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■義経黄金伝説■第47回(60回完結)

2005年03月18日 | SF小説と歴史小説
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■義経黄金伝説■第47回(60回完結) 
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第 1 1 章 一一九〇年 (建久元年) 花の下にて我死なむ
■2 建久元年(一一九〇)三月
後白河上皇の前に、藤原定家(ふじわらていか)が呼ばれている。
「西行の名前を残して起きたいのじゃ。」
「西行様の、麻呂も賛成でございます、でいかかな処理をいたしましょう
や」、
「 よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのじゃ 歌
聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国
の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」 法王の頭の仲には、
色々な西行に対する指令がうづまいている。
「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 頼朝の
ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組
みをどうすすかじゃ」
「西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。
が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。
西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳を祭り、北の都の祭りとし、頼
朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いて
いた。奥州平泉は先年1189年文治5年に頼朝の手におちている。
おう、身震いがした、
崇徳が霊歌か、、 法王は遠く讃岐の方を見た。兄弟と記録されているが、崇
徳は本来の兄ではない、、

■3 建久三年(一一九二)3月京都
町の人々がうわさしている。「北条殿は人がよい」
「あのててごは坂東の男でもよい男じゃ」
京では、そう評判が立っていた。この北条とは、政子の父、北条時政であ
る。京都の監視に来ているのである。
「田舎者じゃが、分を知っておる」といいつつも、京の公家たちは、北条を同
じ人間とは思っていなかった。一段下の人間であるが扱いやすい奴と思ってい
たのだ。武士は人間ではない。そういう認識が公家たちの共有意識であった。
犬、猫、動物の扱いやすいもの。それが北条であった。
源氏や平家は、公家の血が混じっており、まで人間として認めていたが、北
条は関東という田舎、いや外国の土から生まれた生物であった。
「あの北条が、鎌倉を支配すれば、我々も扱いやすいかもしれんのう」
ある時、法皇は、九条兼実にこう言った。

■4 建久三年(一一九二)3月13日京都
後白河法皇の御殿に九条兼実が現れる。法王の部屋には、病人独特のにおい
が立ちこめ、香りがたかれていで九条兼実は、むせかえりそうになった、
兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。
病床にある後白河は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と
弱々しげに言った。
「ははつ、法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」
「朕の遺言じゃ聞いてくれ。よいか、それぞれの貴族の家、古式ののっとり、
各家々の特異技を家伝とせよ。その連枝をもって我が王朝を助けよ。まもれ
よ」
「それは、板東の奴輩に対抗する手で、ございませぬか」
兼実も藤原氏の氏の長者になっているのだ。
「それぞれの家を、古式由来の技で守るのじゃ。いにしえよし我々貴族の技こ
そ我ら貴族を守る。朕の遺言じゃ、、お主とは最後まで分かり合える事はなか
ったが、わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」
様態が変化した。
「弁慶に誤ってほしいのじゃ。お前から伝えてくれぬか」
「弁慶ですか、、」
兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世
の人ではないことを忘れている。4年前1189年文治5年4月30日に衣川
でなくなっている。
「朕は、この父は、悪人であった。お前を闇法師として使ってのう、許してく
れ。お前の一生を犠牲にしてしまってのう」法皇は、弁慶が目の前にいるよう
にしゃべっているのである。兼実が弁慶に見えるようだ。兼実は、法王のなす
がままにしている。
弁慶は法皇の子供だった。
「朕は、この京都を守りたかったのじゃ。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人
どもに政権は渡せぬぞ。血なまぐさき奴輩。京都を頼朝や秀衡に渡してなるも
のか。そうじゃ、西行は、西行はどこじゃ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。
早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうじゃ、平泉にの霊
御殿をつくる話しはいかがすすんでおる。秀衡は喜んでおるか…」
兼実は、西行になったつもりで、告げた。
「どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」
「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よい
か。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、義仲め」
法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲
撃によって焼き払われていた。八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くか
ら望見できた院政と京との象徴でったが、今はそれもない。
「法皇、安んじなされませ。ほれ、経文をお読みくだされ…」
「おお、そうじゃ」
後白河は、経文を六度唱えた、静かに。院政最期の巨人は崩御された。
「法皇様…」
兼実は、法皇の亡きがらを前に、これで頼朝殿に征夷大将軍の位を与えるこ
とができると思った。
兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。

建久三年(一一九二)3月13日、後白河法皇、崩御。66歳であった。

西行は崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。西行
は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに崇徳上皇の白峰神宮をつくる
ことを約束していたのである。

(続く)
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