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柳田太郎図書館~ハンスげんき?か?
おめまげぞくへ図書紹介作業をじょうじょう。私の優じさがなぜまだ?みながみなにお優じい

ムダにならない勉強法

2019-11-27 10:12:12 | お図書紹介篇
柳田太郎図書館 図書No.2
ムダにならない勉強法
著者 樺沢紫苑
サンマーク出版

はしがきから(太字で)ムダな勉強はやめなさいとおっしゃって頂ける今月の入荷本です。
精神病の私に精神科医の筆者が勉強法を教えて下さいました。
本の威力です。
私も筆者様のご指摘通りでした。
インプットが勉強だと思っていたからいつまでもムダな勉強をしていたことを、精神病院君入院中にこの本を読み、精神科医の筆者にダメ押しの精神的ダメージを与えられながらも、改善方法を与えられたことに感謝させる精神科医のテクニックを与えられました。
高度かつ勇気のいる思考と行動についても述べられておりますが、アウトプットの重要性はなるほどというものでございます。
著者のインプット大全、アウトプット大全が現在人気あるようで、今はそちらの方が良いのかも知れません。
統合失調症の私への最大の供養の書籍の一つです。
お陰さまで、先日、薬増やされました。

みなも同じような類いだとすると、いい精神科医としてのみなの統合症の人間性と社会性でいきつづけているということとしては、みならしくあったけぇのは間違いない。
おしあわせのしまのゆめがつまってることとしてもも。
たいへんだよね。みなもも。
きちがいときちがいいじかつどおでの、日常生活で、おくそたれながしまるだしかたなあげこんじょうのつみかさねで、びょうさつ風情の情緒は盛ってると思われる。
さらにしつれいしましたから、しつれいしつづけてないとそれらの感謝も感動も、人間性と社会性も損なわれるというだいぜんていの繰り返しとしてをもも。
人間性全体、社会性全体の有機的な営みとしての


柳田太郎感想文No.2
ちょうど二年後、同じ著者の『読んだら忘れない読書術』を読む。
google scholar。
最初の五分と最後の五分の記憶定着率。
精読、熟読の著者としての語創造力。
著者のお薦め本が掲載されていて参考になりました。


~私のひとりよがり余談+よかだん~
インターネットのスマホ代金合算決済を二ヶ月にわたり利用して個人売買の古本を購入したうちの一冊ですが、二年後の二月分の支払いに見合う若しくはそれ以上の内容。google scholarだけでも。(本を買う数はこなしてますので、研ぎ澄まされた決断力を持って、スマホ代金合算決済を利用して素晴らしい本をいっぱい購入。本当に素晴らしい本ばかりで、これから売らなければスマホ代金が払えない。ということを考えてないので、そしてそれを上回る私の意志の惨めさと憐れさと。それで意志であることの仕方のない喜びだろうという意志と。
売却したい本はないのですが、その売却出来ない本を売却するのは、昔からなので、頑張ろうと二年後に思う。)
ここで、私は初めて気付く。
スマホ代が支払えなければ、google scholarの意味などないではないかと。
だから、このブログに書いて誰かのためにということは、私にはない。
google scholarを知る喜びを与えられた読書のしあわせのたいかが完璧に現れた状態。
そして何より大切なのは、自分自身の成長や実現のための読書であれば、google scholarを知ったことも無駄であり、google scholarを知っているがゆえにそれを見れない悪循環でもあり、たとえgoogle scholarを利用出来るとしても、いつ、いつから、いつまで。どう、どうして、どうやって。
とても私のしあわせですが、しあわせにもなり、しあわせではない状態。
二年後に私としてはしあわせな葛藤?ですねこれは。
読書も、読書以外と同じことが多分に含まれていますね。
それではみなさま、よいおとしをむかえ、よいおとしをむかえ、よいおとしをむかえ。
毎年の恒例行事ですね。
2022年もよいおとしを。
2022年はよいおとしを。
既に2021年までのおとしはむかえてしまってますからふぅか。
いつの世も。
なんて二年後に、私がこうして書く。


寧ろグインサーガがどんなこうつうじじょう、こうつうにしき、こうつうふたしきとしてのこうつうきそくじょうのきほんぜん


としての、

そして、スマホ代なりインターネット代が支払えなければ、本とか服とか家電とかを換金することへの体制へ退室していくことでの、


彼らの耐性の体質としての、


いい本。

2022.11.4
この方だと思うけど、YouTubeで動画されているのを映画の動画をさがしていたら映画のコメント?の回を拝見させて頂いた。
朝日先生と同業他社だが、朝日先生も動画しているのだかろうか。
もっとクソ真面目な人の印象派を勝手に作り上げていたが、可愛いお顔。よく言えば。
最近読んだ岡田英弘さんとは逆かな。
こんなクソ真面目な印象派がこんなこと書いてんのかということの誠実さ。誠実さをいきていくというか誠実さに万能細胞を考えてない。一人の人格として、一人のそりゃぁちっぽけと考えれば誰だってちっぽけだが、私なんぞは物心ついてからいつもぽっけに穴あけられてた人生だけども、40過ぎて大人になったので、(胸の)ぽっけに愛機いれてニュウガンボクメツウンドウカイをヒトリゴト。平仮名と片仮名では未だ難しいことよりは、イチコンプがサンコンプになることであって、ようかどういきというものの変質サンコンプを夢に見ないクソもいない、見てたクソだった、色々あるけれど。

この人々ってのは、信念というかご自身とまわりちゃんらのために出来ることだけをしていくというその下手打ちやら間違いなどは二の次ということを人々に感じて欲しいのではないか。という印象を受けた。相対性理論としてのいちぶの考え方だけど。
調和と調整から、人間性と社会性のそれらを善意、悪意のステージではなくて、そのためのことというか。

この人のこの本で、アウトプットをと思ったが、やっぱり大変。
勉強ってのも大変だね。
でも定着率は絶対にある。
特に間違え。
今年にHisの答えをHesと書いて答え合わせしたことで、私は暫くはその間違えを冒すことはないはずである。

精神病院が宅急便精神病院になれるほどの暖かみもあるんだから、



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