かんにんブクロ

絵本とイラスト付きで書いているブクロ…いやブログです(笑)

脳梗塞発症3年後…

2014年09月20日 | 病気

3年前入院した頃の私は、左手で『グー、チョキ、パー』ができず、ボールペンさえつかめなかった左指だったが、リハビリを気長に続けたおかげで薬指と小指以外は、ほぼ回復した。今でも鞄や荷物はなるべく左手で持つ様にしているからだろうか、3年間左手ばかり鍛えたので、右腕より左腕の方が少し太くなってしまった。(*^^*)

現在は、血圧計を手の届くところにおいて毎朝測定している。朝食後は血栓を予防し血行を良くする薬と、血圧を下げる薬を毎日飲んでいる。それと、出来るだけ歩く様にしている。

脳梗塞は年間を通じて注意が必要な病気ですが、これから来る冬の寒さは高血圧の大敵です。寒さの刺激が交感神経を活発にし、血圧が高まりやすいからです。首筋や頭を冷やすと冷たい血液が脳に入り、血管が収縮して血圧が上がります。外出する時はマフラーや帽子などを身に付けた方が良いと思います。
私は外に出る時、一年中帽子をかぶるというクセが付いてしまいました。

以下に脳梗塞についての簡単な説明画像を貼りました。以前にも同じ画像を貼ってくどい様ですが、少しでも参考になれば嬉しいです。











 

●「脳梗塞」について詳しくはこちら↓
脳梗塞とはどんな病気? - 脳梗塞について教えてください - 右脳と左脳
脳梗塞 - Wikipedia - 脳梗塞と食事~予防・改善に向けた食事療法



【完】







ね・て・き・た・ま










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退院の日…

2014年09月19日 | 病気
帰宅してすぐイラストを描いた
(2011年)
3年前
退院して自宅で書いた日記です。

2011年9月25日(入院15日目そして退院の日)
朝食後、同室の患者さん達に挨拶した後、ナースステーシヨンにも行って挨拶した。
『隣の男性』や看護婦さんが、エレベーターに乗るまで見送ってくれたので照れくさかった。
無事退院し、入院生活は終わった。

帰宅してすぐ机に向かって絵を描き始めた。入院中はベッドの上でらくがき程度きり描いていなかったので、机でイラストを描くのは久しぶりだった。左指は曲がったまま。紙をおさえるというより、紙の上にのせる程度きりできなかった。
(描いたイラストは点滴をされベッドに横たわっている私)

描き始めて気が付いた。なんかおかしい。うまく描けないのだ。右手は何ともないから絵は描けるはずなのに、きちっとした線が思い通りに描けないのはなぜだろう?

そんな事を思いながらも、描き続けてわかった。まだ「左手に力が入らないからだろう」とか、左半身の麻痺で「左右のバランスがまだうまくとれていないからだろう」等と思った。「何枚も描いて、バランス感覚を取り戻すきりない」と決めた。

夕方、2週間ぶりにパソコンの電源を入れた。左指の力がまだ弱いので、キーボードのボタンがうまく打てず、数行の文字を打つにも時間がかかった。「なんでうまく打てないんだ!」とイライラした。

右指だけで打てば、早く確実に文字が打てたが、これもリハビリだと思って、なるべく左指も使う様にした。

(その後も、左指のリハビリは、あせらず、気長に続けた)



つづく






ね・て・き・た・ま










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点滴終了…

2014年09月18日 | 病気
点滴容器をじっと見る
(2011年)
3年前
病院のベッドの上で書いた日記です。

2011年9月24日(入院14日目)
午後4時頃、主治医が左手と左足の具合を見にやって来た。右脳をやられて左半身が不自由になったのだが、なぜか左足が一番回復が早い。入院4日目には一人で歩けたから。診察は数分で終わった。

夕方「yamacさん、これが最後です」と言って看護婦さんが点滴容器を持って来た。

看護婦さんが帰った後ベッドに横たわり、点滴が一滴一滴落ちてくるのをしばらく眺めていた。

すると、朝から晩まで2週間も私に付きっ切りだった点滴が、今夜で最後だと思うと、いつも離れたところにぶら下がっていた点滴容器を、近くで見たくなった。

ベッドの上に立ち上がり、点滴容器を手に取ってじっくり見た。ふと容器の裏側を見ると『点滴終了・抜針』と油性ペンで書いてあった。
私は思わずにんまりしてしまった。

夜中に点滴の液剤が全てなくなり、看護婦さんが点滴をはずしにやって来た。そして、右腕に長い間付いていた針を抜いた後言った。
「yamacさん、やっと終わりましたね」
「やっと終わったよ~」
私は安堵感でいっぱいだった。

ベッドの横にいつもあった、キャスター付き点滴棒もなくなった。
そして、右腕にはもう管は付いていない。



これで完全に『ひも付き』でなくなった。
( "ひも付き"とは、点滴の管の事。キャスター付き点滴棒を持って、隣の男性のベッドの前を通った時、「"ひも付き"でどこ行くの?」と言われた事がある) (*^^*)
確かに点滴の管はひもを付けている様にも見える。隣の男性はいつも面白い事を言っていた。

明日は退院、入院生活も終わりだ。私は心地良い眠りについた。



つづく






ね・て・き・た・ま










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退院の日が決まった…

2014年09月17日 | 病気
ボールを使って左指のリハビリ
(2011年)
3年前
病院のベッドの上で書いた日記です。

2011年9月23日(入院13日目)
「軽い脳梗塞です。入院は2週間ですね」
9月11日、救急車で病院に運ばれ、診察後ベッドに横たわっている私に医師が言った言葉だ。

そろそろ2週間になるので、数日前から看護婦さんに、退院できる日を聞いていた。でも、なかなか返事がこなかった。

午後、ベッドでボールを使って左指のリハビリをしていたら、看護婦さんが来て嬉しいことを言った。
「yamacさん、25日に退院できますよ」

やっと退院できると思うと、嬉しくてたまらなかった。



*3年前の日記を読むたびに、辛かったあの頃を思い出す。
でも、軽い脳梗塞で本当に良かった。(2014年9月17日)




つづく






ね・て・き・た・ま










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廊下を走る?…

2014年09月16日 | 病気
隣の男性と私はカーテンを開けっぱなし
(2011年)
3年前
病院のベッドの上で書いた日記です。

2011年9月22日(入院12日目)
まだうす暗い午前4時50分に採血があった。
10時からは2回目のMRI検査があり、約15分で終了し部屋に戻った。

「yamacさん、左足は治りが早いですね、もう歩けるし…」
私と看護婦さんとの会話を聞いていた隣の男性が割り込んで来た。
「廊下を走ってたよ」
「走ってなんかいないよ」
私がすかさず言うと、
「おれには走っている様に見えるよ」
男性が笑いながら言った。

最近の私は点滴の管が外されると、キャスター付き点滴棒を持たなくていいので、病院の中をあちこち歩いたりしていた。すると、車椅子から松葉杖に変わった隣の男性(私のベッドの隣)と、廊下で時々出くわす事があった。

やっと松葉杖でリハビリ出来るまでになった男性から見ると、2週間もたたないのに手ぶらで歩いている私が、「走っている様に見える」という冗談を言ったのだ。

でも、左足は普通に歩ける様になったけど、左手としゃべるのは、まだまだダメだ。リハビリは長い期間かかると思う。



つづく






ね・て・き・た・ま










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リハビリが始まった…

2014年09月15日 | 病気
ボールを回してみた
(2011年)
3年前の日記です。

2011年9月21日(入院11日目)
看護婦さんが「これでリハビリして下さいね」と言って、リハビリ用のボールを持ってきてくれた。スポンジでやわらかいボールだった。

さっそく左指だけでボールを回してみたが、うまく回らなかった。ギュ~と握る事も出来なかった。でも、何度も何度もゆっくり回したり、にぎったりした。

何度かやっていると、ボールが手から落ちてコロコロところがってしまった。ベッドの下やあちこちを探したけど見つからなかった。すると、
「お! ボールが転がってきてるぞ」
隣の男性の所まで転がっていた。

また、ボールを回したりしていたら、今度は私のベッドの奥の方まで転がってしまった。後で看護婦さんにとってもらった。

リハビリは始まったばかり、時間はかかると思うが、焦らずあきらめないでリハビリしようと思った。

(後日、病院で使ったのとほとんど同じリハビリ用ボールを、100円ショップで見つけた。今でもそれを使ってリハビリをしている)

TVでは台風15号のニュース。外は強風や大雨みたいだが、病院の中にいると、外の様子が全然わからなかった。
今日も病院は、静かな夜だった。


*3年経った2014年9月15日現在は、薬指と小指の動きが少しおかしいだけで、あとはほぼ回復した。



つづく






ね・て・き・た・ま










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右手が使えない…

2014年09月14日 | 病気
病院のお風呂場で
(2011年)

2011年9月19日(入院9日目)
「明日は看護婦の人数が少ないので、今日が入浴の日に、変更になりました」
朝、看護婦さんから説明があった。
(通常は火曜日と土曜日が入浴の日らしい)

お昼頃、看護婦さんが私のところにやってきて言った。
「yamacさんは、今日から4階のお風呂場です。4階の患者さん全員の入浴が終わったら、知らせに来ます」
どうやら私のいる3階のお風呂場は、看護婦や介護士の手伝いが必要な車椅子の患者で、4階のお風呂場は、自分一人で入浴できる患者専用みたいだ。(この頃の私は車椅子ではなく、キャスター付き点滴棒も持たないで一人で歩ける様になっていた)

前回の様に点滴の管もはずされて、ベッドで待っていると、2時半頃看護婦さんが呼びに来た。

4階のお風呂場の前に行くと、女性の介護士さんがいて、右腕の点滴のところが水に濡れない様にビニールでかぶせ、両端をテープで留めてくれた。でも、不安だったのか更にテープでグルグルまいてから自信たっぷりに言った。
「はい、これでもう大丈夫!」
私も、ここまでしっかりテープで留めれば、水は入らないだろうと思った。介護士さんの優しい心遣いが嬉しかった。

「さあ!一人でお風呂に入れるぞ!」
浮き浮きした気持ちでお風呂場に入った。そこまではよかった。だが、パジャマを脱ぐ時に気が付いた。
「あれ?右手が曲がらないぞ」

介護士さんが丁寧にテープを留めてくれたのは嬉しかったが、あまりにもグルグルまいてくれたから、右ひじが曲がらなくなってしまったのだ。

「なんてこった!右手が使えないよ~」
入院してから右手だけが頼りで今まで何でもやってきたのに、その右手が使えないとは…
しかたなく、あまり動かない左手でなんとか洗った。いつもと逆のパターンだった。

その後お風呂から出て、タオルで身体や頭を拭くまでは出来た。ところが左手だけではパジャマを着る事が出来なかった。何度も何度も挑戦してみた。

しかし、数分間の悪戦苦闘も空しく、ついにヘルプミー!……
ナースコールのボタンを押した。






つづく






ね・て・き・た・ま










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ちゃわんを持てた…

2014年09月13日 | 病気
ちゃわんを持って食べた
(2011年)
お茶碗をもてたど~!!

9月11日の「脳梗塞で入院した日」で、脳梗塞についての記事は終了するつもりだったが、もう少し続けます。

これは3年前の入院中、病院のベッドで書いた日記です。当然イラストは退院後に描きました。

2011年9月18日(入院8日目)
「おっ! ちゃわんをもてたど~!!」
ご飯茶碗だけど(お茶碗をもてたど~!!)
今まで右手だけで食事をしてたけど、今日、入院して初めて左手にちゃわんを持って(乗せて)ご飯を食べる事が出来た。ぎこちないが、ちゃんと左手に乗せる事ができた。ただ、無意識に、どうしても内側に傾いてしまう。味噌汁は、食べてるうちにお椀がだんだん傾いてきて、中の味噌汁がこぼれそうになった。
まだ、左指でボールペンさえつかめないので、物を持つというより、物を乗せる程度きり出来ないが嬉しかった。とにかく大前進だ!!

朝から晩まで点滴を1週間も続けていると、誤って点滴の管を何かにひっかけてしまう事が何度かあった。そのたびに針が引っ張られて「痛っ!」と声を出してしまった。
針を刺してるあたりがかなり腫れてきて、ぶつかると痛みを感じる様になったので、看護婦さんに右腕の別のところに針を打ち直してもらった。



点滴針を刺している右腕





つづく






ね・て・き・た・ま










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MRI検査…

2014年09月12日 | 病気
MRI(磁気共鳴画像)検査
(2011年)
3年前の事を書いています

車椅子を看護婦さんに押してもらい、MRI室へ行った。検査技師のいわれるままにシートの上に仰向けになって横になると、今まで見た事のない装置の中に私の頭は入れられた。(MRI装置の頭を入れる部分は、こんな感じだった)

「約15分で終わります。唾は飲み込んでいいですが、頭は動かさないで下さい」
「目は開けてていいんですか?」
「閉じ込められている感じがしますので、目は閉じていた方がいいです。それでは始めます」

何も聞こえない時間が数分間続いた後、脳の中をコンピュータで情報を拾い出しているのだろうか、
「トン・トン・トン・トン…」とか「ピッ・ピッ・ピッ・ピッ…」という様なコンピュータの音がした。(たしかそうゆう音だったと思う)
その後は、再び音が全然しない時間が続いた。

更に耳をすまして聞くと、クラシック音楽が静かに流れているのがわかった。多分、患者に不安を与えないで、リラックスさせる為だろうと思った。
そして、SF映画『2001年宇宙の旅』の宇宙船の中にいる様な気分になり、なぜか一人で にんまりしてしまった。

コンピュータHAL9000(ハルきゅうせん)など、映画の場面を思い出していると、また「トン・トン・トン・トン…」という音。検査はそのくり返しだった。

しばらくクラシック音楽を、耳をすまして聞いているとどこからか声がした。
「はい、終わりました」
検査技師の声だった。

後日、「MRI」についてネットでいろいろ調べたら「ドンドン、ガンガン、ドンドン…」とか、工事現場みたいな大きな音がすると書いてあったが、それほど音は大きくなかった。
「トン・トン・トン・トン…」という音のバックに、小さな音でクラシック音楽が聞こえたくらいだから…
(装置の発する騒音は、近年はかなり改善されてきているらしい)

でも、装置が狭く閉所恐怖症の人は強い恐怖心を抱かせると思う。






つづく






ね・て・き・た・ま










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脳梗塞で入院した日…

2014年09月11日 | 病気
病院のベッドで
(2011年)

3年前の今日(2011年9月11日)は、私が脳梗塞で倒れ入院した日だ。
右脳をやられ、完全に左半身が不自由になってしまった。でも、私の脳梗塞は軽い方だった。入院4日目には、一人でベッドから降りられる様になり、キャスター付き点滴棒を持って歩けたからだ。むしろ左足よりも左手の方がなかなか良くならなかった。

あの日から3年たった今、リハビリを根気よく続けたおかげで、100%とはいかないが、ほぼ回復した。

左手の薬指と小指がまだ動きがおかしい。時々言葉が出るのが遅いときがある。ほんの少しろれつが回らない様な時もある。それ位かなあ…。
健康に気を使う様になったのは確かだ。

血圧は毎朝計っている。血圧を下げる薬と血液をサラサラにする薬も毎日飲んでいる。これから寒くなるが、首筋や頭を冷やすと冷たい血液が脳に入り、その刺激で血管が収縮し、血圧が上がってしまうので、冬の寒い日の外出は、必ず帽子をかぶる様にしている。いや、私は1年中、外出する時は帽子をかぶっている。クセみたいなもんだ。


 
●「脳梗塞」について詳しくはこちら↓
脳梗塞とはどんな病気? - 脳梗塞について教えてください - 右脳と左脳
脳梗塞 - Wikipedia - 脳梗塞と食事~予防・改善に向けた食事療法






ね・て・き・た・ま










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