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義経黄金伝説●第41回

2005年03月02日 | SF小説と歴史小説
■義経黄金伝説■第41回(60回完結予定) 
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(C)飛鳥京香・山田博一
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第6章  1189年(文治五年) 平泉

■6 1189年文治5年7月 鎌倉

「さあて、源氏の古式にならい、旗をあげる時じゃ、広
元、準備おこたりない
か」源頼朝が言った。
大江広元は大江国房の孫である、平泉に攻めいるは源氏
が「前九年の役」から
の野望であった。
「源氏の血を奥州に広めねばならん」。
「大殿(頼朝)様、日本のすべての国に動員をかけませ
。頼朝様の見方かどう
か判断できましょうぞ」
「ということは、源平の争いのおり、我が源氏の軍に刃
向かいものどもにも、
動員をかけるわけか」
「さようでございます。今天下は大殿さまに傾きつつあ
ります。誰が見方か、
敵か、この動員に参加するかどうかで見事にわかりまし
ょうぞ。これにより、
大殿様の天下草創が周知徹底できましょうぞ。すなわち
、源氏が武家の王であ
ることが見事証明できましょう」
「わかった。みなまでいうな。広元、その力をもって平
泉を征服しょうぞ」


東国は将門(まさかど)の乱の後、1028年(長元1
年)平らの忠常
(ただつね)が反乱を起こした。追討使は源頼信。多田
の満仲の子供である。
源頼義(よりよし)は前九年の役(1051年から10
63年)、後三年の役
(1083年-1087年)を通じて関東平家を郎党と
する事に成功した。

源頼義(よりよし)は、板東の精兵を、奥州の乱の鎮圧
に動員した。その契機
は平直方(なおかた)の娘婿となったからである。忠常
(ただつね)の乱のお
り、平直方(なおかた)は追討使となり、源頼義(より
よし)の騎射の見事さ
に感心し、娘を嫁がした。

平直方(なおかた)は鎌倉に別荘を持っており、源頼義
は義理父からこの屋敷
を譲り受ける。鎌倉は関東平氏のの勢力範囲であったが
、源氏は関東地方に人
の支配権を得た。源頼義の子供であり平直方(なおかた
)の外孫である義家
(よしいえ)は、前9年の役、後3年の役でその武名を
天下にとどろかせた。

源義家よりの4代目が、源頼朝、源義経の兄弟である。後
三年の役は1087年に
終わり、その100年後、頼朝の私戦、奥州大乱は、1189年7
月に鎌倉の出発を
持って始まる。
頼朝は、新しい日本歴史を作ろうとしていた。日本の統
一である。

■  1189年(文治5年)9月 平泉王国   

 (なぜ私が攻められるのじゃ)。
奥州王である藤原泰衡は悲しくなった。
(約束を守ったではないか。ちゃんと頼朝が言うとおり
、義経を殺し、その首
を差し出したでしないか。義経を差し出せば、奥州は安
堵するという約束をし
たではないか。くそっ、西の人間など、やはり信頼でき
ぬ。この戦どうしたも
のか。助かる手段はないものか。そうじゃ、ともかくも
頼朝に平謝りに謝ろ
う。そうしなければ、親父殿、祖父殿に申し訳が立たぬ
。この身、どうしても
奥州仏教王国守らぬばのう。
 そうだ、まだ西行がおる。あやつを捕まえ、頼朝に申
し開きもうそう。そう
だ、それがよい)

 奥州の平泉王国第4代国王、藤原泰衡は思った。
 が、一瞬後、その命が吹き引き飛んでいた。郎党、河
田次郎の裏切りであっ
た。奥州黄金郷は、ここに滅んだ。
1189年(文治5年)9月3日の事である。
(続く)
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