風の吹くまま

18年ぶりに再開しました。再投稿もありますが、ご訪問ありがとうございます。 

★先生のシャツ ~ 学校

2005-09-23 | 忘れえぬ人々
小学校入学と同時に、僕の通っていたA市内の市立小学校の花形だった「ブラスバンド」に、なんにも考えずに、「ほれ、しゅしゅしゅ・・・」と入ってしまった。

しかしながら、なんせこの担当のT先生が熱血で、神戸の北区の遠いところから、通勤。そして、毎朝7時から練習開始。噂によると先生は片道2時間かけて、学校に通っていたらしい。

日曜日以外は、夏休みも、冬休みも、春休みも、毎日毎日練習で。あまりのハードさに耐え兼ねて「せんせい、僕(or あたし)辞めます。」など言おうものなら、「バシーーーーン!」とそのオーケストラ・タクトでお尻を叩かれて・・・。それを目にした僕は、びびってしまい、とうとう5年生まで、虫の吐息で続けてしまった。

朝もたとえ5分でも遅刻をしようものなら、タクトでバシーン!何度やっても、思いどうりに演奏できないものなら、タクトでバシーン!・・・とにもかくにも、厳しいT先生であった。先生は、僕らを大人に接するように接した。


僕はその先生の事を今でもはっきり覚えていることが、ひとつある。

T先生の来ているシャツは、きれいに洗濯されているのだが、いつも同じだったことである。

情熱家のT先生のとても厳しい練習でつらいものもあったが、、その同じシャツを見ていると、先生の何かとても質素な部分が、感じられ、とうとう辞めますの一言が言えず、小学校のほとんどの期間を終えた。

子供だったので、よくわからなかったが、T先生は周りの先生からは、あまりよく見られていなかったようだ。ときおりT先生支持派の父兄の話を盗み聞きしたところでは、あまりの情熱家であったため、まわりの先生から、なにやらやっかみみたいなものが存在していたようであった。しかし、こどもだったのでよくわからなかった。

練習はとても厳しく、ほとんど笑わず、常に厳しい接し方をする先生であったが、春休みや夏休みには必ず、こども達を集め、有志の先生方と、僕らをハイキングに連れていってくれた。そういう時の先生は、普段では見られない笑顔で、とても楽しかった記憶として残っている。

とにもかくにも、めちゃちゃくちゃ厳しい先生であったが、先生を悪く言う子供はおらず、僕らは強い絆でつながっていたように思う。僕が、5年生になったと同時に、先生は転勤で別の学校に移動となった。先生のいなくなったブラスバンドは、自然と消滅してしまい、僕の小学校生活の最後の1年は、早起きをせずに済んだのだが、めちゃくちゃ寂しかったのを今でも覚えている。

T先生には、今でもお盆と正月には、短いながらも葉書を出している。葉書を出すと、すぐさま返信が返ってきて、先生の音符のような懐かしい文字を、今でも見ることができる。

「教育とは、バケツを満たすことではなく、火を燃えあがらせることである」
ウィリアム・バトラー・イーツ


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★自分のできること・もてるもの

2005-09-22 | 忘れえぬ人々

シークレット・ガーデン」という北欧の音楽ユニットがいる。日本ではあまり知られていないが、欧米、日本以外のアジア諸国では、ファンの多いユニットである。

昨年、東京でその来日初公演があるというのでチケットを購入した。彼らの音楽を聞き始めたのは、アメリカに住むある恩人の家にお邪魔した際、彼に頂いたCDがきっかけである。 彼は、以前僕の勤めていた企業の日本法人社長であった。彼が初めて日本に来たのは、もう今から12年ほど前になる。彼には、随分とかわいがられ、様々なことを学ぶ機会を与えてもらった。そのお陰で現在の自分があると強く信じている。

僕も当時は20代後半で随分と血の気も多かった。仕事には打ち込んだし、それに信頼を寄せてくれる人もいた。しかし、その反面、相手が誰であろうとストレートな物の言いかたで、嫌われる部分も多かったのではないかと思う。 その彼の言った言葉で今でも忘れえぬものがある。

当時、何かのプロジェクトで大きな壁にぶちあたっていた時だった。僕に限らず同僚達は先の見えぬ迷路にはまり込んでいた時だった。 ある日、彼と偶然、昼食の席で一緒になった。食事の席ということもあり、とりとめもない会話が続いた後、彼は僕に訊いた。

「○○さんは、スキーをしますか?」

僕は、それはあくまで趣味の会話であると思い、

「しますよ。学生時代にはよく長野県に行ったものです。でも、今では昔ほどは行かなくなりました。」そういう僕の答えの後に、彼は続けて訊いた。

 「木立の中をスキーで滑ったことはありますか?」

「ええあります。あまり上手くはありませんが・・・」僕は、変な質問だなあとは思ったがそう答えた。

「木立の中を滑る時に、木々にばかり注意してそこを見ていると、木にあったてしまいます。でも、木と木の間にある空間だけ見ながら滑ると、木々は気にならなくなり、上手く林を抜けて滑ることができます。」彼は、ただそう言った。

そして食事を続けた。 僕は、彼が何をいきなり言おうとしているのかよくわからなかった。そんな僕に気づいたのか、彼はまた話を始めた。・・・私は思うのです。苦しい状況の中で、問題点にばかり囚われそこに自分の神経を集中させていると、その問題が視界の中心になり向こうが見えなくなってしまい、上手く通りぬけることができないものです。でも、自分の意識をその空いた空間に向けていると、やがてその問題を通りぬけてゆけるものです。これはスキーと同じですね・・・。 時の流れともにわかる彼の伝えたかったこと。自分の前にある障害、困難といったことばかりに囚われるのではなく、真に自分が自由になろうとするならば、自分がもっているもの、自分が今できることに精神を集中しなさい、と。

もうすぐ、僕も当時の彼と同じ年齢になろうとしているが、彼のようになれない。ずっと、僕にはなれないだろう。彼と同じといえば、「シークレット・ガーデン」を聴いていることぐらいである。

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★靴を磨く

2005-07-17 | 忘れえぬ人々
人はそれぞれ、記憶の奥壁に掲示板をもっている。そこには、忘れえぬ大切な人たちの一言や、一瞬の光景を捉えたスナップ写真が、落ちそうになりながらもピンで留められていている。
 そして、そんな掲示板の隅には、いつのまにか書かれた言葉や絵があり、長い時間を経てその存在に気づくこともある。知らないうちに訪れ消えていった、時には名も知らぬ人々のメッセージと足跡がそこにある。


 目的の東京国際フォーラムを目前にした遊歩道の銀杏並木の縁に、一人の老人が地べたに座り込んで新聞を読む姿が目にはいった。歳は70歳前であろうと思われるその老人は、うつむいて熱心に新聞を読んでいた。どうやら靴磨きの老人のようだ。

 朝、家を出る前から靴の汚れが気になっていた僕は、ここで靴をみがいて行こうかどうか迷った・・・これから出席するセミナーの前に昼食を取れない場合、夕方まで食事をする機会を失ってしまう・・・セミナー開始までは、30分しかなかった。当時の僕は、何かに疲れていた。その気分転換の意味でも、このセミナーに申し込んでいた・・・なにかきっかけはないだろうか・・・と。そんな意味で参加したセミナーだったので遅れたくはなかった。

 しかしながら、セミナーまでの僅かな時間にも関わらず、その老人に興味を抱いた僕は、気がつけば既に老人に声をかけていた。

 「すいません。いくらですか?」
 今まで靴磨きの経験のなかった僕は、その相場すらも知らなかったのだ。僕はすこし屈み込んでこのように声をかけてみたが、その老人はうつむいて新聞に目を落したままだった。

 今度はその老人の肩を軽くたたいて、
 「いくらですか?」と聞いてみた。

 突然肩をたたかれた僕に脅えたたようにその老人は、靴磨きで真っ黒になった指を2本たてた。

 「2000円か、随分と高いな」と思いながらも、その老人に興味を抱いた僕は、
 「じゃあ、お願いします」と言い老人の前に置かれた小さな椅子のに腰掛けた。

 僕は、その歳になるまで、靴磨きの人に靴を磨いてもらうという経験がなかった。いままで、他人に靴を磨いてもらうということに抵抗をl感じていた。漠然としたものであるが、靴を磨く人と磨いてもらう人の間に、社会の階層を感じていたからだ。社会人になりこの歳になるまでの間、何度となく地べたに座る靴磨きの人達の光景に出くわしてきたが、そのたびにこのことを感じていた。

 靴をみがいてもらっている間に、さまざまな思いを巡らした。
 「この老人の今までの人生はどのようなものだったんだろうか。」
 「自分の息子のように歳の離れたお客の靴を磨く今の老人のこれまでの人生どのようなものだったんだろうか。」
 家族・兄弟はいるんだろうか・・・・目の前に座り私の靴を磨いている老人に、僕は惹きつけけられた。そして、こんな事を考えているうちに、あっという間にその靴磨きは終わった。

 さすがに磨いてもらった靴は見違えるようにきれいになったが、思っていた以上にその時間が早かったことに驚いた。2000円という値段から30分程度はかかるだろう予想していたのだが、実際にはわずか15分程度でその老人は僕の靴を磨き終えたのだった。

 お金を支払おうと財布をみたが、5000円札しかなかった。仕方なくその5000円札をさしだしながら、僕は、
 「お釣はありますか?」と訊いてみた。

 老人は驚いたように手を左右に振った。
どうやらお釣がないようだ。困った僕はズボンのポケットに手をいれ、ある限りのコインを取り出しながら、
 「どこかで両替が可能な場所はないだろうか」と戸惑った。

 そんな僕をみて、老人はコインの入った空缶を指差し、そしてまた以前のように靴磨きのスミと油で黒くなった指を二本たてた。
 「200円。地べたに座って靴を磨いて、たったこれっぽっちか・・・」
僕は、やっと理解ができた。そして、その値段に少しショックを受けながらも、ポケットからとりだした500円玉を老人に手渡した。老人は、頭を下げながらその500玉を受けとり、空き缶から取り出したお釣りの300円を僕に向けた。

 僕は・・・お釣りは結構です・・・と首と手を左右に振った。

 その耳の聞こえない、言葉を話せない老人は初めて少し笑った、そして何度も頭をさげた。彼の笑みにつられて僕も、微笑み返した。そして、この無言の15分間に、僕は靴を磨いてもらうと同時に、疲れた心をも磨いてもらった気がした。


「ある人たちは、気づかずに天使をもてなしました」
ヘブライ人への手紙 13章2節
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