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富山港線のサボです。旧型電車時代のものです。1983年、臨時急行黒部号に乗って富山まで来た際に、踏破しました。当時は仙石線、可部線、飯田線、宇部線・小野田線、鶴見線大川支線が旧型国電が走る線区として有名でした(関西方面は詳しくないので)。
その少し前までは南武線、青梅線でも茶色の旧型国電が走っていました。
いまでは富山港線自体がなくなってしまいました。
(撮影場所:岩瀬浜駅)
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その少し前までは南武線、青梅線でも茶色の旧型国電が走っていました。
いまでは富山港線自体がなくなってしまいました。
(撮影場所:岩瀬浜駅)
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上野-山形間を走っていた急行「ざおう」号のサボ及び愛称名版です。上の写真は昼行定期列車の急行ざおうで電車です。この他に多客期には臨時の客車列車の「ざおう」号や気動車のざおう号もあったと思います。
ざおう号は上野-福島間は仙台行き急行「まつしま」と併結していました。
東北新幹線開通後の1983年時刻表を見ると、
ざおう1号 上野 9:54発→山形15:17着(電車)
ざおう51号 上野11:52発→山形17:44着(客車)
ざおう3号 福島19:40発→山形21:05着(電車)
ざおう61号 上野22:48発→新庄 7:09着(客車)
となっています。
まだ山形新幹線が開通していませんのでざおう3号のように福島発という東北新幹線連絡の列車もあったのが当時と特徴です。しかし、
急行「ざおう」で新庄行きがあったとは気がつきませんでした。
親爺の田舎が米沢だったので特急「やまばと」と急行「ざおう」にはお盆の度に載った記憶があります。山形よりも遠い秋田へ向かう特急「つばさ」のほうが停車駅もすくなく特急然としていたので子供心に「つばさ」に乗りたかったのですが、結局は乗らずじまいで、「つばさ」に乗ったのは新幹線になったあとでした。
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ざおう号は上野-福島間は仙台行き急行「まつしま」と併結していました。
東北新幹線開通後の1983年時刻表を見ると、
ざおう1号 上野 9:54発→山形15:17着(電車)
ざおう51号 上野11:52発→山形17:44着(客車)
ざおう3号 福島19:40発→山形21:05着(電車)
ざおう61号 上野22:48発→新庄 7:09着(客車)
となっています。
まだ山形新幹線が開通していませんのでざおう3号のように福島発という東北新幹線連絡の列車もあったのが当時と特徴です。しかし、
急行「ざおう」で新庄行きがあったとは気がつきませんでした。
親爺の田舎が米沢だったので特急「やまばと」と急行「ざおう」にはお盆の度に載った記憶があります。山形よりも遠い秋田へ向かう特急「つばさ」のほうが停車駅もすくなく特急然としていたので子供心に「つばさ」に乗りたかったのですが、結局は乗らずじまいで、「つばさ」に乗ったのは新幹線になったあとでした。
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(撮影場所:上野駅地平ホーム)
北陸ワイド周遊券で富山近郊のローカル線乗りつぶしに出かけた際に利用した、臨時夜行急行「黒部」号のサボです。僕が乗車した昭和58年は8月12日の1日だけしか運転されませんでした。運転日が少ないせいか、黒部号の名称板は手書きの紙がいいかげんに貼り付けてあるお粗末なものでした。子供心にがっかりした覚えがあります。
●急行黒部号 9601列車(昭和58年当時。8月12日1日のみ運転。14系客車)
上野19番線20:26発→大宮20:53発→熊谷21:22発→高崎22:03発→水上23:00発-(上越線、長岡経由)→直江津2:24発→糸魚川3:05発→泊3:30発→魚津3:49発→富山4:14発→高岡4:31発→石動4:45発→津幡4:58発→金沢5:11着
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北陸ワイド周遊券で富山近郊のローカル線乗りつぶしに出かけた際に利用した、臨時夜行急行「黒部」号のサボです。僕が乗車した昭和58年は8月12日の1日だけしか運転されませんでした。運転日が少ないせいか、黒部号の名称板は手書きの紙がいいかげんに貼り付けてあるお粗末なものでした。子供心にがっかりした覚えがあります。
●急行黒部号 9601列車(昭和58年当時。8月12日1日のみ運転。14系客車)
上野19番線20:26発→大宮20:53発→熊谷21:22発→高崎22:03発→水上23:00発-(上越線、長岡経由)→直江津2:24発→糸魚川3:05発→泊3:30発→魚津3:49発→富山4:14発→高岡4:31発→石動4:45発→津幡4:58発→金沢5:11着
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既に廃線になって久しい日中線のサボです。日中線は磐越西線の喜多方から分岐し熱塩まで11.6km、全線単線・非電化の路線でディーゼル機関車DE10が牽引する旧型客車が一日3往復(午前1往復、午後2往復)していました。
ですから、東京から行って乗車すると日暮れ直前の午後一番の列車に乗るしかないのが難点でした。列車本数で考えると現在の岩泉線よりも少ないということになります(当時の岩泉線は5往復+区間運転1往復で全列車、宮古または津軽石に直通)。まあ、当時は清水港線(1日1往復)という横綱級の路線がまだ残っていましたから、3往復なんて話題にならないほうでした。
(右:当時の交通公社発行の時刻表地図 →)
喜多方駅で出発を待つ日中線623列車
熱塩駅の機回し線を行くDE10型ディーゼル機関車
熱塩駅駅舎の写真(現役当時)はこちらをクリック(該当ページへとびます)
日中線の終端(線路の終わり、車止め。現役時代)の写真はこちらをクリック(該当ページへとびます)
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ですから、東京から行って乗車すると日暮れ直前の午後一番の列車に乗るしかないのが難点でした。列車本数で考えると現在の岩泉線よりも少ないということになります(当時の岩泉線は5往復+区間運転1往復で全列車、宮古または津軽石に直通)。まあ、当時は清水港線(1日1往復)という横綱級の路線がまだ残っていましたから、3往復なんて話題にならないほうでした。
(右:当時の交通公社発行の時刻表地図 →)
喜多方駅で出発を待つ日中線623列車
熱塩駅の機回し線を行くDE10型ディーゼル機関車
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中学生のころに子供だけで旅行した北九州のローカル線のサボです。子供だけで旅行していたので、熊本駅ではお巡りさんに家出と間違えられました。昭和50年代の後半は、中学校などの校内暴力は全盛でしたが、子供だけで旅行にいっても大丈夫でした。今の治安とはだいぶ違っていたんですね。
(写真は福岡県の鹿児島本線遠賀川駅から分岐していた盲腸線の室木線サボ)
吉塚から分岐していた勝木線のサボ。九州一の大都市福岡のすぐ近くを走っていたのにローカル線として廃止されてしまいました。沿線には住宅も多いしLRTにすればよかったのに。
佐賀線と矢部線のサボ。一枚で両線のサボをかねていました。時刻表では両線直通の列車はなかったと思うのですが。まあそこは機動力のある気動車のこと、当時は網の目のように張り巡らされていた路線網を縦横無尽に走っていたということでしょうか。
宮田線のサボ。宮田線自体は筑豊本線勝野駅から分岐していましたが、僕の乗った列車は大きな駅直方から直通です。
甘木線のサボです。現在は甘木鉄道となっています。
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(写真は福岡県の鹿児島本線遠賀川駅から分岐していた盲腸線の室木線サボ)
吉塚から分岐していた勝木線のサボ。九州一の大都市福岡のすぐ近くを走っていたのにローカル線として廃止されてしまいました。沿線には住宅も多いしLRTにすればよかったのに。
佐賀線と矢部線のサボ。一枚で両線のサボをかねていました。時刻表では両線直通の列車はなかったと思うのですが。まあそこは機動力のある気動車のこと、当時は網の目のように張り巡らされていた路線網を縦横無尽に走っていたということでしょうか。
宮田線のサボ。宮田線自体は筑豊本線勝野駅から分岐していましたが、僕の乗った列車は大きな駅直方から直通です。
甘木線のサボです。現在は甘木鉄道となっています。
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