私が心配することはなかったような部分を書いてみるよ。にっちゃうちゃんとやくじゃちゃんは、どうやら恥ずかしくはないらしい。

2025-01-25 04:20:19 | お図書紹介篇
それは、恥をいきるためににっちゃうちゃんとやくじゃちゃんであったというべきにっちゃうちゃんとやくじゃちゃんだだのだろうと思わなくもない。
私はにっちゃうちゃんとやくじゃちゃんが、その恥そのものが恥過ぎて恥ずかし過ぎるのではないかともちょびっと思いやりが芽生えつつありそうな瞬間があるかないかの瀬戸際に最近なりつつあるが、ふたつほこってんのぉとむっつほこってんのぉという、おやまぁようじの名誉と恰も光栄、おやまぁにおちつづけていく埃も誇り、にっちゃうちゃんとやくじゃちゃんは、そのにほんだてでしか、はなもなかったわけだが、恥ることこそおやまぁそのものがおやまぁになるという恥すらも恥てもいないふうぞくか。
どうやら、いよいよにっちゃうちゃんとやくじゃちゃんというのは、決してそのきちがいとへっぽこまるだしのせいかつほごとじんせいほござんまいを恥てないようである。
おやまぁきちがいにっちょうちゃんせいかつほごだいがくふたつ。
おやまぁへっぽこやくざちゃんせいかつほごだいしょうぐんむっつ。

ちょっぴり心配しちゃったよぉ。
なんせ、にっちゃうちゃんきちがいどうしなのと、やくざちゃんへっぽこどうしだったのを、ますます恥をつみかさねってから、恥ずかしさの快挙、恥ずかしさの命とはなんぞやという、平和主義の範囲としての取り組みとしての活動にも繋げてはいるんだろうけれども、にっちゃうちゃんという恥と、やくざちゃんという恥なればこその、恥主義。
にっちゃうちゃんの本筋と王道がきちがい、やくざちゃんの本筋と王道がへっぽこ。

おやまぁきちないひゃくせんひゃくしょうちゃん+おやまぁしゅうだんてきじえいけんらくせんらくしょうちゃん。




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