昨日、写真を撮ったのに消去してしまったので、今日も行ってきました(笑)
それは「大多羅法師(ダイダラボッチ)の頭像」の写真です。
日本各地に伝わる「ダイダラボッチの伝説」がありますが、東京都東大和市にもご多分に漏れず「ダイダラボッチの伝説」がある。
「多摩湖橋」近くの「慶性門(けいしょうもん)」の横道を入ると小高い丘になっており、そこは「大多羅法師の丘(ダイダラボッチのおか)」と呼ばれ、頂上には「ダイダラボッチの頭像」があります。
場所は地図の中心の「多摩湖」と書いてある北です。
遅くなったが10時40分過ぎに出発します。
着いた所は「山口観音」、「紫陽花」の写真を少々撮る。
では、目的の場所に向かいますが、直ぐそこです。
「慶性門(けいしょうもん)」に来ました。
向いは「多摩湖橋」です。
門の裏側です。
そして、坂を上がると「ダイダラボッチの丘」があります。
大多羅法師(だいだらぼっち)
≪大多羅法師は関東を中心として東日本一円に伝えられる大巨人のことです。
湧き水出現にまつわる水神信仰と深い関係があります。
藤ヅルでこしらえた籠で土を運んでいた時、ツルが切れて落ちて出来たのが富士山で足を滑らせたときはねあげた土が伊豆七島になったとかスケールの大きな話が多くあります。
多摩湖周辺にも大多羅法師の話は多く、武蔵村山市の丸山にある井戸は足跡と云われ、向山は富士山と同様藤ヅルの籠からこぼれ落ちて出来た山といわれています。また、湖底の村・内堀にも伝わっており、「デンドロの井戸」と呼ばれ、水が涸れたことがなかったと云われています。なお、藤ツルが切れた時、そのツルを北に投げたので、南側には藤は生えないそうです。本公園の湖底の村の広場(北側)には藤は生育しています大多羅法師はここで、都民の水がめである多摩湖の水を涸らさないように見守っているのです。≫とある。
横顔です。
後は・・・
動画:多摩湖のダイダラボッチの頭像(2020 6 9)
次に向うは「ダイダラボッチの井戸」、「多摩湖CR」を走って行きます。
「かぶと橋」に到着、ココから自転車は押します。
ありました、「ダイダラボッチの井戸」です。
足跡と言われる「井戸」です。
武蔵村山市では「デエダラ祭り」があるらしい。(デエダラはダイダラが訛った言い方らし。)
まつりの名前は、市内に古くから伝わる「デエダラボッチ(大多羅法師)」という巨人伝説にちなんで名づけられ、現在も「デエダラボッチ」が歩いた足跡とされる井戸が残っています。
まつり1日目のクライマックスは、現代によみがえった伝説の巨人「デエダラボッチ」をモチーフにした山車が登場する市民パレードです。
完全にハイキング状態となります。
そして「番太池」に出る。
番太池は、もともと田んぼに引水するための灌漑用水地として作られたため池だ。上(かみ)と下(しも)の二つの池からなっていて、以前は排水や止水をするために堰堤の下に取り付けられた栓を開閉して調節していた。
先ほど「慶性門」があったが、村山貯水池(多摩湖)建設のため移転した、現在の「慶性院」に行ってみます。
場所はココです。
到着です。
慶性院の水天像
この水天像は、慶性院の第19世住職 円鏡法印慈賢が、江戸時代末期に建立したものである。
水天は、世界を守護する十二天のひとつで、水難除けや雨乞いの祈願の対象となるため、池や川のほとりに建てられる例が多い。
この像は大正11(1922)年、村山貯水池建設に伴う寺の移転とともに、現在地に移されたものである。
水天像は、全国的にも例が少なく、都内にある3基のうちの1基で、きわめて貴重な彫像である。
右手に剣を持ち、左手に索を持つ石仏です。
帰ります。
帰る途中に寄った所は「北山公園」です。
「花菖蒲」はご覧の通りです。
近くの「スモークツリー」です。
地元に帰って、良く寄る「松屋」で食べます。
380円也で、お腹一杯!!
こんな時間なので、誰も居ません!!(此処の所は何時も空いているけれど・・)
自宅着です。
今日のお遊び終了、暑かったが明日はもっと暑いぞ!!
応援しています。
何時もご覧いただき有り難うございます。
良い写真は撮れないので、数で勝負ですがセンスありません(笑)