A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

人生転換期を迎え原点回帰することもあれば更なる進化もある、人によって人生色々・・・・

2014-12-25 | MY FAVORITE ALBUM
California Shower / Sadao Watanabe


人生80年の時代、40代はまだ折り返し点。何の仕事をしていても一番脂がのった時期だ。
しかし、40代も終盤を迎えると次第に今後のことを考えるようになる。今の仕事をこのまま続けるか、心機一転新たなチャレンジをするか、あるいは本当に自分のやりたいことをやるのか・・・。
自分自身を振り返っても、40代の最後はそんなことを悩んだ時期があった。

ペッパーアダムスは、ソリストとしての自分にもう一度チャレンジする道を選んで、サドメルのオーケストラを辞めた。
辞めてから半年経った1978年3月、ミンガスとのレコーディングセッションを終えたペッパーアダムスは久々に楽器を新調し、旅行を楽しみ、時には仲間とのギグをしながらゆっくりした日々を過ごしていた。そして4月になると久々に西海岸を訪れ、古い友人と旧交を温めていた。

一方で、同じ時期の3月西海岸のロスアンジェルスのスタジオでは渡辺貞夫が新アルバムの録音のために、色々策を詰めていた。

そして、6月に満を持してアダムスが彼としては自分でも会心の出来と評価するアルバム”Reflectory”を録音することに。やっと自分が思うようにプレーできたアルバムだった。
その時、渡辺貞夫も録音を終えて日本に戻り、新アルバムの発売を記念した国内ツアーの準備に追われていた。

その時の渡辺貞夫のアルバムが、この「カリフォルニアシャワー」である。

ナベサダが、フュージョン路線に踏み出したのは、前年に作られた「マイディアライフ」。同じ名前のFM番組を1972年からその時すでに5年続けていた。そのタイトル曲がアルバムタイトルにもなったが、その前のテレビ番組「ミュージックブレーク」のテーマ曲もあり、他の曲はナベサダが自ら旅したアフリカを素材にした曲が多かった。
自身の色々な曲を、アメリカの新進気鋭のフュージョン系のメンバーを起用して料理したが、せっかくの料理人の腕前を生かせず今一つ中途半端だった出来ともいる。

しかし、これで新路線に手応えを感じたのか、翌年さらに一歩進めて取り組んだのがこのアルバムだった。前作との違いは、デイブグルーシンとがっぷり組んだ事だろう。キーボードだけでなく、作編曲にもグルーシンを多用し、自ら手掛けたのは2曲だけである。
グルーシンのフュージョンの音作りは、ラリーローゼンと立ち上げたGRP(Grusin Rosen Production)でスタートし、すでに6年が経っていた。このナベサダのアルバムは、リーリトナーをはじめとしたGRPに関係するメンバーが全面的に協力し、音作りはデイブグルーシンがプロデュースしたものであった。ナベサダとグルーシンが、双方の技を出し切った本格的なコラボの成果である。

グルーシンのサウンドは、電子楽器や多様なリズムを組み合わせたいわゆるフュージョンサウンドではあるが、何か人間味を感じる心地よさがあった。ジャズが持つファジーな演奏の良さの伝統を引き継いでいたのだろう。
一方のナベサダは、生真面目にグルーシンの新たな料理法に自分のプレーを合わせていった。グルーシンが、録音をしている時、これはOKと思ったテイクもナベサダはダメ出しをして何度もチャレンジをしたそうだ。
このアルバムは、2人の人間性が上手く噛み合った成果だろう。聴き慣れてしまったせいもあるが、一曲目から一段と温かみを感じるメロディアスでリズミカルなこなれたサウンドが続く。

ジャズのアルバムというと普通は数千枚単位、一万枚も売れればヒット作だろう。このカリフォルニアシャワーは、初日で数千枚、すぐに20万枚を超え、最終的には100万枚を超えてミリオンセラーになったという。あのサイドワインダーのリーモーガンやテイクファイブのブルーベックも真っ青だ。

テーマ曲は、男性化粧品のCMソングにもなり、町中でこのサウンドが溢れた。マス商品とヒット曲の相乗効果で両方が売れるという良き時代でもあった。

若い頃はバリバリのバップを吹いていたナベサダが、アメリカ留学から帰国後、ボサノバに取り組んだ。きっかけは渡米中ゲイリーマクファーランドとの交流で彼の音楽観の影響があったからという。このグルーシンとの出会いも多分大きな影響を受けたと思う。もっとも、ナベサダの場合は、一緒にプレーをしたミュージシャンは数知れず、それらのすべてが明日への糧になっているのだとは思う。だが、100万枚の成果を生み出す出会いはそうそうあるものではない。

片や、ペッパーアダムスは、それまでファンキーなプレーから、グッドマンやハンプトンと一緒のスイングまで、さらにウェストコーストからハードバップのど真ん中まで幅広くプレーしてきた。サドメル時代が長くビッグバンドの人と思われることも。さらに、レコーディングでは、フュージョンのバックもやった。
しかし、きっかけは何回かあったが、それらの中に自分のやりたい演奏を満足の行くまでできる機会は無かった。そして、今回の新アルバムで、やっと自分のイメージどおりのプレーを残せた。それは、けっして新たらしいものではなく、原点回帰をして20年前のストレートアヘッドな演奏に戻っていた。

一方のナベサダは、このアルバムでフュージョンという新しい世界に踏み出し、日本のフュージョンブームを引っ張る存在になった。
そして、もう一人の主役デイブグルーシンも、同じ6月にGRPが晴れて一プロダクションから新レーベルとして育って独立し、新たな展開がスタートした。

丁度、ジャズ界全体が、フュージョンブームとメインストリームの復活が交錯した時期でもあった。どの道を選ぶか迷ったプレーヤーやプロデューサーも多かったと思う。

ペッパーアダムスは1930年生まれ。3人はほぼ同じ世代で、この年アダムスは48歳、ナベサダは45歳、グルーシン44歳の時であった。3人3様で、新たなスタートを迎えた1978年6月であった。

アダムスは早くに逝ってしまったが、ナベサダの方は元気に今でもライブ活動を続けている。この12月はビッグバンドを編成して各地を回っていたようだが、残念ながら聴きには行けなかった。

人生終盤に近づいた81歳でまた新たな世界を見出しているのかもしれない。
デイブグルーシンがナベサダに関してコメントを残している。ナベサダのプレーを聴くと何をやっても誰かの影響を受けているような気がする。しかし、ナベサダのようなプレーをするミュージシャンは他に聴いた事がないと。この時に、すでにOne and onlyな存在になっていたのかも。



1. California Shower
2. Duo-Creatics
3. Desert Ride
4. Seventh High
5. Turning Pages of Wind
6. Ngoma Party
7. My Country

Sadao Watanabe (as, fl, sopranino, arr.)
Dave Grusin (Fender Rhodes, p,arr)
George Bohannon (tb)
Oscar Brashear (tp)
Ernie Watts (ts)
Paulinho Da Costa(congas, percussion)
Chuck Rainey (eb)
Lee Ritenour (g)
Harvey Mason (ds)

Produced by Kiyoski Itoh,Toshinari Koinuma,Yukio Morisaki
Recording Engineer Phil Schier
Arranged by Dave Grusin & Sadao Watanabe
Recorded at Record Plant and Westlake Audio, Los Angels, California、March 1978

カリフォルニア・シャワー
クリエーター情報なし
ビクターエンタテインメント
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久々に猪俣さんのドラムを聴いた。猪俣さんといえばザ・サードを思い出す・・・

2014-12-20 | MY FAVORITE ALBUM
猪俣 猛&The Third Concert / Original Composition by Norio Maeda


連日楽しいスイングするビッグバンドを聴かせてくれるライブハウス「TN Swing Jazz」。最近はボーカルのゲストを加えた日も増えてきたようで益々楽しみだ。ゲストが加わるとレギュラープログラムとは違った演奏も楽しめるが、先日ドラムの猪俣猛氏をゲストに迎えた日があった。

猪俣猛はジャズを聴き始めた頃、ファンで良く聴きにいったが、最近はなかなかライブで接する機会が無かった。時代と共に色々な編成のバンドを組んでいたが、中でも自分のお気に入りはビッグバンド編成のザ・サード。今でもこの編成で年に数回演奏をしているようだが、日程が合わなかったり、遠隔地であったりで聴く機会には恵まれていない。
そんな猪俣氏が、ゲストとはいえビッグバンドでの演奏が聴けるという事で、楽しみにして出掛けてみた。ここのハウスオーケストラのリーダーは稲垣貴庸。猪俣氏の弟子ということで、この師弟対決も楽しみであった。

ステージは稲垣さんがプレーするレギュラーバンドの演奏と、ドラムが猪俣さんに替わった演奏と各ステージが2部構成になっていたが、猪俣氏の演奏する曲はいつもの譜面ではなく、猪俣氏とは盟友の前田憲男のアレンジによるものを使用。その意味でもいつものステージとは違った雰囲気を楽しめた。

スマートな風貌であった猪俣氏も、久々に見る姿は確かに歳をとられた感じがしたが、いざドラムセットの前に座るとそれも杞憂、以前にも増してダイナミックなドラミングを聴かせてくれた。歯切れの良いドラムは健在であった。



今からちょうど40年前の12月、渋谷公会堂でこの猪俣猛とザ・サードのコンサートが行われた。この観客席には自分も座っていた。40年前の1974年はデュークエリントンの亡くなった年。その偉大な作曲家の死を悼んで、このコンサートの第一部はデュークエリントンの曲を特集したプログラムであった。以前この模様を収めたアルバムは紹介した。

先日のTN Swing Jazzのステージで演奏した曲もエリントン、ベイシーの十八番の曲が多かったが、このコンサートで演奏された曲(アレンジ)は無かったように思う。

そして、このアルバムはその続き。第2部は、このオーケストラのオリジナル曲でプログラムが組まれた。曲の途中のMCでも語られているが、結成されてから3年目。この間何度も演奏してきた曲が並んでいる。その点ではやり慣れた曲で、演奏の完成度は高いと思う。

このザ・サードのアレンジはすべて前田憲男のアレンジを使用していたので、実質的に猪俣・前田の双頭ビッグバンドといってもよかった。この1974年というと、あのサドメルが2回目の来日を果たした年。このザ・サードもレギュラーバンドとはいえ日常的に活動をおこなっている訳では無く、自分達の曲を繰り返し演奏し切磋琢磨するリハーサルバンド。その意味ではサドメルオーケストラの日本版ともいえるビッグバンドであった。

このバンドの特徴は、基本はビッグバンドの標準編成と同じだが、サックスだけはアルト3本、テナーは1本の編成となっている。それにソプラノやフルートなどを多用するので、サドメルのオーケストラのサウンドと似ている点もある。サックスセクションだけでなく、ホーンセクションもテューバやメロフォニウム、フリューゲルホーン、ピッコロトランペットなどとの持ち替えがあり、それだけで雄^ケストラ全体が多彩なサウンドを生み出している。

前田憲男のアレンジがオールマイティということもあるのだろう、当時のクインシージョーンズオーケストラに似た部分があったかと思うと、2世代くらい前のクインシーの雰囲気を感じさせるアレンジもある。また4ビートだけでなく、8ビートもあるが、曲の途中でのリズムやテンポの変化も多いのが特徴だ。前田自体のプレーもエレキピアノの加えてオルガンも良く使っていた。ロストワールドではテナーの西条孝之助が加わり西条節のクールトーンがアレンジとピッタリだ。

猪俣氏のライブを聴いて久々にこのアルバムを聴いたが、今聴いても完成度の高かったビッグバンドだと思う。今はどのような曲を演奏しているか知らないが、もう一度生で聴いてみたいビッグバンドだ。先日の三木敏悟のインナーギャラクシーといい、ベテランのオーケストラの復活も楽しみだ。

TN Swing Jazzには今度は前田憲男さんがゲストで出るという。これも何か違った雰囲気の前田マジックを聴かせてもらえそうな気がする。時間が取れれば出掛けてみようと思う。

1. 朝顔 (The Chant of Morning Glory)
2. In Quiet
3. 6/8 + 3/4 = 11/2
4. Lost World
5. ゆりかごの歌 (Cradle Song)
6. Resignation



猪俣 猛 (ds)
前田 憲男 (p,org)
荒川 康夫 (b)
中牟礼 貞則 (g)
水谷 公正 (g)
中島 御 (per)
Jake Concepcion (as,ss
鈴木 重男 (as,ss)
清水 万紀夫 (as,cl)
三森 一郎 (ts,ss)
原田 忠幸 (bs,bcl)
鈴木 武久 (tp,ptp.flh)
伏見 哲夫 (tp,flh)
福島 照之 (tp,flh)
吉田 憲二 (tp,mellopho)
キジ 西村 (tb)
中沢 忠孝 (tb)
山下 晴生 (tb)
堂本 重道 (btb,tuba)

Recorded live at 渋谷公会堂、Dec. 4 1974
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テナーがあればアルトのサミットも、フィルウッズが音頭をとると・・・

2014-12-13 | MY FAVORITE ALBUM
Alto Legacy / Alto Summit featuring Phil Wood, Vincent Herring, Antonio Hart

「情報」という言葉がある。元々中国から漢字と共に渡来した言葉では無く日本で作られた言葉だという。明治時代森鴎外が作ったという説が有力であったが、最近ではそれ以前に使われていたという事実も見つかったようだ。
いずれにしても、軍事用語を翻訳する過程で作られたようで、「敵情(状)の報告」もしくは「敵情(状)の報知」という意味で情報という言葉が作られた。英語のInformationの訳として使われ、意味的にも単なるdataと使い分けている。今の時代、情報という言葉は日常的に当たり前に使われるようになったが・・・。

一方で「情」という言葉は、日本語としては深い意味がある。他人に対する思いやり、物に感じて動く心の働き、そして、真心、誠意。どの意味をとっても、日本人の心の原点を表すような言葉だと思う。
とすると「情報」という言葉を「情」けを「報」せると解釈すると、Informationの語源である軍事上の諜報活動による情報という意味より、より大きく深い意味を持つことになる。
日本人にとっては情報とは、この情けを報せるという意味の方がしっくりするように思う。
コミュニケーションの方法が便利になった半面、本当に心の通うコミュニケーションが難しくなっている。
もう一度、「情報」の大事さを見直した方がいいかもしれない。

このアルバムのライナーノーツの中で、フィルウッズのアルトを“情熱のアルト”と書かれている。
熱い、あるいはホットなアルトというのは自分もよく使う言い回しだが、「情熱のアルト」というのはまさに言い得て妙である。ウッズのアルトには音色だけでなく、プレーそのものに熱さを感じる。それは自分の内面をアピールするだけでなく、自分の想いを他のメンバーに訴えかけることも含めて。
ウッズはヨーロピアンリズムマシンのようにワンホーンでやる時も、あるいはジーンクイルのコンビの時も、そしてビッグバンドでリードを吹く時も、いつでもプレーへの想いは熱い。

このアルバム「アルトレガシー」は、先日紹介したベニーゴルソンの「テナーレガシー」の姉妹アルバム。録音されたのは1995年。新しいアルバムをあまり聴かない自分にとっては、最近のアルバムということになるがすでに20年が経っている。
先日ベニーゴルソンが元気に来日したが、このフィルウッズもまだ健在だと思う。歴史の生き証人として、いまでも伝説を語れる2人がまだ健在だということは、単に偶然ということではないかもしれない。

さて、このアルバムは、サミットと謳っているが巨人達を集めた訳ではない。フィルウッズをリーダーに若手の2人のアルトを加えたいわゆるバトル物。ヴィンセントへリングはキャノンボールアダレイに憧れナットアダレーのグループにも参加していた。アントニオハートも同様キャノンボールアダレイやゲイリーバーツの影響を受けたという。
ウッズとは親子ほどの年の差はあるが、お互い熱いアルトで渡り合うには良い人選だ。リズム隊のメンバーも若手を起用している。前作と同様若手を従えて、過去の巨人達が残した名演を再現するという企画だ。

ウッズがリーダーといっても決してウッズが前面に立つのではない。かといってよくあるバトル物でもない。曲によって主役を変え若手を前面に立て、時にはバックのアンサンブルを加え、まさにメンバー全員で揃って取り組んでいる。例えば、自ら名演を残したミシェルルグランのサマーノウズではヴィンセントを前面に立て自分は引き立て役に徹している。
選曲は日本人プロデューサーということもあり、1曲だけはウッズのオリジナルだが他は過去の様々な名演が思い浮かぶしっくりくる選曲だ。

ウッズは自分は好きなプレーヤーだ。これまで紹介したアルバムにも多く参加している。とにかく色々な時代、シーンでリーダーアルバム以外でも出番が多いので、まだ紹介していないアルバム、聴いた事のないアルバムは沢山ある。また少し探してみようと思う。

1. Blue Minor  Sonny Clark  5:38
2. The Summer Knows (Theme from Summer of '42)  
     Alan Bergman / Marilyn Bergman / Michel Legrand  9:43
3 . Minority  Gigi Gryce  6:44
4 . Stars Fell on Alabama  Mitchell Parish / Frank Perkins  6:15
5 . Autumn in New York  Vernon Duke  5:57
6 . All the Things You Are  Oscar Hammerstein II / Jerome Kern  5:24
7 . Song for Sass  Phil Woods  7:16
8 . God Bless the Child  Billie Holiday / Arthur Herzog, Jr.  8:22

Phil Woods (as)
Antonio Hart (as)
Vincent Herring (as)
Anthony Wonsey (p)
Ruben Roggers (b)
Carl Allen (ds)
Engineer : Troy Halderson
Produced by Makoto Kimata

Recorded at Power Station in New York, June 4 & 5, 1995



アルト伝説~アルト・ジャイアンツに捧ぐ
Phil Woods
ビデオアーツ・ミュージック
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このオーケストラのサウンドをライブでまた聴けるとは思わなかった・・・

2014-12-12 | MY FAVORITE ALBUM
北欧組曲 / 三木敏悟 & 高橋達也と東京ユニオン

1. パートⅠ 白夜の哀しみ Midnight Sunrise
2. パートII エドワード・ムンクの肖像 Sketches Of Munch
3. パートIII グレタ・ガルボの伝説 The Legend Of Garbo
4. パートIV アンデルセンの幻想 Andersen Fantasia
5. パートV シベリウスの遺言 Sibelius' Testament
6. パートVI 遊ぶ子供たち Children at Play

高橋達也(leader,ts)
多田春文、安孫子浩、鈴木基治、斎藤智一(tp,flh)
宮崎英次郎、内田清高、岡田光一 (tb)
簾健一 (b-tb)
堀恵二、柳沼寛 (as)
井上誠二 (ts)
石兼武美 (bs)
石田良典 (b)
金山昌宏 (p)
海老沢一博 (ds)
荒谷憲一、直居隆雄 (g)
今村祐司 (per)
ミッキー吉野 (synth)

Producer 藤井武

録音 1977年5月15日、22日 東京エピキュラス・スタジオ

1978年1月、丁度ペッパーアダムスがチャールスミンガスのレコーディングに参加している時、日本ではスイングジャーナルの2月号が発売された。2月号では毎年前年リリースされたアルバムからジャズディスク大賞が選定され発表される。
1977年の金賞はハービーハンコックのVSOPニューポートの追想、銀賞にはグレートジャズトリオのビレッジバンガードのライブ盤。どちらも記憶に残るアルバムだ。
そして、日本ジャズ賞にはこの三木敏悟の北欧組曲が選ばれた。

1970年代後半、突如現れた新進アレンジャー三木敏悟。全盛期の東京ユニオンに加わり斬新なアレンジのビッグバンドサウンドを聴かせてくれた。この「北欧組曲」はアレンジャーとしてのデビュー作、日本とスウェーデンで同時発売され、この三木敏悟の世界は海外にも広く知れ渡った。
受賞が決まった2月号には、このアルバムを出したスリーブラインドマイスレーベルの広告に、受賞記念で国内用に2000枚、海外用に5000枚の追加プレスを行うと記載されていた。如何に誕生した時からグローバルで認知されたかを象徴している。

その後、三木敏悟は自らのインナーギャラクシーオーケストラを編成し、アルバム「海の誘い」を出し、モントルーのステージにも立った。そして、さらに数枚のアルバムを出し、これからという時に解散してしまった。

それから長い月日が経ってすっかり過去のオーケストラかと思っていたら、昨年、この三木敏悟とインナーギャラクシーオーケストラ(IGO)が再編されたというニュースを聞いた。これは行かねばと思いつつ、予定が合わなかったり、スケジュールをチェックしきれなかったり、結局、聴けず仕舞いで一年が経ってしまった。先日、復活一周年記念を兼ねたライブが東京TUCで行われ、やっと聴く事ができた。



当日の会場は満員、評論家の瀬川さんやプロデューサー藤井さんの姿も。そして、席にはその日のプログラムが置かれていた。
ジャズのライブで当日の演目が事前に発表されることはめったにない。せいぜいその日の特集や目玉がアナウンスされれば御の字だ。クラシックのコンサートでは必ずといってほど事前に演目があり、それを知って聴きに行くのだがこの違いは何なんだろう?



プログラムに目を通すと、処女作の「北欧組曲」からの曲もある。そしてまだ聴いた事も無い新しい曲も。曲名の下に、簡単なコメントが書いてある。まるでレコードのライナーノーツのように。
メンバーがステージに上がってオープニング曲Merman’s Danceが始まる。
これは以前のライブの映像↓


リズム隊は若手、ホーンセクションはベテランが多い。トランペットの安孫子氏、トロンボーンの鍵和田氏、サックスの柳沼氏などオリジナルのメンバーもまだ健在だ。最近、あちらこちらのライブの常連、羽毛田さんや、田中さんの姿も。

目新しい点は、女性コーラスの3人組が加わっている事、サックスセクションに尺八が加わっている事だろう。オーケストラ全体のサウンドはこの編成になった影響が大きい。
尺八の音色というのはどうしてもそれだけで「日本」を感じる。そして、女性コーラス3人組は楽演団五束六文というグループで活躍する3人。



演歌もジャジーに歌うグループだが、それがオーケストラ全体に影響し和風の味付けが加わった。創立当時から4ビートには拘らない自由なリズムとアンサンブルが特徴であったが一層磨きがかかり、それを支える若手の元気なリズム隊も頑張っている。

三木敏悟のアレンジは、リズム、ハーモニーが曲の中でも実に多彩に変化する。しかし、どんな曲でもジャズのエッセンスが組み込まれている。それをアピールするようなプレゼンテーションがプログラムに加えられている。
「津軽海峡」のジャズバージョンを聴かせてくれたり、新曲の即興アレンジをステージ上で披露する曲も。「和風」を組み込んだオーケストラは、ステージでのエンターテイメントを組み込みながらさらに進化して多彩なサウンドを聴かせてくれた。復活といっても、昔の懐メロの再演ではなかった。

プログラムに沿って2時間たっぷりのステージがあっと言う間に終わった。曲の合間のMCも実に軽妙でありポイントを押さえている。メンバー紹介を兼ねたソロの配置も実に絶妙だ。

この満足感は、結果的に演奏だけでなくステージ全体が実に上手くプロデュースされ演出されていたということだろう。
第一部の終わりに客席にいたマイクプライスがトランペットで飛び入り参加しクロージングを行った。特に何の紹介も無かったが、お客さんの中でマイクさんを知っている人が何人いたか?これも飛び入り参加だとは思うが、これもうまく演出されていた。
ビッグバンドを単なるライブではなく、ライブショー仕立てして聴かせてくれるのは、若手の向井志門 & The Swingin' Devilsしか聴いた事がなかったが、新生IGOはその世界にもチャレンジしているかもしれない。

三木氏の普段の活動をあまり知らなかったが、山野の審査員を長年務めているそうだ。バンドリーダー&アレンジャーの養成講座も積極的に行っているようだ。作編曲家としてだけでなく、今回プロデューサーとしての素晴らしさを再認識し、単にライブを聴く以上のステージを楽しませてくれた。単に団塊の世代の復活というより、長年築いてきたこれまでの経験をすべてつぎ込んだようなステージには重みと厚みを感じる。同じ世代としては嬉しい限りだ。
来年も積極的に活動すると宣言していたが、また出かけてみたくなるライブであった。
ゴードングッドウィンやマリアシュナイダーに駆けつける若いファンにも一度聴いて貰いたいオーケストラだと思う。


北欧組曲[Blu-spec CD]
三木敏悟&高橋達也と東京ユニオン
THINK! RECORDS
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新旧のサックス対決の中にジョーヘンダーソンの名前が・・・・

2014-11-22 | MY FAVORITE ALBUM
Birds & Ballads / Art Pepper, Johnny Griffin, Joe Farrell, Joe Henderson, Harold Land, John John Klemmer

最近昔のスイングジャーナルを時々眺めることにしている。ネット万能時代になって気になったものは何でも瞬時に調べられる反面、得られる情報は断片的。何かじっくり調べたり、俯瞰する時は本や雑誌がやはりいいようだ。特に雑誌は、その時点でホットな話題が編集されている。その時代を思い返すには良いきっかけになる。最近時間感覚が無くなってきているが、これは単に歳をとっただけでなく時間軸で物事を整理する習慣が無くなっているせいかもしれない。人間の生活で時間軸での整理というのは不可欠かもしれない。

先日、1980年11月号を見ていたら、その号の特集はその年の9月に亡くなったビルエバンスの記事が中心。エバンスは70年代までの人だったというのを改めて再認識。
そして、レコード評のページへ。
スイングジャーナルには同誌選定のゴールドディスクなるものがあって、その紹介が毎月レコード評の最初に載っていた。新譜だけでなく旧録音でもお勧めディスクを推進盤として紹介し、シンボルマークを作ってレコード会社などとも連携していた。このゴールドディスクは、手探りで聴いていた時には良く参考にした推薦盤だった。

今思えばこれはかなりのPR効果。これで売れたアルバムも多かったと思う。最近のネットの世界でも「リコメンド」というのはセールスプロモーションの手法で大きな要素だが、個人のお勧めよりもそれなりに権威のある本であり人のお勧めというのは重みがあり、マスコミュニケーションでのレコメンドが効果的な時代であった。意図的にヒット作を作れたという事になる。

その号のゴールドディスクがこのアルバム”Birds & Ballads”であった。
最近、CDの再発物で2枚のLPアルバムをカップリングしたものを時々見掛ける。確かにメディアの収録時間が増えたのでボーナストラック同様この2枚組はお得感はあるのだが、何でこの2枚が一枚に、という違和感を感ずる時もある。自分の世代だと、「アルバム単位」というのはジャケットのデザインを含めて作品として何か拘りがあるもかもしれない。作る側のプロデューサーも当然それを意識して制作していたので。

このアルバムは、オリジナルは別々に発売された2枚のアルバムを2枚組の一枚にしたもの。まさに今の時代のCD化のカップリングと同じようなものだ。しかし、2枚組にしてゴールドディスクとしたのは当時でもそれなりに一緒にした意味があったからだ。
ほぼ同じメンバーが、同じ時期に2枚のアルバムを作った。一枚がパーカーとモンクの曲を演奏した物。そしてもう一枚がバラード曲を集めたもの。同じ時期に録音されたものを2枚に振り分けたものだが、最初に企画があったのか、結果的にこのように分かれたのかは分からない。

このセッションで共通している事は、60年代初めから活躍しているベテランと、70年から台頭してきた若手のサックスプレーヤーの共演だということ。それも良くある皆揃ってのジャムセッションやアンサンブルを売りにしている訳ではない。一曲毎にソロプレーヤーを選び、一人で自分のスタイルを思う存分発揮した構成になっている。
バックは、ベースは2人で分担するものの、ピアノとドラムは同じメンバーで変らず。よくあるバラバラのセッションを集めたコンピレーションという訳でもない。よくある「のど自慢」ではないが、サックス自慢のプレーヤーを一人ずつ舞台に乗せて腕前を競うコンテストのようなものだ。

もう一つの特徴がテナー奏者に交じって、一人アートペッパーがアルトで参加している点だ。パーカートリビュートであればアルトプレーヤーだけを集めてもよいのだが、テナーばかりを集めている中でアートペッパーの役割は? 
カムバック後の積極的に活躍していた時期なので、流石にパーカーのヤードバートスーツも、バラードのオーバーザレインボーも素晴らしい演奏。まさにゲストの先生役のような感じがしないでもないが。

このアルバムが目に留まり久しぶりに聴き直したのも、その中にジョーヘンダーソンの名前があったからだ。アルバム自体は各人各様のパーカートリビュート&バラード集だが、こうやってスタンダード曲を並べてきくとそのスタイルの違いが余計に鮮明になる。

ベテラン代表は、60年代の始め一躍有名になったジョニーグリフィンとジョーヘンダーソン、そして少し毛色が変るがハロルドランドの3人、若手はジョーファレルとジョンクレーマーの2人。それぞれスタイルが全く違うし、規定課題をどうこなすかがまさに聴き較べのポイントとなる。
ジョーファレルは70年代にはチックコリアのリターンツーフォーエバーの印象が強いが、久々のストレートなプレーだ。そういえば、このジョーファレルもサドメルのメンバーであった。創設時から出入りはあるが結構長く在籍した割には印象が薄かった。

肝心のジョーヘンダーソンはリラクシンアットカマリロではピアノレスのトリオで。他のメンバー(あるいはこの企画)の影響を受けたのか、バラードのグッドモーニングハートエイクも、どちらも聴きごたえのある演奏だ。
このアルバムの録音は'78年。ジョーヘンダーソンの復活は80年以降となんとなく思っていたが、実はこのアルバムが復活のきっかけになったのではないかと思う。

ちなみに、このスイングジャーナル11月号には海外ジャズミュージシャンの人気投票結果も出ている。アルトサックス部門はアートペッパーがダントツの一位。当時の日本での人気の程を窺い知ることができる。そして、テナーサックス部門の一位はソニーロリンズ、グリフィンが6位にアップ、ジョーファレルとジョンクレーマーもランキングには顔をだしているが、ジョーヘンダーソンは20位にも入っていない。当時は日本のファンからは忘れられた存在であったようだ。その意味では、このアルバムでの演奏が復活に向けての狼煙であったのではないか?

1. Billie’s Bounce (Griffin)
2. Round Midnight (Klemmer)
3. Confirmation (Farrell)
4. Yardbird Suite (Pepper)
5. Relaxin’ at Camarillo (Henderson)
6. Bloomdido (Land)
7. Over The Rainbow (Pepper)
8. God Bless The Chile (Klemmer)
9. Smoke Gets In Your Eyes (Griffin)
10. Good Morning Heartache (Henderson)


Art Pepper (as)
Johnny Griffin (ts)
Joe Henderson (ts)
Joe Farrell (ts)
John Klemmer (ts)
Harold Land (ts)
Stanley Cowell (p)
Cecil Mcbee (b)
John Heard (b)
Roy Haynes (ds)

Produced by Ed Michel
Engineer : Baker Bigsby
Recorded on Fantasy Studios, Berkeley, CA, December 1,2,4,5, 1978
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練習を始めてから30年後に陽の目をみたジョーヘンダーソンのビッグバンドであったが・・・

2014-11-19 | MY FAVORITE ALBUM
Joe Henderson Big Band

1966年サドジョーンズ&メルルイスのオーケストラが立ち上がると、他にもフランクフォスター、ケニードーハム&ジョーヘンダーソン、そしてデュークピアソンなどのビッグバンドが編成される動きに繋がった。

ジョーヘンダーソンのビッグバンドが編成されたのは66年の夏。サドメルに遅れる事半年であった。ペッパーアダムスの年表を見るとこのリハーサルオーケストラにペッパーアダムスも参加していた。最初は週に3回午後にThe Domというナイトクラブで活動を開始。譜面台も無く椅子にスコアをのせてのリハーサルが始まった。

ジョーヘンダーソンはオハイオ生まれだが、大学はデトロイトのウェイン大学。ドナルドバードやペッパーアダムスと同窓になる。そこでは、バルトークやストラビンスキーも学んだという。それ以前に高校時代、彼が興味を持ったのはスタンケントンオーケストラであり、特にアレンジには当時新進気鋭で売り出し中のビルホルマンに惚れ込んだという。テナーはレスターヤングをコピーして学んだようだが、プレーだけでなく曲作りやオーケストレーションにも興味を持っていたようだ。

1962年兵役を終えたジョーヘンダーソンはブルーノートで華々しくデビューする。自己のリーダーアルバムだけでなく、サイドメンとしても数多くのセッションに参加した。サイドワインダー、ソングフォーマイファーザーというブルーノートにとっては記録的なセールスを上げたアルバムのどちらのアルバムにも参加したのがジョーヘンダーソンであった。ブルーノートにとってジョーヘンダーソンは商売的には福の神であったのかもしれない。しかし、それがヘンダーソンのやりたいことをすべて満足させてはくれなかった。

ジョーヘンダーソンにとっては若い頃学んだ作曲やアレンジを披露するオーケストラの場が欲しかったのだが、ブルーノートでそれを実現することはできず、ケニードーハムと一緒に全くプライベートに同好の士を集めたリハーサルオーケストラを立ち上げた。

レコーディングどころかクラブやコンサートへの出演機会も少なかったが、皆は黙々とリハーサルを続けた。練習場所だけは、ナイトクラブから録音設備の整ったスタジオに変った。アダムスの年表を見るとこのリハーサルの模様を収めたテープは多く残されているというが世には出ていないようだ。リハーサルのメンバーはルーソロフ、ジミーネッパー、カーティスフラー、チックコリア、ロンカーター、ジョーチェンバースなどの中堅を中心に若手メンバーも多く加わっていた。しかし、実際には、当事者以外はその音を聴く事の出来ない幻のオーケストラであった。

しかし、聴衆の前で演奏する機会が少ないと、練習を続けるエネルギーもだんだん無くなり、一年後にはケニードーハムが去り、数年でバンド自体が自然消滅してしまった。
その後、ヘンダーソンは1969年にはセルドンパウエルに替わってサドメルにも加わっていた。創世記のメンバー主体の一番脂ののりきった時期であり、ヨーロッパツアー時のライブでサドメル時代のジョーヘンダーソンを聴く事が出来る。自らのオーケストラは満足に活動できなかったが、その無念を晴らすためにもオーケストラの楽しみをサドメルで十分に味わったのかもしれない。

70年代はビッグバンドどころか、メインストリームのジャズ自体も下火となり、ジョーヘンダーソンもニューヨークで第一線での活動を諦め、サンフランシスコに移り住むことになる。この時期は一流のプレーヤーでも仕事が無かった時代だったといわれている。

西海岸では、スタジオの仕事も多く、ブラッドスウェトアンドティアーズに加わった事もありジャズを離れたといわれているが、本人がいうには決してジャズの活動を止めていたという訳ではない。確かに70年代にもマイルストーンで何枚かアルバムを作り、他にもサイドメンとして加わったアルバムは何枚かある。しかし、その時代を象徴するように中途半端であり、60年代の活躍ぶりとは雲泥の差があった。

ヘンダーソンが第一線に復帰したのは1980年になってから、チックコリアがリターンツーフォーエバーを解散しアコースティックのプレーを再会した時に良く一緒にやっていた。コリアとは15年前ビッグバンドを一緒にやっていた旧友でもあったが、当時、2人のストレートアヘッドな演奏を聴いて何か安心した記憶がある。

1992年3月14日、やはり以前コンビを組んだフレディーハバードと一緒にニューヨークのAllice Tully Hallのステージに立った。その時バックを務めたビッグバンドのメンバーには30年前一緒に練習をした仲間達の顔もあった。せっかくまた集まったのだからということで何曲かレコーディングをすることになった。このアルバムの内の3曲はこの時の録音だ。Verveと契約をしたヘンダーソンは快調に新アルバムを作っていた。そこで、このビッグバンドが中途半端のままであったのが気に掛かったのだろう、4年後の1996年にまたレコーディングの機会が設けられ、このアルバムが出来上がった。

リハーサルを始めてからすでに30年の月日が経過していた。最初のリハーサルに参加していたペッパーアダムスはすでにこの世にはいなかった。レコーディングには一緒に参加していたジョーテンパリーもいたが、アダムスの後継者でもあるゲイリースマルヤンも参加している。他のメンバーを見渡してもVJOのメンバーが多く参加している。30年前はメンバーの中にサドメルのメンバーもいたが、サドメル同様メンバーも代替わりした事になる。
立ち上げ時のリハーサルに参加していたチックコリアも1996年のレコーディングには参加して素晴らしいソロを披露している。難産の末に生まれたレコーディングの機会は創立時のメンバーにとっては感慨一入であったと思う。

このジョーヘンダーソンのビッグバンドをライナーノーツでは「ビッグバンドのようでビッグバンドではない」と記してある。ジョーヘンダーソン自身もカルテットで演奏する時とビッグバンドで演奏する時に違いは無いという。

このアルバムも30年前のアレンジを何曲かは使っていると思われるが、30年間の時代の変化を感じさせないモダンなサウンドだ。66年当時サドメルのオーケストラが既存のビッグバンドとは違ったサウンドを聴かせてくれたが、同じ時期ジョーヘンダーソンも同じようにモダンなサウンドを聴かせてくれていたのだ。やはり、ケントンの流れを引き継ぎ、ビルホルマンに影響を受けていたというアレンジは当時も今も先進的である証左だ。

サドジョーンズのアレンジはソロを引き立たせると同時にアンサンブルワークも見どころが幾つもあるが、このジョーヘンダーソンのビッグバンドは自らのテナー、そして限られたソリストのプレーを引き立てるためのアレンジを重視している様に思う。これはヘンダーソン自らのアレンジに限らずこのビッグバンドの共通している点だ。それがビッグバンドでありながらビッグバンドではないという事かもしれない。

初演から30年経ってからこのオーケストラが陽の目を見たのも、晩年のVerveの演奏で再びヘンダーソンのプレーが見直され、プレーだけでなくアレンジやオーケストラの使い方が注目されたからであろう。晩年の活躍が無ければ、幻のビッグバンドになっていたかもしれない。
この録音を終えて、ジョーヘンダーソンは、「時代は変った」といってこのビッグバンドを続けることは無かった。今のミュージシャンはすぐに有名になることそして金儲けを優先する。こつこつと自分で練習を重ね、技を磨くことをやりたがらないからと。30年前の自分達の姿を思い浮かべたのだろう。



1. Without A Song    Vincent Youmans 5:24
2. Isotope         Joe Henderson 5:21
3. Inner Urge       Joe Henderson 9:01
4. Black Narcissus    Joe Henderson 6:53
5. A Shade Of Jade    Joe Henderson 8:23
6. Step Lightly      Joe Henderson 7:20
7. Serenity        Joe Henderson 5:52
8. Chelcea Bridge    Billy Strayhorn 4:30
9. Recordame       Joe Henderson 7:25

Joe Henderson (ts)
Recorded on March 16, 1992 Session(#1,5,8)
Lew Soloff (Tp), Marcus Belgrave (Tp), Virgil Jones (Tp), Idrees Sulieman (Tp), Jimmy Owens (Tp), Freddie Hubbard(Tp)
Robin Eubanks (Tb), Kiane Zawadi (Tb), Jimmy Knepper (Tb), Douglas Purviance (Btb)
Bob Porcelli (As), Pete Yellin (As), Rich Perry (Ts), Craig Handy (Ts), Joe Temperley (Bs)
Ronnie Mathews (P),
Christian McBride (B),
Joe Chambers (Ds)

Recorded on June 24-26, 1996. Session (#2,3,4,6,7,9)
Jon Faddis (Tp), , Nicholas Payton (Tp), Byron Stripling (Tp), Tony Kadleck (Tp), Michael Phillip Mossman (Tp), Ray Vega (Tp), Earl Gardner (Tp)
Canrad Herwig (Tb), Keith O'Quinn (Tb), Larry Ferrell (Tb), Dave Taylor (Btb)
Dick Oatts (Ss,As), Steve Wilson (As), Tim Ries (Ts), Charlie Pillow (Ts), Gary Smulyan (Bs)
Chick Corea (P)
Christian McBride (B)
,Al Foster(Ds), Lewis Nash (Ds)
Helio Alves(P)
Nilson Matta(B),
Paulo Braga(Ds)

Arranged by Bob Belden (#4,6)
Slide Hampton (#3,5,6,7)
Joe Henderson (#1,2,8)

Big Band
Joe Henderson
Polygram Records
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ウディーハーマンオーケストラの同窓生がハーマンの名曲を・・・・

2014-11-18 | MY FAVORITE ALBUM
The EX-Hermanites / Bill Harris & Terry Gibbs

秋は同窓会のシーズンだ。先日高校時代の運動部仲間の同窓会があったとおもったら、昨日は会社の先輩達と、そして今週末は小学校の久々の同窓会と続く。
楽しい事もあり、辛いこともある人生だが、いつの時代でも一緒に喜びや苦労を共有した仲間との再会は楽しいものだ。昔話に花が咲く、これも年寄りになった証かもしれない。

ビッグバンドの世界で長く続いたのは老舗のベイシー、エリントンだが、ウディーハーマンも負けてはいない。ハーマンがファーストハードを立ち上げたのは1943年、まだ太平洋戦争が行われていた時だった。そして、ハーマンが亡くなる1987年まで、何度か解散、再立ち上げを繰り返したが、ビッグバンドが無くなる事はなかった。

ビッグバンドにはリーダー以外にもメンバーの中に看板スターが必ずいるものだ。ベイシーのフレディーグリーンのように長く在籍するメンバーもいれば、その時代を代表するソリストが務める事もある。
ベイシー、エリントンはリーダーが歳を重ねるのに合わせて同じベテラン達が主要メンバーを占めていったが、ハーマンのオーケストラはスタンケントンと同様、新人主体のバンドとして続いていた。メンバーが育って卒業するとまた新たなスターの卵が加わった。結果、ハーマンのオーケストラの卒業生というのは非常に多い。若いプレーヤーにとっては一流になるための登竜門のようなものであった。

そのハーマンのオーケストラの中で、比較的長く在籍したメンバーがいる。トロンボーンのビルハリスである。30年代からプロとしてジーンクルーパーやベニーグッドマンのグループに加わって演奏をしていたが、ファーストハードの立上げの時からハーマンのオーケストラに参加し、あのフォーブラザースで有名なセカンドハードにも加わった。一旦JATPなどに加わった後、このアルバムが録音された50年代の後半にも再びハーマンのオーケストラに参加している。という点では、入れ替わりの激しかった初期のハーマンオーケストラを支えたキーパーソンであったという事になる。

エリントンやベイシーオーケストラにはそれぞれそのバンドを象徴するような名曲があり、エリントンナンバーやベイシーナンバーとして引き継がれている。
このハーマンオーケストラにもいつの時代にも十八番としている名曲がある。ハーマン自身のアップルハニーであり、レモンドロップ。フォーブラザースやアーリーオータムなども欠かせない曲だ。

このアルバムは、ビルハリスを中心としてハーマンオーケストラの卒業生達が、ハーマンの得意曲を演奏したアルバムだ。ただし、ビッグバンではなく、ビルハリスとテリーギブスのソロを中心としたコンボでの演奏だ。昔の同窓生が集まると昔話で花が咲くが、オーケストラの卒業生となるとまずは皆でやった懐かしい曲で盛り上がるということだろう。

アップテンポのアップルハニーで始まるが、テリーギブスのスインギーなヴァイブとハリスのトロンボーンのコンビネーションが良い感じだ。アーリーオータムやブルーフレームといったスローな曲ではギブスのヴァイブがメロディーラインを奏でハリスがバックを務める。
ハリスのトロンボーンはスイング時代の出身とはいえプレーはモダンだ。アービーグリーンのような甘さは多少控えめだが、ソロといいギブスのバックといいハリス節を存分に聴ける。
ハーマンでは有名なバップスキャットもレモンドロップで披露。ハーマンの曲そしてオーケストラの特徴を2人がリードしてうまく再現している。もっともバックの面々の同じ卒業生なので一体感が増すのは当然だ。



ハリスはこの後60年代に入るとフロリダに移って地元での活動が主体となる。この時、まだハーマンのオーケストラに加わる事があった。ハリスにとっては結果的にハーマンの卒業アルバムとなった。

そして、このアルバムは1957年ハリウッドに突然生まれたあのモードレーベルの最後のアルバムとなる。新人を大量に世に送り出したモードも結局このアルバムを最後に28枚で終わりになるが、最後は新人といっても、それなりに知名度もあったハリスとギブスのリーダーアルバムとなった。モードももう少し頑張って、新人紹介の次のステップとしてこのような企画のアルバムが続くと面白いアルバムが数多く生まれたようの思う。

1. Apple Honey                   Woody Herman 5:01
2. Everywhere                     Bill Harris 3:36
3. Your Father's Moustache       Bill Harris / Woody Herman 4:04
4. Laur           Johnny Mercer / David Raksin Bill Harris 3:43
5. Woodchopper's Ball          Joe Bishop / Woody Herman 2:53
6. Lemon Drop                  George Wallington 7:41
7. Early Autumn     Ralph Burns / Woody Herman / Johnny Mercer 3:41
8. Blue Flame   Joe Bishop / Leo Corday / James Noble / Jimmy Noble 8:51

Bill Harris (tb)
Terry Gibbs (vib)
Lou Levy (p)
Red Mitchell (b)
Stan Levey (ds)

Produced by Red Clyde
Engineer : Bones Howe
Recorded at Hollywood California September 1957

Ex-Hermanites
クリエーター情報なし
Vsop Records
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大編成物はバックの分厚いアンサンブルが魅力だが、人数が多ければいいという訳には・・・

2014-11-16 | MY FAVORITE ALBUM
Saxes Inc. / Coleman Hawkins・Zoot Sims・Phil Woods

今日は遠方で朝早いスタートということもあり朝4時起きのゴルフだった。真っ暗な中家を出た時の気温は6度。コースに近づくと外気温は0度。畑は霜で真っ白。11月もまだ半ばというのにすっかり冬景色。半袖からいきなり冬支度でスタートしたが、日が昇ると気温はどんどん上がってあっと言う間に暖かくなる。昼過ぎにはポカポカの気候、数時間で15度以上の気温の変化に体が付いていかない。スコアの方も、つまらないミスで大叩きが続いてあまりの乱打ちにペースがつかめない。仲間内のコンペの年間の勝者を決める最終戦であったが、よもやのブービーメーカー。締まらないラウンドであったが、来年に向けての糧にするため記録に残しておくことした。

さて、アルバム紹介の方はアンサンブル物を一枚。
同じ管楽器のアンサンブル物は、やはりビッグバンドの編成から影響を受けるのか、トロンボーンだとカルテット、サックスだと5本の編成が多い。アレンジャーにとって本数を増やしたらどうなるかという好奇心はあるとは思うが、余程何か意図を持たないとそれを実行することは無いだろう。

一方で、レコード会社やプロデューサーは何か思いつきや目先を変えるために、大人数の編成のアルバムを作ってみたいという誘惑にかられることはあるだろう。昔、100フィンガーズというタイトルでピアニストを10人集めた企画があった。ただ単に数が多ければいいだろうという企画はたいした結果が出ないのが常だが、聴き手にしてみれば出来はともかく果たしてどんな音が出るのか一度は聴いてみたいという興味が沸くのも事実だ。

このアルバムも、そもそもそんな企画だったのでは?アルバムジャケットを見ると、ホーキンス、シムス、それにウッズのサックスバトルのアルバムの様相でサックス好きの興味を惹くが、実はこのアルバムはサックスを12人集めたとんでもないアルバムだ。
無名プレーヤーばかりならまだしも、それなりに有名なプレーヤーが一同に会して演奏するとなるとメンバーのスケジュール調整だけでも大変だったと思う。

このような経緯で出来上がったアルバムだが、ソプラノサックスからバスサックスまで12名が勢揃いというのは圧巻だ。当時の有名グループ、テナーのアル&ズート、アルトのウッズ&クイルの両方が加わっているのも素晴らしい。それにコールマンホーキンズにジョージオールドの両ベテランも参加している。

この大所帯のアレンジを任されたのは、アレンジャーのボブプリンス。流石にメンバーを確定させるのも大変だったのだろう、プリンスはメンバーが決まってからアレンジを行ったそうだ。確かにジャズの場合、メンバーによって選曲やアレンジも異なってくる。このアルバムでもハーマンの名曲アーリーオータムやフォーブラザースが選ばれたのも、アルコーン、ズートシムスの参加があったからだろう。

流石に14人も集まると壮観だ。日によってメンバーの入れ替えはあるが参加メンバー全員がソロを披露するのも一苦労。一曲目のFugue for Tinhornsでは全員がソロを回すが、4小節ずつを順番に廻すという苦肉の策。他は曲毎にメインのソリストを決めてそれに合うバックのアンサンブルを付けるという構成だ。バックのアンサンブルが12人もいると、アレンジでも普段の5サックスとは違った仕掛けがいろいろできる。分厚いハーモニーだけでなく、各楽器の音色と音域を生かしたフレーズが随所に聴けるのだが。普通はサックスセクションとホーンセクションで分担するのを両方サックスでやっているようで不思議な感じだ。普段聴けないサウンドを楽しめるという点では企画賞ものだが。ソロはともかく、バックのアレンジに関して珍しさはあるがピンと来ない。自分はサックス好きなのだが。アンサンブルも人数が多ければいいというのものでは無さそうだ。



1. Fugue for Tinhorns     2:09
2. Broadway          3:36
3. The Gypsy          3:03
4. A Night in Tunisia       4:35
5. Four Brothers         4:20
6. Sometimes I'm Happy     2:56
7. Tickle Toe           2:25
8. Sweet and Lovely       3:28
9. Jumpin' with Symphony Sid  3:15
10. Early Autumn       3;25
11. Axmobile          2:11


Coleman Hawkins (ts)
Al Cohn (ts)
Zoot Sims (ts)
George Auld (ts)
Shekdon Powell (ts)
Morty Lewis (ts)
Herb Geller (as)
Phil Woods (as)
Gene Quill (as)
Hal Mckusick (ss)
Sol Schlinger (bs)
Gene Allen (bs)
Al Epstein (bs)
Shelly Cold (bass s)
Dick Katz (p)
George Duvivier (b)
Osie Johnson (ds)

Arranged & Conducted by Bob Prince
Recorded July and August 1959 in New York


サックシーズ・インク
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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テナーの魅力はアンサンブルやソロのバトルだけではない・・

2014-11-02 | MY FAVORITE ALBUM
Tenor Legacy / Benny Golson Tenor Summit

昔ジャズ喫茶通いをして、ラジオでジャズ番組を漁るように聴いていた時は、特に聴きたくないアルバムも自然と耳に入ってきた。スイングジャーナルを眺めながらどんなアルバムが出ているかも知ることができた。
少ない小遣いをやり繰りして買ったアルバムは自分として厳選したものだけ。それなりの思い出と思い入れがあったものばかりだ。有名アルバムもあるが、多くは拘りのマイナーな物が多かった。

社会人になり懐具合も良くなり自由にアルバムを買えるようになると、反対に調べもせず衝動買でアルバムを買う事も増えた。ネットが無い時代だったので、バーゲンでのジャケ買だ。その結果は、愛聴盤になったものもあるが、思惑が外れて一回聴いたきりのアルバムもある。最近棚卸をしている中で、それらの中に新たな発見をすることもあるので捨てないで良かったと思う事もある昨今である。

レコード棚を改めて眺めると別に好きで集めた訳ではないのだが、枚数が多いミュージシャンが何人かいる。結果的には好みのミュージシャンだということになるが、その中の一人にベニーゴルソンがいる。

サックスのプレーだけでなく、ゴルソンの曲が好だしアレンジ物にも興味があるので自然に増えたのかもしれない。そしてゴルソンというのは自らが主役になるより誰か主役の脇役に居ることが多いのに気が付いた。結果的にゴルソンが入っていたということが、枚数が増えたことになる。

ディジーガレスピーがオーケストラを解散させた時、一緒にプレーしていた18歳のリーモーガンをアートブレーキーに紹介したのはゴルソンであった。紹介するだけでなく、メッセンジャーズではモーガンと一緒にプレーし、自ら提供したブルースマーチやアロングケイムベティーといった曲もヒットさせた。ゴルソンの名曲アイリメンバークリフォードを最初に吹かせたのもリーモーガンであった。サイドワインダーをヒットさせる前、モーガンを一流に仕立てたのはゴルソンであったといってもいいだろう。
人と人との出会いを作り、自分もそれに参加し、皆で一緒にいいものを作る。チームプレーにおいて理想的なリーダーシップを発揮するミュージシャンだと思う。

ゴルソンが昨年来日した時に、ステージ上で昔話を延々語っていたが、穏和な語り口と遥か昔のクリフォードブラウンとの思い出話を昨日の事のように語る様はまさに、生きている「伝説の人」であった。

このゴルソンが音頭取りをしたテナーバトルのアルバムがある。

アルバムのタイトルが「テナー伝説」。
4人のテナー奏者が集まって、伝説のテナープレーヤーに捧げたアルバムだがメンバーの人選が実にユニークだ。同年代の有名プレーヤーを集めるような企画はすぐにでも思いつくが、実際に集まった4人はユニークな組み合わせとなった。

ベテラン代表でエリントンオーケストラ出身のハロルドアシュビー、これも渋い人選だ。
若手、中堅代表がブランフォードマルサリスとジエイムスカーター。カーターはまだ30歳になったばかり、デビュー間もない頃であった。96年の録音だが、この時ゴルソンはすでに67歳。親子どころか孫に近い世代のとの共演であった。

先日のアーニーワッツのアルバムが徹底的にバトル物であったのに対して、ここでは曲毎に適材適所。基本的にゴルソンは全曲に登場するホスト役だが、一人で吹ききっている曲もあれば、相手を変えながら2人、3人で吹き分けている曲もある。プレーヤー間でのバトルではなく、どの曲も現役が束になって過去の巨匠の名演に対してバトルを挑んでいるという構成だ。

曲はテナーの巨匠達の名演で有名な曲が続く。レスターリープスインがレスターヤング、ボディアンドソウルがホーキンス、セントトーマスがロリンズ、ゲッツの持ち曲はイマネマと新旧取り混ぜての名曲集だ。
ゴルソン自らに捧げたウィスパーノッツもある。ここでは、ジェイムスカーターとの共演だが、カーターにメロディーラインを任せて自らは引き立て役になっている。



ライナーノーツにゴルソン自身のコメントが載っている。
「昔は、ベテランが若手にレコーディングのチャンスを与えた。今の時代は若手が自らその機会を掴みとる時代になった。しかし、ベテラン達が若手の刺激を受けプレーをするのは自分達にとっても嬉しいものだ。」

長老になっても奢ることなく、若手を思いやっている気持ちが良く出ている。それに応えて若手も長老を敬いつつ、迎合することなく自分達を自己主張している。もちろん演奏自体も若手が入った事によって、単に懐メロセッションにならずに緊張感が生まれている良いセッションだと思う。

今の時代、日本の社会においても必要な事はこのような事だと思う。歳をとってもゴルソンのような心遣いと、気働きができるようになりたいものだ。

1. Lester Leaps In  (for Lester Young)
2. Body And Soul  (for Coleman Hawkins)
3. St. Thomas  (for Sonny Rollins)
4. Cry Me A River  (for Dexter Gordon)
5. My Favorite Things  (for John Coltrane)
6. Whisper Not  (for Benny Golson)
7. The Girl From Ipanema  (for Stan Getz)
8. My Old Flame  (for Zoot Sims)
9. Lover Come Back To Me  (for Ben Webster)
10. In Memory Of  (for Don Byas)

Benny Golson (ts)
Branford Marsalis (ts)
James Carter (ts)
Harold Ashby (ts)
Geoffrey Keezer (p)
Dwayne Burno (b)
Joe Farnsworth (ds)

All arranged by Benny Golson
Produced by Makoto Kimata
Recording Engineer : Katsu Naito
Recorded at Sound on Sound in New York City, on January 29 & 30, 1996, New York.


テナー伝説~テナー・ジャイアンツに捧ぐ
Benny Golson
ビデオアーツ・ミュージック
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想定外の大ヒットはその後の人生の進路を狂わせることも・・・

2014-11-01 | MY FAVORITE ALBUM
The Sidewinder / Lee Morgan

リーモーガンのサイドワインダーの話が出たので、久々にこのアルバムをじっくり味わう事にした。この手の超有名アルバムは何かきっかけがないと、聴き返すことも少なくなりがちなので。

この”Sidewinder”は、昔のジャズファンなら知らない人はいないと思う。好き嫌いは別にして、耳にタコができるくらい聴いた事があるアルバムの一枚だろう。
しかし、アメリカでの人気はそれを上回る想像を絶するものであり、この大ヒットが一人のその後の人生を大きく狂わせる結果になってしまった。この辺りの経緯は、リチャードクックの書いたブルーノートレコードを始めとして多くの記事に書かれているが、改めてリマインドしておくことにしよう。

63年の12月に録音されたこのアルバム、翌64年になるとじわじわ人気が出始め、ビルボードのアルバムの25位にまでランキングされるまでに。もちろんこれはジャズ以外のジャンルを含めてなので、ジャズアルバムとしては空前のヒットとなった。
タイトル曲のサイドワインダーは、シングルカットされ(といっても10分の長尺なので、A面とB面に分かれて)、全米中のジュークボックスに入れられ、それまでのジャズファン以外にも知れ渡り人気に拍車をかけた。

ヒット曲を出し続けているレーベルであればこれは万々歳の出来事で対処の仕方もわきまえていたのだが、何せこのアルバムを出したのはマニアックな拘りのジャズアルバムだけを出していたブルーノートなので大混乱を招くことになった。

当時ブルーノートは普通のアルバムの初版は大体4~5000枚。販売ルートも大体決まっていて、街の小さな普通のレコード店には行き渡る事はなかったという。売れるかどうか分からないアルバムも多く、返品を受け付けていたので、実売数は発売後しばらくしないと分からないという状況での運営状態であった。その売上から次の作品を作るというのが創設以来のビジネスパターンであり、日々のルーティンワークであったのだが。

他の業種でも、個人の店で昔ながらの商品を固定客相手に細々と営業していたのが、何かの拍子でブレークすると商売そのものが大きく影響を受けることはよくある。人気に乗じて多店舗展開をして成功することもあれば失敗することも。あるいは伝統の商品以外に新商品を出してさらにブレークすることもあれば、反対に伝統の味を失い失敗することも。
大体は、伝統を守ってきたオーナーの目の届く範囲でやれば上手くいくことが多いが、それを超えると、そもそもの人気を支えた「その店の伝統」はどこかに消え去ってしまうものだ。

ブルーノートのオーナー、アルフレッドライオンがまず直面したのはアルバムの増産。これは再プレスすれば対応可能であったが、次は販売ルート。ヒットが先行したので今まで扱いの無かったレコード店からどんどんオーダーが来るのでそれは幸いしたが、一つ目算が狂ったのはそれらの店から入金が無かったこと。当時の商習慣としてこのような店は次に売るアルバムができた時に、前のアルバムの代金支払いを行うというルールだったそうだ。
当然のように、版元のブルーノートは資金繰りに行き詰る。さらにはサイドワインダーに続く売れるアルバムを作らなければならないという2重のプレッシャーをライオンが背負う事になる。

アルバム作りは、日々行われているレコーディングで対応すれば良かったが、資金繰りだけは如何ともし難い。しかし、サイドワインダーのヒットに続く大ヒットというとホレスシルバーのソングフォーマイファーザーであり約1年後であった。
メジャーのリバティーレコードへのブルーノートの売却という結末への第一歩はこの資金援助から始まった。最初は資金的な援助だけが目的で、アルバム制作はそれまで通りライオンの自由に任されていたようだ。

ヒット作のサイドワインダーとソングフォーマイファーザーには共通点がある。従来のフォービートとは異なったリズム感だ。ハービーハンコックのウォーターメロンマンやラムゼイルイスのジインクラウドにも通じる、どこまでも続くような特徴ある繰り返しのリズムパターンが受入れられたのだろう。

ライオンは、このような曲を意識しつつも、セシルテイラーやオーネットコールマンのアルバムも作り続けた。ところが、もうひとつライオンは大きな重荷を背負う事になる。
大手企業の傘下に入ったことによる社内手続きの煩雑さだ。それまでは自分の思うように何でも決められたのに、よくいわれる「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」、そして社内の決裁手続きを求められたことだ。そして、売るためには広告もしなければならない。今までやったことのなかったラジオCMも作らされたという。
そして、1年後の1967年にこのプレッシャーに耐えられずブルーノートを去り完全引退することになる。
リバティーへの売却金額は後にボブワインストックがプレスティッジをファンタジーに売却した100万ドル以上に較べると非常に少額であったといわれている。結果的にリバティーは目先の資金援助を餌に、アルフレッドライオンが残した膨大な過去のコンテンツを安価に手に入れた訳だ。既存のアルバムに加え、後にカスクーナが発掘した未発表曲や、海外への販売権、長年かけて築かれたブランド価値を掛け合わせると、現在との貨幣価値の違いを考慮してもとんでもなく安い買い物をしたことになる。

このサイドワインダーのアルバムを再度聴き直すと、このサイドワインダーだけが異色だ。
リーモーガンがしばらく一線を離れフィラデルフィアに戻っていた後の復帰作、すべてモーガンのオリジナル曲、そしてメンバーも一新しジョーヘンダーソンとの初顔合わせと聴き所が多いアルバムだ。他の曲もブルース調が多いがジャズロック風のリズムを採り入れている訳でもない。なのに、何故サイドワインダーだけがヒットしてしまったのか。

きっと時代が求めていた曲であり偶然ではなく必然であったと思う。しかし、結果的に大プロデューサーが引退しなければならない引導を渡してしまったので、罪作りなヒット曲であったともいえる。
そしてリーモーガンもこれを機に再びスターの座を奪還するが、若くしてこの世を去ることになる。
日々順風満帆に思えても、人生明日は何が起こるか分からない、否分からないのが人生というものだろう。


1. The Sidewinder    10:21
2. Totem Pole      10:11
3. Gary's Notebook    6:10
4. Boy, What a Night   7:34
5. Hocus Pocus      6:25

Lee Morgan (tp)
Joe Henderson (ts)
Barry Harris (p)
Bob Cranshaw (b)
Billy Higgins (ds)

Produced by Alfred Lion
Rudy Van Gelder : Engineer
Recorde at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 21, 1963


ザ・サイドワインダー
リー・モーガン,ジョー・ヘンダーソン,バリー・ハリス,ボブ・クランショウ,ビリー・ヒギンズ
ユニバーサル ミュージック
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ピアノトリオだけのバックだが、父親譲りの才能と技を思う存分発揮して・・・

2014-10-29 | MY FAVORITE ALBUM

Me and My Shadow / Michele Hendricks


先日カウントベイシー、5月にはディーディーブリッジウォーターのライブを聴いたが、それぞれ久々に充実したライブを堪能した。
今年のクリスマスには今度は2人の共演ライブが聴けそうだ。その前に、ボブミンツァーのビッグバンドとニューヨークボイセズの共演も予定されている。大物同士の共演もまた楽しいステージであり、年末向けてライブ通いの予定が増えそうだ。

ビッグバンドと歌手の関係というと昔は専属歌手。ビッグバンドに帯同して歌手もメンバーの一人としてツアーにも参加していた。スイングバンド時代の専属歌手というのは自分の出番の無い曲でもバンドの前に座って演奏を聴いていたのが普通であったようだ。それ故、ビッグバンドの専属歌手になると自然とスイング感が身に付いてきたと話を聴いた事があるが、果たして真意の程は・・・?

一度はお蔵入りしていたレコードを再び聴くようになったのは今から8年前、このブログを始めたきっかけにもなった。実はまだ自宅にはお蔵入りしている物がある。VTRのテープにレザーディスク、カセットテープ、それにオープンリールのテープもある。
VTRはVHSの前はβ派だったのでこれらテープもあるが、デッキが壊れて完全にお蔵入りしていた。先日ベータのデッキを入手したので、久々にベータのテープをかけてみた。大部分がテレビのエアチェックだが、昔はジャズの番組が沢山あったのを改めて思い出した。

テープをちゃんと保管していなかったせいかノイズの目立つ物もあったが何とか再生することはできた。その中にベニーカーターのビッグバンドのコンサートのライブの映像があった。Mt. FUJIなどのフェスティバル物はドキュメンタリー風であまりじっくり聴ける映像は少ないが、このベニーカーターのオーケストラのライブはコンサートホールでの演奏という事もありたっぷり聴けた。
その中でゲストのボーカルが登場したが、それが何とミシェルヘンドリックスであった。
カーターと来日したこともすっかり忘れていたが、堂々とした歌いっぷりに改めて感心した次第。

とりあえずアップしておきました。



ミシェル・ヘンドリックスと言えば、父親のジョンヘンドリックスと一緒のコーラス物が有名だが、ソロアルバムも何枚かある。その一枚がこのアルバムだが、コーラス経験豊富な安定感に加え、ボーカリーズで鍛えられたスキャットの卓越さはソロになっても抜群である。
メロディーを歌い終えると自然とスキャットに入る流れは、とってつけたようなスキャットとは異なり実に自然である。
彼女はビッグバンド専属歌手ではなかったが、何といってもビッグバンドの演奏をコーラスに仕立て上げた父親譲りのスイング感が身に付いている。というよりは子供が上手く育つかどうかは、親の影響と家庭環境と良く言われるが彼女はまさにその象徴のような気がする。

このアルバムの一曲目はお馴染みのSummer Timeで始まる。いつものバラードと異なりいきなりアップテンポのサマータイプにびっくりさせられる。ライナーノーツの書き出しに、彼女の特徴は昔から歌われているスタンダードをよく歌うが、「いつも他の歌手とどう違えて歌うかを考えている」とある。結果的に、スタンダード曲でも彼女のスタイルになってしまうということだろう。

それに加えこのアルバムのもう一つの目玉は、当時いつもバックを務めているデヴィットレオンハートに替わって、曲よってバックのピアノにジェイムスウイリアムが参加している点だ。
ボーカルが軟弱だとバックのピアノに迫力があってもアンバランスになるが、ボーカルもこのヘンドリックスのようなテクニシャンになると、ピアノも曲に合わせて様々な技を披露できる。ウィリアムスがボーカルのバックを務めたアルバムというのはあまり知らないが、このアルバムでの組み合わせには合点が行く。ボーカルのバックのピアノというとどうしても軽快なピアノを思い浮かべてしまうが、実力者同士の真剣勝負は2人の間にまた別の気迫を生むものだ。

かと思うと、ピアノレスでベースだけをバックにしたI've Got the World on a Stringがあり、彼女の自作のNa na naは軽快なカリプソ風のリズムに乗った曲だが、バックコーラスをスタジオの皆が参加する楽しい曲。この曲のアイディアは日本のツアーの最中に思いつき思わず手元のチケットにメモをしたそうだ。

ボーカルアルバムだとなかにはCD一枚を通して聴くと飽きがくるものがあるが、このヘンドリックスとかブリッジウォーターは不思議と次々に取り込まれてしまう。
ビデオを整理したお蔭でまたしばらく聴かなかったアルバムをたっぷり聴けた。棚卸をやることが益々増えそうだ。

1. Summertime     George Gershwin / Ira Gershwin / DuBose Heyward
2. But Beautiful            Johnny Burke / James Van Heusen
3. Misty                  Johnny Burke / Erroll Garner
4. Almost Like Being in Love       Alan Jay Lerner / Frederick Loewe
5. Funny Walk                    David Leonhart 
6. Na Na Na                     Michele Hendricks
7. Always                        David Leonhart 
8. May I Come In?                 Marvin Fisher / Jack Segal
9. Me and My Shadow            Dave Dreyer / Al Jolson / Billy Rose
10. Never Never Land              Betty Comden / Jule Styne
11. I've Got the World on a String          Harold Arlen / Ted Koehler
12. Spirit Song                    D. Pullen

Michele Hendricks (vol)
David Leonhardt (p)
James Williams (p)
Ray Drummond (b)
Marvin “Smitty” Smith (ds)

Produced by Don Sickier
Recorded at A&R Studio NYC on February 12, 1990
Engineer : James Anderson




Me & My Shadow
Michele Hendricks
Muse Records
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アンサンブルもいいが、テナーサックスはやはりバトルが本命・・・

2014-10-26 | MY FAVORITE ALBUM
The Tenor Trio / Ernie Watts, Pete Christlieb, Rickey Woodard

デイブペルが率いたPrez Conferenceのテナーアンサンブルも良かったが、テナーのアンサンブルといえばハーマンのフォーブラザースが有名。アンアンブルもソロも楽しめるサックスセクションのショーケースのひとつだ。

しかし、テナーといえばアンサンブルよりも昔から2人でバトルを交わすアル&ズート、アモンズ&スティットを始めとして、マニアックな物まで名演が多く残されている。ベイシーオーケストラを始めとするビッグバンドでもテナーバトルをフィーチャーするレパートリーは必ずといっていい位プログラムに組み込まれるものだ。

自分が好きなテナーバトルのアルバムにVery Saxyというアルバムがあるが、これはノリの良いエディーロックジョーデイビスを始めとして、バディーテイト、コールマンホーキンス、アーネットコブという往年のテナーの名手の好演がオルガンをバックに聴ける。このオルガンとテナーというのも相性がいい。
バトルが嵩じると最後は絶叫型のフリーキーなプレーになることもあるが、これはライブのステージでは視覚的には効果がある。一方で、レコーディングでは各人が余裕を持って自分のスタイルで淡々とこなすグループ効果を楽しむのもいいものだ。
そのようなテナーバトルでは、このアルバムも好きな一枚だ。

このアルバムの特徴は、まずはメンバーが西海岸のプレーヤーという事。アーニーワッツ、ピートクリストリーブ、そしてリッキーウッダードと普段はビッグバンドやスタジオの仕事が多かった面々。クリストリーブとワッツはどちらもドックセベリンセンのメンバーだった。ワッツは更に遡れば60年代後半はバディーリッチのオーケストラのメンバーだった。ウッダードはレイチャールスのビッグバンド出身、ピアースとキャップのジャガーノーツのメンバーでもあった。
もちろん3人とも地元ではソロ活動はやっていて、自分のアルバムも出しているが、スタジオワークの多いミュージシャンが3人揃ってジャムセッションで大ブローという演奏はなかなか聴けないものだ。

このアルバムは、3人が思う存分大ブローするという基本コンセプトでバラードプレーは一曲も無く、すべてミディアムテンポ以上で、これも珍しい。大体はバラードが数曲入るのだが。
曲は昔テナーの名手が手掛けた曲ばかり。一曲目のブルースアップアンドダウンで、いきなりスティットとアモンズのバトルにチャレンジだ。ホレスシルバーのストローリンはジュニアクックのプレーが思い浮かぶ。ニールヘフティーの曲でベイシーのオーケストラの演奏で有名なリトルポニーをやっているのも嬉しい。

という具合に単なるジャムセッションではなく、過去の名演、そして名プレーヤーにトリビュートという構成になっている。3人のソロはどの曲でも登場するが、各曲のテーマのアンサンブルでのリード役は3人が交代で担当している。それぞれの想いがアレンジに込められているのだろう。
ウェストコーストのミュージシャンの大ブローセッションというのはなかなか聴く機会がないが、このアルバムは存分に聴けるだけで大満足。最後のリトルポニーが終わった後に、3人の歓声が一緒に収められているが、彼等も録音を終えて、「やったー」という感じであったのだろう。

録音スタジオではよく仕切りが作られ他のプレーヤーの音をヘッドフォンだけを頼りに行われことが多い。しかし、このような演奏は3人の呼吸が合う事が大事だが、ジャケットに録音の際も3人が並んで演奏している写真が。この録音のセッティングもこのアルバムでの3人の一体感が生まれた原因の一つのように思う。



1. Blues Up and Down        Gene Ammons / Sonny Stitt 4:06
2. Strollin'                  Horace Silver 7:21
3 Groovin' High  R. Coburn / D. Gillespie / C. Parker / V. Rose / J. Schonenburger 5:39
4. Love for Sale                Cole Porter 6:27
5. St. Thomas                 Sonny Rollins 4:01
6. Fried               Bananas Dexter Gordon 5:39
7. Here's to Alvy                Johnny Mandel 5:46
8. Holy Land                   Cedar Walton 6:05
9. Moten Swing           Bennie Moten / Buster Moten 5:50
10. Eternal Triangle                Sonny Stitt 5:15
11. Little Pony                   Neal Hefti 5:29

Ernie Watts (ts)
Pete Christlieb (ts)
Rickey Woodard (ts)
Gerry Wiggins (p)
Chuck Berghofer (b)
Frank Capp (ds)

Produced by Larry Hathaway
Recording Engineer : Jim Mooney
Recorded at Sage and Sound, Hollywood, March 4, 5, & 6 1997
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サックスアンサンブルといえばSupersaxだが、このPrez Conferenceも忘れるわけには・・・

2014-10-23 | MY FAVORITE ALBUM
Dave Pell’s Prez Conference Featuring Harry ‘Sweet” Edison

自分はビッグバンドが好きなせいもあり、大編成のアンサンブル物も嫌いではない。
前回紹介したアルバムもそうであったが、トロンボーンアンサンブルというものは何故が心地よく聴けるので好きだ。しかし楽器としては、自分はサックス好きなので、ビッグバンドでサックスのソリがきまった演奏にはゾクゾクする快感を覚える。
ところがサックスアンサンブルのグループというとトロンボーンに比較すると数は少ないようだ。その中で、有名なのは何といってもSupersaxであろう。

このスーパーサックスはパーカーのアドリブソロをコピーしてアンサンブル仕立てしたので有名であった。過去の名演というものをコピーするのはボーカリーズではよくやるが、アンサンブルでやるというのは妙案であったように思う。というのも、楽器のプレーヤーは練習ではよくコピーをやっても、いざ実際の演奏でやるというのは気が引けるだろう。
パーカーのアドリブはそれ自体が新たな曲の様でもあり、ファンとしては「そっくりさん」の同じようなプレーを聴いてみたいという気持ちはあるのだが。

アレンジされたアンサンブルを売りにしていたグループの一つにデイブペルのグループがある。西海岸のプレーヤーはビッグバンド出身が多いが、このペルはレスブラウンに長く在籍していたようだ。
西海岸を拠点にしてからは、ロスで50年代から60年代にかけてレコーディング中心にプロデュース業にも重きをおいて活躍していた。ペッパーアダムスもロスに居た時に参加していたことがある。
基本はオクテット編成が多いが、レコーディングではビッグバンドまで色々な編成のものがある。ハードバップ系のファンが多い日本ではあまり人気があるグループとはいえないが、結構な数のアルバムがあるということはアメリカではそこそこ人気があったグループだったようだ

そのデイブペルが、70年代のメインストリームジャズの復活のタイミングに合わせるように、Prez Conferenceというサックスアンサンブルのグループを作った。
そしてこのアルバムを出したレーベルはGNP/Crescendo。ビバップ創世記にジーンノーマンによってつくられたレーベルが生き残っていたというのも何かの縁であったのかもしれない。このGNPというレーベルは、多くのレーベルが離合集散を繰り返して大手の傘下に入ってしまったのに、今でも独立系でまだ残っているようだ。70年代のスタンケントンのアルバムがあったり、ジャズ以外も多く出しているようだが、この脈絡のなさと長生きの秘訣にも興味が湧く。

デイブペルの普段のオクテットはトランペット、トロンボーンに自らのテナーと、後はバリトンサックスを加えた編成であったが、このプレズカンファレンスは、テナー3本にバリトンというサックスアンサンブル中心にトランペットが一本加わるという編成。このグループの特徴は何と言っても、スーパーサックスがパーカーのコピーであったのに対抗して、レスターヤングのテナーをコピーして、テナー中心のサックスアンサンブルにしたことだ。

パーカー同様、レスターヤングも良く謳うアドリブを楽しませてくれるが、このレスターヤングに関して、このアルバムの解説を書いているレスターファンの評論家の油井正一氏が実にいい表現をしているので紹介しておく。

「僕はずっと昔からパーカーよりもレスターの方が偉いと思っていた。何故ならばパーカーにはレスターという先人がいたが、レスターには前が無かった。ジャズ史を通じてレスターの出現は革命的であり、フレージング革命であった。それまでのジャズフレージングは、つながる所は繋がり、切れるべき所は切れるという、きわめて常識的、論理的なフレージングであったが、レスターのフレージングは、その反対に切れるべき所で繋がり、つながるべきところでプツンと切れた、当時としては想像を絶する非論理的な前衛表現であった」と記している。
今では常識であることであっても、初めて世に出す人はやはり偉いということだろう。その油井氏が、スーパーサックスが世に出た時に、是非レスターヤングのアンサンブルもと願っていたものを、このデイブペルが実現したということになる。

このアルバムの演奏の元になったのは、レスターが30年代、そして40年代ベイシーと一緒にやったプレーをアンサンブルにしたものが大部分だ。同じ曲でも違った時期の演奏を繋げたものもある。その辺りはアレンジを行ったビルホルマンの手腕であろう。
それらのオリジナルをすべて聴いたわけではないので、これらの演奏を聴くとオリジナルも是非聴いてみたくなる。
油井氏がべた惚れであったオリジナルのフレージングは、やはり一度は味わってみないことには・・・。



1. I Never Knew 4:47
2. Sometimes I'm Happy 4:21
3. Lester Leaps In 3:29
4. Jumping With Symphony Sid 3:42
5. Jumpin' At The Woodside 4:07
6. One O'Clock Jump 2:26
7. Just You, Just Me 4:20
8. Lester Leaps Again 4:39
9. Taxi War Dance 4:02
10. Jump Lester Jump 3:29

Dave Pell's Prez Conference

Harry Edison (tp)
Bob Cooper, Dave Pell, Gordon Brisker (ts)
Bill Hood (bs)
Arnold Ross (p)
Frank De La Rosa (b)
Al Hendrickson (g)
Bill Bradley (ds)

Arranged by Bill Holman
Produced by Dave Pell
Recorded at Annex Studio, Hollywood, California
on August 8,11,14, 1978



Prez & Joe
Dave Pell
Gnp Crescendo
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スイング時代の名曲はトロンボーンアンサンブルが良く似合う・・・

2014-10-21 | MY FAVORITE ALBUM
Playing For You / Blue Trombones

最近レコード棚を細かくチェックすることはあまりないが、たまにレコード探しをすると改めて一枚一枚念入りに確認することも。最近も、ペッパーアダムスのリーダーアルバムが一枚行方不明になって捜索中だが、その時一枚のアルバムに引っ掛かった。
レコードは大体ジャケットのデザインで認識しているが、このアルバムはすっかり内容を思い違いしていた。久々に手にして、じっくり見渡したが全く記憶に無いアルバムであった。

中身はトロンボーンアンサンブルで、スイング時代の名曲を演奏したもの。

スイング自体の名曲の多くはビッグバンドから生まれた。当然、それらを再演するにはビッグバンド編成が普通であるが、ボーカルからコンボまで色々なバリエーションで昔懐かしいメロディーが数多く再演されている。このアルバムも改めて聴き直したが、トロンボーンの甘いアンサンブルはスイングの名曲には良く似合う。

最近でも他の楽器のアンサンブルに較べるとトロンボーンアンサンブルのグループは多いが、このようにスイングの名曲に真正面に取り組んでいるグループはあまり無い様な気がする。

リーダーは岩崎敏信、このアルバムが録音された当時1983年は34歳、色々なビッグバンドで活躍していたが、他のメンバーも大体同世代。若手中心のメンバーでスイングの名曲へのチャレンジだ。

オリジナルのメロディーを生かしつつ、トロンボーンの色々な音色を生かしたアレンジも絶妙である。枯葉のリズムレスのアカペラも良い感じであるが、バストロンボーンをショーケスにしたスターダストもユニークだ。オープニングと最後の曲をグレンミラーの曲にしているのもこのグループの立ち位置を明確にしている。

というのも、もうひとつこのグループの特徴である2人のアメリカのプレーヤー、トロンボーンのダニエルライリーとベースのサッカリーピーターソンによるところが大きかったと思う。どちらもグレンミラーのオーケストラの一員として来日して、日本人の女性と結婚して日本を活動の拠点にしたという経緯での参加だ。このグループのスイング系の曲への拘りというのも2人の参加が影響しているように思う。

このグループは、レコーディングのために編成されたのではなく、ライブハウスでの演奏が先に話題になったという。当時はフュージョン系の演奏が話題の中心になることが多かったが、このようなスタイルの演奏も根強いファンがいたし、それに応える若手もいたということになる。評論家の重鎮であった野口久光氏の尽力でこのアルバムが生まれたそうだ。

ちょうど、当時コンコルドのアルバムを好んで聴いていた自分も、ライブは聴いた事は無かったが気に掛かって購入した一枚だったと思う。ハリージェイムスのアルバムのスイングナンバーアルバムを聴いた事もあり、久々に針を通したアルバムだ。

1. Serenade in Blue / A String of Pearls
2. I’m Getting’ Sentimental Over You
3. I Only Have Eyes for You
4. As Time Goes By
5. Autumn Leaves
6. Star Dust
7. Begin the Beguine
8. Tommy Dorsey Medley
    On the Sunny Side of the Street
    Song of India
    Marie
    Who?
    Opus One
9. To Each His Own
10. Let’s Dance
11. Stars Fell on Alabama
12. Don’t Sit Under the Apple Tree
13. Moonlight Serenade / I Know Why

Blue Trombones

岩崎 敏信 (tb)
池田 幸太郎 (tb)
Daniel Riley  (tb)
川島 茂 (btb)
芦田 ヤスシ (ts)
岡村 誠司 (g)
小林 洋 (p)
Zackery Peterson (b)
屋代 邦義 (ds)

Supervised By Hisamitsu Noguchi
Produced by Makoto Kimata
Recording Engineer : Yoshiaki Ushizawa
Recorded at Onkio Haus, Tokyo on July 12 1983
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ベイシー仕込みのスイングをマイアミのジャズファンに・・・・

2014-10-07 | MY FAVORITE ALBUM
Al Grey Jazz All Stars At Travellers Lounge Live

70年代になってジャズロックやフュージョンが流行る一方で、スイングするメインストリームジャズも復活し始めた。この復活劇は何もニューヨークやロスだけとは限らなかった。地方の方に保守的なファンが多くいたのかもしれない、ローカルの都市がその復活の場となる事も多かった。Concordもその一翼を担ったが、本拠地であったコンコルドはサンフランシスコ郊外の小さなベッドタウンだった。初期の録音の多くは地元サンフランシスコで行われ、常に時代の先端を走るニューヨークやロスではなかった。

アメリカ有数のリゾート地マイアミ。ここでもスイングする本流のジャズを聴かせるクラブはいつの間にかなくなりつつあった。そんな時、'75年に一軒のジャズクラブが生まれた。地元のミュージシャンだけでなく、マイアミを訪れる有名プレーヤーの活動拠点となった。マイアミでは7日間毎日ジャズをやる唯一のクラブとして当時は賑わっていたようである。

そして、ライブハウスだけでなく、そこでの演奏をレコードにするためのレーベルも生まれた。コンコルドがジャズフェスティバルをやるだけでなくそのライブの演奏を収めたレコードを世に出すために新レーベルを立ち上げたのと同様に。古くはバードランドの経営者モーリスレビィーがルーレットレーベルを立ち上げたのをここのオーナーも夢見たのかもしれないが。

このアルバムの主役はベイシーオーケストラを辞めたばかりのアルグレイとジミーフォレストそしてピートミンガーが加わったグループ。ピアノにはオルガンで成らしたシャーリースコットが本来のピアノに戻って加わり、ベースにも直前までベイシーにいたジョンデューク、ドラムにはオスカーピーターソントリオにいたボビーダーハム。メンバーを見ただけで、スイング感溢れる演奏が思い浮かぶ。

ベイシーとアルグレイの付き合いは長い。あの1957年のニューポートに出演したガレスピーのビッグバンドにも参加していた。ガレスピーのオーケストラが解散すると、丁度ベイシーのオーケストラがヨーロッパツアーに向けてトロンボーンを探していたのにタイミングよく採用されベイシーに加わることに。そして、アトミックベイシーと言われたベイシーの黄金期のメンバーとして活躍することができた。その後何度か出入りがあったが71年~77年にも再び長期に在籍した。丁度ブッチーマイルスが加わってパブロにアルバムを多く残した晩年の黄金期だ。ベイシーオーケストラでアルグレイのあのプランジャーミュートのプレーは無くてはならない存在であった。

ケントンやハーマンオーケストラはある種の新人養成所、ここを鍛錬の場として育っていったプレーヤーは多い。一方でベイシーやエリントンは新人が次から次へと入れ替わることはない、それなりの経験を持ったプレーヤーが徹底的にベイシーサウンドやエリントンサウンドを鍛えられる。このアルグレイもベイシー直々に色々指示を受けたそうだ。オーケストラ全体の演奏だけでなくトロンボーンのプレーについても。知らず知らずにベイシーサウンドが身に付くということだろう。

そのようにベイシーサウンドで鍛えられたメンバーがコンボでやってもスイング感の基本は変わらないが、ベイシーオーケストラを辞めた直後で、ライブという事もあり皆のびのびとプレーしている。デュークの余計な事をせずに確実に4ビートを刻むベースもかえって新鮮だ。
ドラムのボビーダーハムの切れの良いドラムも光るが、ボーカルも得意とは知らなかった。グラディーテイトには及ばないが、スキャットを含めてライブでの余興の域は超えている。バックでグレイが語り掛けるようなプランジャーミートで本領発揮だ。

マイアミのジャズを支えたこのクラブもその後は話題になる事は無かったような。レーベルもその後どうなったかは分からない。
志は高くとも、それを実現するためにビジネスも思い通り成功するのは難しいものだ。

1. Travellers Lounge               Grey^Zeit 7:23
2. When I Fall In Love          V.Young / E.Hyman 6:37
3. Blue And Sentimental         Count Basie   3:48
4. Blues Everywhere             Shirley Scott 8:16
5. Oasis                    Shirley Scott 9:49

Al Grey (tb)
Jimmy Forrest (ts)
Pete Minger (tp,flh)
Shirley Scott (p)
John Duke (b)
Bobby Durham (ds,vol)

Produced by Max Wagner & Dean Goodman
Recorded live at The Traveler’s Lounge, Miami’s home of Jazz, March 13, 1977
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