増補版 続・新版 バディ ~我が愛犬に捧ぐ~

2020-03-06 00:39:28 | お尊重力のお充実扁
今回は、私のことを述べて参りたいと思います。

「愛犬バディ。心のシャーリック。」

クンクン♪

言葉が違います
動作が違います
思考が違います


ワンッ♪
ワンワンッ♪

ワンッ♪
ワンツー♪


私はあたなから全てを学んだ
私はあたなから全てを喜んだ
私はあたなから全てを尊んだ
私はあたなから全てを育んだ
私はあたなから全てを選んだ

私はあたながいたから学べた
私はあたながいたから喜べた
私はあたながいたから尊べた
私はあたながいたから育めた
私はあたながいたから選べた


シュッシュッ♪
ビュンビュン♪

クイックイッ♪
ヒュンヒュン♪


私はあたなから私を知った
私はあたなから救われた
私はあたなからあなたを知った
私はあたなから守られた

あなたは私を知らない
私もあなたを知らない
あなたは私を愛している
私もあなたを愛している

私はあなたから私の幸せを知った
私はあなたから助けられた
私はあなたからあなたの幸せを考えた
私はあなたから与えられた

あなたは私の直向きさを知らない
私もあなたの直向きさを知らない
あなたは私の一部になろうとしている
私はあなたの一部になろうとしている


ブンッ♪
ブンブンッ♪

キュッ♪
キュッキュッ♪


私を理解することなく労い続けてくれたあなた
私を理解することなく励まし続けてくれたあなた
私を理解することなく敬い続けてくれたあなた
私を理解することなく愛し続けてくれたあなた
私を理解することなく側に居てくれるあなた

あなたを理解することが私の労いであるあなた
あなたを理解することが私の励ましであるあなた
あなたを理解することが私の敬いであるあなた
あなたを理解することが私の愛であるあなた
あなたを理解することが人類のために側にあなた


ハッ♪
ハッハッー♪

フッー♪
フッフッー♪


私とあなたは遊び相手を果たした
私とあなたが遊び相手を果たした
私とあなたで遊び相手を果たした

私とあなたは心身安定を果たした
私とあなたが心身安定を果たした
私とあなたで心身安定を果たした

私とあなたは人類愛を果たした
私とあなたが人類愛を果たした
私とあなたで人類愛を果たした


私があなたを理解することが私を理解することになる(グッドボーイ バディ♪)
私があなたを理解することが私とあなたを理解することになる(グッドボーイ バディ♪)

私はあなたを理解している
あなたが私を理解することがあなたを理解することになる(グッドマン バディ♪)
あなたは人間を救った
あなたがあなたであることを理解することがあなたを理解することになる(グッドマン バディ♪)

お互いに必要はなかった
私とあなたでいることが必要だった
(ベリーグッドマン バディ♪)
これ以上ないペアになれた
私とあなたで認め合うことが必要だった
(ベリー優しい バディ♪)
より効率よくなれた
私とあなたで確かめ合うことが必要だった
(ベリー凄い バディ♪)


バディ♪バディ♪バディ♪・・・



私が初めて動植物を飼育したのは、文鳥だったと思う。
小学校低学年の頃だったように思う。
名前はピースケ。
雛から育て、私に常に寄り添い、当然うたた寝で、側にいることで、私の寝返りで圧死。
あの時ほど涙を流したことは今まで一度もない。
ピースケの前か後にも、雛の文鳥を飼い、早い時期に死んでしまったような記憶も朧気ながらなきにしもあらず。

その後、蟻を夏休みの自由研究で、二年連続で飼育した。
糊に蟻を乗せて観察していたときもある。
砂糖はいっぱいあげた。
名前は付けなかったが、蟻にしてみても、私から名前をつけられなくてもつけられても、喜びも悲しみもなかったであろうから、そのことについての感慨は現在においても何の蟠りもない。
小学校中学年から高学年だったように思う。

カブトムシ、クワガタ、バッタ、カマキリ、ザリガニ、トカゲは捕まえて、短い間一緒にいた。
ヤドカリも飼った時期があったと思う。

いつも朦朧とした意識の中で生きてきたので、二十歳までは、その程度だったと思う。

ある女性と同棲をさせて頂いていたとき、雑種の犬を買う。
名前は野村節子。
数度のお散歩をしたのみ。
私の停車中の事故車の中にいたらしく、誰かに貰われたらしい。
いさせたときづくりといっても過言はなかろう。
当然、その頃の記憶もはっきりするはずはないが、そのような体裁だったと思う。
その当時は既に18周年記念式典として、基本全おめぇさんあがりぱーてぃーあんど基本全かんしょうおめぇさんあがりおんがえししょうぱーてぃーのみなさまがたみの体裁は終えていたので、テレクラでの給料全窃盗おんなと連動している女性との同棲の切なさは感じる情緒は私にはあったし、名前がみなさまがたみへの救済系、回復系、自浄系、改心系でもあったし、何より人間愛ととうごうしょうかいわに当然則していた。可愛いお顔でしたし。やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎずの喜びと楽しみ、安心と安全なるものも理解していた。
とうごうしょうかいわぱーてぃーのあまに、文句言ったら給料なくなったと騒いでみんなでそのあまにカンパしたなどとのたまっていたことの喜びと楽しみの上塗りはつどうちゅう。
やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎで、なりたたせつづけていることと、はねだたせつづけている人権と平和の基本だと思う。
やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎず。いわゆるJinsaisai'sは、わかりあえているし、つうじあえている。
人間愛の普遍性なる本質としての均一性、同一性がある。
おんなは、よるはえろいよ♪
おとこは、えろほんおちてるからみにいこう♪

完全なる喜びと楽しみの安定度なることは、やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎで、保たれていっている、揺りかごから墓場までの一貫した社会福祉とうごうしょうかいわ、社会平和とうごうしょうかいわ、社会活動とうごうしょうかいわ。
それが一貫しているところに、Jinsaisai'sの常識と良識があるとJinsaisai'sは自覚と自負がある。

2021年8月17日追記
昨日、みなさまがたみ鉄板芸のIkarepontikimakisimam'sうわぬりーず&Ikarepontikimakisimam'sうわのせーずの成果としても、四年前から恒例の精神病院に通院してきました。
あいかわらず、Ikarepontikimakisimam'sとしてのとうごうしょうかいわまっしぐらのみなさまがたみのなかで、私にとって完璧Ikarepontikimakisimam'sの親が、危うく私のお口の開いた口が塞がらなくなること人生で数景回後の精神病院と親のアットホームな一時。
やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎしゃの人間愛の利益と理由にすべてが叶っている日常、夢と希望、錦ととうごうしょうかいわ、ごまんねんもだにずむとしては成熟。

人間愛、人間喜、人間楽のさんしゅのじんぎは、不滅であるという常識と良識の根底、基本である、やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎ。
人類はそれから人権と平和主義を整えていく年季の成熟に勤しんでいるが、如何せんそれそのものも夢と希望であるという普遍性が付随している。
追記はまた後程ね♪
やく、ほも、くそのさんしゅのじんぎずちゃんたち♥️