A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

一緒にやりたくても,なかなか思うように都合が合わないのが世の常だが・・・

2012-03-29 | MY FAVORITE ALBUM
Cal Tjader Sextet / Stan Getz

仕事であれ遊びであれ、日々忙しく動き回っている中で、時として意気投合して盛り上がる人物と出会うことがある。つかの間の出会いの中ではお互いを語り足りず、「また近い内にやりましょう」と言って別れることに。そして何度か接点を持つ内に、「いつか一緒にできるといいですね」という間柄になる。それは仕事であってもゴルフであっても。しかし、お互いが忙しい毎日を過ごしていると、それが実現することはめったに無い。しかし、何かのきっかっけで話が具体化すると、お互いやる気十分なのでとんとん拍子に事は進み、めでたく懸案のイベントが実現する運びとなる。当然、結果は無理やりやらされる仕事とは出来が違う。

このアルバムのスタンゲッツとカルジェイダーもそのような関係だったらしい。お互いに有名人、色々なところで顔を合わせることも多く、一緒にプレーをしたこともある仲で、「いつかは一緒に」という間柄。しかし、お互いグループを率いて広いアメリカ大陸を廻っていると、そもそも同じ場所に居合わせることも偶然かもしれないが。ベイシーオーケストラにいたサドジョーンズと、ケントンオーケストラにいたメルルイスもそのような関係だったそうだ。

当時のゲッツといえば、すでにスターとしての地位を確立し、自己のグループだけでなく、JATPにも参加して有名プレーヤーとの顔合わせアルバムも多く制作していた時。
しかし、一方でドラッグから逃れるためにもアメリカでの生活に一区切り付けて、ヨーロッパに渡ろうとしていた時でもあった。実際にこのアルバムを録音した直後、チェトベイカーとのセッションを最後に、58年の始めにはヨーロッパに渡ってしまう。一方のジェイダーもラテンジャズを旗印に人気を博していたバンドリーダーだった。

ゲッツの率いるグループが、地元の有名クラブブラックホークに出演するためにサンフランシスコを訪れる。その時、ジェイダーがグループの編成を組み替えるために、地元シスコで仕事はオフであった。そこで、長年の懸案であった2人の共演アルバムを作ることになる。

先日紹介した、リーモーガン&コンテカンドリのアルバムはハワードラムゼイのグループとガレスピーオーケストラのピックアップメンバーが入り乱れてのアルバム制作であったが、今回は本来ジェイダーのグループにゲッツがゲストで加わるのが筋であったろう。
ところがゲッツのグループに参加していた2人の無名の若者にジェイダーは興味を持った。まだ10代であったベースのスコットラファロと、ドラムのビリーヒギンズ。結局編成は2人を起用することにして、自分のグループの重鎮であるピアノのヴィンスガラルディーと若手のギター、エディーデュランを加えたセクステットになった。

ゲッツとジェイダーの組み合わせは見ものであったが、一曲目の”Ginza Samba”がいきなりラテン調でスタートする。ジェイダーのペースかと思いきやゲッツのテナーもリズムに乗って快調に大分ブロー。ガラルディーのピアノも力強い。もちろんゲッツがボサノバに本格的に取り組む前だ。
一転して2曲目はゲッツのバラードプレーが冴えゲッツのリードだが、ジェイダーのバイブも心地よい。そして、その後は特にラテン調の曲がある訳ではなく、バラードとハードバップ調の曲が続く。“Crow’s Nest”では短いながらもラファロのベースソロが後のエバンスとのプレーの片鱗を聴かせてくれる。

全体として、一日で収録した顔合わせセッションとしてはレギュラーグループのように実に纏まりがいい。プレーヤー同士が長年一緒にという想いがあったからこそいい結果が生まれたのかもしれない。
結果的にはゲッツの50年代のアメリカでのラス前の録音、そしてスコットラファロの参加なども話題にもなり、2人の念願かなった共演以上に色々な意味で節目にもなる大事なアルバムだ。



1. Ginza Samba              Guaraldi 10:57
2. I've Grown Accustomed to Her Face    Lerner-Lowe 3:59
3. For All We Know            Coots-Lewis 5:45
4. Crow's Nest               Tjader 8:18
5. Liz-Anne                Tjader 3:47
6. Big Bear                Tjader 4:33
7. My Buddy               Kahn-Donaldson 5:14

Stan Getz (ts)
Cal Tjader (vib)
Vince Guaraldi (p)
Eddie Duran (g)
Scott LaFaro (b)
Billy Higgins (d)

Recorded in San Francisco, CA, February 8, 1958

Stan Getz With Cal Tjader Sextet
Cal Tjader & Stan Getz/td>
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お世話になった皆様にせめてもの恩返しを・・・・

2012-03-27 | MY FAVORITE ALBUM
Dedications / Toshiko Akiyoshi Trio

何かを手掛けて成功した時の感慨はひとしおである。もちろん自分に実力があっての成功だが、時の運不運が左右することも多い。しかし、何よりも大事なのは成功に至る道筋で、幾多の人々に支えられたからこそ、その時の成功があるのだと認識することが一番大事だと思う。とかく凡人は、一時の成功に有頂天になって次への段階に進むことなく、いつの間にか普段の自分に戻ってしまう。そのような人間は年をとってからも、その成功体験を昔話として語っているが、いつの間にか周りにはその話を聞く人もいなくなってしまう。

1974年、ニューヨークから西海岸に移り住んだ秋吉敏子は夫君ルータバキンの勧めもあって、ビッグバンドを編成した。今まで一緒に演奏したことも無いメンバー達と、自作の曲のアレンジで練習を始めたが、思うような音になるまでには大分時間がかかったようだ。そして4月には、初コンサートを前に初アルバムを制作した。アメリカで活躍する彼女を応援する意味合いもあったのかもしれない、そのアルバムは日本で話題になり、2作目、3作目と続くこといなる。アメリカでTOSHIKOのバンドが知られるようになったのは、それから2年近く経ってからだ。
76年には、日本での凱旋ライブのアルバムを含め、5作目が作られ彼女のビッグバンドでの活躍は大成功となった。



しかし、彼女の「そもそも」はピアニスト。活動初期はバドパウエルの「そっくりさん」として有名になっていったが、その実力は次第に本場ニューヨークでも認められていった。しかし、ビッグバンドの編成と供に、ピアニストとしての彼女は影が薄くなった。もちろん、オーケストラの中で彼女のピアノは聴くことができるが、本格的なピアノのプレーをたっぷりと聴くことはできなかった。それは、遠い日本では当然としても、地元ロスでも地元のクラブなどへの出演はあまり行っていなかったそうだ。

そんな彼女がビッグバンドの成功を見極めて一区切りついたのか、1976年に”Insights"の録音を終えた直後、久々にピアノトリオの録音を行った。彼女の言を借りれば、彼女の事情もあったが、アメリカのジャズレコード界の状況が1964年以降70年代の初頭にかけて芳しくなかったからとの事である。確かにこの間は、メインストリームのジャズは不遇の時代であった。彼女自身、69年の"Top OF GATE"でのライブを除けば10年以上アルバムを制作していなかった。したがって、その間の演奏は今では聴くことができない。

久々のトリオでのアルバム制作にあたって、彼女はそれまで影響を受けた人、お世話になった人、そして彼女を身近で支えたチャーリーマリアーノ、ルータバキンの曲を選んだ。オーケストラでは、自分の曲しか演奏しないのとは正反対だ。オーケストラの成功は、これまでお世話になった方々の支えがあったおかげ、感謝の意味も含めて彼女が演奏するピアノには心がこもっている。彼女の自伝を読むと、彼らとの繋がりが良く分かる。バドパウエルのコピーからスタートしたピアノも、ビッグバンドの成功に合わせるように大きくステップアップしている。
その後の彼女は、ビッグバンドでもコンボでも、そしてピアノソロでも今現在に至るまで更に前向きな取組みを続けている。はやり、一回フロックで成功した人間とは違い、本当に実力ある成功者であろう。それも、その時々にお世話になった方々への感謝の気持ちがあるからだと思う。

1. I Let a Song Go out of My Heart  Ellington, Henry Nemo,   4:25
2. Miss Blue Eyes    Charlie Mariano 5:50
3. Django        John Lewis 6:12
4. Rio           Leonald Feather 3:57
5. Wind          Watanabe 6:04
6. Reets and I       Bennie Harris 4:46
7. Don't Be Afraid, the Crown'sAfraid Too      Charles Mingus 5:39
8. Let the Tape Roll     Lew Tabackin 3:09

Toshiko Akiyoshi (p)
Gene Cherico (b)
Jimmy Smith (ds)

Produced by Toshiko Akiyoshi
Ebgineer : James Mooney

Recorded on July 19,20 & 21, 1976 at Sage & Sound Recording Studio, Hollywood, Calif.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋吉敏子のビッグバンドの第一号の作品はJapan All Stars・・・

2012-03-20 | MY FAVORITE ALBUM
Recorded in Tokyo / Toshiko Mariano and Her Big band

秋吉敏子がアメリカに渡ったのは1956年。丁度ペッパーアダムスがメルルイスと一緒にスタンケントンオーケストラを辞めて、西海岸で仕事を始めた時と同じ時期だ。
一方で、敏子の行き先は東海岸ボストンのバークレー。ここで彼女の本格的なジャズミュージシャンとしてのキャリアがスタートした。その後地元ボストンとニューヨークを拠点にして活動をしていたが、そこでチャーリーマリアーノと出会い結婚する。彼女がマリアーノを伴って日本に帰国したのが1961年。日本を出て5年後のことだった。

すっかり日本が気に入ったマリアーノは日本を拠点に活動をするが、日本はまだまだジャズの仕事をする環境にはなっていなかったようだ。一方で外タレの来日ラッシュはジャズの世界でも続き、大物ミュージシャンはこの時期に大挙来日している。
そして、1964年東京オリンピックの年。秋のオリンピック開催に先立ち、夏に”The World Jazz Festival”と銘打ったコンサートが開催された。ディキシーからモダンまで幅広いメンバーで、マイルスのグループも来日して盛り上がりをみせたがその中に秋吉敏子も参加した。彼女の自伝によると、このフェスティバルのプロモーターはニューポートを仕切っていたジョージウェイン。敏子はウェインとも懇意にしていたようなので、その計らいもあったのかもしれない。

そのタイミングで急遽レコーディングの話が持ち上がったが、敏子のレギュラーグループではなく、メンバーはJAPANオールスターズで。さらには、リズムセクションは丁度フェスティバルで来日中の、ポールチェンバースとジミーコブを起用することとなった。
当然のように急な話は日程調整が難しく、録音はコンサートの最終日の公演が終わった後、夜を徹して行われ、リズムセクションの2人は翌日の帰国のフライトギリギリまで付き合わされたそうだ。

敏子のビッグバンドが立ち上がったのは1974年になってからだが、実はこのレコーディングで、敏子のビッグバンド演奏が聴ける。“Lament”がトリオ、“Land of Peace”と”Walkin’”は松本英彦と宮沢昭のテナーバトルだが、他の4曲は、敏子とマリアーノのアレンジによるフルバンド編成。彼女のビッグバンドはオリジナル曲中心だが、このアルバムの「木更津甚句」が彼女のアレンジによるビッグバンド作品第一号だ。
当時日本にはビッグバンドはダンスバンドを含めると数多くあったが、このようなモダンビッグバンドはまだまだ珍しかった。マリアーノのモダンなアレンジも光るが、テナーの2人に加え、バリトンの原田忠幸、トランペットには若手の日野照正も加わっている当時のJAPAN all starsの演奏も素晴らしい。

1. Kisarazy Jinku   (Arr. By Toshiko) 5:10
2. Lament       J.J.Johnson     4:42
3. The Shout     Charlie Mariano   5:45
4. Israel        Johnny Carisi    4:03
5. Land Of Peace   Leonard Feather   4:18
6. Walikn’       Richard Carpenter  4:53
7. Santa Batbara   Charlie ariano    5:19

Hisao Mori, Shigeru Takemura, Tetsuo Fushimi, Terumasa Hino (tp)
Hiroshi Suzuki, Mitsuhiko Matsumoto, Teruhiko Kataoka, Takeshi Aoki (tb)
Hiroshi Okazaki, Shigeo Suzuki (as)
Akira Miyazawa, Hidehiko Matsumoto (ts)
Tadayuki Harada (bs)
Toshiko Mariano (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)
Keiichiro Ebihara (Con)

Produced by Yasuyuki ishihara
Supervised by Leonard Feather
Recording Engineer Nobumasa Goda
Recoded at TBS in Tokyo, July 1964





AND HER BIG BAND
Toshiko Mariano
VEE JAY
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーケストラの活動が長くなると、自分でアレンジすることに興味が沸くのは必然・・・

2012-03-19 | MY FAVORITE ALBUM
Rights of Swing / Phil Woods

クインシージョーンズのオーケストラが、ヨーロッパに旅立ったのは1959年の暮であった。本来であれば、ヨーロッパ各地でジャズオペラ「フリーアンドイージー」の公演を行う予定であった。しかし、公演がスタートして一ヶ月も経たない翌年の1月15日パリでの公演を最後にツアーは中止になる。
オーケストラメンバーを率いていたクインシーは、それにもめげずオーケストラだけの公演を各地で続けた。しかし、それは予定されたものではなく、演奏場所を探しながら半年近くの流浪の旅。その間帰国してしまったメンバーもいたが、最後まで付き合ったメンバーの一人がフィルウッズであった。
ウッズはこのクインシーのオーケストラにはこのツアーに先立ちレコーディングのために編成された時から参加し、ヨーロッパから帰国後のアメリカツアー、そして翌1961年のニューポートジャズフェスティバルに参加し、常にクインシーと行動を供にしていた。

クインシーは元々はトランペットを吹きながらアレンジを提供していた。しかし、自己のオーケストラを編成した時点でトランペットは辞めて作編曲家としての活動に軸足を移していた。そのクインシーのオーケストラに参加していたフィルウッズは、一緒にヨーロッパを渡り歩いた時作編曲に興味を持ったそうだ。もちろん、それまでのコンボでの演奏でも自分でアレンジはしていたが、大きな編成へのアレンジはそれまでした事がなかった。きっとクインシーに刺激を受けたのだろう。そして、このアルバムが大型コンボ向けのアレンジの処女作となる。

録音に集ったミュージシャンの多くはクインシーのオーケストラで苦楽を供にした仲間達。ウッズの始めての作品を演奏するにはうってつけのメンバーであった。フレンチホルンのジュリアスワトキンスの参加もアレンジの味付けには大きく影響している。
曲は”Rights Of Swing”とタイトルが付けられた組曲。初作品に臨むウッズの気合を感じる。ビッグバンド編成ではなく大型コンボなのでセクション事のアンサンブルワークではなく、各楽器のアンサンブルとソロとの対比になるが、シンプルでモダンな響きはどことなくクインシーのアレンジにも似た雰囲気だ。

このアルバムを作った後、ウッズはスタジオワークも多くなり、多くのビッグバンドの録音に参加する。クインシーとは異なりウッズはアレンジに手を染めたものの、その後現在に至るまであくまでもプレーヤーとしての活動を主軸に置くことは止めない。特に、67年のヨーロピアンリズムマシーンの編成は、もう一度自分のグループでのプレー重視に大きく舵取りを変えることになる。その点では、一度アレンジに嵌ると演奏のウェイトが低くなるミュージシャンが多い中で、ベニーカーターと供にいつまで経ってもプレーを軸に活動をしている代表格だ。

1. Prelude and Part 1 Woods 6:36
2. Pt. 2 [Ballad] Woods 7:43
3. Pt. 3 [Waltz] Woods 5:44
4. Pt. 4 [Scherzo] Woods 11:26
5. Pt. 5 [Presto] Woods 7:16

Phil Woods (as,arr)
Benny Bailey (tp)
Willie Dennis (tb)
Curtis Fuller (tb)
Sahib Shihab (bs)
Julius Watkins (French Horn)
Tommy Flanagan (p)
Buddy Catlett (b)
Osie Johnson (ds)
Granville Roker (ds)

Bob d'Orleans Engineer
Nat Hentoff Liner Notes, Supervisor

Recorded at Nola Penthouse Sound Studio, New York on Jan. 26 & Feb.10, 1961




Rights of Swing
Phil Woods
Candid
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリジナルへの拘りには色々あるが・・・・・

2012-03-04 | MY FAVORITE ALBUM
Double Or Nothin' / Howard Rumsey presents Conte Candoli & Lee Morgan

ジャズの世界ほど過去の録音が何度も再発される音楽は無いのではなかろうか。やはりワンアンドオンリーな演奏は時代を超えて伝えられていく美術品のようなものだ。代表格はブルーノート、手を変え品を変えニューリリースされる。今度は限り無くオリジナルを再現するアナログディスクが発売されているようだが。そして、コレクターの皆様の中には、オリジナル盤をひたすら追い求めていらっしゃる方もいる。中にはプレスにまで拘って。確かにレコードの場合は、いろいろな点で微妙に違いがあるのは確かなので、本の初版本よりは意味があるとは思うのだが、自分はあまりオリジナル盤には拘りが無い。

一方で、アルバムとして世に出てくるものは、何回かの録音セッションからピックアップされて編集された物である。いわゆるお蔵入りした別テイクや、時間の都合でカットされた物など、オリジナルのレコーディングというものはアルバムとは別に存在する。CDの時代になり、収録できる時間も長くなったことによって、ボーナストラックなどと称して、改めて世に出てくる物も多い。これはこれで、オリジナルのレコーディングの意味は大きい。自分はどちらかというと、このボーナストラックの方に食指が動く、オリジナルセッションに興味がある方だ。
ディスコグラフィーにはALBUM INDEXとSESSION INDEXの両方があるので目的に応じてこの使い分けが大事だ。

このジャケットに写る2人のトランペッターはコンテカンドリとリーモーガン。2人とも若いが特にリーモーガンの若い顔つきが印象に残る。接点が見え難い2人の共演の経緯には興味が沸くものだ。
ガレスピーのオーケストラに加わってツアーをしていたリーモーガンは当時まだ若干18歳。そして1957年の2月18日ロスに滞在している時、他のメンバーと一緒に御大ガレスピー抜きでの録音セッションに参加する。そこで生まれたのが有名な“Dizzy Atmosphere”。特にリーダー名も明記されておらず、御大抜きでも御大の雰囲気でということになると、同じトランペットのモーガンの役割が重要になってくる。
そのセッションを跨いで2回の別のセッションが行われた。それが、このアルバムに収められている録音だ。同じようにガレスピー抜きのメンバー同士の録音であれば続編のようなものだが、コンテカンドリ達が加わっているところに別の意味がある。

実は、ロスへの滞在中にガレスピーオーケストラの面々は、当時の西海岸のジャズのメッカでもあったジャズクラブ“Light House”に客演していた。このハウスバンドにコンテカンドリやフランクロソリーノが加わっていたが、当然のようにこの両バンドが一緒にプレーをすることになった。結果は推して知るべし。オーナーのハワードラムゼイはこれを何とか録音したいと思い段取りを始めたが、いかんせんガレスピーバンドの面々のロスへの滞在期間は残り僅か。そこで、自分のグループの録音とのダブルセッションにして録音することにして2日間で録音したのがこのアルバムが生まれた経緯だそうだ。

ハワードラムゼイ自身も当日はディレクター役に徹し、ベースの演奏は仲間のレッドミッチェルにお任せとなった。2つのバンドが集ったが、結果収められている中身はラムゼイのオールスターズの演奏が2曲、ガレスピーメンバーだけの演奏が1曲。残りの6曲が両バンドのメンバーが入り乱れてのセッションとなっている。特に、モーガンとカンドリの競演が聴けるのはMotoとWildwoodの2曲だけだ。
アルバムジャケットの写真とタイトルだけを見ると何か騙された感じはするが、中身がガレスピーオーケストラのメンバーと、Light House All-starsの東西対抗大バトルということが分かると納得の内容だ。オリジナルのリバティーのアルバム(見たことが無いので実際は?)はLight house all starsの演奏除きで チャーリーパーショップのリーダーアルバムになっていたようなので余計中身の演奏の真意が分かり難い。
果たして、何を持ってオリジナルと言ったら良いかどうか?


1. Reggie of Chester        Golson 4:36
2. Stablemates           Golson 5:08
3. Celedia             Golson 4:40
4. Moto               Cooper 5:43
5. The Champ            Gillespie 4:40
6. Blues After Dark         Golson 7:45
7. Wildwood             Gryce 5:52
8. Quicksiler            Silver 3:56
9. Bye, Bye, Blues         Bennett, Gray, Hamm 4:05

Lee Morgan (tp)
Conte Candoli (tp)
Frank Rosolino (tb)
Benny Golson (ts)
Bob Cooper (ts)
Dick Shreve (p)
Wynton Kelly (p)
Wilfred Middlebrooks (b)
Red Mitchell (b)
Charlie Persip (ds)
Stan Levey (ds)

Recorded at Liberty Studio in Hollywood, California, on February 14 & 27, 1957

DOUBLE OR NOTHIN'
Conte Candoli & Lee Morgan
FRESH SOUND
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOSHIKOの成功は、仕事より彼女の音楽を選んだよき伴侶に恵まれたから・・・・・

2012-02-28 | MY FAVORITE ALBUM
Insights / Toshiko Akiyoshi - Lew Tabackin Big Band

秋吉敏子のビッグバンドの成功は、彼女のピアノのプレーはもちろんだが、作編曲そして妥協を許さないリーダーシップに因るところが大きい。それが次第にオーケストラ全体の結束を生んでいったように思う。彼女のオーケストラはTOSHIKO-TABACKIN Big Bandといわれるように、夫君であるルータバキンの存在も大きい。豪快なテナー、そして熱っぽいフルートはバンドの看板として不可欠だが、彼女のよき理解者としてのパートナーとしての立ち位置も彼女にとっては大事であったろう。

彼女たちが、長年住み慣れたニューヨークを離れてロスに移り住んだのも、そもそものきっかっけはルー・タバキンの仕事が理由だった。’70年から、ルータバキンは、あのドックセベリンセン率いる”Tonight Show Big Band”のレギュラーメンバーだった。サックスセクションの一員として週5日このビッグバンドが仕事場で、確かに収入は安定していたかもしれない。が、タバキンはそこで一度もソロをとることもなかったという。そのTonight Show自体の放送拠点がニューヨークからロスに移ることになり、オーケストラの面々も西海岸に移っていった。もしかして、彼らが西海岸に移らずにニューヨークに留まったらこのバンドも生まれなかったかもしれない。何がきっかけになるか分からないものだ。
そして’74年、TOSHIKOのオーケストラが立ち上がった時、タバキンはまだその仕事を続けていた。

'76年の新年早々の日本ツアーを成功裡に終えて、帰国の途に着いたTOSHIKOのオーケストラは更なる飛躍をすることになる。2年間で矢継ぎ早にアルバムを出していたが、次なるアルバムを早速録音することになった。それが、このアルバム“Insights”だ。
何といってもB面の“MINAMATA”が大作だ。平和な村が水銀の恐怖で一転水俣病の恐怖に襲われる。今の福島と何か通じるものを感じる。TOSHIKOには広島の作品もある。いずれ福島も作品になるかもしれない。
初アルバム以来、彼女のオリジナルの曲、アレンジの表現の場としてのオーケストラはそのコンセプトを変えずますます進化を続けたが、内外の評判にも支えられより、その時点で確固たるものになったといえよう。

もうひとつ、この年はオーケストラが次なるステップに踏み出したといえる出来事があった。それは、ルータバキンがTonight Showのオーケストラを辞めたことだ。それはTOSHIKOとのオーケストラの活動に軸足を移したということに他ならない。もちろん、単発のスタジオワークは続けたが、安定的な職場を離れるということは、本来の進むべき道に不退転の決意で臨んだということだと思う。普通の会社勤めの世界でも、会社を替わるのはともかく、色々不満はあっても独立して自営で仕事をするという決断はなかなかできないものだ。彼の場合は、お金よりもきっとTOSHIKOと一緒にジャズをもっと極めようということだったに違いない。亭主にそのような決心をさせることができたのも、敏子の音楽が魅力に満ちていた証拠だろう。

そしてこのアルバムを録音してすぐに、ダウンビートの批評家投票で、この年のオーケストラとアレンジャーの新人部門の一位を得る。いよいよ順風満帆での船出になった。


1. Studio J Akiyoshi 6:00
2. Transience Akiyoshi 4:33
3. Sumie Akiyoshi 7:50
4. Minamata: Peaceful Village/Prosperity & Consequence/Epilogue Akiyoshi 21:37

Toshiko Akiyoshi (p)
Lew Tabackin (ts,fl)

Steve Huffsteter (tp)
Bobby Shew (tp)
Richard Cooper (tp)
Jerry Hey (tp)
Mike Price (tp)
Bill Reichenbach (tb)
Britt Woodman (tb)
Jim Sawyers (tb)
Phil Teele (btb)
Tom Peterson (ts)
Gary Foster (as)
Dick Spencer (as)
Bill Perkins (bs)
Don Baldwin (b)
Peter Donald (ds)

Michiru Mariano (Voices)
Tadao Kamei (Ohtsuzumi)
Hayao Uzawa (Kotsuzumi)
Hisao Kanze (Utai)
Hiromitsu Katada (kakko)

Hiroshi Isaka Producer
Joe Lopes Engineer

Recorded on June 22,23 & 24, 1976
at RCA Studio "A" Hollywood,Califprnia

インサイツ
秋吉敏子,ルー・タバキン・ビッグ・バンド
BMG JAPAN
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

70年代から80年代にかけて一番有名なジャズバンドは・・・・?

2012-02-21 | MY FAVORITE ALBUM
The Tonight Show Band with Doc Severinsen Vol.1

70年代の始め、まだ高校生だった弟が親の転勤で一緒にアメリカに滞在していた。その弟から「兄貴の好きそうなジャズのミュージシャンが毎日テレビに出ている」と手紙が来た。音楽自体は色々な所で聴く機会はあっても、当時は今の時代のように身近で映像を見る機会はなかなかなかった。まして、テレビで本場のジャズを見ることができる機会というのはめったになかった。今でこそ多少翳りが出てきたものの、国民全体に情報を届けられるマスメディアとして絶対的な影響力を持っていたのは、当時はテレビであった。そのテレビに毎日のように出演するとなると、当然知名度は上がり彼の存在は全米中に知れ渡ることになる。そこで演奏される音楽と供に。そのバンドは、ドックセバリンセン率いるツゥナイトショーバンドだった。

NBCの深夜の有名なトークショー番組をジョニーカーソンが30年間司会を務めたが、そのバックオーケストラを務めたのが”Tonight Show Band”。ドックセバリンセンがリーダー(音楽監督)となったのが67年なので、彼は大部分の期間をカーソンとコンビを組んでいたことになる。
このセベリンセンは、先日紹介したビリーテイラーのテレビ番組にも一緒に出演していたので、テレビ界との繋がりは以前からあったのかもしれない。テレビ関連の仕事に加え、60年代の前半にかけてはスタジオワークで色々なアルバムにトランペット奏者として参加していた。そのセバリンセンが音楽監督になって”Tonight Show Band”を再編成してから、そのバンドは一躍有名になっていった。ちょうどニューヨークからロサンジェルスに番組が引越しになったのに合わせてメンバーも異動があった。当時はテレビ番組の制作拠点が西海岸に移るということは他にもあったと思われるので、ニューヨークのミュージシャンの西海岸への移動も起った。秋吉敏子の夫君のルータバキンもその一人であった。

それで、このバンドには西海岸の在住の有名なプレーヤーが加わることになる。トランペットのスヌーキーヤング、そしてコンテカンドリの両巨頭も。サックスではビルパーキンスやアーニーワッツなど。ピアノのロストンプキンスやドラムのエドショネシーなどの「名人」も長年このバンドのメンバーを務めることになる。
バンドの演奏だけでなく、多くのゲストがこのバンドと一緒にそのプレーや歌を全米に披露することになった。テレビの影響力は圧倒的なので、当然のようにこのセバリンセンのバンドも全米で一番知れ渡ることになり、人気投票でも上位にくるようになった。

そして、満を持して作られたのがこのアルバム。スイング時代からのビッグバンドの伝統を引き継ぐこのバンドのアルバムがめでたくグラミー賞を受賞することになった。特に実験的なことをやるわけでもないし、古いバンドのコピーをしている訳でもなく、これぞビッグバンドのエッセンスという演奏だ。ビッグバンドの楽しさを広く世に知らしめるためには、このようなバンドも必要だと思う。思えば、日本でも昔はビッグバンドがレギュラー出演している番組はいくつもあったものだ。



Tonight Show Band

Doc Severinsen Conductor, Flugelhorn, Performer, Trumpet
Conte Candoli Flugelhorn, Trumpet
Snooky Young Flugelhorn, Trumpet
John Audino Flugelhorn, Trumpet
Maurey Harris Flugelhorn, Trumpet
Gilbert Falco Trombone
Bruce Paulson Trombone
Ernie Tack Trombone (Bass)

Tommy Newsom  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
Bill Perkins  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
John Bambridge  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
Pete Christlieb Clarinet, Flute, Sax (Tenor)
Ernie Watts   Clarinet, Flute, Sax (Tenor)
Donald Ashworth Clarinet, Euphonium, Flute, Sax (Baritone), Sax (Bass)

Ross Tompkins Piano
Joel DiBartolo Bass
Peter Woodford Guitar
Bob Bain Guitar
Ed Shaughnessy Drums

Produced by Jeff TyZik & Allen Vizzutti
Mick Guzauski Engineer, Mixing, Recording Technician
Daren Klein Assistant Engineer
Richard McKernan Assistant Engineer
Jesse Peck Assistant Engineer

Recoeded "Live" in The Studio on August 5-7, 1986

The Tonight Show Band Vol. 1
Tonight Show Band
Amherst Records



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューヨークでの熱い演奏を、そのまま西海岸へ・・・・

2012-02-17 | MY FAVORITE ALBUM
Conte Candoli Quartet

トローンボーンのフランクロソリーノは、トランペットのコンテカンドリとよくコンビを組んでいた。この2人は50年代から一緒にプレーをすることも多かった仲間同士。’70年代の後半にも一緒にヨーロッパに遠征していたが、長く付き合っていたのも気心をよく知り合っていた仲だったのであろう。

相方のカンドリもレコーディングセッションに参加した数は非常に多いが、実力者の割りにリーダーアルバムとなるとロソリーノと同じでそれほど数が多いわけではない。’50年代のアルバとなると、ロソリーノと同様、Modeのアルバムがある。ワンホーンでカンドリの若い頃のプレーをたっぷりと聴ける。

自分の所有盤はVSOPのCDなので、ライナーノーツに’発売当時’93年当時のインタービュー記事が載っている。
まずは、最初に’56年7月、あのクリフォードブラウンが急死した直後、マックスローチから後釜としての誘いがあった事の話から始まる。カンドリは西海岸でずっとプレーをしていたので、彼はウェストコースト派の代表格と見られているが、プレー振りはけっしてクールなウェストコーストサウンドではない。西海岸のプレーヤーは、それで損をしている事も多いのではないだろうか。この話はカンドリがたまたまライトハウスの長期の契約が決まった後だったので見送りになってしまったそうだが、もしクリフォードブラウンの後釜になっていたら、彼の人生も変わっていたかもしれない。

そして、このModeのレコーディングに関しても語られている。前の年から引続きカンドリはニューヨークに3、4ヶ月留まり、”Birdland All stars“に加わって10週間に渡ってプレーをしていた。他にもケニードーハムやアルコーン達とgigを重ねてロスに帰ってきたばかりのタイミングだったそうだ。彼自身が語っているように、ニューヨークでの熱気の籠もったプレーのイメージが冷めないまま、ニューヨークで演奏していた曲もとりあげてこのレコーディングに臨んだ。このアルバムはその影響が大きかったのではなかろうか。ワンホーンでのプレーが一際輝いている理由が分かった。

さらに、父も兄もトランペットを吹く家庭に生まれ、丁度発展途上の14歳の時、ガレスピーやパーカーのプレーに直接接したことなど。そして、ケニードーハムを尊敬し、新しいプレーヤーとしてはフィレディーハバードが好きな事なども。このような経歴を聴くと、彼のプレーにはイーストもウェストも無い事が良くわかる。

このカンドリも、70年代から’80年代にかけては、スヌーキーヤングなどと一緒にあの”Tonight Show”のオーケストラのメンバーに納まり、スーパーサックスにも加わったいあた。それで、よく見かける割りには個人的にスポットライトを浴びる機会は少なかったようだが、晩年まで活躍した名トランペッターの一人だ。

1. Something for Liza      Cohn 4:04
2. Walkie Talkie        Candoli 4:26
3. Flamingo           Anderson, Grouya 3:13
4. Mediolistic          Johnson 4:21
5. Tara Ferma          Candoili 5:11
6. Diane             Pollack, Rapee 3:43
7. No Moon at All        Evans, Mann 2:37
8. Mambo Blues          Candoli 3:48

Conte Candoli (tp)
Vince Guaraldi (p)
Monty Budwig (b)
Stan Levey (ds)

Red Clyde    Producer
Bones Howe   Engineer
Dayton Howe   Engineer

Recorded in Jun 1957,at Radio Recording in Hollywood, California

Conte Candoli
Conte Candoli
Vsop Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の敵は明日の友、個人技を競うのにはダブルスでの楽しみも・・・・

2012-02-16 | MY FAVORITE ALBUM
Pairing Off / Phil Woods Septet

ゴルフやテニスは基本的に個人プレー。そして個人の実力の差が結果にそのまま出てくる。プレーヤーがランキングの上位を目指して切磋琢磨することで、よいプレーを生みだす。プロの場合はそれがお金に直接繋がるし、我々はかれらの素晴らしいプレーを見ることができる。
ジャズの場合個人のソロプレーは稀。各人のプレーの相乗効果がグループとしての素晴らしい演奏を生む。その中には綺羅星のように個々の素晴らしいプレーが内包されているもは勿論だが。そして、各プレーヤーの組み合わせの妙による偶然性がジャズの楽しみの一つだ。

特に2人のソロをクローズアップしたものよくバトルといった。しかし、そのバトルとはスポーツとは違い勝ち負けを競うものではない。2人でコラボしながら、そしてお互いを鼓舞し合ってよいプレーを引き出すものである。
スポーツでも、シングルスではなくダブルスの世界ではよく同じような状況になる。ゴルフの場合はいつもは一層個人色が強いが、マッチプレーやダブルスの時は、相手との間で勝ち負けとは別の何か連帯感と競争心が生まれる。これが楽しみに加わる。

フィルウッズは’50年代ジーンクイルとコンビを組んでいた。同じような音色、プレー振りはバトルというよりは、仲の良い双子の兄弟の戯れのようで、2人の良さを倍増させる以上の魅力があった。そのウッズとクイルがさらにゲストを招いて「ダブルス戦」を開催した。
“Four Altos”という、同じアルトサックスをもう2人招いての試合もあったが、今回はケニードーハムとドナルドバードのトランペット2人だ。違う楽器のコンビ同士のバトルというと、Modeのアルバム”A Jazz band Ball”に、バルブトロンボーンとトランペットという組み合わせがあったが、あまり多くはないイベントだ。

先日のThree Baritoneはマリガンに捧げたという意味もあり、アレンジにもそれなりの拘りがあったが、このアルバムはあくまでもソロプレーのお披露目がメイン。いつもの2人の掛け合いにトランペットの2人が上手く織り込まれたといった感じだ。ビッグバンド好きなので、編成が大きくなるとソロとアンサンブルの兼ね合いがどうしても気にはなるが、このアルバムでは特に目立つものは無い。

このアルバムは、いわゆる"Phil & Quill"と銘打ったアルバムよりは前の録音になる。フィル&クイルというコンビは、実はこのような他流試合を経てコンビが醸成されていったのかもしれない。合コンを続けて彼女ができるように。

1. The Stanley Stomper     Woods 14:20
2. Cool Aid           Woods 9:47
3. Pairing Off         Woods 12:15
4. Suddenly It's Spring     Burke, VanHeusen 8:22

Phil Woods (as)
Gene Quill (as)
Donald Byrd (tp)
Kenny Dorham (tp)
Tommy Flanagan (p)
Doug Watkins (b)
Philly Joe Jones (ds)

Bob Weinstock Supervisor
Rudy Van Gelder Engineer

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ on June 15,1956




Pairing Off
Phil Woods
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バリトンサックスづくしは、果たしてどんな結果に・・・

2012-02-15 | MY FAVORITE ALBUM
Three Baritone Saxophone Band Plays Mulligan

そもそもバリトンサックスのバトルはあまりケースが多くは無いが、バリトン3本の競演となるとそうそうあるものではない。さらに、曲もバリトンの名手ジェリーマリガンに捧げて、オリジナルを中心にマリガンにちなんだ曲を取り上げたとなるとまさにバリトンづくしだ。果たしてどんな演奏になるか、聴く前から楽しみがひとつ増える。

ジェリーマリガンはバリトンサックスのプレーヤーとして有名だが、ボブブルックマイヤーと同様に時にはピアノも弾く。そして、曲作りからアレンジまで何でもこなすオールマイティーなプレーヤーだ。カルテットからオーケストラまで編成は多彩だが、自分のグループでの演奏ではオリジナルが多い。そして、初期の彼のグループの特徴はピアノレスが多い。

古いスイングジャーナルに評論家の本多俊夫のマリガン評が載っていた。ピアノが無いベースだけのバックになるとアドリブのソロは自由度が増す。ところがマリガンのソロのフレーズ作りはスイング派の域を出ないのでアドリブには限界があった。したがって、アレンジの世界に深く傾注していったのではないか?と。

このアルバムの目玉であるバリトンサックス3本の企画を思いついたのはイタリアのイベントプロデューサーのGiampierro Rubei 。Smulyanに話を持ちかけたら早速興味を示し、ロニーキューバーのマネージャーに。そしてマリガンの友人であった評論家のアイラギトラーが話しにのって、'96年の7月には地元のリズムセクションを加えて、早速イタリアで3日間のコンサートが実現した。マリガンが亡くなったのはその年の1月20日。半年の早業でこの企画が実現した。すぐに評判になり、そのままズバリ“The Three Baritone Saxophone Band”として、ヨーロッパのツアーが引続き行われた。

オリジナルの曲が多いマリガンなので当然マリガンの曲が大半になるが、他にもマリガンに因んだ曲ばかりが選ばれた。マリガンの関わった映画音楽にもいいものがあるとのことで、ジョニーマンデルの“I want to live”と”Black Night Gown”が選ばれた。一緒にプレーをしたアートファーマーの曲、そして全体のアレンジをロニーキューバーが担当したので、彼のオリジナルも一曲ということになった。マリガンに捧げるというと単なるブローセッションにはできないので、各曲とも緻密なアレンジが施されたが、ピアノレスにすることも忘れなかった。

マリガンのグループでもブルックマイヤーとのカルテットは低音の魅力だったが、やはりバリトン3本のアンサンブルは重々しい。ところが、マリガンの味付けをすると多少は軽い雰囲気にはなってくるから不思議だ。

このバンドも立ち上がりの評判で、長く続きそうな勢いであったが、このアルバムのその後については動向を知らない。アルバムも続編は無いようであるが。やはりチョットしたアイディアで生まれたバンドも、長続きさせるにはスーパーサックスのようなしっかりしたコンセプトが重要かもしれない。


1. Line for Lyons   Mulligan 4:22
2. Blue Port      Farmer 5:34
3. I Want to Live   Mandel 4:59
4. Walkin' Shoes    Mulligan 4:51
5. Elevation      Lawrence, Mulligan 3:54
6. Black Nightgown   Mandel 5:13
7. Bernie's Tune    Leiber, Miller, Stoller 5:39
8. Festive Minor    Mulligan 4:25
9. Theme for Jobim   Mulligan 4:09
10. Five Brothers   Mulligan 5:40
11. Lonesome Boulevard Mulligan 4:28
12. Waltz for Geraldus Cuber 7:46

Ronnie Cuber (bs,arr)
Gary Smulya (bs)
Nick Brignola (bs)
Andy McKee (b)
Joe Farnsworth (ds)

Produced by Roberta Arnold
Patrick Derivaz Engineer

Recorded on May 21, 1997 at Sorcerer Sound, New York Cuty

Plays Mulligan [Import CD from France]
The Three Baritone Saxophone Bnad
Dreyfus
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレー振りが「様」になるビッグバンドのリーダーは・・・

2012-02-10 | MY FAVORITE ALBUM
Gil Fuller & The Monterey Jazz Festival Orchestra featuring Dizzy Gillespie

トランペットを吹くビッグバンドリーダーはバックにバンドを従えたプレー振りが様になる。ハリージェームス、メイナードファーガソン、そして御大ディジーガレスピーも。
ガレスピーはどんな編成でも自分のプレーをアピールできるが、ビッグバンド好きなのかいつの時代にも話題になるビッグバンドを編成してアルバムを残したり、コンサードをしたりしていた。そのビッグバンドでのプレーは一段と熱が入る。
レギュラーバンドを持つと、どうしてもバンドのイメージ自体が固定してしまうが、ガレスピーは「BOPの夜明け」から、「フュージョン全盛期」まで時代に合わせて、またアレンジに合わせて変幻自在なプレーを聴かせてくれる。また、ニューポートのライブのように聴衆を目の前にするとノリが一段と増してくるのが伝わってくる。

このアルバムもガレスピーをフィーチャーしたビッグバンドだが、色々背景が面白い。せっかくなので紹介しておこう。
まず、このオーケストラは1965年のモンタレージャズフェスティバルに特別編成されたオーケストラ。その点では、先日紹介した“JAZZ GARA BIG BAND”とも似たような経緯だ。この‘65年のモンタレーは、ルイアームストロングの生誕65周年を記念してトランペットを賞賛するテーマが設定された。ガレスピー自身は、今回だけでなくこのモンタレーのフェスティバルには色々尽力をしてきたそうだが、この年も裏方だけではなくトランペットプレーヤーとしても当然舞台に立った。そのバックをこの特別編成のオーケストラが務めた訳だが、そのアレンジと指揮を一手に引き受けたのがギルフラー。ガレスピー自身のビッグバンドは、それまでの色々なアレンジャーを起用したが、バップスタイルの演奏といえばこのギルフラーとの付き合いは長かった。その点では、テーマの趣旨に合わせるには最適な組み合わせだったのかもしれない。

このような流れになると、昔を懐かしみバップオーケストラの再現になるのが世の常だが、中身を聴いてみると実にモダンなサウンドでびっくりする。十八番の“Groovin’ High”や”Things To Come”を捩った“Things Are Here”は確かにバップスタイルの影響は受けているが、他は曲の選定を含めて新しい時代を反映している。またメンバーもウェストコーストのメンバーが集っていて、また、編成自体も通常の編成にフレンチホルンを4本も加えたのもサウンドが新鮮に聞こえる一因かもしれない。

さらには、普通であればモンタレーの舞台での演奏のライブを記録に残すのだが、このアルバムは本番を前に3日間かけてじっくり作られた。したがって、ぶっつけ本番のライブとは違って特別編成のオーケストラとはいってもどの曲も完成度が高い。
これだけ念入りに下準備ができたフェスティバル用の編成だったので、本番の舞台もさぞかし素晴らしい演奏だったと思うが、オーケストラをバックにしたガレスピーの演奏している姿も一段と様になっていたと思う。



1. Man from Monterey         Moore, Moore, Webster
2. Angel City             Fuller
3. Love Theme from "The Sandpiper"  Mandel, Mandell, Webster
4. Groovin' High           Coburn, Gillespie, Paparelli, Parker…
5. Be's That Way           Burns, Fuller, Fuller
6. Big Sur              Fuller
7. Moontide              Fuller
8. Things Are Here          Gillespie

Dizzy Gillespie       Composer, Trumpet
Gil Fuller          Arranger, Conductor

Harry "Sweets" Edison   Trumpet
John Audino        Trumpet
Freddie Hill        Trumpet
Melvin Moore        Trumpet
Jim Amlotte        Trombone
Lester Robinson      Trombone
Francis Fitzpatrick    Trombone
Buddy Collette       Reeds
Gabe Baltazar       Reeds
Jack Nimitz        Reeds
Carrington Visor, Jr.   Reeds
Bill Green         Reeds
Sam Cassano        French Horn
Alan Robinson       French Horn
Herman Lebow        French Horn
David Duke         French Horn
Phil Moore         Piano
Jimmy Bond         Bass
Dennis Budimir       Guitar
Earl Palmer         Drums

Richard Bock Producer
Recorded at Pacific Jazz Studios Los Angels on October 1965

Monterey Jazz Festival Orchestra
Gil Fuller & Dizzy Gillespie/td>
Blue Note Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックマイヤーにとってはこのアルバムへの参加も将来に向けての布石だった・・・・

2012-02-09 | MY FAVORITE ALBUM
Gerry Mulligan The Concert Jazz Band ‘63


ボブブルックマイヤーが長年付き合っていたのはスタンゲッツだろう、では一番濃く付き合った相手はというと、それはジェリーマリガンかもしれない。マリガンとブルックマイヤーのピアノレスカルテットは時代を象徴するグループの一つだった。そして、マリガンは60年の3月に前の年から準備を進めていたConcert Jazz Bandを立ち上げた。セプテットなどはあったが、通常のビッグバンド編成に近い大きな編成のレギュラーバンドを組んだのはこれが最初であったろう。ニューヨークで旗揚げしたバンドは、その名の通りレコーディングのためだけの編成ではなくクラブへ出演もし、その年のニューポートジャズフェスティバルにも参加して、各地でまさにその名の通り“コンサート”を行った。

もちろんブルックマイヤーもこのメンバーの一員として最初から参加していたが、ブルックマイヤーはこのバンドでもう一つ重要な役割を果たした。アレンジャーとしてのブルックマイヤーだ。ジェリーマリガンも作編曲は得意。したがって彼ら2人の参加したグループは小編成であっても、きっちり計算された曲仕立てがいつもなされていた。
今回は大きな編成だったので、それぞれのアレンジャーとしての腕の見せ所も今まで以上に広がった。そしてこのコンサートバンドは最初から2人のアレンジだけでなく、最初メンバーとて参加していたビルホルマンや、ジョニーマンデル、ジョージラッセルなどのアレンジなども使っていたが、いわゆるベイシースタイルのビッグバンドとは一味も二味も違うサウンドであった。

それから、約2年経った1962年の12月にこのアルバムは録音された。2年弱の活動であったが、流石にツアーを渡り歩くだけでは経済的にも厳しくコンサートバンドとしての活動は62年には縮小してしまっていた。この録音の前もマリガンはポールデスモンドやブルックマイヤーとのコンビでコンボの演奏は各地で行っていたが、このコンサートバンドの面々が集るのは久々であった。

バンドの主要メンバーであるクラークテリーやジーンクイルは参加しているが、ドラムのメルルイスはこの録音には参加していない。そして、このアルバムにアレンジャーとして新たに加わったのがゲイリーマクファーランドである。62年はアレンジャーとして多くのアルバムにも参加し、大きく飛躍をした年だ。マリガン、ブルックマイヤーのアレンジに加えて、このマクファーランドのアレンジもこのバンドのコンセプトにはピッタリだし、よりモダンになっている。

ブルックマイヤーは、自分の曲でトローンボーンではなく、ピアノを弾いている。エバンスとピアノの共演アルバムを作っている位なので、ブルックマイヤーのピアノのプレーは決して余興ではなく彼の音楽の表現の手段のひとつであろう、このアルバムのピアノのプレーもシンプルだが実に印象的だ。

そして、このオーケストラもこれからという時に、第一期のマリガンのビッグバンドはこの録音を最後にしばらく活動を休止してしまう。ブルックマイヤーが自分のアレンジを持って盟友メルルイスと供にサドメルのオーケストラに参加したのはそれから3年の後。このマリガンのビッグバンドで色々試した事を、再びチャレンジする場をサドメルのオーケストラに求めたのだと思う。

1. Little Rock Getaway
2. Ballad
3. Big City Life
4. Big City Blues
5. My Kinda Love
6. Pretty Little Gypsy
7. Bridgehampton South
8. Bridgehampton Strut


Gerry Mulligan    (bs,cl,p)
Clark Terry      (tp,fhl)
Nick Travis      (tp)
Doc Severinsen   (tp)
Don Ferrara     (tp)
Bob Brookmeyer  (vtb,p)
Willie Dennis     (tb)
Tony Studd      (btb)
Gene Quill      (as,cl)
Eddie Caine     (as,fl)
Jim Reider      (ts)
Gene Allen      (bs)
Jim Hall        (g)
Bill Crow       (b)
Gus Johnson     (ds)

Arranged by Bob Brookmeyer,Gary McFarland,
Produced by Jim Davis
Engineer Ray Hall

Recorded on Dec.18-21.1962, in Webster Hall, New York City
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラシックだけでなく、ジャズだって“Gala Concert”・・・

2012-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz Gala Concert / Jazz Gala Big Band by Peter Herbolzheimer

‘76年の年が明けて秋吉敏子が自らのビッグバンドの面々を引き連れて日本でお披露目のコンサートを各地で開いているちょうどどの時、「あるコンサート」がドイツの主要都市を周っていた。
ガラコンサートというのはクラシックではよく開かれている特別公演だ。そのコンサートは”Jazz Gala Concert”と銘打った、ガラコンサートのジャズ版だった。ニューポートやモンタレーのように有名コンボや歌手、あるいはオーケストラを集めてのコンサートというのは昔からよく開催されていた。JATPやConcordのように特定のグループのお披露目の場というコンサートというものもある。自己のグループ、特別編成のグループ、また昔の仲間との再会セッション、そして、コンサートを盛り上げるように出演者が入り乱れてのジャムセッションも企画の一つだし、聴く方にとっても楽しみのひとつだ。では、このGala Concertは何が特別なのか・・・・・。

仕掛け人は地元ZDFテレビのプロデューサーのReinhard Knieper、ハンブルクのブッキングエージェンシーのKersten Jahnke、そして企画を受けたのは作編曲家のバンドリーダーのPeter Herbolzheimer。そして、彼やゲストのアレンジを演じるオールスタービッグバンドだ。
地元の有名ミュージシャンに加えて、アートファーマーや、スライドハンプトン、ジョニーグリフィンなどもセクションメンバーに加わる。さらに、スタンゲッツ、ジェリーマリガン、ナットアダレイなどのゲストソロプレーヤーが揃う。
要は、このコンサートのための特別編成のビッグバンドがコンサートを通じてホスト役を務めるという嗜好だ。

メンバー紹介を兼ねて、軽くHerbolzheimerのブルースからスタートして、ジョニーグリフィンのテナーソロをフィーチャーして一曲目を終える。次は、マリガンの登場だがここはマリガンのアレンジを使ったバックで、もう一曲マリガンが続くがここではアートファーマートとの再会を果たした。ツゥーツシールマンのプレーはヨーロッパでは有名なクインシーのアレンジで。そしてA面の最後はドラムで参加しているグラディーテイトが得意の喉を披露する。
B面に移るとここからは、Herbolzheimerのアレンジの曲が続く。ゲッツのコリアの曲の
プレーも熱っぽい。地元のミュージシャンをソロに起用したオリジナルでは彼の本領発揮だ。モダンなヨーロッパサウンドだ。そして最後のWork Songでは意表を付くアレンジで幕を閉じる。

いつもの顔見世興行的なコンサート違って、色々なプレーヤーが参加しているが、やはり一本プロデュースの軸が通っている事と、それを実現するためのビッグバンドの存在が大きい。こんなスペシャルコンサートを一度ライブで聴いてみたいものだ。
このようなコンサートを実現できるのも放送局(メディア)の力の存在が大きかったが、今の時代どこでもメディアが弱体化しているが、果たしてどこかで同じようかコンサートが実現されているのか気に懸かる。


1. Blues in My Shoes
2. Song for Strayhorn
3. Festive Minor
4. Brown Ballad
5. Moondance
6. Times Lie
7. Gentle Mood
8. The Up and Down Man
9. Jive Samba
10. Work Song

Rick Kiefer trumpet
Ron Simmonds trumpet
Derek Watkins trumpet
Ack van Rooyen trumpet
Art Farmer trumpet
Herb Geller woodwind
Ferdinand Povel woodwind
Johnny Griffin woodwind
Wilton Gaynair woodwind
James Towsey woodwind
Jiggs Whigham trombone
Otto Bredl trombone
Slide Hampton trombone
Albert Mangelsdorff trombone
Peter Herbolzheimer trombone
Volker Kriegel guitar
Wolfgang Dauner keyboards
Niels-Henning Orstedt Pedersen bass
Grady tate drums,vocal
Nippy Noya percussion
Alex Riel drums,percussion

Guests
Nat Adderley Cornet
Stan Gets Tenor Sax
Gerry Mulligan baritone sax
Jean "Toots" Thielemans harmonica

Engineer Jurgen Arrnold. Uwe Peters
Recorded on Jan.18 1976, in Hannove
     on Jan.23 1976, in Wiesbaden

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリントンナンバーはどのオーケストラでも一度は取り組むが・・・・

2012-02-02 | MY FAVORITE ALBUM
Take The “A” Train / Toshiyuki Miyama & The New Herd

1974年という年は自分の記憶にはっきりと残っている年だ。というのも自分が会社勤めを始めた年。前年末に始まったオイルショックで高度成長をひたすら走り続けた日本が、ニクソンショックに続いて大きな影響を受けた年だ。物不足、そして景気の後退によって翌年の新人採用を控える会社が続出し一年違いで就職できたことにほっとしていた。今回の震災の影響といい、長い人生の中では、いい事が起るのも悪いことが起るのも時の運。個人の努力だけではどうしようも無い事は天命かも。

この年は、巨人の長嶋の引退や田中総理の引退が続いたが、ジャズ界の巨人デュークエリントンが5月に亡くなった。ジャズオーケストラの雄としてだけでなく、多くの名曲を残したこともあり、翌年にかけて多くの追悼コンサートが行われた。
日本でも猪俣猛のザ・サードが12月に追悼コンサートを行ったが、宮間利之とニューハードも翌年行われたコンサートでエリントンナンバーを取り上げた。ニューハードは、当時モンタレーやニューポートのジャズフェスティバルにも参加し、日本を代表するオーケストラで一番元気があったかもしれない。5月に行われたコンサートは、実は当時の日本を代表するジャズレーベル「スリーブラインドマイス」の5日間連続のコンサート。その最終日にニューハードは登場した。

「エリントンに捧げる」と銘を打っているが、A面の3曲がエリントンナンバー。B面は山木のオリジナルとフレディーハーバードの曲。B面は少し雰囲気も違うが、このエリントンナンバーの3曲はニューハードの面々の入魂の演奏が聴ける。エリントンナンバーをビッグバンドでやる時は、どこまでオリジナルの演奏を意識するかがいつもアレンジャーの課題になるが、ここでの答えは、最初の2曲はソロを中心に。そして、テーマソングともいえるA列車は、オリジナルのアレンジから離れて51年当時のエリントンオーケストラの専属歌手だったベティ・ロッシェのヴォーカルソロを素材にしたとのこと。アレンジャー山木のアイディア賞だ。ソロでフィーチャーされているトランペットの岸義和は今でも現役でよくライブに見かけるが、大きくフィーチャーされ大活躍のハイソ出身の新人トロンボーン、塩村修は今では何をしているだろうか?。




この‘75年、ニューハードはニューポートに出演し、秋にはサドメル、そして翌年の秋吉敏子のオーケストラへと続く。大先輩のエリントンは亡くなったが、後を引きついたビッグバンドリーダー達はそれぞれ大活躍の年だった。

来週は、2月10日新宿のSomedayで、マイクプライスのオーケストラが新しいエリントンナンバーにチャレンジするようだ。出かけてみよう。

************************************

皆様こんにちは! 


マイク・プライス・ジャズオ-ケストラは
新宿サムデイで 2月10日 (金)に演奏します! 

レパ-トリ-の数々より、今回は最近入手したエリントンの美しい楽曲をフィ-チャ-します。
又、私の楽曲・アレンジ曲も演奏します。

皆さんの心に残るビッグバンドジャズとなりますように。

是非聴きにいらしてください。

どうぞよろしくお願いします。

マイク・プライス


日時  2月10日(金)
    19:45~、21:15~
場所  サムデイ (新宿)
    Tel 03-3359-6777
    新宿1-34-8 新宿御苑前ビルB1(やよい軒の地下)
    地図 http://someday.net/shinjyuku.html
Music Charge 3,990円

メンバ- 
大山日出男(as, clar)土井徳浩、(as, clar)
岡崎正典(ts)吉本章紘(ts)
宮本大路(bs)

佐久間勲(tp)横山均 (tp)
高橋一光(tp) マイク・ザッチャーナック(tp)

西山健治(tb)内田光昭 (tb) 駒野逸美(tb)
堂本雅樹(btb) 稲垣 貴庸(d)
守屋純子 (p)佐瀬正(b)
マイク・プライス(trumpet & conductor)

Mike Price 舞空

************************




1. Mood Indigo
2. In a Sentimental Mood
3. Take The A Train
4. Country Blues
5. Gibraltar

Toshiyuki Miyama (Con)
Kazumi Takeda (tp)
Fumio Shirayama (tp)
Yoshikazu Kishi (tp)
Shigeru Kamimori (tp)
Teruhiko Kataoka (tb)
Masamichi Uetaka (tb)
Osamu Shiomura (tb)
Shoji Itho (btb)
Koji Suzuki (as,fl,cl)
Mamoru Mori (ts,ss.fl)
Atuo Shirai (as,cl)
Seiji Inoue (ts,cl)
Ken-ichi Tada (bs,cl,piccolo)
Kiyoshi Takano (p)
Yasushi Fukushima (b)
Isao Yomoda (ds)
Kozaburo Yamaki (g,arr.)

Produced by Takeshi Fujii
Recording engineer Yoshihiko Kannari

Recorded live on “An Evening Dedicated to the Late Duke Ellington”
May 27, 1975, at Nihon Toshi Center Hall, Tokyo







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロソリーノのリーダーアルバムといえば・・・

2012-02-01 | MY FAVORITE ALBUM
Frank Rosolino Quintet

‘75年、ドイツでコンテカンドリとの熱いセッションを繰り広げていたフランクロッソリーノだが、1926年生まれなので50歳直前。一番脂ののっていた時だった。プロになったきっかけは軍隊生活の時のプレーだそうだが、その実力は子供の時から確実に築かされていったようだ。音楽を楽しむ一家に生まれたロソリーノは、最初はアコディオンで音楽に親しみ、6年生の時にトロンボーンを扱うようになった。兄のバイオリンのエチュードの練習に合わせてトロンボーンを学び、その結果が彼の正確で早い演奏を可能にしたようだ。速い曲だと多少もたつき感が出るのはやむを得ないトロンボーンであるが、ロッソリーノのプレーを聴いていると、ソロでも他の楽器とのアンサンブルでも何の躊躇も無く吹き続けていく。聴くほうも実に気持ち良い気分で演奏に引き込まれていく。

ロッソリーノは、デトロイト生まれ。有名なジョーンズ三兄弟達ともプレーをした事があるようだが、早い時期に西海岸に移る。ケントンオーケストラなどを経て、有名なハワードラムゼイのライトハウスの常連であった。50年代後半には西海岸を代表するトロンボーン奏者になっていた。

セッションへの参加は当時から沢山あるが、リーダーアルバムはそれほど多く残していないロッソリーノだが、1957年に突如立ち上がったModoレーベルにも一枚のアルバムを残している。このレーベルは新人も多かったが、ロッソリーノはすでに中堅の実力者であった。クインテットで一緒にコンビを組んだのはリッチーカムカ。そしてピアノは後にチャーリーのクリスマスで有名なヴィンス・ガラルディー。ドラムにはMODOのハウスドラマーともいえるメルルイス。

全体のトーンはウェストコーストサウンドだが、いわゆるクールジャズではないより力強さを感じるのがModoのアルバム共通の特徴だ。ここでの2人のプレーも然りである。ロッソリーノのプレーは軽々吹いているのであまり感じないが、ペッパーアダムス同様デトロイト出身の血が流れているのか熱いプレーで期待に応えている。
Modoに外れなし。このロッソリーノの一枚も好きなアルバムだ。

1. Cherry                 Corgan, Daniels, Gilbert, Gillespie… 4:58
2. Let's Make It             Rosolino 3:02
3. How Long Has This Been GoingOn?    Gershwin, Gershwin 3:40
4. They Say                Heyman, Mann, Weiss 4:31
5. Fine Shape               Rosolino 4:21
6. Fall Out                Copeland, Holman 3:59
7. Thou Swell               Hart, Rodgers 3:21
8. Tuffy                 Rosolino 4:08

Richie Kamuca TenorSax
Frank Rosolino Trombone
Vince Guaraldi Piano
Monty Budwig Bass
Mel Lewis Drums

Produced by Red Clyde
Engineer  Bones Howe

Recorded at Radio Recoedees, Hollywood. CA, June,1957


Frank Rosolino
Frank Rosolino
Vsop Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする