A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

大事件が起こるとよくイベントが中止になるが、このアルバムもあわやの所で生まれなかったかも・・・

2016-03-13 | MY FAVORITE ALBUM
Larry Bunker Quartette Featuring Gary Burton Live at Sherry’s Manne-Hole



3月12日はチャーリーパーカーの命日だった。チャーリーパーカーの信奉者である澤田一範は、この日、そしてパーカーの誕生日である8月29日に合わせるように、その頃with stringsのライブを毎年行っている。パーカーの名アルバムwith Stringsのレパートリーを生で聴ける貴重なライブだ。
今年も11日に行われたが、残念ながら用事があって出向くことはできなかった。今年は3・11の大震災から5年目にあたる。5年前もそのライブは3月11日に行われた。外は電車も止まってライブどころでは無かったが、その日ライブは予定通り行われたという。

大きな事件が起こると、その影響で予定されていたイベントが中止になることは多々ある。
1963年11月22日、アメリカ大統領であったケネディが暗殺された。この影響で中止、延期されたイベントは全米中で数え切れないほどあったであろう。

この日、ハリウッドのジャズクラブ”Shelly’s Manne Hole”でも予定されていたライブ録音があった。出演を予定していたのは、ラリーバンカーのカルテット。デビュー間もないゲイリーバートンも参加していた。

ラリーバンカーとゲイリーバートンが出会ったのは、その年の夏ソルトレイクシティ―で行われたジャズクリニックであった。ゲストのジョージシアリングのグループに参加していたバートンの演奏を聴いた時が初めてであった。ラリーバンカーはドラムだけでなく、ヴァイブの演奏も得意だ。スタジオワークではマルチパーカッショニストとして活躍していた。同じ楽器を弾く者として、プレーぶりを目の当たりにして、バートンのテクニック、そしてコンセプトも深く印象付けられた。20歳そこそこで、ここまでやるとはといった感じか?・・・。その後すぐに、バートンのアルバム"Something’s Coming”に参加し、実際に演奏することで更に手応えを感じた。

数か月後に2人はロスで再会を果たす。バートンはシアリングのグループを離れたばかりであった。バンカーは早速バートンとの演奏の機会を設けた。
3年前にハリウッドに誕生したシェリーズマンホールは、週末のオーナーのグループ、そしてロスを訪れるビッグネームのスケジュールを除けば、他の日は様々な地元のミュージシャンのライブに解放されていた。バンカーは早速、バートンを加えたカルテットを編成しブッキングした。

ピアノには若手マイクウォフォード。その頃はまだサンディエゴにいた。ロスでの活動を本格化させたばかりで、まだまだ無名の新人であった。そしてベースにはこれも若手のボブウェストを起用。バンカーはゲイリーのヴァイブを中心に、新しい感覚の若手3人のプレーを引き出そうと考えた。

何日か一緒にプレーするたびに呼吸も合い熱を帯びてくる3人との演奏であったが、ライブの日程も残り数日になった時、「これは残して置かなければ」という衝動に駆られた。
早速、エンジニアに録音の段取りを手配した。機器のセッティング終え、スタッフもアサインし、後は夜の演奏を待つだけという時にケネディ事件が起きた。このニュースが流れた時、誰もがプレーをする気にはなれなかったという。

しかし、バンカーの「この演奏をどうしても残して置きたい」という情熱が消えた訳ではなかった。その晩、演奏を強行したのか、それとも翌日仕切り直しをしたのかは定かではないが、残された少ないチャンスの間で無事このグループの演奏は録音された。

といっても、バンカーの自主録音のようなもの、すぐに陽の目を見ることはなかった。
1967年になってからVaultというマイナーレーベルからリリースされたが、目立つことなく話題になる事もなかった。その後、他の未発表曲も発掘され再リリースされたようだが、ラリーバンカーの唯一ともいえるリーダーアルバムがこのような形で発掘されるのは、ゲイリーバートンの若い頃のプレーを聴けるだけでなく意味があることだ。

この頃、東海岸では若手の小遣い欲しさもあって数多くのセッションが録音された。一方、西海岸ではストレートアヘッドなジャズは、演奏する機会もアルバムを制作する機会も減っていた。お金には不自由していないスタジオミュージシャンは、このような本気モードの演奏は自ら録音に残して置くことが多かったようだ。シェリーマンテリーギブスルイベルソンなどのこのような音源には素晴らしい演奏が多い。

そして、前回のシェリーマンのアルバム紹介でたまたまエンジニアのWally Heiderの名前を出したが、この録音のセッティングをしたのはそのハイダーであった。昨今未発表ライブの音源が数多くアルバム化されるが、放送局による録音を除けば大部分アマチュア録音の域を出ない。中身の演奏の記録としての価値は高くとも、音を楽しみむという点では物足りないものが多い。

ところがこれはプライベート録音と言っても、ハイダーの手掛けた録音。この名演をハイダーの名録音で聴けるというのも価値があるアルバムだと思う。シェリーズマンホールでのライブアルバムというのも何枚かあるが、ジャケットの写真でもこれはシェリーズマンホールでのライブ録音の代表作といってもいいだろう。

この頃ラリーバンカーはビルエバンスのトリオのメンバーでもあった。このビルエバンスのトリオでもシェリーズマンホールに出演していた。その影響もあるのか、このカルテットもエバンスの影響を受けたプレーを繰り広げている。ゲイリーバートンとビルエバンという組み合わせも面白そうだが、そんなアルバムは無かったような・・・。

1. I Love You                   Cole Porter 7:31
2. Sweet Rain                  Mike Gibbs 4;46
3. Waltz For A Lovely Wife              Phil Woods 4:35
4. Panther Pause                  Mike Gibbs 5:07
5. All The Things You Are    O. Harmmerstein / Jerome Kern 7:32
6. My Foolish Heart        Ned Washington / Victor Young 5:04
7. Israel                      John Carisi 6:59

Gary Burton (vib)
Larry Bunker (ds)
Mike Wofford (p)
Bob West (b)

Produced by Larry Bunker
Recorded live at The Sherry’s Manne Hole, November 1963

Live at Shelly's Manne-Hole
クリエーター情報なし
Essential Media Afw
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自分のやりたいことを演奏するには、やはり自分のクラブで・・・

2016-03-12 | MY FAVORITE ALBUM
Live!/ Shelly Manne & His Men at The Manne Hole Vol.1

マリガンとホッジスの共演アルバムは1959年末にロスで録音された。1960年代になるとジャズの主流は東海岸に移り、ウェストコーストジャズはさらに下火になった。とはいってもジャズを演奏するミュージシャンが西海岸にいなくなった訳ではない。テレビの普及によりスタジオの仕事はさらに増えた。日々の活動は益々スタジオワークが中心になり、プレーヤーよりもアレンジャーとしての活動の軸足を移した者もいれば、アンドレプレビンのようにクラシックに転じた者もいた。

ウェストコーストジャズを支えた重鎮の一人にドラムのシェリーマンがいる。ケントンオーケストラ出身だが、早くに独立しロスに居を定めて活動をした。ライトハウスオールスターズの一人でもあった。ウェストコーストジャズを支えたコンテンポラリーレーベルを中心に多くのアルバムに参加したが、日々の活動はスタジオからライブまで広範囲に渡っていた。シェリーマンは生涯プレーヤーとして活躍したが、一方でビジネス的なセンスも持ち合わせていた。

下火になった1960年に敢えて自分のクラブ「シェリーズマンホール」をハリウッドのど真ん中に開店した。ネーミングも自らの名前を捩ったマンホールと洒落っ気の名前を付けた。週末は、自らのグループを率いて出演し、平日は西海岸在住のミュージシャンに演奏の場を与えることにした。ジャズファン以外でも立ち寄れるような雰囲気づくりもし、ドリンクのメニューもハードリカーだけでなくソフトドリンクも提供した。その努力もあって、1972年までの間、ロスの代表的なライブハウスとして存続したが、もちろん時にはロスを訪れる有名ミュージシャンも出演した。ビルエバンスのライブレコーディングが有名だが、たまたま映画の仕事でロスに来ていたミッシェルルグランを迎え、レイブラウンとのトリオのライブもアルバムとなった





そのシェリーズマンホールの開店祝いともいえる、開店直後の自身のクインテットのライブアルバムがある。メンバーは、オーナーでもあるシェリーマンを筆頭に、ピートカンドリ、リッチーカムカ、ラスフリーマンなど、ウェススコーストを代表する面々。当時のシェリーマンのレギュラークインテットである。

シェリーマンのレギュラークインテットのライブ物というと1年前のブラックホークでのライブが有名だが、この演奏をやっと自分の店でできるようになったという嬉しさも加味された演奏だ。

演奏は、シェリーマンの小気味良いドラミングがやはり目立つ。古いスタイルから新しいスタイルまで何でもこなすシェリーマンだが、彼の信条はスイングする事。名ドラマーと言われる名手は他にも沢山いるが、実は自分が一番好きなのはこのシェリーマンかもしれない。

演奏全体はアレンジ主体のウェストコーストジャズという雰囲気ではないが、グループとして普段一緒に演奏している一体感はある。曲はお馴染みの曲ばかりで、メインストリームジャズのお手本とでもいえるような演奏だ。以前紹介した、ルースプライスのアルバムも実はこの時に収録されたもの。このアルバムのVol.2を含めて、この時のステージの全容が分かる。

ライブならではの店の雰囲気もよく収められているが、店のPA装置はこのアルバムをレコーディングしたHoward Holzerだそうだ。勝手知った場所での録音の割には少し音に厚みが無い。たまたま同じ時期の録音のマリガンとホッジスの厚みのある音に感心した後に聴いたせいもあるが、ライブ録音というとWally Heiderが手掛けた物が優れているようだ。



1. Love For Sale                  Cole Porter 10:29
2. How Could It Happen To A Dream       Ellington Hodges 6:50
3. Softly As In A Morning Sunrise    Romberg-Hammerstein 8:59
4. The Champ                 Dizzy Gillespie 10:55

Shelly Manne (ds)
Conte Candoli (tp)
Richie Kamuca (ts)
Russ Freeman (p)
Chuck Berghofer (b)

Produced by Lester Koenig
Engineer : Howard Holzer
Recorded live at Shelly’s Manne-Hole, Hollywood, March 3-5 1961

COMPLETE LIVE AT THE MANNE-HOLE
クリエーター情報なし
AMERICAN JAZZ CLASSICS
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マリガンとホッジスのセッションに呼ばれたメルルイスは・・

2016-03-11 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges

ライオネルハンプトンとジェリーマリガンのアルバムで、ジョニーホッジスに捧げたマリガン作曲のバラードSong For Johnny Hodgesをマリガンは演奏していた。昔から演奏していた曲なので、ひょっとして2人の直接対決のこのアルバムでもやっていたかな?と思って聴き直してみたが、残念ながらこのアルバムには収められていなかった。

このアルバムが録音されたのは1959年11月。ノーマングランツが関与したマリガンのMeetsシリーズの中では最後のアルバムだと思う。ちょうどベンウェブスターとの共演と相前後してのセッションだが、その前のゲッツやデスモンドとのセッションと較べるとどちらも両ベテランとリラックしたプレーが楽しめるアルバムだ。

マリガンがクラリネットの後に最初に吹いたサックスはアルト、ジョニーホッジス、そしてエリントンオーケストラは子供の頃から憧れであったそうだ。1958年のニューポートの舞台ではエリントンオーケストラにゲスト参加できた。そして、いつかはホッジスと一緒にレコーディングしたいと思っていた所に、ノーマングランツから出されたMeetsシリーズでホッジスとの共演企画は、マリガンにとっても大歓迎であった。

その頃、マリガンはハリウッドにいた。というのも、人気のあるマリガンは自分のグループを率いてツアーで飛び回っていたが、一方でこの頃はすっかり映画に嵌っていた。前年にはマリガンの映画音楽で有名な”I Want To Live”を全面的に手掛けていたが、ツアーの無い時はロスを拠点にして、他にもちょくちょく映画の仕事をし、時には自ら出演する事もあった。

この企画が決まると、この企画には余程力が入ったのだろう、相方のジョニーホッジスを早めにロスに呼び寄せて、レコーディン前にセッションを何回が行った。という前準備もあって、本番は呼吸もぴったり、実にスムースに録音も進んだという。別に複雑なアレンジが施されてリ訳ではないが、2人の音色のブレンド感がたまらずいい感じだ。
曲は、それぞれ3曲ずつ2人のオリジナル曲。その点でも、事前のウォーミングアップセッションが生きていると思う。



このセッションのリズムセクションを選んだのはジェリーマリガン。ドラムにはメルルイスを起用した。レギュラーカルテットのドラムはデイブベイリーだったが、目立ちたがり屋のマリガンは、メルルイスの当時のロスでの活躍ぶりを無視できなかったのかも。ベースにはバディークラーク。これもレギュラーメンバーのビルクロウではない。このバディークラークの図太い安定感のあるベースが今回の2人の演奏には良く合う。そして、ピアノのクロードウィリアムソンというも意表をついた器用だが、派手さを抑えたピアノがまたしっくりくる。

メルルイスにとっては、実はこのマリガンとの共演が転機のきっかけになったのかもしれない。

1959年というと、しばらく前までロスで一緒にプレーしていたケントン時代の仲間、そしてマリガンの好敵手であったペッパーアダムスはニューヨークに戻って、こちらはマリガンのかっての盟友チェトベイカーとプレーをしたりドナルドバードとバリバリのハードバップの演奏を繰り広げていた時だ。
一方のマリガンは今回のようにベテラン達とリラックスした演奏と、そのプレースタイル同様、好対照な活動をしていた。

しかし、翌年マリガンが一念発起してニューヨークでコンサートジャズバンドを立上げ本格的に活動を開始すると、メルルイスも何か感じる所があったのだろう。そのバンドに参加するためにロスを去ってニューヨークに戻ることになる。

丁度ウェストコーストジャズも下火になりかけていた時、いいタイミングであったのかもしれない。世の中にタラレバはつきものだは、もしメルルイスがマリガンと出会うことがなければ、ニューヨークに戻ることもなく、その後のサドメルの誕生も無かったかもしれない。

レコーディングされた記録は無いが、短命に終わったマリガンのコンサートジャズバンドの最後にはベイシーオーケストラを辞めたサドジョーンズも加わって2人は一緒に同じ舞台に立っていた。ここでの2人の再会がその後のサドメルの誕生のきっかけになった。
という意味でも、このセッションでマリガンがメルルイスを起用した意義は大きいと思う。

1.  Bunny        Gerry Mulligan 5:47
2.  What's the Rush  Judy Holliday / Gerry Mulligan 3:45
3.  Black Beat             Johnny Hodges 7:28
4.  What It's All About         Johnny Hodges 4:02
5.  18 Carrots (For Rabbit)      Gerry Mulligan 5:16
6.  Shady Side             Johnny Hodges 7:04

Gerry Mulligan (bs)
Johnny Hodges (as)
Claude Williamson (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Ken Drucker
Recorded at United Recorders, Hollywood on November 17, 1959



Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges (Dig)
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Verve
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モンゴメリーライクのギターにはオルガンが良く似合う

2016-03-07 | MY FAVORITE ALBUM
Touch Of Love / 宮之上 貴昭 & Jimmy Smith

ライブハウスというと都心にあると思いがちだが、最近では郊外にも多い。自宅の近くにあるライブハウスには一度は行ってみたいと思うが、きっかけがないとなかなか出向く機会がない。先日も書いた気がするが、やはり誰か知っているメンバーが出ている時でないと。

先日、そんなライブハウスにギターの宮之上貴昭が出るというので行ってみた。自宅からは車で10分足らずの武蔵境のフォンタナ。駅からは少し離れているが、同じ町内といっても良い距離だ。今回一緒のメンバーはトロンボーンの駒野逸美。このコンビは以前別の所でも聴いたこともあり、内容も勝手知った演奏だったので初物の楽しみはなかったが。

最初に演奏した曲が、宮ノ上のオリジナルで、ジミースミスと共演したアルバムで演奏したSmokin’ in the rainでスタート。スタンダード中心にジャズの名曲やオリジナルも交えていたが、宮之上の曲はどれも演奏スタイル同様メロディアスでスインギーだ。途中、ボーカルの飛び入りもあったが、持参した譜面も不要と、絶妙の歌伴も聴けて楽しいセッションであった。



この宮之上とジミースミスのアルバムというと宮之上がデビューしてまだ間もない1981年、ジミースミスが来日した時に録音したアルバムだ。ギターとオルガンというと相性がいい組み合わせだが、曲によってはヴァイブやテナーも加わってさらに彩を加えている。
ジミースミスとウェスモンゴメリーというとアルバムDynamic Duoが有名だが、ウェス信奉者の宮之上にとっては、願ったりかなったりの共演で、オリジナルのデュオにどこまで迫れるかといった感じであったろう。
このようなセッションにはエピソードが付き物だが、最近の自身のフェースブックでもその出来事を記事にされていたので、以下に転載させて頂く。

〜〜 以下転載 〜〜
「ジミー・スミスに捧ぐ」
ジャズオルガンの神様ジミー・スミスが亡くなって
今月で8年になるんですね。
わたしが28歳の時にジミー・スミスとのレコーディングが決まり、
彼の来日歓迎パーティがあるとのことで、ディレクターと大阪に飛んだ。
しかし神様はこのパーティで演奏するギャラのトラブルか、
待てども暮らせども会場に来ない。(*_*;
さらに待つこと1時間半。
ようやく会場に現れたジミースミスはものすごく恐い表情。
しかしオルガンに座ると夢にまで描いたジミーサウンド炸裂!!
でも2曲ほど短く弾き切るとすぐにステージを離れて休憩した。
そんな中、今でいうKYなディレクターがジミーに近づいて
「This is Japanese Wes Montgomery,Yoshiaki Miyanoue」
Σ(゜Д゜)
ジミーはわたしに向かってこう言いました
「I like Wes, I love Wes, but I don't like copy!」
ひぇ~~(*_*;
これから一緒にステージに上がるというのに何ということを!!
※当時のわたしは今よりずっとウェス色強烈でした(汗)
ジミーは「You like Wes...hum, You must be know this tune」
そう言っていきなり「Baby it's cold outside」を弾きはじめました。
わたしは初めて演奏する曲でしたけど、
ウェスとジミーのレコードで聴いたことはあります。
テーマでコード進行を頭に叩き込み、
思いっきりウェスのように演奏しました。
だってそれしかできなかったんですから。
演奏途中からジミーの顔は笑顔に変わり、
ステージを終えると熱烈なハグをされました。
(一体ウェスのコピーはDon't like、何だったんでしょう)

〜〜 以上転載終わり〜〜


この頃は、このような来日大物ミュージシャンとの共演アルバムが良く作られたが、若手でも動じることなく素晴らしい演奏が多く残されている。
ここでも二回り近く年上の大先輩であり超有名スターのジミースミスの胸を借りる共演だが、全体は宮之上ペースで、ジミースミスは脇役ゲストといった感じだ。というのも、宮ノ上の物おじしない余裕のプレーは、下積み時代は横田基地のクラブで演奏し、アメリカで武者修行をしてからデビューをしたという経験が生きていたからだと思う。

この手の共演だとスタンダード曲が多いが、ここではSmokin’ in the rainだけでなく宮之上のオリジナル曲が中心。ジミースミスのオルガンだけでなく、ヴァイブとテナーを曲によって適宜加えているが、これも2人の演奏に実によくブレンドされアルバムとしての纏まりもある。

最後は、今回のレコーディングに付き合ってくれたジミーに謝意を表して、ギターとベースで自らのリズムギターをオーバーダビングして「サンキュー・ジミー」で締める。
演奏はジミースミスのオルガンに合わせてブルージーな黒っぽい感じが基本だが、ジャケットの白地のデザインに合わせたような洗練されたサウンドでもある。

昔はこんなデモツールもありました。↓



1. Fried Cornbread
2. Georgia On My Mind
3. Smokin’ In The Rain
4. Body And Soul
5. Touch Of Love
6. Tokyo Air Shaft
7. Thank You, Jimmy

Yoshiaki Miyanoue 宮之上 貴昭 (g)
Jimmy Smith (org)
Kenny Dixon (ds)
Hiroshi Hatsuyama 初山 博 (vib)
Q. Ishikawa 石川 久雄 (ts)
Yuzo Yamaguchi  山口 雄三 (b)

Produced by Shigeru Kurabayashi 倉林 茂
Engineer : Haruo Okada 岡田 治男
Recorded at AOI Studio on September 26, 29 1981

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昔の悪友に合うと、「久しぶりに一緒に遊ばないか?」とよく言うが・・・ 

2016-03-04 | CONCORD
Hanging Out / Joe Newman & Joe Wilder

カウントベイシーオーケストラのトランペットセクションは代々強力メンバーであった。中でも50年代後半の全盛期のアトミックベイシーバンドには、後に自らビッグバンドを編成したサドジョーンズを筆頭に、スヌーキーヤング、ジョーニューマンなどの実力者が並ぶ。

彼らはその後スタジオワークやテレビの仕事が多くなり、参加したアルバムは数多くある。クインシージョーンズを始めとして、ドックセベリンセンなど有名ビッグバンドにもキープレーヤーとして参加しているが、サドジョーンズ以外は自らがリーダーとなってアルバムを作る機会はほとんどなかった。

コンコルドレーベルはそんな彼らにもリーダーアルバムの機会を与えた。
スヌーキーヤングの”Horn of Plenty”は、彼の唯一のリーダーアルバムといってもいい。そして、ジョーニューマンのアルバムがコンコルドで作られたのは、それから5年後の1984年になってからだ。

そのアルバムが企画された時、同じような境遇のもう一人にプレーヤーに声を掛けた。同様にスタジオワークの常連で、ニューマンともよく顔を合わせていたジョーワイルダーだった。ワイルダーも若い頃のアルバムがSavoyにはあったが、その後はスタジオワークが中心でそのソロプレーがファンの耳に届くことは少なかった。

ビッグバンドではリードセクションのメンバーは色々な楽器を持ち替える。それゆえビッグバンドで活躍するミュージシャンはマルチリードプレーヤーが多い。一方のホーンセクションはというと、トランペットセクションはフリューゲルホーンには良く持ち替えるが、基本的に持ち替えはない。

ではホーンセクションにとって彩を加える技となるとミュートプレーになる。ミュートと言っても色々な種類があって、アレンジャーは曲によって使い分けている。昨日は久々に、ニューハードのライブを聴きに行ったが、エリントンの名曲ムーチでは、アレンジもソロもミュートプレーの品評会のようであった。ビッグバンドならではの遊び心もある演奏だった。
しかし、そのミュートプレーがコンボの演奏で存分に披露される機会は意外に少ないものだ。

前置きが長くなったが、このアルバムでは2人のトランペットの技の競い合い、それもミュートプレーがタップリ楽しめる。トランペット2人のコンビというと、古くはルイアームストロングとキングオリバーに遡る。ついついトランペット2人というとハイノートのバトルを想像してしまうが、2人の演奏はディキシースタイルということもあり2つの楽器のコラボの妙だ。このアルバムでも2人の絡みが素晴らしい。

この2人のプレーの素晴らしさを引き出すために2人のアレンジャーが協力している。
フランクフォスター、フランクウェスの2人。ベイシーオーケストラで長年同じ釜の飯を食った旧友だ。今回の主役はあくまでもトランペット。2人はプレーをせずにアレンジに徹しているが、ウェスの方はバラード曲を、フォスターの方がアップテンポの曲と役割分担も明確にしている。リパブリック賛歌のようなお馴染みの曲を実に絶妙に料理し、オリジナルもまさにこの場に相応しいという曲を提供している。

そして、2人の引き立て役となるバックはピアノがハンクジョーンズ。この頃ハンクジョーンズは自らのトリオを中心にライブ、レコーディング活動中心に完全復帰していた。ここでは昔のスタジオ時代の仲間のリーダーアルバムに脇役として駆けつけ、バックに廻っても味のあるプレーを聴かせてくれる。そして、ベースのルーファスリードとマーヴィンスミスは当時売り出し中の中堅、単なる同窓会とは趣が違うが、ベイシーでの基本がベースにはあるのは間違いない。

メンバー選定、演奏、選曲、アレンジがすべてバランスよく組み合わされ、スイングし、リリカルで、メロディアスな主役の2人の技の素晴らしさとプレーの良さが十分に引き出されている。それらが一枚に収められたアルバムというのも、そうそうお目に掛かれない。プロデューサーのBennett Rubinはコンコルド初登場だが、その後もフランクフォスターやジーンハリスのアルバムを何枚か手掛ける。ジェファーソンの意を汲んでベテランの復活を手掛けるが、単なる懐メロにしなかったところが良かった点だろう。

タイトルの”hanging out”。そもそも意味はジャケット写真のように身を乗り出すということだが、慣用的には「遊ぶ」という意味で良く使われる。まさに仲間内で、「久しぶりに一緒に遊ばないか?」といったノリで作られたアルバムだと思う。目立たないアルバムだが、お気に入りの愛聴盤の一枚だ。

ベイシー時代のお馴染みの曲も、





1. The Midgets                    Joe Newman 4:49
2. Here's That Rainy Day    Johnny Burke / James Van Heusen 4:01
3. Duet                       Neal Hefti 4:12
4. Battle Hymn of the Republic           Traditional 6:08
5. Secret Love        Sammy Fain / Paul Francis Webster 5:09
6. You've Changed           Bill Carey / Carl Fischer 5:37
7, 'Lypso Mania                  Frank Foster 4:39
8. He Was Too Good to M      Lorenz Hart / Richard Rodgers 4:05

Joe Newman (tp)
Joe Wilder (tp,flh)
Hank Jones (p)
Rufus Reid (b)
Marvin "Smitty" Smith (ds)

Arranged by Frank Foster & Frank Wess
Produced by Bennett Rubin
Recording Engineer : Malcom Addey
Recorded at JAC Studios, New York City, May 1984

Concord CJ-262


Hangin' Out
クリエーター情報なし
Concord Records
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バリトンサックスとヴァイブの組み合わせは珍しいが、この2人はどちらも有名人・・

2016-03-01 | MY FAVORITE ALBUM
Lionel Hampton Presents Gerry Mulligan

バリトンサックス自体、それが主役となった演奏は少ないが、バリトンサックスとヴァイブの組み合わせというのはさらに聴く機会が無い。ペッパーアダムスも、ライブではレッドノーボやテリーギブスなどとは演奏したことはあるようだが、ヴァイブと共演したアルバムは前回紹介したレイアレキサンダーのアルバム位かも。ヴァイブの王者ライオネルハンプトンのバンドのメンバーになったことはあるが、これはハンプトンのビッグバンドメンバーの一員であり共演といえる形ではなかった。

このハンプトンは、無名のレイアレキサンダーと較べると反対に超有名人。古くはベニーグッドマンのグループの一員で人気を博したが、その後自分のバンドでも大活躍した。他のメンバーのグループに参加する事も多く、ジャズフェスティバルにも数多く出演していた。共演したミュージシャンの数は桁違いに多かった。
ジェリーマリガンも若い頃から自分のグループを率いるだけでなく、こちらも色々なグループに参加し、また誰とでも共演する機会は多かった。
どちらも目立ちたがり屋なのか、どこにでも顔を出していたので、ステージ上では顔を合わせることはあった。一緒にプレーしたアルバムとなるとなかなか実現しなかった。お互い忙しくしている有名プレーヤーとなると、スケジュール調整もあるし、契約問題も影響することもあったという。

行動力のあるライオネルハンプトンは、自分のレーベルを持ったことが2度ある。その一つWho’ Who in Jazzレーベル。大物ミュージシャンを迎えて、自らプロデュースし自分との共演アルバムを作った。バディーリッチなどは相性がいい感じがするが、異色なチャーリーミンガスとの異色な組み合わせアルバムもあった。ジャズの真髄を極めるとジャンルなどは関係ないのかもしれない。
そのシリーズの中にジェリーマリガンとの共演アルバムがある。異色な組み合わせだとどんなスタイルで? というのがまずは気になるが・・。

お馴染みのマリガンの曲、アップルコアで始まる。2人のスタイルが特に変る事はない。普段通りのプレーだ。アダムスのプレーは、モダンな感じがするが実はディキシー・スイングスタイルに近いという記事をどこかで見た事がある。
バックを務めるメンバーは?というと、ハンクジョーンズ、グラディーテイトとこちらも誰とでも合わせられる面々。バッキーピザレリの味のあるギターが加わるとバンドのサウンドはモダンスイングな感じになる。結果的にこのメンバーは皆、一度はベニーグッドマンのグループにいたことがあるようだ。やはり、ハンプトンの原点はグッドマンということだろう。特徴的なのは、それにコンガのキャンディドを加えている点。4ビートにこのチャカポカが新鮮だ。

ハンプトンはこの企画では、共演するプレーヤーの良さを引き出すことを一番に考えていたそうだ。
マリガンというとアレンジ物も得意だが、ここではプレーヤーとしてのマリガンの良さを出すためにアレンジは極力少なくした。マリガンだけでなく、ハンプトンやバックのメンバーのソロもタップリ聴かせる構成になった。
曲はジェリーマリガンのオリジナルが中心。このセッションに合わせたハンプトンのオリジナルも加えてマリガンを迎える段取りはできた。

クラリネットも吹くマリガンなので、もしクラリネットを吹いたらベニーグッドマンのカバーになっていたかもしれないが、曲がマリガンの曲ばかりなので、マリガンソングブックをグッドマンスタイルでといった感じのアルバムに仕上がった。



1. Apple Core
2. Song For Johnny Hodges
3. Blight Of The Fumble Bee
4. Gerry Meets Hamp
5. Blues For Gerry
6. Line For Lyons
6. Walking Shoes
7. Lime Light

Gerry Mulligan (bs)
Lionel Hampton (vib)
Hank Jones (p)
Bucky Pizarelli (g)
Geoge Duvivier (b)
Grady Tate (ds)
Candid Camero (conga)

Produced by Lionel Hampton
Recoeded in New York City, October 28, 1977



Lionel Hampton Presents...
クリエーター情報なし
Kingdom Jazz
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同じステージで一緒に演奏していても、メンバーによってその位置付けは様々・・・、

2016-02-26 | PEPPER ADAMS
Cloud Patterns / Ray Alexander Quintet Recorded Live At Eddie Condon’s

同じステージで一緒に演奏していても、メンバーによってその位置付けは様々・・・、
ジャズの場合ライブの演奏と言っても色々ある。皆で集まってのセッションもあれば、レギュラーグループの馴染みのメンバーでの演奏も。レギュラーといっても演目は十八番の曲があり、時には新曲も。同じメンバーでもその日によってどんな演奏が聴けるか分からないのがジャズの楽しみだ。

どんな演奏をするのかを知っているメンバーのライブを聴きに行ってもそんな状態なので、全く知らないメンバーとなると果たしてどんな演奏が聴けるか?本当は楽しみなはずだが・・・。知らないメンバーのアルバムを聴く時と同じだが、なかなかライブとなると余程の事がないと足を運ぶことがない。今度、場当たりでチャレンジしてみようと思うが、やはり勝手知ったメンバーになってしまう。

先日、鈴木直樹のライブに行った。良く聴きに行く一人だ。スイングスタイルのスイングエースが元々レギュラーグループであるが、最近ではバンジョーの青木研やピアノの阿部篤志とのデュオも好評だ。自分のビッグバンドもあるし、角田健一など他のビッグバンドにもよく参加している。自分のバンドだけでも多方面で活動しているので、自然と聴く機会も増える。

その鈴木直樹が、今回New Projectとまた新しい試みを始めた。
メンバーは、いつも一緒にやっている、青木研、阿部篤志、そしてドラムの堀越彰の4人。果たしてどんな演奏かと思ったら、ジャズというジャンルを超えて、クラシックや民族音楽など前衛までをもバックボーンに自由な演奏をするとか。今回はいつものスタイルに加えてこのNew Projectの演奏も数曲披露された。

いつもと違ったスタイルが新鮮であったが、一緒にやるメンバーは皆いつもジャンルを超えて演奏している面々ばかり。彼らがリーダーの鈴木直樹にも影響を与えたのかも?
昨年病気で一時休養していたが、元気に新たなジャンルにチャレンジするまでに復活したのはファンにとっては嬉しい限りだ。

もう一つがテナーの菊地康正のライブ。自分はこれまで三木敏悟のインナーギャラクシーオーケストラのメンバーとしてしか聴く機会が無かったが、今回はコンボでの演奏。ベースの安カ川大樹、ピアノが八木隆幸というメンバーということで出掛けてみた。
「メロディーが綺麗な曲が好き」という正統派松本英彦直系のテナーをタップリ聴くことができたが、このライブは想像通りの演奏であった。今度は最近CDを作ったメンバーでのライブもあるとか・・・。バックのメンバーの違いで少し雰囲気が違った演奏が聴けるかも。

さて、本題のアルバム紹介だが、これはヴァイブのレイ・アレキサンダーのライブ演奏のアルバム。レイ・アレキサンダーといっても、これまで聴いた事が無かった。経歴を見ると過去一緒に演奏したプレーヤーは、ジョージシアリング、スタンゲッツ、アニタオデイ、ビルエバンス、コールマンホーキンズ・・・名だたるメンバーが並ぶ。生まれは1925年なので大ベテラン、世代的に有名な大物達と一緒にプレーしたと言っても不思議ではないが。ヴァイブ奏者はそれほど多くは居ないはずだが名前すら知らなかった。
リーダーアルバムはこれ以外に数枚。メンバーとして参加したアルバムも少ない。活発に活動していた割には、レコーディングには恵まれなかったようだ。

このアルバムの演奏が行われた場所、ニューヨークのクラブ「エディーコンドンズ」。
ギターのエディコンドンの作ったクラブだが、本人が亡くなった後も存続していたとは知らなかった。
アレキサンダーにとってリーダーアルバムは、これが初めてだったようだ。そして、この日のメンバーも初顔合わせが多かったとか。そんな演奏がアルバムになったのだが、実はこのメンバーの中にペッパーアダムスがいた。83年というとガンを宣告される前のソリストとして活動していた時だ。自分のグループでは8月にファッツチューズデイでのライブ録音がある。しかし、自分のグループでレギュラー活動するよりも他のミュージシャンの演奏に加わったギグが多かった時期だ。エルビンジョーンズのグループに加わってビレッジバンガードにも何度か出演してようだが、この演奏などは聴いてみたい。

そのような中で10月23日にこのレイ・アレキサンダーのグループにゲスト参加した演奏がこのアルバムに残された。ゲストということで、このアルバムでは2曲で登場しているだけ。それもリーダーの引き立て役であまり前面には出ていない。テーマ部分もオブリガード役、いつものゴリゴリサウンドも少しトーンを落とし気味だ。

アダムスにとっては、このライブは気楽に演奏した日頃のプレーの一コマだった。
しかし、リーダーのレイアレキサンダーにとっては、初のリーダーアルバム、それも初めてのメンバーと一緒に、アレンジも自ら行い、オリジナル曲を含めて気合の入ったステージであったことだろう。アルバム作りにはベースのハービースチュアートの協力があったようだ。

レコーディンは済んだが、アルバムはすぐにリリースされなかった。世に出たのは5年度の1988年になってから。リリースされた時にはアダムスだけでなく、ピアノのアルバートデイリーもすでにこの世を去り、さらに演奏した「エディーコンドンズ」も閉店されてしまった。目出度い初アルバムは、結局2人+1か所の追悼アルバムとなってしまった。

実際には色々活躍していたらしいアレキサンダーも、今となってはそのプレーを聴けるアルバムは数枚しかない、アンダーレイテッドなミュージシャンの一人であったようだ。

これは別のメンバーでの演奏。



1. Cloud Patters
2. I Can’t Get Started With You
3. Softly As In A Morning Sunrise
4. My Foolish Heart
5. Green Dolphin Street
6. Reflections
7. Ray’s Blues

Ray Alexander (vibes)
Pepper Adams (bs)
Albert Dailey (p)
Harvie Swartz (b)
Ray Mosca (ds)

Produced by Harvie Swartz
Engineer : David L.Barnes
Recorded live at Eddie Condon’s, New York in October 1983


Cloud Patterns
クリエーター情報なし
CD Baby
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ニューポートのジョージウェインとコンコルドのカールジェファーソンが握手をした日・・・

2016-02-20 | CONCORD
The Newport Jazz Festival All-Stars

ジョージウェインと言えば、伝統あるニューポートジャズフェスティバルを立ち上げたプロデューサーとして有名だ。一時は世界各地で年間40のジャズフェスティバルを手掛け、延べその回数は700回を超えるという。

ウェインは元々ミュージシャンで、ピアノも弾けば歌も歌う。ちょうどこのアルバムにウェインのバイオグラフィーが書かれているので紹介しておこう。
1925年生まれというので今年で90歳になる。音楽に興味を持つには子供の頃に周りにその環境が無いと難しいとよく言われるが、このウェインも例外ではなく、1936年11歳の頃は長兄が買ってくるルイアームストロングやベニーグッドマンのレコードを聴いてジャズに興味を持ったという。
更に遡れば、5歳の頃は汽車に乗った時、当時のヒット曲My Time in Your Timeを歌ってポーターからご褒美のビスケットを貰ったという逸話も母親が語っている。その内、当時のヒット曲、今ではスタンダード曲になっている曲は何でも歌えるようになっていた。

15歳の時、ディキシースタイルのピアノで、ボストンの街のバーで一晩2ドルの小遣い稼ぎを始め、ボストン大学の医学部に通っている間に腕を上げて、卒業する時には週に90ドル稼げるようになっていた。在学中に、すでにこのアルバムのオールスターズの原型ともいえるバンドをルビーブラフと一緒に編成していたが、1950年卒業と同時に医者になることを止めて、ジャズの道に進むことを決意する。

ボストンでプロ活動を始めて、クラブ出演を本格化するが、すぐに自分のクラブStoryvilleを作って、エリントンやアームストロングといった有名ミュージシャンを招くようになる。さらに同名のレーベルも立ち上げる。短期間でここまでたどり着くのは、音楽的な才能よりもやはりビジネスセンスに長けていたのだろう。

以前このブログで、ウェインがニューポートのフェスティバルを手掛け始めた1955年に録音されたWein, Women & Songというアルバムを紹介したこともある。ちょうどプロ活動を始めて5年目のアルバムだ。
その後本業はプロデューサー業へと移っていったが、ミュージシャンとしての活動は止めることなく今でも続けている。ニューポートジャズフェスティバルでも自分が参加するオールスターズを編成し舞台に登場していた。64年のステージはアルバムで残っているがディキシースイング系のミュージシャンの大同窓会も企画し、これに参加している。しかし、そのオールスターズもフェスティバルの開催場所が1972年にニューヨークに変ると解散の運命にあった。ちょうどジャズ界も変革の時代、時代もスイングジャズは本流から外れていった時であった。

1981年に再び、開催場所が誕生の地ロードアイランドに戻ると、このNewport Jazz Festival All Starsの復活を望む声がファンの間でも大きくなった。ウェインもメンバー集めを始めたが、昔のメンバー達はすでに他界していたり引退していたり。
ウェインはこのバンドの演奏スタイルに拘っていた。けっして出演者の中からオールスターを選抜するという訳ではなかった。自分がジャズを始めた時1940年代のスタイル、いわゆるディキシーからスイング、そしてモダンスイングまでのビバップ前のスタイルだ。徹底的に4ビートに拘り、演奏する曲も昔のスタンダードのみ、さらにレギュラー活動でもこのスタイルで演奏していないと駄目という徹底ぶりだった。
世はフュージョンの全盛期、メインストリームが復活してきたとはいえ、この条件に適うメンバーはけっして多くは無い。ニューポートの檜舞台に相応しいメンバーとなるとさらに限られる。そこで、白羽の矢がたったのはコンコルドレーベル所属のメンバー。ベテラン勢もいたが、若手代表でスコットハミルトンとウォーレンバッシェの2人がニューポートオールスターズに加わった。2人はコンコルドオールスターズの中核だったが、オーナーのカールジェファーソンも快諾したようだ。

他のメンバーは、エリントンオーケストラ出身のノーリスターネイ。ベースのスラムスチュアートはこのオールスターズが設立された時からの長老。ドラムのオリバージャクソンを加え、世代的には3世代混在のオールスターズとなった。
そして、このオールスターズは、ニューポートの本番の舞台だけでなく、各地のコンサートにも出演することになる。ウェインが力を入れていたのは国内では大学でのコンサート。いつものジャズフェスティバルのようなお祭りのステージとは違って自分の好きなジャズを若者に披露できるステージにしたかったのだろう。このアルバムもアリゾナ州立大学の講堂でのライブだ。ウェインのMCを含めて当日のステージの模様が2枚組のアルバムでたっぷりと収められている。

この手のオールスターズだと、顔見世のジャムセッションと各メンバーのソロをショーケスにして一回りし、最後は大ブロー大会で終わるのが常だがこれは少し勝手が違う。
プログラムはスタンダード曲が並ぶが、いわゆる歌物だけでなく、エリントンやベイシーなどの伝統あるバンドのジャズスタンダードも。どの曲もアレンジされているが別に凝ったアレンジやアンサンブルを聴かせるわけでもなく、かえってオリジナルの良さを残している。
ソロもボディーアンドソウルでスコットハミルトンをフィーチャーしているが、コールマンホーキンスを意識してハミルトンも好演している。バシェのホワッツニューも秀逸だ。モダンジャズのトランペットとは一味違うバラードプレーを聴かせてくれる。メンバー達も、単にスタンダードを演奏しているというのではなく、節回し一つにしてもいつも以上に古いスタイルに忠実にといった雰囲気だ。コンコルドのコンセプトとも相性がいい。

ウェインのオリジナルが一曲あるが、これはこのアリゾナ州立大学の創立100周年記念でプレゼントした曲。流石、名プロデューサーはプログラム構成にも細かい配慮がされている。いつもはスポンサーを意識してか、商売優先のプログラムを組んでいる感じがするウェインも、このオールスターズだけは自分の好みを通しているようだ。
この復活したニューポートオールスターズを聴くと、最初はジョージウェインのプレーヤーとしての道楽として編成されたバンドかとも思っていたが、伝統あるスイングの真髄を今のジャズファンにも聴かせたいという想いが感じられる。

このオールスターズの活動はその後も続いているが、コンコルドからもアルバムが何枚か出ている。ジョージウェインとカールジェファーソンのスイングするジャズを残したいという想いが通じたアルバムだ。ここではウェインはプレーヤーに徹して、アルバムのプロデュースはジェファーソンとなっているが、ライブでもあり2人の共作ということになるのは間違いない。

1. Exactly Like You          Joe Burke / Dorothy Fields / Jimmy McHugh 8:45
2. I Didn't Know About You             Duke Ellington / Bob Russell 6:11
3. Nobody Knows You When You're Down and Out       James Cox / Jimmie Cox 4:43
4. Rosetta                       Earl Hines / Henri Woode 4:32
5. The Jeep Is Jumpin'     Duke Ellington / Johnny Hodges / Billy Strayhorn 7:59
6. The Mooche                   Duke Ellington / Irving Mills 6:39
7. Body and Soul            F. Eyton / J. Green / E. Heyman / R. Sour 5:31
8. The Man I Love                 George Gershwin / Ira Gershwin 4:42
9. What's New?                    Johnny Burke / Bob Haggart 5:29
10. Struttin' With Some Barbecue             Lil Hardin / Don Raye 3:57
11. Moten Swing                   Bennie Moten / Buster Moten 9:04

George Wein (p)
Scott Hamilton (ts)
Warren Vache (cor)
Norrris Turney (as.cl)
Slam Stewart (b)
Oliver Jackson (ds)
Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edward
Recorded live at Gammage Center, Arizona State University, Tempe. Arizona, April 1984
Originally released on Concord CJ-260
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久々にエルビンジョーンズのセッションに加わり、コルトレーンモードで・・・

2016-02-19 | PEPPER ADAMS
Poly-Currents / Elvin Jones

1969年8月、サドメルのオーケストラは初のヨーロッパツアーに出掛ける。前年の初の海外ツアーは日本であったが,これは大トラブルであった。これに懲りたのだろう、このヨーロッパツアーはきちんと段取りがされていたようで、ロンドンに着いたオーケストラは、地元のロニースコットクラブに出演し、その後、スウェーデン、デンマーク、オランダ、スイス、ドイツと3週間に渡る長いツアーとなった。各地で、ラジオやテレビの出演があり、その録音が残されている。9月11日のスイスのバーゼルでのライブの模様はCDでリリースされているが、このアルバムを出しているTCBはモントルージャズフェスティバルをはじめとしてスイスのラジオ放送用に収録した録音を数多くリリースしている。日本でもNHKが放送用のコンテンツを数多く持っているはずだが、こちらはアルバムとしてリリースされたという話は聞いた事がない。権利関係の契約の違いだとは思うが、いつかNHKの膨大な日本でのライブの録画、録音が陽の目を見る日が来てほしいものだ。

ペッパーアダムスもこのヨーロッパツアーに参加したが、今回はギャラもちゃんと払われたのか、ヨーロッパ滞在中に新しいクラリネットを買ったそうだ。あまり楽器を替えないアダムスだったが、何か思う所があったのだろう。
9月14日にニューヨークに戻ると、すぐにアダムスはいつもの生活に戻った。サドメルオーケストラは休む間もなく翌15日には本拠地ビレッジバンガードに出演する。そしてデュークピアソンのビッグバンドのリハーサルも毎週のように続いた。そんな時に、久々のレコーディングに呼ばれた。声を掛けたのはエルビンジョーンズ。

エルビンジョーンズとペッパーアダムスの付き合いは長い。地元デトロイトのブルーバードでは兄のサドジョーンズと共によく一緒にプレーをしていた仲だ。エルビンが3つ年上だが、アダムスより一足先の55年にニューヨークに来ていた。アダムスは西海岸から戻った57年はちょうどJJジョンソンのグループに加わっていた時だ。
アダムスが本格的にニューヨークで活動を開始すると、エルビンジョーンズもアダムスと一緒にプレーすることが多かった。レコーディングにもよく一緒に登場している。そして、59年2月アダムスがドナルドバードと一緒にグループを作った時にはメンバーに加わり、ファイブスポットに連日出演した。先日紹介した、アダムスのリバーサイドのアルバム10 to 4はこの時のライブアルバムだ。

その後も、2人でgigに参加することも多かったが、エルビンがジョンコルトレーンのグループに参加すると、その機会も少なくなっていた。67年にアダムスがリーダーアルバム”Encouter”をプレスティジに残したが、これはアダムスの自主制作のようなアルバム。このセッションには久々にドラムにエルビンジョーンズを迎えた。コルトレーンのグループを経験したエルビンのドラムは一段とダイナミックに、そして多彩になっていた。サドメルの活動が中心になっていたアダムスが久々に吹っ切れたプレーを聴かせてくれたが、これもエルビンが加わった効果が大きかったように思う。

エルビンは、コルトレーンのグループを辞めた後は、様々なセッションに加わっている。この年の初めにはフィニアスニューボーンバニーケッセルと共演するために西海岸に行っていた。一方で、自分のグループも作っていたが、テナーを起用することが多かったのはやはりコルトレーンの影響をうけたからかも。ピアノレスのことも多かったが、これはロリンズの影響か?しかし、このアルバムでは、久々にペッパーアダムスも参加した大人数でのセッションとなった。

テナーとソプラノは、サドメルの創設メンバーであったジョーファレル。エルピンとは相性がいいのか、この頃のエルビンのグループのレギュラーメンバー。それに、ジョージコールマンが加わった3管編成。コンガのキャンディッドも加わり、エルビンのポリリズムがより多彩なリズムになる。一方で、ピアノやギターが加わっていないので、管もソロはフリーになりがちだが、テーマはアレンジを施し完全にフリーにならないように締める所は締めている。

このアルバムのもう一つの特徴は、メンバーのオリジナルをそれぞれ持ち寄っている点。それに、ジャケットの岩陰に隠れるように写っているエルビンの愛妻Keikoの曲も一曲。さらに、フルートのフレッドトンプキンスが一曲ゲスト参加している。
曲もバラエティーに富んでいるが、演奏もそれぞれ特徴がある。纏まりのない拡散しそうなアルバムをまとめているのはやはりエルビンのドラミングかも。アダムスも普段の演奏とは少し勝手が違うが、長年一緒にやってきたエルビンとは何をやっても通じる所があるのだろう。



1. Agenda Elvin Jones
2. Agappe Love Joe Farrell
3. Mr. Jones Keiko Jones
4. Yes Fred Tompkins
5. Whew Willber Little

Elvin Jones (ds)
Joe Fallell (ts,,English Horn,fl)
Fred Tompkins (fl)
Pepper Adams (bs)
George Coleman (ts)
Wilbur Little (b)
Candido Camero (conga)

Produced by Francis Wolff
Recording Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio on September 26, 1969

ポリ・カレンツ
クリエーター情報なし
ユニバーサルミュージック
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スタジオワークが多くなると、誰のバックを務めたか記憶に残らないことも・・・

2016-02-16 | PEPPER ADAMS
Just A Little Lovin’ / Carmen McRae

女性ジャズボーカルの御三家というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーだが、何故かマクレーが最初に好きになった。ちょっと甲高い声で、癖のある節回しでとっつき難い感じはしたが、自分は天邪鬼な性格なせいか少し違ったものが好みになることが多い。

最初に聴いたアルバムは、50年代のBy Special RequestサミーデイビスJr.とのデュエットなどから。そして、ブルーベックと共演したAt Basin Street, In LondonやLive at Sugar Hillなどのライブアルバム。マクレーのライブ物が特に好みであった。

60年代の後半になると同時進行となるが、契約がメインストリームからアトランティックへ移籍するとガラリとアルバムの雰囲気が変る。60年代後半は主流派のジャズは冬の時代。ボーカル陣もご多分に漏れずポップス調のアルバムが作られた時だ。バックは豪華なオーケストラ入りに、曲はビートルズの曲なども多く採り上げられ、ジャズ歌手が歌うヒット曲のカバーアルバムが続いた時期だ。ウェスモンゴメリーのA Day In The Lifeもこの頃のアルバムになる。時代その物がそのようなアルバムを求める時代だったのだろう。

このマクレーのアトランティックでのアルバムもジャズボーカルとは言えないようなアルバムが続いた。好きな女性のファッションが突然変って自分の好みとは違ってしまって、今流行のファッションかもしれないが自分の好みでは?・・・といった感じだった。

それでも一度惚れたマクレーを振る訳にもいかず、このアルバムも当時なけなしの小遣いを叩いて買ったもの。オルガンが目立つソウルフルなアレンジでビートルズナンバーなどを歌ったアルバムだ。アルバムも数多く持っていなかった時、回数だけは良く聴いたがバックのメンバーのクレジットを見ることも無かった。

サドメルの創設時のメンバーは大部分がニューヨークのスタジオミュージシャンだった。ところが、中にはハンクジョーンズやスヌーキーヤングのようにテレビ番組にレギュラー出演し、スタジオワークで毎日引く手あまたであったリチャードデイビスのように経済的に安定しているメンバーもいれば、エディーダニエルスやジミーオーエンスのようにまだ駆け出しの新人達もいた。サドメルでのギャラは一回20ドル。週一回とはいえ、これをレギュラーの仕事にするには少ない金額であった。ジミーオーエンスなどはすぐにメンバーから外れていった。

ペッパーアダムスはサドジョーンズに誘われてリハーサルに参加するようになっても、最初はそもそもビッグバンドに加わるつもりはなかった。この時からすでにコンボで、ソロ活動主体で活動することを希望していた。しかし、一緒にリハーサルに参加していたMarv Holiadayが、ライブ活動が増えるのを希望しておらず参加する機会が減ると、自然にアダムスがレギュラーとなってしまった。サドメル両方の友人となると断れなかったのだろう。アダムスは同じ時期にデュークピアソンのビッグバンドにも加わり、本人の想いとは反対に毎週この2つのビッグバンドへの参加がレギュラー活動になってしまった。

となると、稼ぎの道は別に求めなければならない。アダムスはレギュラーのスタジオワークがある訳でなく、コマーシャルのジングルから映画のサウンドトラック、そしてボーカルのバックまで数多くの仕事をこなす日々となった。予定の記録を細かく残していたアダムスとはいえ、誰のバックの演奏をしたのか記憶があいまいになったものも多くあるようだ。特に、ボーカルのバックとなるとこの頃から歌とバックは別々に録音され、歌にオーバーダビングされることが当たり前になっていた。目の前に歌手がいなければ誰のバックか分からなくなるのも仕方がない。

1970年3月ニューヨークのスタジオにアダムスを含めて5人のメンバーが集まった。セッションリーダーはキングカーチスだったようだが、ジョーニューマンやサドメルで一緒のガーネットブラウンなどもいた。2月にマイアミで録音された歌のバックをこの5人で4曲演奏した。ソロも無くオルガンに合わせた8ビートのソウルフルな演奏だが、この時の演奏がこのマクレーのアルバムのバックであった。

アダムスがこのレコーディングに参加しているのを知って、改めてジャケットを見返すと確かにアダムスのクレジットがあった。いつもは聴き流していたバックに注意して聴き直してもアダムスらしいプレーが分かる部分は無かった。

肝心なマクレーもアトランティックでのスタジオ録音アルバムはこれが最後になる。翌年録音されたアルバムが、先日紹介したケニークラーク&フランシーボランのビッグバンドとの共演”November Girl"。そして、1971年には名盤、The Great American Songbookのライブ録音となる。この頃のマクレーは、スタジオ録音されたアルバムと、普段のライブでの歌は全く違う。



1. Just a Little Lovin'           Barry Mann / Cynthia Weil 2:12
2. Something                  George Harrison 3:07
3. I Thought I Knew You Well            Tony Joe White 3:56
4. I Want You                   Tony Joe White 2:22
5. More Today Than Yesterday             Pat Upton 3:06
6. Here, There and Everywhere   John Lennon / Paul McCartney 2:36
7. Carry That Weight        John Lennon / Paul McCartney 2:48
8. Breakfast in Bed          Donnie Fritts / Eddie Hinton 3:18
9. I Love the Life I Live              Willie Dixon 2:30
10. What'cha Gonna Do              Donnie Fritts 3:35
11. Didn't We                   Jimmy Webb 3:20
12. Goodbye Joe                  Laura Nyro 2;36

Carmen McRae (vol)
Jim Dickinson (g,keyboard)
Charlie Freeman (g)
Mike Utley (org,ep)
Tommy McCure (b)
Sammy Creason (ds)

King Curtis (as,ts)
George Dorsey (as)
Pepper Adams (bs)
Garnet Brown (tb)
Joe Newman (tp)

Produced by Arif Mardin
Recorded at Atlantic South Criteria Studio, Miami, Florida on February 16, 1970
Engineer : Ron Albert


ジャスト・ア・リトル・ラヴィン
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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長年連れ添った妻に、初めてプレゼントした曲は・・・・・

2016-02-14 | CONCORD
For Iola / The Dave Brubeck Quartet

先週行ったライブはベイシーサウンドオーケストラと小幡光邦率いる923Bigbandとビッグバンドが続いた。923ビッグバンドは毎月定期的にライブを行っているので、ついついいつでも行けると思ってしまう訳ではないのだが。この所なかなか予定が合わず久々のライブであった。

今回はレギュラーメンバーであるリードトランペット鈴木正則還暦記念ライブという触れ込みであった。このバンドのメンバーでは少し前に近藤淳が還暦を迎えていたが、鈴木氏も還暦とは思わなかった。皆さん見た目は若々しいが、それなりに歳をとられているようだ。
ということで今回は主役の鈴木氏をフィーチャーした曲も多かったが、今回の目玉はミンガス特集。佐藤春樹のアレンジで4曲をメドレー風にやったが、どれも迫力満点、聴き応えがあった。この923ビッグバンドはいつものお馴染みの曲に加え、嗜好を凝らした新曲、新アレンジも適宜加わり毎回楽しめるライブだ。

このバンドの特徴はベースがエレキベースであること。リーダー小幡も指揮やトランペットだけでなく、適宜ギターに持ち替えソロやバックで参加するので演奏スタイルにも幅ができる。エレキベースだからといって別にフュージョン系や8ビートが多い訳ではないが、それはそれで拘りがあっていいものだ。昔は、4ビートでエレキベースを使った演奏は何か抵抗があったが、最近では抵抗感なくそれなりに楽しめる。今回のベースは中村健吾。彼のエレキベースを聴くのも初めてだったし、ピアノの松本茜のビッグバンドでのプレーというのも珍しかった。毎回、色々楽しめる923ビッグバンドだ。

さて、4ビートでもエレキベースというと、デイブブルーベックの晩年のカルテットのメンバー、息子のクリスブルーベックもエレキベース派だ。彼の場合はロックバンドでも演奏していたというので、エレキが本職なのかもしれない。ベーストロンバーンも吹くので時にはトロンボーンソロも披露するがどちらが本職か分からないが。

デイブブルーベックがコンコルドに移籍したのが1979年、その年のコンコルドジャズフェスティバルでのライブBack Homeがコンコルドデビューであったブルーベックには珍しくスタンダード曲ばかりを演奏したアルバムPaper Moonをスタジオ録音したが、その後はライブアルバムが続きスタジオ録音は無い。もっともブルーベックにとって、コンコルドジャズフェスティバルが開催されるコンコルドは生まれ故郷。ここでの演奏が本当のホームグラウンドでの演奏なのかもしれない。

1984年夏のコンコルドジャズフェスティバルにもカルテットで参加した。大きなジャズフェスティバルとなると、普通はそのグループの有名曲を披露するのが通り相場だが、この時は新しい曲を含めて自分のオリジナル曲が中心だった。82年にこのブルーベックのカルテットはオーレックスジャズフェスティバルで来日したが、その時も演奏されたベイシーライクな曲Big Bad Basieもここでは演奏されているが、この日のステージの目玉はアルバムのタイトルにもなっている、42年連れ添ったブルーベックの妻Iolaに捧げたFor Iola。妻に捧げた曲というのは誰でも一曲は作りそうだが、作曲を得意とするブルーベックも、妻への曲はこれが初めてだったようだ。

エコーを聴かせた処理をした幻想的なクラリネットで始まる曲だが、テンポを速めてIolaに対する想いを込めたピアノのプレーに続く。妻より先に、前のアルバムConcord On A Summer Nightでは初孫に捧げるBenjaminを作っていただけに、これでやっと妻に対する義理も果たした形となったが、ブルーベックは、この曲だけでなく、このアルバムにも収められているすべての曲に自分のこれまでの音楽人生のすべてを込めて妻に贈ることができたと言っている。それを聞いて聴くと、いつものブロックコードを多用したブルーベックスタイルのピアノの集大成のような気がする。

1. Polly          Dave Brubeck 7:46
2. I Hear A Rhapsody    Jack Baker 6:12
3. Thank You        Dave Brubeck 4:20
4. Big Bad Basie      Dave Brubeck 5:33
5. For Iola         Dave Brubeck 7:13
6. Summer Song      Dave Brubeck 5:00
7. Pange Lingua March   Dave Brubeck 8:56

Dave Brubeck (p)
Chris Brubeck (eb,btb)
Bill Smith (cl)
Randy Jones (ds)

Produced by Russell Gloyd
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded live at Concord Jazz Festival, Concord, California, August 1984
Originally released on Concord CJ-259


For Iola
クリエーター情報なし
Concord Records
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サドメルのメンバーの面々が揃ってバックに、その歌手は・・・?

2016-02-10 | PEPPER ADAMS
Hello There,Universe Mose Allison

2月7日は50年前サドメルが初めてビレッジバンガードに出演した記念すべき日だった。本家ビレッジバンガードではVJOが連日記念ライブをやっていたようだが、50年前の記念すべきライブの模様を収めたアルバムが当日発売された。この1966年2月7日の最初のステージの模様は以前”Opening Night”というタイトルで発売されたこともあるが、今回は3月17日のライブも追加されてCD2枚組での発売。前回はFM放送に使用されたソースを使ったようだが、今回は同じ録音であっても正式に許諾手続きがされてリリースされたようだ。
サドメルのアルバムとしては久々のアルバムなので早速入手したが、50周年ということもあって、当時のメンバーのインタビューなども収めた厚いブックレットも添付され、これも貴重だ。ファンにとっては、気になるネタも多いのでこのアルバムの紹介は改めてしようと思う。

立上げ当時のサドメルのメンバーというと、ニューヨークでテレビに番組にレギュラー出演していたり、ファーストコールのスタジオミュージシャンが中心。月曜日には仕事が少ないという事もあり、サドメルのオーケストラに集まるのは月曜日がレギュラーとなったが、他の日はメンバーそれぞれがスタジオの仕事で飛びまわっていた。ジャズアルバムのメンバーとして加わるだけでなく、歌手のバックから、コマーシャルのジングルまでその活動の幅は広い。ペッパーアダムスももちろんその一人であった。
ある時はリーダー以下、バンドメンバーが全員参加バックでしたことがある。ジミースミスの”Portuguese Soul”などはメンバーだけでなく、アレンジを含めてサドメルがそのままバックを務めたこともある。

1969年10月、この日はトランペットセクションから2人、サックスセクションから3人の面々が揃ってスタジオに集まった。その日の主役、モーズアリソンのアルバムのための録音であった。
バックのアンサンブルのアレンジもアリソンが行ったので、このメンバーを集めたのはアリソンの要望だったのだろう。ただ、実際のアレンジは単調で、何もこのメンバーでなくともと思うが、スタジオワークでは要求されたものを要求どおり何でもやることが重要なのだろう。

さて、モーズアリソンというと、根っからのジャズファンにとっては、アルコーン&ズートシムスのグループでの演奏が有名だ。50年代から60年代初めにかけてのアリソンは、ハードバップに根差したピアノで活躍した。若手メンバーがロフトに集まって日々鍛錬を続けた仲間の一人でもあった。そのロフトではズートシムスやペッパーアダムス達も常連であったが、以前その演奏の様子は”Jazz Loft”というアルバムで紹介したことがある。ここでも、アリソンはシムス、アダムスなどとジャムセッションを繰り広げている。

このアリソンは、次第にジャズだけでなくブルースにも軸足を移す。次第にピアノだけでなく自作の曲のボーカルが中心になる。彼が歌う白人のブルースはジャズよりはロックやポップスのミュージシャンに影響を与え、カバーされることも多かった。

ジャズピアニストであるモーズアリソンが、今のモリソンに変身していく過渡期に作られたのがこのアルバムだ。すでにボーカルが中心になっているが、けっして歌が上手といったタイプではない。黒人特有のブルースの泥臭さがあるわけでもない。ソングライターとしての才能に、白人らしい洗練された歌い口がマッチして人気が出たのであろう。そのジャンルのファンにとっては伝説のジャズブルースシンガーになっているようだ。

バックのアンサンブルは人数が多いが複雑なアンサンブルワークを披露している訳ではない。人数が多い分分厚いサウンドだが、単調なバックだ。アダムスは、1曲目でいきなりソロをとっているが、もう一曲でソロが聴ける。珍しくセルドンパウエルがバリトンを吹いているが、録音日によってアダムスと交代している。



1. Somebody Gotta Move
2. Monsters Of The ID
3. I Do’ntWant Much
4. Hello there, Universe
5. No Exit
6. Wild Man On The Loose
7. Blues In The Night
8. I’m Smashed
9. Hymn To Everyhing
10. On The Run

Mose Allison (p, org. vol, arr)
Jimmy Notthingham (tp)
Richard Williams (tp)
Jerome Richardson (as,fl)
Joe Henderson (ts)
Seldon Powell (bs)
Pepper Adams (bs)
Bob Cranshaw (eb)
Joe Cocuzzo (ds)
Produced by Nick Samardoge & Lee Friendlander
Engineer : William Arlt & Jerome Gasper
Recorded in New York on October 16, 21, 31 1969


Hello There Universe
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世界各地の民族音楽をベースにジャズをやると・・・

2016-02-07 | PEPPER ADAMS
At Home / Around the World / David Amram

ペッパーアダムスが参加しているアルバムを追いかけていると、今まで見たことも聴いた事が無いアルバムに出くわす。これもその一枚だが、それだけアダムスが色々なセッションに加わっていたという事だろう。

マルチタレントというのは何の世界にもいる。音楽の世界だと、演奏と作編曲の両方が得意であったり、色々な楽器を演奏出来たり、ジャズとクラシックの両刀使いであったり。プレーヤーが作編曲家やプロデューサーに転じる例は良くある。畑違いのジャズからクラッシクの世界に転じて成功した第一人者はアンドレプレビンだろう。

才能ある者はどの世界で活動してもそれなりの実績を残すことができる。その中で、ひょっとしてこのデイビットアムラムはジャズ奏者から他の畑に転じた中で、活動の幅の広さはナンバーワンかもしれない。
元々はラテンバンドでホルンとパーカッションの一奏者からスタートしているが、80歳を超えた今でもジャンルを超えて活躍しているようだ。自分がこのアムラムを知ったのは、ペッパーアダムスの参加していたアルバムを通じて。その活躍の一端を知るだけだが、彼は「現在音楽のルネサンス・マン」と呼ばれているそうだ。活動のすべてを知っている人にはその超人ぶりが理解できるのであろう。

ジャズの世界で活躍していた1950年代はホルン奏者としての活動が中心であった。ミンガスのワークショップにも参加し、ファイブスポットにも出演していた。多分、この頃アダムスと出会ったのであろう。パーカーの信奉者であったが酒もドラッグもやらない彼がいつも屯していたのはビレッジ周辺。音楽だけでなく、詩人や絵画、そして映画の世界へと興味も交友関係も広がっていった。

さらに作編曲に興味を持つと音楽活動の幅はクラシックにも広がった。そんなアムラムが、1977年に当時国交を断絶していたキューバにディジーガレスピーを団長とするジャズの親善使節団に一メンバーとして参加した。その時の演奏の一部、そしてその後今度はキューバからのミュージシャンをニューヨークに招いた時のセッションにも参加し、アルバム”Habana New York”に残されている。得意のラテンリズムがアメリカと現地のミュージシャンの橋渡し役となっている。

元々パーカッションも演奏しラテンバンドにもいたこともあったアムラムは、元々世界各国の音楽に興味を持っていたそうだが、これを機に改めてラテン音楽にも目覚めることになる。一口にラテンと言っても国や民族によってリズムや使う楽器も違う。アムラムは自ら現地に足を運んでそれらを順次ものにしていった。そして、中南米だけでなく、探訪の旅はアフリカや中近東など世界各地に広がった。いつの間にか世界の民族楽器を何十種類も演奏できるようになっていた。現場で身に付けたリズム感、これがアムラムの強みであろう。

このアルバムは、ジャズの世界で育ったアムラムが、世界中を廻って体得した民族音楽を彼なりの解釈で披露するある種のハイブリッドアルバムだ。タイトルもそのままAt Home / Around the Worldとなっているが、アルバムのA面がジャズを基本に、B面が世界の音楽といった感じだ。

1曲目は77年5月にガレスピーと一緒にキューバに渡る船の中で2人のディスカッションで生まれた曲。ラテンのリズムで始まるオリジナルのブルースでペッパーアダムスがいきなりソロをとり、アムラムのホルンが続く。
2曲目は55年にパリに行った時に書いた曲、フルートの音色を鳥の鳴き声に模した曲だが、世界各国の笛が賑やかに登場する。次はジェリーダジオンのアルトをフィーチャーしたバラード。続く2曲はトラディショナルだが、リズムの使い方が、ジャズの4ビート、8ビートは違ったアムラムの世界だ。その中でアダムスのソロも再び登場するが、周りの変化には我関せずといった感じでいつものペースだが、演奏自体は妙にしっくりくる。

このアムラムとアダムスは気が合うのか良く一緒に演奏している。このアルバムの録音の前にもアムラムのテレビ出演があったが、アダムスも一緒に出演している。アムラムの音楽はクラシックからジャズまで何が出てくるか分からないが、どんな曲でもアダムスの低音の魅力がアムラムには不可欠だったようだ。

そして、B面は、パキスタン、エジプト、グアテマラ、パナマ・・・と、アメリアッチ風の演奏から、神秘的なサウンドまで世界各国の音楽のオンパレード。笛と太鼓がメインになるのはどの国でも同じようだ。こちらにはアダムスはソロでは参加していない。

アムラム本人は、プロデュース、作曲に加え、演奏もホルン、ピアノに加え、各種パーカッション、フルート&各種の笛を駆使して大活躍。他の人にはなかなか真似のできないユニークなアルバムだ。





1. Travelling Blues         David Amram / T. Johnson 4:57
2. Birds of Montparnasse           David Amram 2:33
3. Splendor in the Grass           David Amram 4:23
4. Sioux Rabbit Song              Traditional 1:43
5. Home on the Range              Traditional 4:22
6. Kwahare (Kenya)               Traditional 3:33
7. Pescau                   Traditional 2:38
8. Homenaje a Guatemala           David Amram 2:30
9. From the Khyber Pass            David Amram 1:39
10. Aya Zehn (Egypt)                 Traditional 6:43

David Amram (arranger, composer, Dumbek, Flute, French Horn, Guitar, Ocarina, Orchestration, Pakistani Flute, Penny Whistle, Percussion, Piano, Piccolo)
Pepper Adams (bs)
Jerry Dodgion (as)
George Barrow (ts)
Wilmer Wise (tp)
Mohammed El Akkad (Kanoon)
Ramblin' Jack Elliott (g,Yodeling)
Ali Candido Hafid (Dumbek)
Ray Mantilla (conga,per)
Nicky Marrero (per,timbales)
George Mgrdichian (Oud)
Hakki Obadia (violin)
Johnny Dandy Rodrigues (bonbo,per)
Victor Venegas (b,elb)
Floyd Red Crow Westerman (chant, ds,Sioux)
Steve Berrios (ds,per)
Candido (conga)
Odetta (vol)
Libby McLaren (vol)
Angela Bofill (vol)
Patrica Smyth (vol)
llana Marillo (vol)

Produced by Glenda Roy & David Amram
Engineer : Joe Cyr
Recorded at Variety Sound, New York City on October 17 1978

At Home Around the World
クリエーター情報なし
Flying Fish Records
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平成維新を支えた若手も今では中堅、そろそろ代替わりの頃だが・・・

2016-02-04 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz Battle Royal Produced by Masahiko Osaka at Tokyo TUC

平成になっていつのまにか28年も経ってしまった。平成元年である1989年はベルリンの壁の崩壊、東西冷戦時代の終わりを告げた年だ。その後世界の枠組みが大きく変った。当時参加した講演会で、「今後は宗教と民族の争いの時代になる」と予測した話が強く印象に残っていた。今、まさにその通りになっている。そしてその直後のバブルの崩壊を境に長期の経済低迷が続く。その後の平成は失われた20年どころかますます混沌とした時代になってしまった。

ちょうど平成に替わる頃、自分自身は現役真っ只中の仕事人間だった。仕事で日々忙しく飛び回っていたせいもあり、ライブに行くことも無く、思い出したようにCDを買っても集中して聴く事もなく、ジャズはBGMとなってしまい少し疎遠になっていた。
その頃、日本のジャズ界は有望な若手が育っていたが、ほとんどその演奏を聴く機会も無かった。日本ジャズ維新と名付けられたムーブメントで彼らのアルバムも多く作られたが、それらが最近復刻された。今では中堅、いやベテランの域に達した彼らの若い頃のストレートアヘッドな演奏を今聴いても実に新鮮に感じる。

そのアルバムの中に、バトルロイヤルと題された一枚がある。トランペット、アルトサックス、テナーサックス、トロンボーン同じ楽器のプレーヤーを3人、もしくは4人集めたバトル物だ。テナーの松本英彦だけがベテランだが、他は皆当時新進気鋭の新人達だ。
会場は、今でも拘りのライブを提供してくれる東京TUC。1995年6月3日、同じ日に各楽器が入れ替わり立ち代わりのセッションであるが、単なるジャムセッションではないバトルに纏め上げているが、フロントラインが目まぐるしく替わる中で、要となったのはドラムの大坂昌彦であった。



このステージからすでに21年、このバトルロイヤルは今でも続いている。先日、テナーバトルのライブに行ってきたが、テナーは長老の峰厚介、竹内直、そして川島哲郎の3人。ソロ有、デュオあり、そして3人のバトルありで、三人三様の個性ある素晴らしいテナープレーを存分に楽しませてくれた。竹内直のダニーボーイ、そして川島哲郎のテナーでのドナリーが印象的であった。そして、この日のセッションをまとめたのもドラムの大坂昌彦であった。

バトルシリーズは続いており、明日はアルトサックスになる。こちらは中堅の太田剣が2人の若手を率いてのセッションだ。前回のテナーのベテランの名人芸とは違った演奏が楽しめそうだ。次回のギターのバトルもすでに予定されているようなのでこれも楽しみだ。
経済的には低迷を続けている平成時代だが、ジャズ界は元気に次世代を誕生させているようだ。もちろんベテランはまだまだ発展途上、色々な所で3世代入り乱れてのセッションが行われそうだ。

1. Milestone
2. There Is No Greater Love
3. Donna Lee
4. A Night In Tunisia
5. Wee Dot
6. Lament
7. Anthoropology
8. St.Thomas

岡崎 好朗 (tp)
原 朋直 (tp)
松島 啓之 (tp)
中川 英二郎 (tb)
福村 博 (tb)
向井 滋春 (tb)
池田 篤 (tb)
多田 誠司 (as)
緑川 英徳 (as)
山田 譲 (as)
安保 徹 (ts)
岡 淳 (ts)
川島 哲郎 (ts)
松本 英彦 (ts)
水野 修平 (p)
上村 信 (b)
大坂 昌彦 (ds)

Produced by Yoichi Nakao & Masahiko Osaka
Engineer : Hiroyuki Tsuji
Recorded at Tokyo TUC, Kanda Tokyo on June 3 1995

ジャズ・バトル・ロイヤル
クリエーター情報なし
キングレコード
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ペッパーアダムスがリーダーとなってスタートしたドナルドバードとのコンビであったが・・

2016-02-03 | PEPPER ADAMS
10 To 4 At The 5 Spot / Pepper Adams Quintet

ペッパーアダムスのアルバムの紹介はリーダーアルバム、サブリーダ―アルバムは大体終了し、サイドメンとして参加したアルバムを地道に拾い出している。
こんなアルバムにもという物もあるが、これは次回にして久々にこのリーダーアルバムを聴き直した。このアルバムはペッパーアダムスとドナルドバードのコンビの初レコーディングだが、ペッパーアダムスの軌跡を追ってみると色々な意味でエポックメーキングな出来事が集約されたアルバムであることが分かる。以前紹介したことがあるが、改めてこのアルバムを振り返ってみることにした。

ペッパーアダムスは1957年ダウンビート誌でバリトンサックスの新人賞を受賞し、西海岸で初のリーダーアルバムとなるMode盤、そして、パシフィックジャズの”Critic’s Choice”の2枚のアルバムを吹き込むと、その後活動の拠点をニューヨークに戻した。すぐ色々なレコーディングセッションやgigに引っ張り凧となったが、11月にはSavoyに3枚目のリーダーアルバム”The Cool Sound of Pepper Adams”を録音した。
暮れには、同郷のエルビンジョーンズと一緒にアパートを借り、ニューヨークでの拠点を確保し、年が明けても忙しい日々を続けることになる。

ドナルドバードとペッパーアダムスは同じデトロイト出身、地元では顔見知り同士であったが一緒に演奏したのはお互いニューヨークに来てからが初めてであった。最初のギグは1この1958年2月1日のカフェボヘミアでのセッションであった。このgigがその後のアダムスの活動を大きく変えることになる。
1週間後にもう一度カフェボヘミアで、そしてジョニーグリフョンのセッションにも一緒に参加したが、2人はファイブスポットに4日間続けて出演する機会を得る。

このファイブスポットは前年にできたばかりであったが、クラブというよりはジャズバーといった感じの、気軽に聴ける雰囲気のライブスポットであった。2人のコンビの演奏はなかなか好評で、そのまま6月まで続けて出演することになり、ハウスバンドとしてレギュラーグループとなってしまった。もちろんアダムスにとっては初めてのレギュラーグループであった。

当然、このグループの評判はニューヨークで広まり、リバーサイドレコードのオリンキープニュースの耳にも入った。この頃レコード業界には丁度ステレオ録音が広まっていた。リバーサイドではそれまでライブのステレオ録音を行ったことがなく、キープニュースはこのバード&アダムスクインテットの演奏をお試し録音する事になった。
実際に録音が行われたのがこの4月15日のセッション。グループとして2月にスタートして、一カ月以上一緒にやってきたので、5人の息もぴったり合った所でのレコーディングとなった。

その日の10時から翌朝4時まで行われた4セット25曲が丸々収録された。やっと終わったとアダムスとキープニュースが一休みしていた所に、エンジニアのRay Fowlerがやってきて、「実はマイクのコードが一本抜けていて、これまでの録音はNGとなってしまった」ことを伝える。慌ててもう1セット演奏したのがこのアルバムに収録されたものだそうだ。10時から4時までのすべてが録音されたのに、他の曲や別テイクが無い理由、アルバムの中で一曲がモノラル録音であるのはそのような事情だったようだ。

このアルバムでのピアノの調律が狂っているという話も良く聴くが、そもそもこのファイブスポットのピアノ自体が、演奏が始まる時には合っていても、セカンドセットが終わる頃には狂い出すという代物であったようだ。

このセッションに加わっていたのは、ドラムのエルビンジョーンズとベースのダグワトキンスが2人と同じデトロイト出身の仲間達。それにピアノにはボビーティモンズが加わってスタートした。出演期間が長期になると、ピアノのティモンズも他の仕事で参加できないことも多くなり、ドンフリードマン、トミーフラナガン、ローランドハナなどが交代で参加した。アダムスにとって初めての実質的なレギュラーグループであり、レギューラー出演の仕事をしたことになる。当時の新聞にもアダムスのグループと紹介されている

アダムスのとっては初のレギュラーグループであったが、この後ベニーグッドマンとの仕事が入りバードとはしばらく別行動になる。11月にニューヨークに戻り、12月にはバードのアルバム”Off To The Races”に参加するが、それ以降、2人のコンビの主導権は、特にブルーノートが絡むレコーディングではバードが主役となってしまう。偶然生まれた2人の初アルバムではあるが、ペッパーアダムスが主導権を持った数少ないアルバムだ。他の録音が残されていないのが、返す返すも残念だ。



1. Tis(Theme)                 Thad Jones
2. You're My Thrill               Clare-Gorney
3. The Long Two / Four              Donald Byrd
4. Hasting Street Bounce             Traditional
5. Yourna                    Donald Byrd

Pepper Adams (bs)
Donald Byrd (tp)
Bobby Timons (p)
Doug Watkins (b)
Elvin Jones (ds)

Procuced by Orin Keepnews
Engineer : Ray Fowler
Recorded at the FIVE SPOT CAFÉ, NEW YORK City, April 15.1958

10 to 4 at the 5 Spot
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Ojc
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