にっちゅうちゃん、きちがいしかいなかっぽな。かっきあるきちがいにっちゅうちゃんよくがんばってんのも、ふたつのにっちゅうちゃんとしてのふるさととよりどころを、そのきちがいという最大級の幸福感に浸り続けたことが、高度経済成長期後のまつりにこったりっしょうちゃん。
やくざちゃん、だれもがへんちくりんしかいなかっぱよ。かっきあるへたれをだれもが平和主義の象徴として、そのあいじょうぶそくとゆうじょうぶそくという、あいじょうだんかいとゆうじょうだんかいをまっとうできるようにもという、きちがいにちがいないけれどもということでも、おめおめらきちがいでおめおめこというどうでもいいきちがいすらも、やくざらしいよほどむっつからの全体主義じゃないとへたれやくざという社会主義が成立しなかったのはよくよくのことだったのは私でもよりいっそう分かる。むっつのやくざというまるだしのみかいぶんめいどによってしか、ぶんめいどのぷろぽーしょんとしてのナチュラリズムにならなかったとしても、決してそれはナチュラリズムではなくて、へたれやくざという最大へたれやくざ多数の最大幸福であったわけで、ますますへたれていくいっぽうのやくざちゃん。
ここで、へたれむっつちゃん、じぶんねんきでました。おつかれちゃん。へたれむっつちゃん。ちんのじぶんちゃん?おめこじぶんちゃん?もっともへたれむっつちゃんのこおりやまぁのいっかくんのむっつのあまったれは、毎年のむっつのへたれを思い出さずにはいられないよね。じぶんくいこみねんちゃんないと、へたれやくざちゃんのぱぁくせっくすのゆうじょうだんかいはたせなかっぺ。うでによりをかけていっそうのへたれやくざちゃん。
へたれやくざじょうじかいりせいのしゅうせいへたれやくざまるだしのたちばばなちゃん。むっつりすけべやくざ。
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