先日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第17回は「助命と宿命」でした。
頼朝は、源義高(木曾義高)の処刑を命ずる。狙われている義高は入間川の八丁の渡しで、鎌倉勢の追っ手に捕まり首をとられた。(享年12歳)
詳細は省略です!!
では、屡々通るが寄ったことのない「義高終焉の地」に行ってみよう!!
9時過ぎとなり出発します。
暫し走って「所沢狭山堀兼線」~「富岡中央通り」を走って行く。
最初の写真は「寶泉寺」です。
「ヤマシャクヤク」が咲いていた、「牡丹」はほゞ終わっていました。
変わった花は「ヒトツバタゴ」です。
ヒトツバタゴ(Chionanthus retusus)とは、モクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名がある。 なお、別名は「ナンジャモンジャノキ」である。
この先は「所沢狭山線」を走って行きます。
そして、入曽駅を過ぎると「入間野神社」があったので寄ってみた。
直ぐ横には「鎌倉街道(上道)の みちすじ」なる説明看板がある。
鎌倉街道上道(かみつみち)
鎌倉を出た上道は鎌倉七切通しの一つ、化粧坂切り通しを越え戸塚から瀬谷、町田を通り、府中、所沢、日高、花園、児玉を経由して上州に入り、高崎を通って碓氷峠を越え信濃に向っていた。
暫し走って「R16号線」沿いの入間川に架かる「新富士見橋」付近に到着する。
着いた所は「清水八幡宮」です。
ビックリ!! 何気に人多し!
「源 義高(木曾義高)」が討たれたのは、この辺りにあった「八丁の渡し」です。
八丁の渡しは、市内に2ケ所あるとされています。「本富士見橋」周辺の中島辺り、もう1つは奥富の前田、入間川堤防に建つ九頭竜大権現の石仏辺りから柏原へ渡る浅瀬。
ココが「義高」を祀る「清水八幡宮」です。
義高の死を哀れんだ入間川の里人がその遺骸を埋めて墓を築いたとされています。また、この話を聞いた北条政子は、墓を清水八幡とし、入間河原の近隣鎮護の神として祭られるようになったと伝えられています。その後洪水で流されるなどし、幾度か場所は変わりましたが、現在は最初の墓に近いとされる場所に祭られています。
次に向かいます。
「新富士見橋」を渡ると「鯉のぼり」が・・・
HPによれば、5月になると「源義高鯉のぼりの会」の皆さんによって、義高の供養と子どもたちの健康、成長を祈念して「鯉のぼり」を掲揚するらしい。
退散です。
続いて来たのが、鎌倉街道(奥州道)の交差点付近の「信濃坂」の下にある・・
「影隠(かげかくし)地蔵」です。
義高が、頼朝からの追っ手をやり過ごすため、一時的に地蔵の背後にその姿を隠したと言われている。
昔は鬱蒼とした篠竹の藪の中に地蔵堂があり、その中に木像が安置されていたと伝えられています(現在は石の地蔵)。
これで今日の予定は終了です。
直ぐそこなので「智光山公園」に寄って行こう!!
「都市緑化植物園」へ。
「ハンカチノキ」はもう直ぐおしまいですね。
先に咲いた方は、大方散っています。
「セイヨウシャクヤク」。
「ベニバナトチノキ」が綺麗です。
帰ります!!
入間川の「入間川大橋」から下流を望む。
帰りがてら「ホームセンター」に寄って、12時30分過ぎに帰還、46.37㎞だった。
本日の行動はこんな感じでした。
sakurako
こちらこそ有り難うございます❗️