A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

偶然一緒に演奏したのかきっかけで、2人のソウルエネルギーが全開へ・・・

2017-01-10 | CONCORD
Soular Energy / The Ray Brown Trio featuring Gene Harris

毎年8月になるとサンフランシスコに程近いコンコルドの街にはジャズミュージシャンが集まる。街の郊外にあるパビリオンで開かれるコンコルドジャズフェスティバルに参加するためだ。
規模が大きくなるにつれて、西海岸だけでなく東海岸や遠く海外から、日本からも北村英治が参加するようになった。ここでのステージの模様はライブアルバムとして毎年のようにコンコルドレーベルでリリースされ、会場に出向いたファンだけでなく、世界中のファンが楽しむことができた。また、その機会を利用してスタジオでの顔合わせセッションも開かれ、これも数多くアルバムとなって世に登場した。

自分のレーベルの所属ミュージシャンを中心にフェスティバルの毎年の出し物を考えるのはオーナーであるカールジェファーソンの楽しみであり、特権でもあった。1984年のフェスティバルのプログラム構成を企画していたジェファーソンが、何においても彼の片腕であったレイブラウンに、「今回はアネスティンアンダーソンにすべてブルースを歌ってもらおうと思う、メンバーを考えてくれないか」と、相談を持ち掛けた。

レイブラウンはすぐに、ピアノのジーンハリスを思い浮かべた。
というのも、少し前にレイブラウンはハリスに頼まれて2日間ハリスのセッションに付き合って、その縁で一緒にアルバムも作ったからであった。

お互い50年代からジャズ界で活躍してきた2人だが、共演したのはそれが初めてだった。というのも、ハリスは70年代には第一線を退きアイダホ州のボイセという地方都市に引き籠り、地元のホテルでピアノを弾いていた。ボイセはアイダホ州の州都とはいえ人口は20万人ほど。黒人が極端に少ない田舎町。ジャズ界との接点はほとんど無い場所だった。その地ででハリスはジャズだけでなくブルースからカントリーまで日替わりで何でも演奏している毎日だった。

レイブラウンと初めてプレーしたハリスは、久々にジャズのエネルギーが体内に蘇った。一方のレイブラウンはハリスのソウルフルなピアノの躍動感を一緒にプレーすることで体感した。ブラウンは数え切れない程のミュージシャンとの共演経験があるが、この感覚はあのミルトジャクションと一緒にプレーする時と同じだと感じ、早速ハリスを連れてニューヨークに行った。そのミルトジャクションと一緒にアルバムを作るために。
1983年12月のことであった。

その印象が強く残っていたブラウンは、ジェファーソンからの依頼を受けると、早速ボイセにいるハリスに参加を求め、一緒にフェスティバルのステージに立つことになった。

このアネスティンアンダーソンのブルース特集はステージでの演奏だけでなく、別にスタジオでアルバムを作ることになった。サンフランシスコのCoast Recordersスタジオにメンバー達は三々五々集合した。その時のアルバムが、先に紹介したアネスティンのアルバム”When the Sun Goes Down“である。

このアネスティンのレコーディングの準備を行っている最中、トリオの面々はせっかくだから自分達のアルバムも作ろうということになった。特にレコーディングの準備をしている訳でもなかったが、そこは臨機応変に対応できるジャズの良さ。リハーサルもなくスタンダード曲を次々と演奏し始めた。ライブでも初顔合わせの面々が簡単な打ち合わせでセッションを繰り広げるが、そのノリでこのレイブラウントリオのアルバムが誕生した。

過去にブラウンはオスカーピーターソンのトリオで、そして一方のハリスはスリーサウンズでピアノトリオでの演奏には手慣れた2人、レギュラートリオのように次々と曲をこなす。
ドラムはジョーウィリアムスのバックをしていた新人のゲーリックキングを起用したが、2人が引っ張るトリオに複雑なリズムやバックはいらない、ステディなドラムングがかえって効果的だ。
普段もう少し早いテンポで演奏されることが多いTake The A Trainをゆったりとしたテンポでスイングさせるところなどは、即席のトリオとは思えないコンビネーションだ。



ライブでのセッションも、演奏が興に乗じてくると飛び入りの参加で盛り上がる。ここでもアネスティンアンダーソンの録音にスタンバイしていたテナーのレッドホロウェイが加わる。そして、何と自分のアルバム(先日紹介したCatwalk)作りに来ていたギターのエミリーレムラーも加わって一緒に大ブローを披露している。
この曲だけはレイブラウンがヘッドアレンジで曲を提供。思いっきりアーシーな演奏に、レムラーのギターもデビュー当時のモンゴメリーライクなブルージーな演奏となる。自分のアルバムでの演奏と比較すると同じプレーヤーとは思えない。

コンコルドの常連であり重鎮のレイブラウンはこれまでトリオの時はモンティーアレキサンダーなどと組むことが多かった。今回、ハリスとは余程相性が良かったのだろう、これを機に2人のコンビのレイブラウントリオがスタートする。
ハリスにとっても、ちょっと歌伴のお手伝いという感じの参加のはずだった。だが、これがきっかけでコンコルドの看板スターに返り咲き、ジャズ界でのセカンドステージが始まった。何がきっかけで人生の大きな転機を迎えるか分からないものだ。

コンコルドのアルバムは総じて録音が良いが、このアルバムのハリスのピアノのタッチと、レイブラウンの重低音のベースが絡み合う迫力は、演奏だけでなく録音も格別だ。

1. Exactly Like You    Joe Burke / Dorothy Fields / Jimmy McHugh 5:47
2. Cry Me a River                 Arthur Hamilton 5:46
3. Teach Me Tonight            Sammy Cahn / Gene DePaul 4:51
4. Take the "A" Train                Billy Strayhor 6:20
5. Mistreated But Undefeated Blues            Ray Brown 4:16
6. That's All               Alan Brandt / Bob Haymes 5:48
7. Easy Does It         Count Basie / Sidney Keith Russell 4:03
8. Sweet Georgia Brown  Ben Bernie / Kenneth Casey / Maceo Pinkard8:45

Gene Harris (p)
Ray Brown (b)
Gerryck King (ds)
Red Holloway (ts) #5
Emily Remler (g)  #5

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Pill Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, August 1984
Originally released on Concord CJ-268

Soular Energy
クリエーター情報なし
Concord Records
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レギュラー活動での成果をオーナーの前でお披露目に・・・・

2017-01-07 | CONCORD
Catwalk / Emily Remler


世間では正月休みも終わり日常のペースに戻りつつあるが、どうも仕事を辞めるとなかなか日々のペースが作れない。このまま毎日が日曜日の生活を過ごすわけにはいかないなと思っていたら、昨日、高齢者の定義を75歳からに変えるというニュースが流れていた。

高齢者かどうかの自覚は個人差が大きいとは思うが、まずは健康であることが何にも増して大事な事であろう。自分はこれまで大きな病気知らず、怪我知らずで、幸い医者とはあまり付き合わずに過ごせてきた。今後は、少しは健康に留意しなければと思うのだが、それにはまずは規則正しい生活(食生活を含めて)のリズムを作ることが先決だろう。一年の計は元旦にありと言われるように、ちょうど1月は一年の節目、今月中に何とかしたいものだ。

初詣に続いて、初打ち、初ライブはとりあえずどちらも済ませたが、初打ちは散々な結果に。新年早々、間違いなく今年のワーストを記録した。この悪いイメージを払拭するためにも、仕切り直しが必要だ。

初ライブはトロンボーンの向井滋春、久々にライブを聴いた。昔はフュージョン系が多かった記憶があるが、今回はメインストリーム。同じ世代だが、プレーぶりも元気だし、チェロを弾いたりチャレンジ慾も衰えていないようだ。
奥様のボーカルありの楽しいライブであったが、この日の大収穫は初めて聴いたアルトの加納奈美。若手の女性サックスは次から次へと登場しているが、彼女の堂々としたプレーはベテラン揃いの他のメンバーに囲まれた中では貫禄さえ感じた。若手だけの演奏はなかなか聴く機会が無いが、このようにベテランの中に混じってくれると出会う機会も増える。今後が楽しみ。

さて、アルバムの方はコンコルドの続きを・・・。
今回の主役はギターのエミリーレムラー。コンコルドはギターのアルバムが多いが、ベテラン勢に混じって新人も多い。その中ではこのレムラーが一歩抜きに出た活躍を残した。

最初は、クレイトンブラザースのアルバムに参加し、すぐにハンクジョーンと初のリーダーアルバム”Firefly”を作る。モンゴメリーの影響を受けたというメインストリームのプレーを。
続いて今度はジェイムスウィリアムスのピアノをバックに若々しさを前面に出した”Take Two”

3作目”Transitions”は自分のグループ
で、コンテンポラリーなサウンドをアピール、といった感じで一作ごとに進化を感じさせるものだった。

そして、この4作目。
今度はどのように変容したかが楽しみだが、前作の録音から9カ月後。メンバーは前作と同じとなると、これまでのように大きな変化があるとは思えなかったが・・・。
彼女の活動の拠点はニューヨーク。ニューヨークではこのメンバーでレコーディングだけなく、日頃のライブ活動も続けてきたレギュラーグループになっていた。

レギュラー活動を続けると4人のコンビネーションは一段と良くなる。トランペットのJohn D'earth。決して有名ではないが、バディーリッチやサドメルといったビッグバンド育ち。ミュートプレーやモジュレーターを使用した多彩なサウンドを屈指した多彩なプレーを聴かせてくれる。
ベースのエディーゴメスはビルエバンスとの共演で鍛えられたコラボ上手。
そしてドラムのボブモーゼズも普通のドラムセット以外のパーカッションも駆使して多様なリズムを刻む。
この4人のコラボレーションが一段と進化したコンテンポラリーなグループサウンドなったということになる。
このアルバムはその成果の発表となった。

そして、この録音はこれまでのようにニューヨークではなく、4人をわざわざ西海岸に呼び寄せカールジェファーソン自ら陣頭指揮での制作となった。
とはいっても中身は、彼女自身がプロデュースした前作同様彼女に全面的に任せたので、期待の新人のオーナーの前でのお披露目の場となった。



1. Mocha Spice      Emily Remler 4:26
2. Catwalk        Emily Remler 7:19
3. Gwendolyn       Emily Remler 4:35
4. Antonio        Emily Remler 4:25
5. Pedals         Emily Remler 6:54
6. Five Years       Emily Remler 5:48
7. Mozambique      Emily Remler 7:44

Emily Remler (g)
John D'earth (tp)
Eddie Gomez (b)
Bob Moses (ds,per)

Produced By Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California. August 1984
Originally released on Concord CJ-265

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ミンガスの死が、有名プロデューサーの人生を変えたのかも・・・

2017-01-06 | PEPPER ADAMS
Impressions Of Charles Mingus / Teo Maselo

チャールスミンガスが亡くなったのは1979年1月5日であった。それからもう40年近くが経ってしまったが、ミンガスの世界はまだ引き継がれているように思う。

ミンガスの死因は今でも不治の病と言われているゲーリック病、要は筋肉が委縮して最後は呼吸も難しくなるという難病であった。それ故、晩年は車椅子での生活になったが、それでも音楽に対しての創作意欲は衰えず、亡くなる一年前に最後のアルバムを残している。自らプレーはできなくなっていたが、車椅子でスタジオに駆けつけ、陣頭指揮をとっていたといわれている。
そのアルバムが、以前紹介した”Something Like A Bird””Me Myself An Eye”の2枚のアルバムになる。ミンガスとは長年交友があったペッパーアダムスも何を差し置いても、この録音には駆けつけた。

有名なミュージシャンが亡くなると必ずと言ってもいいほど、故人を偲び、またその功績を称えたメモリアルコンサートが開かれる。このミンガスのメモリアルコンサートも、数多くあったと思われるが、その中に亡くなってすぐにセントピータース教会で開かれたコンサートがあった。

ミンガスがやり残した事は多い。ミンガスの良き理解者であったスーミンガス夫人は、それまでの夫君の功績と意志を引き継ぐために新たにレーベルまで作ってミンガスの遺作を世に出すことに努めた。それは今でもミンガスビッグバンドに引き継がれているミンガスDNAの継承の一環だと思う。

このアルバムも、ミンガストリビュート物の一枚だ。
アルバムを作ったのはあのテオマセロ。

テオマセロというと、コロンビア時代のマイルスのプロデューサーとして有名だ。メジャーレーベルのA&Rマンとして、マイルスだけでなく、エリントン、ブルーベック、チャーリーバードなどの大物ミュージシャンを集め彼等のアルバムを次々に作っていた。どれをとっても、いわゆるメジャーレーベル特有のコマーシャリズムに染まったアルバムではなく、ミュージシャン主体の名アルバムを数多く残している。

このテオマセロの経歴を辿れば自らサックスプレーヤーであり、アレンジャーであった。クインシージョーンズのような、プレーヤー、アレンジャー出身のプロデューサーということになる。プロデュース業が忙しくなると、必然的に演奏家としての活動は無くなっていった。

プロデュース業の中で、不遇な生活をおくっていたミンガスを再び表舞台に引き戻したのも実はこのマセロであった。若い頃はプレーヤーとしてミンガスのワークショップに参加していたマセロは、ミンガスに対しては他のミュージシャンのプロデュース以上に様々な想いがあったと思われる。

実は、亡くなった直後に行われた教会で行われたコンサートをセットし、自作の曲を提供したのもこのテオマセロであった。せっかくの曲、アレンジ、そして演奏を録音で残しておきたいと思うのは、多くのアルバムを手掛けたテオマセロにとっては当然の願いであったろう。しかし、アルバム作りに手を上げるレーベルは無かったが、録音はその年の12月にマセロ自身で行われた。

それから4年近く経ってから、このアルバムとなって世に出ることになる。すでにマセロはコロンビアレーベルのプロデューサー職は辞していた。時代は、フュージョン時代の真っ只中。スイングジャーナルでもフュージョンはジャズの正当かといった議論がよく行われていた時代だ。アルバムも売れるアルバムとマニアックなアルバムに二分されていた。そんな時代だったので、マセロのミンガスに対する想い込めたこの演奏をアルバムとして世に出すレーベルがあった。それがHerb Wongが作ったPalo Altoだった。

ここでマセロが選んだ道は、プロデューサーとしてアルバム企画への参画ではなく、あくまでもプレーヤー、そしてアレンジャーとしての自らのミンガスに対する印象の表現としての参加であった。もちろん、それを一緒に演奏するプレーヤーも何の制約も無く選べたのであろう。自分やペッパーアダムス、リーコニッツ、アルコーンのように何10年も前からミンガスと共演したメンバーに加え、当時の新進気鋭のニューヨークの若手のメンバーも集められた。ジャンルもメインストリーム、フュージョンの隔てなく。スタジオワークに長けた者もいれば、ソリストとして活動してるものも。中にはギターの川崎燎もいた。

曲はすべてマセロのオリジナル。スタイルはコンベンショナルなスタイルからフュージョンまで、編成もトリオからビッグバンド編成まで多種多様。ミンガス自身もトラディショナルからフリーまで、その演奏スタイルには壁が無くすべてをミンガスワールドに料理していたが、マセロもその意思を引き継いだのかもしれない。

ペッパーアダムスは主要メンバーとしてセクションワークだけでなくソロも2曲で披露している。
丁度ソリストとして活躍していた時期だが、それから数年してアダムスもこれからという時に病に倒れる。アダムスが最後に録音したアルバムも、奇しくも”Suite Mingus”というミンガスに因んだアルバムであった。

このアルバムを作った後、マセロは再びプレーヤー、アレンジャーとして演奏現場に復帰した。ミンガスの死、そしてこのアルバム作りがマセロの人生においても大きな転機になったようだ。

1. Oops! Mr. Mingus Teo Macero 5:04
2. lory Be! Let the Sund Shine In Teo Macero 9:34
3. Blues for Duke Teo Macero / Mike Moran 4:30
4. Goodbye "MR. Good Bass" Teo Macero 5:09
5. Monk's Funk Teo Macero 7:01
6. Open C Teo Macero 4:33
7. Two Bits and a Piece Teo Macero 6:40
8. Chill Teo Macero 6:04

#1,3
David Liebman (ss)
Pepper Adams (bs)
Bill Evans (ts)
Alex Foster (ts)
Teo Maselo (ts,p)
John Stubblefield (as)
Dick Oatts (as)
Biff Hannon (keyboards)
Ron Davis (b)
Bob DeVos (g)
Jamie Glaser (g)
Kitt Moran (vocals)
Tom Brechtlein (ds)

#5
Mike Nock (Keyboards)
Jorge Dalto (keyboards)
David Liebman (ss)
Dave Valentin (fl)
Marcus Miller (elb)
Buddy Williams (ds)
Ryo Kawasaki (g)
Carole Steele (percussion)

#6
Biff Hannon (keyboards)
Teo Macero (as)
Ryo Kawasaki (g)

#2,4,7,8
David Liebman (ss)
Pepper Adams (bs)
John Stubblefield (as)
Al Cohn (ts)
Lee Konitz (as)
Teo Macero (as)
Britt Woodman (tb)
Eddie Bert (tb)
Don Butterfield (tuba)
Jon Faddis (tp)
Lew Soloff (tp)
Mel Davis (tp)
Ted Curson (tp)
Larry Coryell (g)
Will Lee (elb)
Mike Nock (Keyboards)
Biff Hannon (keyboards)
Rubens Basini (Per)
Alan Swartberger (ds)

Produced by Teo Maselo
Composed & Arranged by Teo Maselo

Engineer : Don Puluse
Recorded at 30 th Street Studio , New York on December 27,1979


Impressions of Charles Mingus
クリエーター情報なし
Teo Records
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ワイルドなのは顔つきだけでなく・・・演奏も。

2017-01-04 | CONCORD
The Real Tania Maria : Wild

年末は忘年会の合間を縫って、ゴルフの打ち収め、ライブ通いと慌ただしく過ごした。
年明けは遠出もせず、初詣も近くの神社へ。暖かい日が続いたので初打ちには絶好の日が続いたが、一転のんびり家で過ごした寝正月であった。

こんな時こそジャズ三昧とも思ったが、正月早々大音量というのも近所迷惑で気が引ける、久々にテレビ三昧となった。テレビといっても地上波の正月番組は見るものもないので、もっぱらAXNの海外ドラマ漬けとなった。

録画で録り貯めたものもあったが、この正月は長年続いたCSIシリーズの最終をまとめてオンエアーということもあってこれ中心に。一時はニューヨーク、マイアミと展開していたCSIだが、結局本家ラスベガスだけが残り、これもシーズン15が本国でも最終となってしまった。

科学捜査という切り口が最初は斬新さのあったテーマであったが、マンネリになってしまったのだろう。科学的な操作技法も劇中では多少眉唾を感じさせる事もあったが、反対に未来を感じさせる意味では面白かった。世の中の進化は早い、実際に実用化されている捜査、鑑識手法も多いのだろう。監視カメラの画像の顔認識などは現実にも間違いなく進化している。時代を反映したとも思えた続編のCSIサイバーはAXNではこれからオンエアーされるが、アメリカではシーズン2ですでに打ち切りとのこと。CSIのドラマ作りが飽きられたのかもしれない。

さて新年最初のアルバム紹介はコンコルドレーベルの続きから。
コンコルドは、ベテラン達が最後の花を咲かせ、アンダーレイテッドなミュージシャンの紹介が多いが、新人達の発掘も積極的に行っていた。それらの新人達の中には、コンコルドでの成功を踏み台にして、更に次なるステージを目指す機会に恵まれた者もいた。

ブラジル生まれの、タニアマリアもプロミュージシャンとしての活動は地元ブラジルから始まった。そして70年代にすでにヨーロッパを中心に世界を渡り歩く活躍を行っていた。そんな彼女がインド、オーストラリアを公演中の姿を目にしたのがギターのチャーリーバード。コンコルドレーベルの創世記は、このチャーリーバードだけでなく、レイブラウンやジェイクハナといったそこに集ったベテラン達が自ら一緒に演奏すだけでなく、それぞれがA&Rマンとして新人発掘を行って、オーナーのジェファーソンに紹介するといった手作り感に満ち溢れた雰囲気があった。

タニアマリアを紹介された時期は、ジェファーソンはちょうどサブレーベルのPicanteを立ち上げたところ。タイミングがピッタリだったのか、これも協力者の一人カルジェイダーに早速プロデュースを任せ、彼女の初アルバム”Piquant”が生まれたのは’80年12月だった。

それから4年、その間ヒット作の”Come With Me”も出して一躍スターダムに上った彼女は、レコーディングだけでなくレギュラーメンバーで有名クラブでのライブ活動も続けていた。ちょうど世はフュージョン時代。ベースのジョンペナのスラップベースがグループのサウンドを今風に仕上げていた。
今回のライブの場所は、サンフランシスコのGreat American Music Hall。1907年に創立された歴史あるホールだ。カーメンマクレーのここでの有名なライブ盤があるが、このタニアマリアのステージは、最初の聴衆の拍手と歓声から彼女の熱いノリノリの演奏と熱唱を予感させる。

このアルバムのタイトルは”The Real Tania Maria : Wild”。
まさにこの演奏が彼女の普段の姿そのままだ。

ライナーノーツでも、オーナーのカールジェファーソンが彼女に贈る言葉は、会場の名前を捩った訳ではないと思うがこの3つだけだ。

A Great Lady
Great Music
A Great Performance
要は、何の説明もいらない、「素晴らしい」ということだろう。

彼女も自分と同じ世代60代後半だが、一昨年も来日してエネルギッシュなステージを楽しませてくれた。このアルバムのステージ同様まだまだ若い。

この、ライブでの演奏が一つの区切りとなったのか、彼女はコンコルドを離れる。
よりPOPSな世界にもチャレンジしたようだが、この時代のコンコルドで作り上げたスタイルが彼女の基本であり、ワンアンドオンリーの彼女のスタイルのような気がする。

1. Yatra-Ta                 Tania Maria 5:24
2. Fiz a Cama Na Varanda         Ovido Chaves 5:52
3. Vem P'ra Roda              Tania Maria 5:36
4. Come With Me       Tania Maria / Regina Werneck 5:26
5. Funky Tamborim              Tania Maria 6:16
6. Two A.M.                 Tania Maria 10:04
7. Sangria                  Tania Maria 5:10

Tania Maria (p,elp,vol)
John Pena (eb)
John Purcell (as,ss)
Dan Carillo (g)
Don Carillo (g)
Frank Colon (per)
John Pena (eb)
Walfredo Reyes (ds, timbales, timpani)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwards
Recorded at The Great American Music Hall, San Francisco in September 1984
Originally released on Concord Picante CJ-264

Real Tania Maria: Wild
クリエーター情報なし
Concord Records
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マニアであるよりファンになって欲しい・・・・そんな2人の演奏は

2016-12-31 | MY FAVORITE ALBUM
Just Friends / Satoru Oda & Hank Jones

今年もあっと言う間に大晦日。
年内に片付けなければと思いつつ、やり残した事は多い。というより、毎年増えているような気がする。何事もギリギリにならないと手を付けない性分なので仕方がないと諦めてはいるが、ルーティン化してしまうと何とかこなせるのだが。歳をとると、その段取りが億劫だ。

忙しい年末最後の一週間だが、打ち収めゴルフと、ライブの聴き収めはだけは予定通り完了。

打ち収めは、まずは栃木まで遠征。以前は泊りで2日間であったが、他の打ち収めコンペと日程が重なり今回は日帰りに。矢板までの往復で300kmを超える日帰往復はきつい。けっして運転は嫌いではないが、最近は帰りの運転が段々しんどくなってきた。ただでさえ平日に近傍でのゴルフの機会が増えてくると、現役世代との付き合いとはいえ、これからは遠方へのゴルフは次第に足が遠のくかもしれない。

コースはロペ俱楽部。毎年、夏冬の最低2回は行く所だが、南欧風の佇まいは冬枯れの景色より、燦々と日が照り付ける夏の方が似合う。それ程の常連でもないのだが、「毎度ありがとうございます。」と挨拶をされると嬉しいものだ。ホスピタリティーを大事にしているこのコースでは、誰と接しても嫌な思いをしたことがない。



さて、スコアの方も段々記憶があいまいになるので記録に留めておこう。
出だしのホールでつまらない3パットでダボスタート。続いて寄らず入らずのボギー。この日はボギーゴルフに徹する日かなという感じで進んだが、7番で30ヤードのアプローチを大トップしてグリーンオーバーのトリプル。此のくらいのアプローチが課題だ。一番無難なピッチ&ランがイップス気味でミスが多い。このミスを取り返せずに、終わってみれば12オーバーでボギーペースならず。

後半も、ボギーペースが続くが、こちらはパーが3つにダボが2つ。終わっていつものスコアといった感じだったが、この日はユーティリティーが完璧。いいショットが続く自然と自信をもってスイングができるので、ミドルアイアンよりも楽に触れる。いよいよユーティリティ主体のセッティングに変える頃かも。


翌日は本当の打ち収め。先輩のコースの中津川が締めとなった。
出だしから順調、6番までは1バーディ、3ボギー。これも2つは3パットなので、絶好調の部類だ。
7番でティーショットが少し右に行ってグリーンを狙うには木越え。少し距離があったが十分に狙える場所だった。しかしボールは上がらず、木に当たって真下に。いつもの事だが、ここからミスの連続で8。そこからせっかくの調子が崩れるのもいつものパターン。それでも何とか44.後半期待となった。
後半はティーショットが好調。今年一番の出来といっても程で、ミスなし真ん中の良い当たりが続く。しかし、上がってみれば50。振り返ってみれば、2打以降がOBあり、池ありではこの結果も仕方ない。

今年最後のゴルフに相応しく、良い所も悪い所もオンパレードの締めゴルフであった。
この日のキャディーは女子高校生。先日行われた関東大会で上位に入って3月の全国大会に出場できるとのこと。常にボギーを出さないようにパーをとるように気を配れるようになって上位に入れるようになったとか。自分も来年こそは、ミスを繰り返すことなく常にボギーペースで廻れるようにしたいものだ。多分精神力だと思うのだがなかなか・・・。

一方で、締めのライブは29日の尾田悟のメモリアルライブへ。
そういえば、テナーの大御所、尾田さんも今年亡くなった一人だった。89歳の誕生日の直前に訃報を聞いた。確か、昨年はその頃米寿のお祝いを兼ねたライブがあって出掛けた記憶がある。

毎年暮れになると尾田さんは4テナーのライブを恒例にしていた。尾田さんの4テナーといえば、以前紹介した「The tenor Summit」という若手3人のテナー奏者を従えた20年前のアルバムがあるが、これに因んだ4テナーのステージが聴けるライブであった。

尾田さんが亡くなった後どうなるかと思っていたが、今年はメモリアルという事で尾田さんに代わって若手の吉本章紘が加わってのステージであった。尾田さんの奥様の希望もあり20年前のアルバムにも参加していたテナーの三木敏雄とピアノの守屋純子が音頭をとり、このような形でメモリアルステージとして続いたのは嬉しい限りだ。

尾田さんといえば、その名を世界に知らしめたのは、北村英治から誘いを受けて、モンタレージャズフェスティバルに参加したことがきっかけだが、そこでハンクジョーンズとの共演し交友が始まったという。音楽に言葉の壁は無いというが、尾田さんのテナーにハンクジョーンズは最初聴いた時から何か感じる所があったのだろう。

このアルバムは1994年の録音。モンタレーに初出演してから10年以上経っている。この間アメリカだけでなく、ヨーロッパにも出向くようになっていたが、尾田さんのテナーはいつでも、どこでも、誰とやっても変わりない。世の中フリーが流行し、フュージョンが流行っても自分のスタイルを変えなかった。

一方のハンクジョーンズも、長年のスタジオワークから最前線に復帰した時、トニーウリアムスを加えたグレートジャズジャズトリオで話題になったが、そのピアノスタイルは不変であった。

お互い意気投合したこんな2人の演奏は、何の気負いも飾りっ気も無い2人の自然体だ。尾田さんは常日頃からマニアは要らない、ファンがいてくれればと言っていたそうだ。

このアルバムの原題は確かSatorismだったと思う。尾田さんのこんな音楽観を引き継いだ先日のライブの4人のテナーは実に心地良く聴けた。尾田さんの演奏は、アルバムでしか聴けないが、尾田さんの教えを引き継いだ後輩達のステージはまた来年も聴けるそうだ。楽しみにしていよう。

1. Bernie’s Tune
2. There Will Never Be Another You
3. My Little Suede Shoes
4. Body And Soul
5. Scrapple From The Apple
6. Easy Living
7. Elevation
8. AK300 / AK300
9. Just Friend

Satoru Oda (ts)
Slide Hampton (tb)
Hank Jones (p)
Andy McKee (b)
Lewis Nash (ds)

Produced by Tetsuo Hara
Recorded at Music Inn in Tokyo on December 17 &18, 1994
Engineer Hiroshi Sato
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「極端に良かったり、悪かったり」が今年のゴルフ。忘年ゴルフも今年のゴルフを象徴しているようだ・・・

2016-12-26 | GOLF LIFE
今年はよくゴルフをやった。これまでも他人に較べればよくやっている方だが、今年は仕事を辞めたせいもあり、平日ゴルフが増えた。学生時代の仲間や、会社の同期連中も現役を退く者が増えた。彼等とのゴルフ会も年一回だったのが、好きな連中が集まる自然とシーズン一回に増え、平日ゴルフもスケジュール調整が大変に。来年はそこそこにしなければ。

回数が増えたからでもないと思うが、夏頃調子が上向いた。歳とともに飛距離も落ちていたが、時々思い出したように昔のバカ当たりが復活した。何度やっても駄目だと諦めがつくが、やればできるとなると色気が出る。調子がいいとハーフ30台も何回が出た。「もっといいスコアが出るのではないか」と次回のゴルフが楽しみになったのは何年ぶりか。
ところが、いざ当日になると気合だけが空回り。反対に50台の大叩きをしたのも何度か。それでも、増え続けたハンディキャップも今年は少し戻した。
ご無沙汰していた月例にも復帰したが戦績は今一つ。完全復活を遂げる前に秋のシーズンは終わってしまった。

12月は忘年ゴルフのシーズン。毎年恒例となっている忘年ゴルフが続く。
まずは、会社時代のゴルフ仲間とのラウンド、千葉の南総カントリークラブ。しばらく前に同じメンバーでラウンドして大叩き、今回はリベンジの意味合いもあった。
この日は出だしから好調、パーが続く。7番まで1オーバー。しかし8番で痛恨のOB。終わってみれば41。後半はボギーペース。86は上出来。

某女子レッスンプロの生徒を集めての忘年コンペ。場所は、成田の多古カントリー。
昨年も同じコースでやった。これはまあまあの出来だった記憶があったが、珍しく記事にしていた。物忘れがひどくなってきたので、何か書き留めておくのは必要だ。この時はパットが異常に良かったが、今回は反対。ショットが良いのにパットが入らず。ゴルフとはこんなもんだろう。終わってみればスコアは昨年と同じ87。これもまあまあの出来。

そして、昨日はホームコースの打ち収めで太平洋の御殿場へ。この時期は直前に行われるプロのトーナメントのイメージがどうしても頭の中に残る。プロが回ると簡単そうなのだが、いざ自分で回るとイメージばかりが先行し、いつも結果が伴わない。

バックから廻るとミドルも殆ど400y超。プロだとショートアイアンだが、我々にとっては2オンも難しい。今年は松山がブッチギリだった。松山と比較しても仕方がないと、今年は何故か最初から諦めがついた。
最初から3オン、ボギー狙いだと、ティーショット気楽に打てるのでミスも出ない。反対に3打がピンに絡むことも。この日のグリーンは極端に遅く、パーパットは入らず仕舞。
ところがロングホールで落とし穴。少し色気が出たのか、力んだティーショットは大きく右の林の中へ。行ってみるとボールは反対側のホールまで転がっていた。
御殿場の林は密生している。林を抜けて元のホールに戻すだけでも苦労の連続。結局このホールで大叩き。大叩きをすると緊張の糸が切れるのはいつもの悪い癖。次のホールからミスが続いて終わってみれば、見事に50の大台に。

後半は何とか元のペースにと思ったが、2ホール目で早くも撃沈。こうなるとすべては悪い方に。落ち葉の中でボールをロストし、バンカーからホームランと、いい所なしで最終ホールへ。

プロだと2オンが狙えるロングホール。ここは何とか3打目が100ヤードちょっとへ。ピンに対しては池越えになるが、この距離であれば直接狙える。結果はピンの左2メートルに。残念ながらこの最後のパットも入らなかったが、最後は何とか恰好がついた。でもスコアはこのハーフも大きく50越え。

良かったり、悪かったりは今年のゴルフの特徴、忘年ゴルフもこのパターンが続く。
打ち収めはまだ。最後は来年に繋がるゴルフをしたいものだ。
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憧れの人との共演というのは、どのような形であれ感銘を受けるものだ・・・・

2016-12-24 | MY FAVORITE ALBUM
In My Life / Chie Nishimura

先週の羽毛田耕士ビッグバンドに続いて、今週はライブ通いが続いた。
火曜日はトロンボーンの中川英二郎とバンジョーの青木研のジョイント。中川はジャズからクラシックまでオールラウンドプレーヤーだ。自分は小曽根真のビッグバンド、ノーネームホースで聴くことが多いが、この日は父親譲りのトラッドジャズ。子供の頃から父と共演していたそうなので、このトラッドが彼のトロンボーンの原点ということになる。この日も父と一緒に、子供の頃からの定番ベイジンストリートブルースを披露してくれた。

昨日は、ギターの宮之上貴昭のトリオ、テナーの岡惇との共演。ベースの金澤英明を聴いたのは久しぶりだ。ベテラン揃いの円熟芸の競演であったが、この3人でやるのは今回が初めてだったそうだ。

そして、今日はドラムのジーンジャクションと引退から復帰した大西順子の共演、それに天才女性アルトの寺久保エレナがニューヨークから参加、ド迫力に圧倒される。ジャズ界は知らない間に女性上位の時代になっているようだ。

奇しくもビッグバンドから始まり、トラッド、ハードバップ、そして久々に最先端のジャズまで聴いて、いささか満腹状態だが、強いて言えばボーカルが無かった。

今年行ったボーカルのライブといえば・・・・

ライブに行く予定を立てるためには、まずはライブハウスやミュージシャンのスケジュールが必要だ。今は、ネットですぐ確認できるから便利な時代だが、昔は、よく行ったピットイン以外はスイングジャーナルの小さな活字が並ぶライブの予定欄を見るしかなかった。

今でもよく行くライブハウスのスケジュールは一応毎月目を通すが、レギュラーで出演しているグループに混じって、その月のスペシャルセッションが気にかかる。

今年の6月の新宿Somedayのスケジュール。この月のスペシャルプログラムはバリーハリスであった。写真入りで大きく紹介されていたが、一覧の中でも目が留まったのが、

西村知恵 The Swinging Quartet。

ボーカルの西村知恵は知らない歌手だった。気になったのはアルトの大山日出男とピアノの吉岡秀晃。大山日出男はここには良く出ている。吉岡秀晃は宮之上貴昭とのセッションの時に聴きに行くが、なかなか他のセッションには行けず仕舞いであった。歌伴も上手いし、この大山日出男との共演に興味を惹かれて出かけてみた。

この日のメイン西村知恵は、アルバムも出して、それなりに活躍しているようだが、この日まで聴いた事が無かった。
彼女は鹿児島出身、お隣の宮崎出身の吉岡秀晃とは、同じ九州出身の好で「ぜひ一緒に共演してみたい」というのが長年の夢で、実はこの日が念願かなっての「初顔合わせ」だったそうだ。

憧れの人と一緒に仕事ができるというのは、何をやっていても嬉しいものだが、この日の彼女の感激ぶりは、歌っている最中でも聴き手に伝わってきた。相手をその気にさせる吉岡秀晃のピアノの魔術に彼女もかかってしまったのかもしれない。

さてステージが終わってから、彼女からその日のお客さん一人一人にプレゼントがあった。
それが、このCDだ。

彼女にとっては2枚目のアルバム、続木徹のピアノをバックに2人のDuoでの演奏だ。
実は、このアルバムの誕生には事情があり、その詳しい経緯は彼女のウェブサイトに載っている。

人生最後を告げられた時、「何をしたいか」、そして「何ができるか」というという問いに対する答えは人によって様々であろう。

ジャズボーカルを愛し、そしてこの西村知恵の歌が気に入り、地元で彼女をデビュー当時から応援していたファンがいた。その方が人生の最後を迎えるにあたって、彼女に自分の好きな曲を、自分の好みのように歌ったアルバムを作って欲しいと頼んだのがこのアルバムとなった。
此のファンの方と彼女の共演ともいえるアルバムだ。
彼女は、このアルバムを市販せずに、彼女の歌を聴きに来てくれたファンに一人一人手渡しているという。

せっかく買い求めてもすぐにお蔵入りをしてしまうアルバムが多い中で、最近このアルバムを聴くことが多い。このようなアルバムの誕生秘話を聞くと、自分もこのアルバムを聴く度に、単に曲を聴く以外に色々想いを馳せることが多いのかもしれない。

最近昔のアルバムを聴き返す時、そのアルバムが生まれた経緯を気にかけることが多いのは、中身の良し悪しだけでなく、そのアルバムが生まれた経緯を知ると中身の演奏の聴こえ方も違ってくるのが楽しみのひとつになっているのかも。

その後、彼女のライブには行けていない。定期的に行っているようなので、来年は機会を見つけて出掛けてみよう。

1. Dream
2. All of me
3. Over the rainbow
4. The boy from Ipanema
5. Lullaby of Birdland
6. Star Dust
7. Take the ”A” train
8. In my life

西村知恵 Chie Nishimura (vol)
続木 徹 Toru Tsuzuki (p)

Produced by Chie Nishimura
Music produced by Toru Tsuzuki
Recorded, mixed and mastered by Katsuhiro Tajima
at Studio TLive in March - April 2016


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ジャズメッセンジャーズをビッグバンドでやると・・・

2016-12-21 | MY FAVORITE ALBUM
Mosaic / Art Blakey and The Jazz Messengers

どうも有名なアルバム、有名なグループというと散々聴いたような気がして、普段なかなか聴き返すきっかけがない。このアルバムを聴いたのは何年前だろう。LPではなく、CDになってから買い求めたのだから50年ぶりという事はないが、この10年は聴いていなかったような気がする。

聴き返すきっかけとなったのは、先日「ジャズメッセンジャーズをビッグバンドで」といライブがあったからだ。
それを企画したのは羽毛田耕士ビッグバンド。
リーダーの羽毛田氏はトランペットも吹くが、作編曲も本業の内だ。頼まれ仕事ではなく、やはり自分のビッグバンドのための作編曲となると、色々やりたいこともあるだろう。そんな時に、何かひとつテーマを持つというというのも、アルバム作りや、ライブを行う時にはひとつ筋が通っていいかもしれない。

今回のお題は、「ジャズメッセンジャーズ」だった。ジャズ好きでジャズメッセンジャーズを知らないファンはいないと思う。特に、自分のような年寄りファンにおいては。
しかし、コアなJAZZファンにとってメッセンジャーズはどちらかというと入門編。色々聴き込んでレアなミュージシャンやグループ、アルバムを知るようになると、ジャズ通を自認する者でメッセンジャーズをマイフェイバリットに挙げる者は少なくなってしまう。かく言う自分もその一人かもしれない。

ジャズメッセンジャーズというと、2管もしくは3管の分厚いフロント、ブレイキーのダイナミックなドラム、そしてメンバーは常に新進気鋭の新人達。その粗っぽさも魅力だ。
これをビッグバンドに料理するというと自然と興味が湧く。

この時代のドラマーは皆若い頃にはビッグバンドの経験がある。というものの、アートブレイキーのビッグバンドでの演奏というのはあまり聴いた記憶がない。予習を兼ねて、その中の一枚、ブレイキーのベツレヘムのビッグバンドアルバムを出掛ける前に聴き直した。
アレンジはアルコーン、そしてメルバリストン。録音時期は丁度ジャズメッセンジャーズを編成した頃だが、サウンドはけっしてジャズメッセンジャーズのサウンドとは言えない。メルバリストンのアレンジなどは、かえって変化に富んだ凝ったものであるが、ブレイキーのドラムはいつものブレイキーサウンドで響き渡っている。



さて当日、ライブでは珍しく事前にセットリストが配られていた。1部は、羽毛田氏のオリジナルやスタンダードが並ぶ。メッセンジャーズは2部でということだ。
しかし、曲目を見て確かにメッセンジャーズが演奏している曲だが、今一つピンとこない。無意識に結局初期のメッセンジャーズのモーニンやブルースマーチをイメージしていたのかもしれない。

演奏が始まり、羽毛田氏のMCの中でも、選曲の経緯が触れられていた。確かに、メッセンジャーズというとバラードのイメージはわかない。そして、有名な曲はどうしてもオリジナルのイメージや他のカバーと似たようになってしまい、断念したとのことであった。その結果として、今回はメッセンジャーズのアルバムで演奏された曲のソングブック的になってしまったようだ。

このアルバムの中のモザイクも選ばれた曲の一つであった。演奏を聴いてすぐにオリジナルの演奏が思い浮かばなかった。このアルバムを聴き返した後で、もう一度オーケストラの演奏を聴いてみたいと思った。当日とは何か違った印象を受けるかもしれない。

アレンジはどのようなものであっても、ジャズメッセンジャーズのサウンドの原点はやはり、あのブレイキーのドラムのサウンドなのかもしれない。有名なナイヤガラ瀑布だけでなく、ハイハットやリムショット、ブレイキーのドラミングは普通の4ビートとは一味違うリズム感だ。

ジャズのサウンドは譜面通り正確に演奏することだけでは生まれてこない。その意味では、今回のジャズメッセンジャーズソングブックも演奏を繰り返すことによってメッセンジャーズサウンドに醸成されていくのかもしれない。

メンバーが一段と若返った羽毛田耕士ビッグバンドだが、それぞれ個性をもった強者揃い。
ソロにアンサンブルに役不足のメンバーはいない。今後の活躍に期待したい。そのためには、年に何回かのステージではなく、毎週のように演奏できる機会がないと難しいかも、それはファンと一緒に作り上げていくものなのかもしれない。

最後にこのアルバムについて。
1961年10月の録音。この年の1月に来日したジャズメッセンジャーズにはリーモーガンやボビーティモンズがいた。日本でのファンキーブームに火をつけたメッセンジャーズだった。このアルバムでは、メンバーがフレディーハバード、シダーウォルトンに代わっている。カーチスフラーも加わり3管編成となっている。グループのサウンドにショーターの影響が一段と強くなっている。ジャズメッセンジャーズとして進化をした最初のアルバムだが、ブレイキーのドラミングは不変だ。やはりジャズメッセンジャーズサウンドの基盤はブレイキーのドラムということなのだろう。

昔のアルバムを聴き直す時には、やはり何かきっかけがあった方が新たな発見ができるものだ。

1. Mosaic            Cedar Walton 8:13
2. Down Under        Freddie Hubbard 5:29
3. Children of the Night   Wayne Shorter 8:51
4. Arabia           Curtis Fuller 9:10
5. Crisis          Freddie Hubbard 8:33

Freddie Hubbard (tp)
Wayne Shorter (ts)
Curtis Fuller (tb)
Ceder Walton (p)
Jymie Merritt (b)
Art Blakey (ds)

Produced by Alfred Lion
Recording engineer : Rudy Van Gelder、New Jersey
Recorded at Rudy Van Gelder Studio on October 2, 1961

MOSAIC
クリエーター情報なし
Blue Note Records
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左手だけでなく、レパートリーの豊富さが・・・

2016-12-19 | CONCORD
The Key Man / Dave Mckenna

今では大メジャーレーベルになってしまったコンコルドレーベルだが、カールジェファーソンが直接プロデュースしていた時代のコンコルドレーベルは、中身もミュージシャンも彼の拘りが直接反映したストレートアヘッドな演奏が大部分であった。その中には一枚限りのアルバムとなった無名のプレーヤーもいたが、そこを定住の場所として多くの作品を残したミュージシャンも多い。

スコットハミルトンやクレイトンブラザースのように、ここでアルバムデビューをして順調にスター街道を登りつめた者もいるが、ローズマリークルーニーやメルトーメのようにすでに頂点を極めたベテランが、ここを最後の安住の地として再び花を咲かせたスターも多い。

それらのベテランの中にピアノのデイブマッケンナがいる。中間派のピアニストとして一定の評価をされてはいたが、評価を確たるものにしたのはこのコンコルドでの活躍だと思う。

ズートシムスの初期の名盤として、「Down Home」というアルバムがあるが、ここでのピアノがこのマッケンナであった。60年代の初頭というとシムスはアルコーンとの双頭コンビを組んでいた頃だが、この頃マッケンナとシムスは良く一緒にセッションをしていた仲だ。スイングスタイルのピアノに甘んじてていた訳ではなく、仲間と一緒に切磋琢磨していた。

この仲間達には、ジミーレイニー、ジムホール、ボブブルックマイヤー、そしてペッパーアダムス達がいた。この様子は、以前JAZZ Loftで紹介したこともある。ハードバップ、ファンキーの演奏が世の中を席巻していた時期だが、彼らがその頃演奏していたジャズもまた歴史の一幕であり、彼らのその後の活躍の礎となっていた。

マッケンナがコンコルドレーベルに初めて登場したのは、ジェイクハナ&カールフォンタのライブアルバムだったが、その後、スコットハミルトンを初めてとしてコンコルドレーベルの面々との次々と共演を重ね、オールスターズにも参加し、コンコルドレーベルの看板スターの一人となった。

誰とでも上手くやれる一方で、マッケンナのもう一つの側面は、ピアノソロの素晴らしさだ。ジェファーソンはそこに目を付けた。すぐにソロアルバム"Giant Steps"を作った。その後も嗜好を変えながら何枚も作られていった。このアルバムもその一環だ。

ジャズピアノにも色々スタイルがあるが、ピアニストとして個性がより色濃くでるのはソロでの演奏だ。ジャズでは主役は管楽器になりがちだが、メロディー、ハーモニー、リズムを一人で完結できるのはピアノ、ギターなどだ。メンバー紹介では、ピアノやギターはリズムセクションの一員として紹介されることが多いが、ソロになると自由自在な3要素の組み合わせ方が個性を作り上げる。
マッケンナの得意技はリズミカルな左手のベースラインで、これはなかなか余人をもって代えがたい。特にモダン以降のピアノでは。

もうひとつ加えるとすると、オリジナル曲ではなくスタンダード曲中心のレパートリーの多さだ。いわゆるジャズのスタンダードに限らず古い歌物からとドラディショナルまで幅広い。このアルバムもしかりである。子供の頃からラジオで聴いた曲をすぐに弾いていたというから、曲を覚えるのは天性のものかもしれない。ソロでクラブに出るときは、左手だけでなく、このレパートリーの広さが物を言うのだろう。まさに鍵盤を自在に操るキーマンだ。

1. Singing the Blues
2. Yours Is My Heart Alone
3, A Garden in the Rain
4. Don't Be Blue
5. Golden Earrings
6. Louisiana
7. London by Night
8. I'll Be Your Friend with Pleasure
9. We'll Meet Again
10. The Gypsy

Dave Mckenna (p)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Howard Johnson
Recorded at Different Fur Recording, San Francisco, August 1984


Originally released on Concord CJ-261

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ペッパーアダムスの後継者、ゲイリースマリヤンの初リーダーアルバムは・・・

2016-12-17 | MY FAVORITE ALBUM
The Lure of Beauty  / Gary Smulyan 

今年はサドメルのオーケストラが生まれて50周年。本拠地ビレッジバンガードでは記念すべきデビュー公演が行われた2月7日にかけて連日記念ライブが行われたようだ。その主役であったバンガードジャズオーケストラ(VJO)が今年も来日した。

そのVJOのバリトンの席はといと、最近の来日時はフランクベイシルが座る事が多かったが、今回はゲイリースマリヤン、久々だったような気がする。自分が聴きに行った日のプログラムは、初期のサドメルのレパートリーが多かった。ペッパーアダムスファンの自分としては、スマリヤンが参加している事と合わせて満足したライブであった。

ゲイリースマリヤンは、ペッパーアダムスとサドジョーンズが相次いでオーケストラを去った後、アダムスの後任として後を引き継いだメルルイスオーケストラに早々に加わった。サムモスカなどと同様、VJOのメンバーの中では古参の一人だ。

スマリヤンは、ウディーハーマンのオーケストラに加わって世に知られるようになった。それまではフィルウッズフリークとしてアルトを吹くことが多かったが、バリトンはこのハーマンオーケストラに加わってから本格的に取り組んだようだ。
その時のアルバムも残されているが、彼のソロを大きくフィーチャーした映像が別にあった。ハーマンのオーケストラに加わっていたのは、’78〜9年頃、まだ、20代の前半だ。堂々とした演奏はその時すでに若さを感じさせない。



ニューヨークに住むようになった80年代はメルルイスオーケストラには加わったものの、必ずしも活躍する機会には恵まれず、生活するためにはコックの仕事をしていた時期もあったようだ。バリーハリスのフィリップモーリススパーバンドに声が掛かってからは、色々なオーケストラやグループからもお呼びがかかるようになった。アダムスもベニーグッドマンからミンガスまでどんなスタイルのビッグバンドでもこなしたが、スマリヤンもこの時期同じようなキャリアを重ねていた。

その後、ソロプレーヤーとしても徐々に頭角を現したのは、まさにペッパーアダムスと同じ、キャリア的にも後継者といえるが、ソリストとしての活動がアルバムで残っているのは’90年代に入ってからである。

スマリヤンの初のリーダーアルバムというと、多分このアルバムになるだろう。

初のリーダーアルバムとなると、参加メンバーはともかくリーダー当事者は誰でも色々想いを馳せるであろう。

このスマリヤンは、まず最初に決めたのはトロンボーンのジミーネッパーの参加だという。ネッパーはアダムスとはサドメル時代の盟友で、他でもコンビを組むことが多く一緒にアルバムも作っている

スマリヤンはとネッパーの普段の関係は良く分からないが、親子ほどに歳の違うネッパーを起用したには大きな意味があった。トロンボーンとバリトンという低域のフロントは一種独特の魅力があるものを、アダムス&ペッパーから学んでいて迷わず決めたという。

ピアノには、ブレイキ―のジャズメッセンジャーズを経てすでに中堅として活躍していたマルグリューミラー。そして、ドラムとベースは、ホッドオブライエンのバックを務めていたレイドラモンドとケニーワシントン。バリバリのハードバッパーの2人だ。
ジャズの楽しみはメンバーの組み合わせの妙。メンバーを見ただけでイメージが湧いて、聴いてみたくなるから不思議だ。

そして、演奏する曲。
これが一夜限りのセッションであればスタンダード曲が中心なるのが常だが、レコーディングとなるとオリジナルがいいかスタンダードが良いか選曲にも拘りが出る。このアルバムもオリジナル以外に他の作曲者の曲もバランスよく配置されているが、一曲目を聴くとその拘りが分かる。ただのスタンダードではない。

一曲目は、クインシージョーンズの”Boo’s Blues”。クインシーのアレンジャーとしての出世作ともいえる「私の考えるJAZZ」に入っている曲だ。スマリヤンはこのアルバムの中古を35セントで買ったそうだが、その中で印象に残った曲がこれだった。
クインシーがまだカウントベイシーにアレンジを提供する前の作品だが、ベイシーオーケストラ向けにピッタリの曲、そしてアレンジだった。

この曲を2管でチャレンジする訳だが、レイジーな雰囲気のスローなブルースの若きメインストリーマー達の好演が、このアルバムの素晴らしさを決定づける。その後、ラテン調あり、バラードありでソリストとしてのスマリヤンの実力、そしてパートナーに選んだジミーネッパーの技が次々と披露されていくが、最後の”Off To The Races”でいよいよスピードへの挑戦が行われる。

アップテンポの曲で、スピードの限界に挑戦するのはサックス吹きとしては一つのハードルだ。よく、ドナリーなどが素材として使われる。ペッパーアダムスもニックブリグノラのアルバムのバリトンバトルでスピード競争に付き合わされた

ここでは、最初はジミーネッパーも加わってファーストテイクが行われた。ネッパーは「この曲は自分が加わらない方がいいよ」と言って、演奏から抜けてスマリヤン一人になったのが、アルバムに収録されている演奏だ。

スマリヤンのバラードからアップテンポまでのバリトンの技のすべてがバックにも恵まれ堪能できる。
リーダーとしてのデビューアルバムとしては上出来だろう。

1. Boo's Blues                Quincy Jones 7:36
2. Canto Fiesta               Gary Smulyan 10:50
3. Minor Conundrum             Gary Smulyan 7:57
4. Moonlight on the Nile            Gary Smulyan 10:04
5. Kiss and Run                   Koslow 6:58
6. Lost April Eddie DeLange / Emil Newman / Hubert Spencer 10:54
7.You Go to My Head      J. Fred Coots / Haven Gillespie 8:39
8.The Lure of Beauty             Gary Smulyan 5:07
9.Off to the Races               Gary Smulyan 5:39

Gary Smulyan (bs)
Jimmy Knepper (tb)
Ray Drummond (b)
Mulgrew Miller (p)
Kenny Washington (ds)

Produced by Gerry Teekens
Engineer ; Max Bolleman
Recorded on December 7, 1990 in New York City

The Lure of Beauty
クリエーター情報なし
Criss Cross
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風貌に似合わず、繊細な演奏が・・・・

2016-12-15 | CHRISTMAS
Christmas Flower Tree / Cross Counter

訃報といえば、バリトンサックスの重鎮、宮本大路さんも今年亡くなった。
自分はビッグバンド好きなので、大路さんの演奏は、熱帯JAZZ楽団や、923ビッグバンド、ブルーノートオールスターズ、などで聴くことが多かった。病から復帰し、今年も元気な演奏振りを楽しませてもらっていたのだが・・・。
その風貌からか、日頃よく職務質問を受けることが多いらしく、『「職質楽師」夢追い日記』と、それを捩ったタイトルの本も出されたばかりであった。



ビッグバンドでの活躍とは別に、コンボでの活動も積極的に行っていた。その中で定期的に活動していたのがこのクロスカウンター、ピアノレスのカルテットだ。
バリトンがリーダーとなるとジェリーマリガンのピアノレスカルテットを思い浮かべるが、マリガンがパートナーとして選んだチェットベイカー、アートファーマー、ボブブルックマイヤーとは異なり、ここではアルトサックスが相方のサックス2本の編成。

演奏スタイルはというと、マリガンのカルテットのコンセプトに近い。ボクシングのクロスカウンターという感じの2人のバトルというよりは、アレンジといい、ソロの掛け合いといい2人のコラボレーションが素晴らしい。まさに、マリガン&デスモンドの共演の再現といった感じだ。

このアルバムは、今のシーズンに相応しいクリスマスアルバムだが、このスタイル、そして時にクラリネットを交えたサウンドが良く似合う。大路さんの演奏は、その風貌の印象から受けるイメージとは異なり、このような繊細な演奏も得意にしている。923ビッグバンドでも、フィーチャー曲はマリガンの綺麗なメロディーの曲だった。バリトンでは希少なメロディアスなプレーを得意としていた一人だった。

バリトンサックスはそもそも人材が少ないのに、大路さんの白いバリトンがもう聴けなくなったのは残念至極。
ご冥福をお祈りします。

1.  Santa Claus Is Comin' to Town        ( J. Fred Coots )
2.  There Is No Greater Love          ( Isham Jones )
3.  When Joanna Loved Me           ( Jack Segal )
4.  White Christmas              ( Irving Berlin )
5.  What Now My Love 〜そして今は〜     ( Gilbert Becaud )
6.  Everything Happens to Me         ( Matt Denis )
7.  Jingle Jam                ( Dairo Miyamoto-original )
8.  Glad to Be Unhappy            ( Richard Rodgers )
9.  Ano-Colo 〜あの頃〜           ( Dairo Miyamoto-original )
10.  Greensleeves              ( Traditional )
11.  All The Things You Are          ( Jerome Kern )
12.  The Christmas Song           ( Mel Torme )

宮本大路 / Dairo Miyamoto (bs,arr)
宮野祐司 / Yushi Miyano (as)
佐々木悌二 / Teiji Sasaki (b)
高橋徹 / Toru Takahashi (ds)

Produced By 鈴木燿 Suzuki Akira 赤坂B♭
Recorded on January 8 & 9, 2008
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年末を迎え、今年も訃報が続いているが・・・

2016-12-13 | MY FAVORITE ALBUM
Live at Blues Alley: Third Set / Hod O'Brien

久々の更新である。

今年はゴルフ三昧の一年であった。夏頃には調子は上向き、30台も何度か出て増え続けたハンディキャップも久々に減り、復活の兆しがあったのだが・・・。
最近は良かったり悪かったり、特に崩れた時の大叩きが酷くなった。やって駄目ならば諦めもつくが、いい時は若いゴルフ仲間に交じっていい勝負ができることも。体力が続く限り、しばらく頑張ってみようと思う。

一方、ジャズの方はというと、最近はライブが主体、あまりじっくり自宅でアルバムを聴き込むことも減っていた。というのも、オーディオの不調が続いたのも一つの原因。アンプの不調に続いて最近も2台あるCDプレーヤーがどちらもダウン、これを機に徹底的に修理に出して久々にいい音で楽しめる状態に戻った。不具合があると、そればかりが気になり落ち着いて聴くことが出来ないが、心地よく聴けると自然に聴く時間も増えるし、中身にも集中できる。使い捨ての世の中であるが、古い機器をきちんとメンテして貰える所に巡り合ったことが幸いであった。これで、また聴く機会も増えるであろう。

ゴルフやオーディオだけでなく、人生何事も細かいことは気にせずに「ありのままを楽しめる」ようになればストレスもなく毎日が過ごせるのかもしれないのだが。

さて、世の中ネット中心の時代に移行して久しいが、最初は自分の情報だけが届くメルマガも便利に思えたが、最近はあまりの多さにタイトルに興味がないとせっかくの情報も開くことがない。昔、新聞や雑誌も見出し見て、興味がある記事だけを読んだが、結局は同じことなのかもしれない。

先日、あるCDショップのメルマガに訃報が載っていた。自分が良く知るミュージシャンの多くも故人となり、ミュージシャンの訃報自体にもあまり興味が無くなっていたが、その名前はピアニストの「ホッドオブライエン」であった。表舞台を渡り歩いた訳でもなく、決して有名とはいえないピアニストであったが、バップスタイルのピアノが好きなファンにとっては人気がある。

昨年大森明との共演ツアーに参加するために来日していた。演奏は相変わらずであったがステージに登場した姿は、歳のせいか少し弱々しいなという感じを受けた。もしかしたら、この頃から体調は優れなかったのかもしれない。

自分がこのオブライエンの演奏を知ったのは、ペッパーアダムスとの共演盤”Opalessence” であったが、その後気にかけていたピアニストの一人だ。最近はなかなかライブでもこのようなピアノを聴く機会も少なくなっている。

オブライエンの死を悼み、ピアノを聴くにはトリオの演奏かなと思って、このアルバムを聴き返ししてみた。オブライエンのトリオが、ワシントンDCのジャズクラブの老舗「ブルースアレイ」に出演した時のライブ録音だ。

共演メンバーのベースのレイドラモンドとドラムのケニーワシントンは、20年前に録音されたアダムスとの共演アルバムのメンバーと同じ。長年オブライエンとのコンビを組んでいた2人、3人のコンビネーションも素晴らしい。この時の録音の3枚目のアルバムとなるが、残り物といった感じはない。というよりも、スタンダード曲よりもタッドダメロンの曲が並ぶのが、かえってオブライエンらしさを出しているかもしれない。

ダメロンの名曲" On A Misty Night"も良い感じだ。



1. Double Talk                H. McGhee 7:34
2. It Could Happen to You     J. Burke / James Van Heusen 8:25
3. Our Delight                 Tadd Dameron 6:01
4. The Squirrel                 Tadd Dameron 8:39
5. If You Could See Me Now            Tadd Dameron 6:57
6. Dameronia                  Tadd Dameron 7:35
7. On a Misty Night               Tadd Dameron 4:25
8. Easy Living            Ralph Rainger / Leo Robin 9:33

Produced by Kayla Feldman & Mark Feldman
Hod O'Brien (p)
Ray Drummond (b)
Kenny Washington (ds)
Engineer : Jim Anderson
Recorded live at Blues Alley, Washington D.C. on July 6, 2004 & July 7, 2004
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エルビンジョーンズが世に出した作曲家は、エルビンとちょっとイメージが合わないが・・・

2016-03-18 | PEPPER ADAMS
Composition of Fred Tompkins

持っているレコードの中には一度聴いたきりでお蔵入りしたアルバムも結構ある。衝動買いしたものは仕方がないが、期待して買い求めたアルバムが外れだとガッカリ感は強い。

このアルバムもその一枚。サドメルファンになってから、サドメルのアルバムだけでなくメンバー達のアルバムも買い求めることが多かった。中でもペッパーアダムスはかなり入れ込んでしまったが。

このアルバムも、そんな経緯で求めたアルバムだ。リーダーのフレッドトンプソンは知らなかったが、ジャケットに並ぶ面々を見るとサドメルの初期のメンバー達が並ぶ。それにエルビンジョーンズの名前も。聞いた事のないマイナーレーベルであったが、この面子を見ると反対にそれだけでも掘り出しものではないかと期待して買い求めた。

針を落とすとあまりにもイメージと違った。サドメルのメンバーは皆スタジオワークの強者。どんなスタイルでも演奏できるといえばそれまでだが、「こんな演奏もするんだ」という印象は受けても、その後繰り返し聴く事も無く、持っていたのも忘れかかっていた。

名の通ったプレーヤー達のアルバムの中に、時にメンバーの中に知らない名前が混じっていることも多い。大部分はゲストであったり、新人の起用であったりだが、その中で一曲だけの参加となると、その理由が余計に気になるものだ。

エルビンジョーンズのアルバム”Heavy Sounds”でピアノを弾いていたビルグリーン。昔から気になっていたが、他の演奏にお目にかかったことはない。同名のサックス奏者はいるが、果たして同じ人物かどうか?・・・。

ペッパーアダムスの参加したアルバムの棚卸をしている中で、先日エルビンジョーンズの”Poly Currents”というアルバムを紹介した。その中だけ一曲だけフレッドトンプキンスというフルート奏者が参加していた。

アダムスのディスコグラフィーを見ていると、このアルバムの録音直後にこのフレッドトンプキンスのアルバムに参加していた。メンバーを見渡して、もしやと思ってお蔵入りしていたこのアルバム取り出した。そして2枚のアルバムが繋がり、このアルバムの立役者がエルビンジョーンズであったことも分かった。

エルビンジョーンズとサドメルのメンバー達は普段から仲良く演奏していた。堅苦しいアルバムだけではなく、気軽なジャムセッションもアルバムとして残されている。エルビンの日頃のそんなプレー仲間の一人がフレッドトンプキンスであった。フルートだけでなく、ピアノも弾くトンプキンスであったが、本業は作曲であったようだ。
エルビンのアルバムでも、皆の曲を持ち寄ったアルバムだったこともあり、日頃のプレー仲間であるフレッドトンプキンスに声を掛けた。というより、エルビンにはせっかくの機会なので彼を世に売り出すのに一役買おうという強い意図があったようだ。ブルーノート、そして自分のリーダーアルバムに参加すれば広く名前を広める事ができるとの想いだったようだ。

その甲斐があってか、このアルバムが誕生した。マイナーレーベルであるが、集まったメンバーは普段一緒にプレーをしている一流どころが揃った。さらに、曲によってはストリングスやジャズにはあまり使われない木管も加わった。そして曲は皆トンプキンスのオリジナル。曲によって編成はバリエーションに富んでいるが、アンサンブルもかなり書き込まれている。ジャズの場合だと普通はテーマの作曲、そしてアレンジとなるが、ここではクラシックのようにアレンジというより全編作曲といった感じだ。

いわゆるジャズのスイング感(譜面の読み方を含めて)はなく、いわゆる前衛というよりサードストリームといったジャンルに近いのか。トンプキンスが日頃したためていた作品をめでたく世に出すプロジェクトは、エルビンを始めとして仲間の協力でめでたく実現した。

トンプキンスはその後も作曲家として活動しているようだ。他の新しいアルバムは聴いた事がないが、きっと同じ流れなのだろう。自分は、昔と較べてかなり幅広くどんなジャンルでも受け入れて聴くことができようになったが、きっとこのアルバムはまたお蔵入りで、繰り返し聴き返すことはないと思う。

1. Odile
 Fred Tompkins (fl)
 Lester Cantor (bassoon)
 Joe Tekula (cello)
 Barry Benjamin (French Horn)
 Danny Repole (tb)
 Jimmy Owens (tp)
 Joe Farrell (as)
 Mickey Bass (b)
 Elvin Jones (ds)

2. Yes
 Fred Tompkins (fl)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

3. Compound
6, SHH!
 Richard Jones (French horn)
 Al Gibbons (as)
 Joe Farrell (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

4. Fanfare Ⅲ
 Fred Tompkins (p,fl)

5. Trio
 Jacob Berg (fl)
 Bob Coleman (cl)
 Mel Jernigan (tb)

7. Two Sentiments
 Richard Williams (tp)
 Cecil Bridgewater (tp)
 Jerome Richardson (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Fred Tompkins (fl)
 Ron Carter (b)
 Elvin Jones (ds)

8. Circle
 Bob Brock (p)

9. Find A Way
 Gilbert Munguis (cello)
 Juri Taht (cello)
 Richard Williams (tp)
 Danny Repole (tb)
 Al Kaplan (tb)
 Richard Davis (b)
 Elvin Jones (ds)

All Compositions written by Fred Tompkins
Recorded at A-1 Sound Studio by Herb Abramson and Johnathan Thayer,October 1969 & May 1970
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ブルースで育ったアネスティンアンダーソンが久々にブルースづくしで・・・

2016-03-15 | CONCORD
When The Sun Goes Down / Ernestine Anderson

ベテランミュージシャンの「再生」を得意としたコンコルドは、ボーカリストの再生も手掛けた。一番の成功はローズマリークルーニーであったと思うが、このアネスティンアンダーソンもその一人だ。一度はアメリカを離れて活動をしていたアンダーソンを再びアメリカで活躍するきっかけを作ったのはレイブラウンであった。再デビューアルバムに付き合って以来、いつもアンダーソンのアルバムには一緒にプレーしてきたが、前作”Big City”ではモンティーバドウィックにベースの席を譲っていた。

アンダーソンは、子供の頃ブルース好きの両親の元で育った。何事においても幼い頃の幼児体験が大人になって役立つと言われているが、彼女のブルースフィーリングは生まれ育った環境によるものかもしれない。といっても、彼女の場合はオールラウンドシンガー。ブルースだけでなく、スタンダードからポップスまで何でもこなす。ブルースは彼女の幅広いレパートリーの一部であった。彼女のブルースをタップリ聴きたいと思うファンも多かったのだろう。

そんなファンの気持ちを察知したのか、ジェファーソンが彼女のブルースアルバムを企画した。オーナーの片腕であり、アンダーソンの後見人ともいえるレイブラウンは早速段取りを始めた。コテコテのブルースだけでなく、ブルース風の曲、そして古い曲だけでなくザヴィヌルのマーシーマーシーマーシーまでを選んだ。
ブルースに拘るとなるとバックのメンバーも大事だ。ピアノにはジーンハリスを起用した。アンダーソンとは昔、ライブで一緒にステージを共にしたこともあった。そして、テナーにはレッドホロウェイ。コンコルド初登場だがブルースナンバーの歌伴には良い人選だと思う。ドラムには若手だが、ジョーウィリアムスのバックも務めたゲーリックキング。今回はベースも自ら務め、全体のアレンジもレイブラウンが担当した。

お膳立てはすべて揃って、お馴染みの”Goin’ To Chicago Blues”からスタートする。そして最後のマーシーマーシーまで一貫してブルースフィーリングで歌い通す。ブルースに拘ったアルバムにしようというレイブラウンの思惑通りの出来に仕上がったのではないだろうか。ジャズ歌手であればブルースの一曲や2曲はアルバムやステージのプログラムに入れるのは当たり前だが、全曲ブルースに拘るというのもたまにはいいものだ。



コンコルドでは7枚目になるが、その後もコンコルドでのアルバムは続く。その後は?と思ってディスコグラフィーを見ると、2011年まではアルバムを出している。まだ健在のようなので。前回紹介したリーショーのように米寿になってもまだどこかで歌い続けているかもしれない。

このセッションがきっかけになったのか、ジーンハリス、レッドホロウェイも2人もコンコルドに登場する。

1. Goin' to Chicago Blues            Count Basie / Jimmy Rushing 4:48
2. Someone Else Is Steppin' In                Denise LaSalle 4:45
3. In the Evening (When the Sun Goes Down)            Leroy Carr 7:20
4. I Love Being Here with You           Peggy Lee / Bill Schluger 4:59
5. Down Home Blues                      George Jackson 6:04
6. I'm Just a Lucky So and So          Mack David / Duke Ellington 6:21
7. Alone on My Own                      Tony Webster  3:18
8. Mercy, Mercy, Mercy Johnny "Guitar" Watson / Larry Williams / Joe Zawinul  4:57

Ernestine Anderson (vol)
Red Holloway (ts)
Gene Harris (p)
Ray Brown (b)
Gerryck King (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California. August 1984
Originally released on Concord CJ-263

When the Sun Goes Down
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント (2)
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ペッパーアダムスはワンホーンフォーマットでスタンダード曲を演奏することは少なかったが・・・

2016-03-14 | PEPPER ADAMS
Pepper Adams Live In Albany

ペッペーアダムスのリーダーアルバムはほぼ紹介し終わったと思う。
一方で、サイドメンで加わったアルバム、バックオーケストラに参加したアルバムはまだ数多く残されている。
落ち葉拾いをする時、まずは大きな目立つものから拾い始める。しかし、綺麗にしようとすると残った小さな葉っぱが気になる。拘り出すと最後は箒で掃き清めないと完璧とはいえないものだ。残りのアダムスの参加したアルバムは持っていないものも多いが、ボチボチ拾い集めながら紹介していこうと思う、完璧に掃き清めることはできなくとも・・・。

一方で、アダムスの活動歴を見ると、サドメルを辞めた後のソリストとして活動期間はレコーディングよりライブ活動が多い。自分のレギュラーグループを持つことはなかったので、バリトン一本を持って各地への単身の旅が多い。必然的に出向いた先でのセッションは地元のミュージシャンとの共演が多くなる。そこでの演奏の中にはプライベート録音された物もあるが、基本は世に出ることは無く一部のファンの中だけで楽しまれたものだ。

最近は、ネットの普及によってこれらのプライベート録音が紹介される機会が多い。そして、音だけでなく映像にも触れる機会も増え、ファンにとっては楽しみが増えた。もちろん、それらの中にはアルバムの形になってリリースされるものある。一時の幻の名盤の発掘の時代を終え、今ではそれらの秘蔵ライブ物の発掘の時代かもしれない。

このアダムスのアルバムも、そんな類のアルバムだ。

1980年というとアダムスのソリストとしての活動に弾みがつき、脂がのった演奏が聴ける時期だ。ソリストとしての活動が実績を残し始めたアダムスのアルバムが続けてグラミー賞の候補にノミネートされた。ヘレンメリルの”Chasin’ The Bird sings Gershwin”と、自己のリーダーアルバム”Reflectory”であったが、それらがこの頃のアダムスの好調ぶり実証している。

正月早々グラミー賞ノミネートの知らせを聞いて、アダムスの日々の活動は一層気合が入っていた。年明け早々市内でのgigで吹き初め、続いて隣のニュージャージーのハッケンサックのクラブ出演、そして久々に故郷のデトロイトでクラブ出演を終えると、今度はフランクフォスターと一緒にサラボーンのバックに加わりフィラデルフィアにミニツアーと、休む間もなく飛び回っていた。

2月に入ると今度はオールバーニーに出向く。同じニューヨーク州といっても、マンハッタンからはハドソン川に沿って200キロ以上北上する、ボストンと同じ位の距離にある地方都市だ。こんな小さな街にもジャズクラブはあった。ダウンタウンのAthletic Clubに一週間出演したが、一緒に演奏したのは地元在住のショー夫妻が参加したピアノトリオであった。

女性ピアニストのリーショーはニューヨークで活動していた時にはバードランドやビレッジバンガードにも出演していたという。そこで多くの有名ミュージシャンと共演した。カウントベイシーオーケストラを聴いてジャズに興味を持ち、オスカーピーターソンのピアノを手本としたというよくスイングするピアノだ。ニューヨークでは、ライオネルハンプトンなど多くのバンドからも誘いも受けたという実力の持ち主だったが、夫君であるスタンショーはこれらの誘いを断って、彼女のピアノはあくまでもトリオフォーマットでの演奏に拘った。

1971年には、夫婦揃ってニューヨークを離れ、このオールバーニーに居を移しそこで活動することになった。そこでは、アダムスに限らず、ニューヨーク時代知り合ったデクスタゴードン、ワーデルグレイ、フランクウェス・フォスター、サドジョーンズなどがこの街を訪れる時には、夫妻がホスト&ホステス役を務めたようだ。付き合ったメンバーを見渡しても、ショー夫妻の拘った演奏の立脚点が見えるような気がする。

このような経歴のショー夫妻のバックに、アダムスも実に乗りに乗ったプレーを繰り広げている。そして、このライブ(アルバム)特徴は、すべてスタンダード曲で占められていることだ。Alone Togetherだけは色々な機会に演奏しているが、アダムスの研究家のカーナーも、これらのスタンダード曲をアダムスが演奏したのはスタジオでもライブでも他のアルバムでは聴くことができないレアものだと絶賛している。

アダムスは自分がリーダーとなったグループではオリジナル曲を中心に演奏するようにしていたが、ここでは、暖かく迎えてくれたショー夫妻に敬意を表してか、お馴染みのスタンダード曲で存分にスイングする演奏を聴かせてくれる。アダムスのプレーだけでなく、ピアノのショーのプレーも女性とは思えないダイナミックな演奏で、これも拾い物だ。
惜しむらくは、録音が今一つであること。この迫力あるプレーがWally Heiderの録音であったら思うのは無い物ねだりかもしれないが。

このライブの後、ニューヨークに戻ったアダムスは3月にリーダーアルバム”The Masters”を録音する。この年に録音されたアルバムというと、この一枚しか聴けなかったが、全盛期のライブ演奏がこのようなに聴けるというのは音は悪くともファンとしては嬉しいものだ。

さて、この記事を書いてピアノのリーショーが気になったので調べてみた。もちろんこのアルバムを聴くまで、聴いた事はおろか名前も知らなかったので。

1926年生まれというのでアダムスより3つ年上、このアルバムを録音した時すでに54歳であった。自分のリーダーアルバムもあるが、皆2000年になってからのもの。年老いてますます盛んに活動したようだと思ったら、昨年まで現役であったようだ。



2014年、88歳を迎えた時は日本では米寿の祝い、ピアニストに相応しくLee's 88 Keysというタイトルでドキュメンタリー映画も作られた。それを祝ってかライブセッションも開かれていた。



2015年のはじめには慢性の肺疾患が原因の合併症で倒れたが、ガンとも戦っていたという。劇的な回復をみせた彼女は酸素ボンベを傍らにリハビリを兼ねてプレーを再開したが、10月25日ホスピスで亡くなった。享年89歳、最長老ともいえる生涯現役女性ピアニストであった。





ペッパーアダムスも、肺癌が発見されてからも憑りつかれたように演奏を続け、体がいうことをきかなくなるまでプレーを続けた生涯現役プレーヤーであった。
何か、この2人の生きざまには共通点を感じる。

1. It Could Happen To You
2. Scrapple From The Apple
3. In A Sentimental MoodAlone Together
4. Secret Love
5. Wrap Your Troubles In Dreams

Pepper Adams (bs)
Lee Shaw (p)
Mike Wicks (b)
Stan Shaw (ds)

Recorded at The Downtown Athletic Club, Albany< New York on Feburary 10, 1980

<table border=0 colspacing=0 cellpadding=0>Live In Albany 1980クリエーター情報なしメーカー情報なし
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