Fuego / Donald Byrd
ペッパーアダムス関連のアルバムが続くが、話の流れからもう一枚。
ドナルドバードのこのアルバム、昔ジャズ喫茶通いをしていた世代にとってはお馴染みのアルバム。ファンキーな雰囲気を味わうには欠かせないアルバムの一枚だ。
改めてブルーノート時代のドナルドバードのアルバムを追ってみると、それはペッパーアダムスとの双頭コンビの誕生と軌を一にしてスタートした。前作の”Byrd in Hand”に続く3作目になる。しかし、このアルバムには何故かアダムスの名前は無い。
前作を聴き直して、ブルーノートのアルバムとバード&アダムスクインテットの演奏は少し違うのかもしれないと思ったが、このアルバムを聴くとその謎にまたひとつの事実が加わる。
ベニーグッドマンのオーケストラに加わって地方巡業をしていたアダムスがニューヨークに戻ったのは5月14日。28日には久々にバードとのコンビでナイトクルーズのセッションに参加する。その流れで、5月31日に”Byrd in Hand”が録音された。
その後、アダムスは引越しをしたり、陸軍の予備役の除隊手続きをしたりプライベートの用事を片付けて、6月21-22日には前回紹介したチェットベイカーのアルバム作りに参加する。
そして7月末から8月にかけてはワシントンの”The Caverns”に出演する。これはバードとは一緒にではなく単身出向いたようだ。
そして、9月のアダムスの動向に関しては記録が無い。休みをとっていたのか、体調を崩していたのか、それとも別の仕事をしていたのか・・・、事実は分からない。
そして、このアルバムはアダムス抜きで10月4日に録音された。アダムスが何からかの事情で参加できなかったのであればそれは止むを得ないことなのだが・・・・・?
この時代を代表するレーベルはブルーノート、そしてプレスティッジ。今でも全盛期のジャズを楽しませてくれる作品を数多く残している。では、この2つのレーベルの特徴で大きく違うことは? という問いに対して、自分はある事実が印象深く残っている。
もちろんこの2大レーベルに関しては深く聴きこんだファンの方や研究家も多いので、それぞれの作品の違いを説明できる方も多いとは思う。しかし、自分が印象に残っているのはデビットローゼンタールの「ハードバップ」に記されていたジャッキーマクリーンの以下の語りであった。
ナチス体制の下で生きていながら、そのことを知らないでいることを想像して欲しい。そうすればプレスティッジのことも分かるだろう。
こちらから一切を奪って、こちらには何もくれない典型的な会社がプレスティッジだ。彼らに対して数えきれない位演奏しても、かかった経費はすべてミュージシャン持ち。録音技師、ライナーノーツの原稿料、カラー写真までもが。わずかな前金をもらった後、印税の話があったが、最終的に残ったのは5万ドルという負債書だった。
最近の話としては、旨い話にのってフランチャイズ契約をして店を出したが、いくら売上を上げても開業資金の返済と日々の売上の高いマージンを本部に召上げられ、手元にはわずかしか残らないという悪徳商法とプレスティッジの商法は同じだったということだ。
その話を知ると、「プレスティッジにはとりあえず仲間が集まって一丁上がり的なアルバムが多く、玉石混淆だ」といわれる所以も理解できる。モンク、コルトレーン、マイルスなども契約を終え、さっさとやめてしまったというのも、この事実が背景にあったということだそうだ。
一方で、ブルーノートの業績ということで、「ブルーノートはミュージシャンにとって自由に広範囲に実験室のように使えた。そして録音に際してのリハーサルに対してもお金を払った。契約の自由度も高かった。録音のスタジオもアットホームにし、仕事が終わった後、気分がのった後に一気に録音できるように早朝のセッションもあった」、など・・・・ミュージシャンにとっては良いことずくめであった。
しかし、いわゆるブルーノートサウンドといわれる音作りへの拘りは厳しく、ルディーバンゲルダーによる録音の質だけでなく、リハーサルを重ねアンサンブルの出来具合まで完成度を高めたとある。
これはプロデューサー、アルフレッドライオンの拘りであった。そして、最後は自分の納得がいかないと、どんなに良い演奏であってもお蔵入りとなった。後に、カスクーナがブルーノトの未発表アルバムを数多く発掘したのはそのような事情があったということだ。これは、67年にブルーノートがリバティーに売却されるまでの変わらぬ基本路線であった。
この事実と照らし合わせると、この当時のドナルドバードはブルーノートにおいてはポストハードバップとしてファンキー路線を推進することを求められていた一人だったように思う。
とすると、アダムスを外し、ジャッキーマクリーンを起用し、ドナルドバードのオリジナル曲で固めて作られたアルバムの位置づけも合点が行かなくはないのだが。
しかし、このアルバムにおいては、バックのリズムセクションの3人はバード&アダムスのクインテットのレギュラーメンバー、レコーディングのためのメンバーではない。アダムス自体のプレーはスイングからモンクやミンガスまで何でもOKなので、アルバムのトーンがファンキー路線になっても特に問題はないと思う。事実それまではゲストを加えて3管編成でやっていたので、敢えて今回アダムスを外した理由が分からない。
さらに、録音セッションの翌5日からこのメンバーからマクリーンが抜けアダムスに替わって本来のクインテットのメンバーでトロントにツアーに出る。アダムスがこの時期、長期間ニューヨークを離れていたわけではない。抜けた理由が気になる。
クインテットにとっては初のニューヨークを離れての演奏だった。これまでの活動がニューヨークに限られていたのが、やっと全国区になった。これまでが婚約期間とすれば、10月4日のレコーディングは本来であれば2人のクインテットにとっては晴れの結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける段取りになっていても不思議はないのだが。
もちろんその後のアルバムではまたアダムスも復帰しているので、あまり深く詮索せずに花嫁が急病で式は影武者が務めたということにしておこう。
アルバムの内容は他でも多くが語られているので説明は不要と思うが、あまりブルーノートのアルバムを数多く持っていない自分にとっては、このファンキーな雰囲気を味わうためにはアダムス抜きでも良く聴くアルバムだ。アダムスが参加していたらさらに良かったのだが。
1. Fuego Donald Byrd 6:40
2. Bup a Loup Donald Byrd 4:06
3. Funky Mama Donald Byrd 11:00
4. Low Life Donald Byrd 6:03
5. Lament Donald Byrd 8:28
6. Amen Donald Byrd 4:46
Donald Byrd (pocket tp)
Jackie McLean (as)
Duke Pearson (p)
Doug Watkins (b)
Lex Humphries (ds)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, October 4, 1959
ペッパーアダムス関連のアルバムが続くが、話の流れからもう一枚。
ドナルドバードのこのアルバム、昔ジャズ喫茶通いをしていた世代にとってはお馴染みのアルバム。ファンキーな雰囲気を味わうには欠かせないアルバムの一枚だ。
改めてブルーノート時代のドナルドバードのアルバムを追ってみると、それはペッパーアダムスとの双頭コンビの誕生と軌を一にしてスタートした。前作の”Byrd in Hand”に続く3作目になる。しかし、このアルバムには何故かアダムスの名前は無い。
前作を聴き直して、ブルーノートのアルバムとバード&アダムスクインテットの演奏は少し違うのかもしれないと思ったが、このアルバムを聴くとその謎にまたひとつの事実が加わる。
ベニーグッドマンのオーケストラに加わって地方巡業をしていたアダムスがニューヨークに戻ったのは5月14日。28日には久々にバードとのコンビでナイトクルーズのセッションに参加する。その流れで、5月31日に”Byrd in Hand”が録音された。
その後、アダムスは引越しをしたり、陸軍の予備役の除隊手続きをしたりプライベートの用事を片付けて、6月21-22日には前回紹介したチェットベイカーのアルバム作りに参加する。
そして7月末から8月にかけてはワシントンの”The Caverns”に出演する。これはバードとは一緒にではなく単身出向いたようだ。
そして、9月のアダムスの動向に関しては記録が無い。休みをとっていたのか、体調を崩していたのか、それとも別の仕事をしていたのか・・・、事実は分からない。
そして、このアルバムはアダムス抜きで10月4日に録音された。アダムスが何からかの事情で参加できなかったのであればそれは止むを得ないことなのだが・・・・・?
この時代を代表するレーベルはブルーノート、そしてプレスティッジ。今でも全盛期のジャズを楽しませてくれる作品を数多く残している。では、この2つのレーベルの特徴で大きく違うことは? という問いに対して、自分はある事実が印象深く残っている。
もちろんこの2大レーベルに関しては深く聴きこんだファンの方や研究家も多いので、それぞれの作品の違いを説明できる方も多いとは思う。しかし、自分が印象に残っているのはデビットローゼンタールの「ハードバップ」に記されていたジャッキーマクリーンの以下の語りであった。
ナチス体制の下で生きていながら、そのことを知らないでいることを想像して欲しい。そうすればプレスティッジのことも分かるだろう。
こちらから一切を奪って、こちらには何もくれない典型的な会社がプレスティッジだ。彼らに対して数えきれない位演奏しても、かかった経費はすべてミュージシャン持ち。録音技師、ライナーノーツの原稿料、カラー写真までもが。わずかな前金をもらった後、印税の話があったが、最終的に残ったのは5万ドルという負債書だった。
最近の話としては、旨い話にのってフランチャイズ契約をして店を出したが、いくら売上を上げても開業資金の返済と日々の売上の高いマージンを本部に召上げられ、手元にはわずかしか残らないという悪徳商法とプレスティッジの商法は同じだったということだ。
その話を知ると、「プレスティッジにはとりあえず仲間が集まって一丁上がり的なアルバムが多く、玉石混淆だ」といわれる所以も理解できる。モンク、コルトレーン、マイルスなども契約を終え、さっさとやめてしまったというのも、この事実が背景にあったということだそうだ。
一方で、ブルーノートの業績ということで、「ブルーノートはミュージシャンにとって自由に広範囲に実験室のように使えた。そして録音に際してのリハーサルに対してもお金を払った。契約の自由度も高かった。録音のスタジオもアットホームにし、仕事が終わった後、気分がのった後に一気に録音できるように早朝のセッションもあった」、など・・・・ミュージシャンにとっては良いことずくめであった。
しかし、いわゆるブルーノートサウンドといわれる音作りへの拘りは厳しく、ルディーバンゲルダーによる録音の質だけでなく、リハーサルを重ねアンサンブルの出来具合まで完成度を高めたとある。
これはプロデューサー、アルフレッドライオンの拘りであった。そして、最後は自分の納得がいかないと、どんなに良い演奏であってもお蔵入りとなった。後に、カスクーナがブルーノトの未発表アルバムを数多く発掘したのはそのような事情があったということだ。これは、67年にブルーノートがリバティーに売却されるまでの変わらぬ基本路線であった。
この事実と照らし合わせると、この当時のドナルドバードはブルーノートにおいてはポストハードバップとしてファンキー路線を推進することを求められていた一人だったように思う。
とすると、アダムスを外し、ジャッキーマクリーンを起用し、ドナルドバードのオリジナル曲で固めて作られたアルバムの位置づけも合点が行かなくはないのだが。
しかし、このアルバムにおいては、バックのリズムセクションの3人はバード&アダムスのクインテットのレギュラーメンバー、レコーディングのためのメンバーではない。アダムス自体のプレーはスイングからモンクやミンガスまで何でもOKなので、アルバムのトーンがファンキー路線になっても特に問題はないと思う。事実それまではゲストを加えて3管編成でやっていたので、敢えて今回アダムスを外した理由が分からない。
さらに、録音セッションの翌5日からこのメンバーからマクリーンが抜けアダムスに替わって本来のクインテットのメンバーでトロントにツアーに出る。アダムスがこの時期、長期間ニューヨークを離れていたわけではない。抜けた理由が気になる。
クインテットにとっては初のニューヨークを離れての演奏だった。これまでの活動がニューヨークに限られていたのが、やっと全国区になった。これまでが婚約期間とすれば、10月4日のレコーディングは本来であれば2人のクインテットにとっては晴れの結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける段取りになっていても不思議はないのだが。
もちろんその後のアルバムではまたアダムスも復帰しているので、あまり深く詮索せずに花嫁が急病で式は影武者が務めたということにしておこう。
アルバムの内容は他でも多くが語られているので説明は不要と思うが、あまりブルーノートのアルバムを数多く持っていない自分にとっては、このファンキーな雰囲気を味わうためにはアダムス抜きでも良く聴くアルバムだ。アダムスが参加していたらさらに良かったのだが。
1. Fuego Donald Byrd 6:40
2. Bup a Loup Donald Byrd 4:06
3. Funky Mama Donald Byrd 11:00
4. Low Life Donald Byrd 6:03
5. Lament Donald Byrd 8:28
6. Amen Donald Byrd 4:46
Donald Byrd (pocket tp)
Jackie McLean (as)
Duke Pearson (p)
Doug Watkins (b)
Lex Humphries (ds)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, October 4, 1959
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