2年前、沖縄で孫を抱きながら偶然TV画面を見たとき、
飛び込んできた映像。
建物が 車が、木々が、そして人々が
大自然の津波の恐ろしさに飲み込まれ、
荒波の中にもだえ、苦しみ、呆然とする人々を
画面が映し出した。
それから、、、、、、2年
望みが、希望が 生まれてきたのだろうか、
絆という言葉で、日本中、いや、世界からの支援で
明日への希望を信じて、誓い合って、進んできたが。
それから、、、、、 2年
朝からTV、ラジオ、新聞は2年間の空白を埋めるかのように
今の東北の声を伝えてきた。
しかし、2年前の絆で結ばれた明日への希望の声は聞こえない。
それから、、、、、2年
ふるさとの太陽、月、風、自然を見る事が出来ない人が
遠く離れた場所で、嘆き、苦しみのの言葉を語り始めた。
失った自然、故郷、そして亡くなった家族、友人への言葉。
何を語ればいいのだろうか、何を語れることがあるのだろうか。
それから、、、、、、2年
今日の夕刊は



新聞の下段半分は空白です。
亡くなった人17000人、行方不明2800人
時は進んで、被災地の風景は少しずつ変わっても
人の心は止まったままです。