なれ合い、妥協無しの本音ブログ

右、左、自称保守のどの立場にも属さないで自由に書く。時事、歴史をイデオロギー発想ではなく発信、コメント不要

褒めて伸ばすは必ず失敗する

2022-07-05 11:25:34 | 考え方

かつて日本を代表する保守派の知識人たちが、バブル後の低迷する日本という時代に、「日はまだ昇る」、「製造業は必ず復権する」というような著書を数多く出版していた。

当方はそれらの本は基本的にすべて、というくらい読書してきた。

確かに歴史を振り返ると日本は、卑弥呼の時代、遣隋使の手紙、元寇、幕末の動乱、大東亜戦争の敗戦などを乗り越え、困難の後に安定をもたらす、あるいは飛躍した歴史がある。

また、かつての日本人は勤勉で、恥の感覚を持ち合わせ、陰に日向に努力を続けた国民性ということがあり、コツコツと建設的なことをやってきたのは事実である。

しかし著名人が言っていたはずの「日本はやがて再び世界の中で輝く」という論調は外れた。全滅としかいいようがない。

なぜならもはや日本はかつてのように世界が注目する国では無くなり、そして将来もそのようになることも無いとしか言いようがない悲惨な国になってしまっている。

なぜ、保守派を中心とした今でも名が残されている著名人、時代に輝いた人たちの予言は外れたのであろうか。

それは彼らの予想を大幅に超えて、日本人そのものが堕落したからである。

彼らはまさかここまで日本民族が墜ちるとは、想像もできなかったのであろう。

政治家はほぼいなくなった。己の欲得と党利党略しかない政治屋集団になり、公務に携わる人としてはおよそ恥でしかない行為を行っても平気で居座り、金をもらい続ける輩が増えた。

確かに制度として領収書有の実費精算のみという会計方法にしないことも悪い。つまり都合よく利用したい輩だらけで、自らを正すという政治家がおらず、いつまでも利用したいために制度改正はやらない政治屋。

数が異常に多すぎることも是正しない。一切機能しない参議院でも、「当選したら勉強します」のタレントを担ぎ出し、国を私利私欲で利用したい人と党だらけになった。

居眠りする、質疑無し、誰かが準備した原稿を読んで終わり、視察と称した旅行で騒ぐことしか考えない破廉恥な連中しかいない。これは国から地方まで全部である。

この人たち、ザ政治屋こそが日本没落の象徴なのである。

どんなに頭脳明晰な官僚たちであっても、この腐った政治屋が次々と大臣になる、いつまでも地方議員で居座れるとなれば、知識も何もない連中がトップになってもまともにやる気は起きないだろう。

それよりもその頭脳を使って立場を強くすることを考えるのもまた人間であろう。人間は自己防衛という本能があるが、それがやがて自己保身になり、それが通ってしまえば欲に溺れだすのである。弱い存在、それもまた人であろう。

かつての政治家、田中角栄なら人間の甘いも酸っぱいも十分に理解したうえで、官僚と接したであろうし、日本はもっと良い国になっていたことと思われる。本当に仕事をする人間が潰される、企業でも同じ原理で、舌先三寸の偽者、他人の成果を盗むような連中が上に行く。

日本というのは実に奇妙で、立場が上がるに比例して給料は上がるかも知れないが、責任と仕事がどんどんと無くなっていく。だから仕事をしないおっさん、おばさんがいつまでも組織に残れる。いざ問題があれば今度は集団に隠れ、個人の間違いを正さない傾向が異常に強い。

しかも老害の認識がないので、まだ役に立っていると自認する。

これは政治も官僚も全て同じである。

歴史を見ても失敗した人ほど昇進することがある。失脚させれば組織の責任も追及されるので、当人を昇格させて何も無かったことにするという癖さえ持っている。

その日本では、「日本はすごい」、「日本には技術がある」、というような論調で多くの番組が作られ、多くの人が日本は素晴らしいと思い込んだ。外国人から見て魅力がある国だと錯覚させられた。

とんでもない間違いである。外国人の中で日本の文化、歴史、技術、芸能に興味を持つ人がいるのは喜ばしいことだが、極めて少数派でしかない。レアな人々であり、そこに焦点を当ててもまったく参考にはならないのは当然のことである。

おそらくは今のアメリカ人であっても、日本の位置が分からない人が多数いるであろう。

かつてアメリカの大卒の女性と話をしたとき、日本に来るまで中国の一部だと思っていたくらいである。正直言えば、多くの外国人には具体的な日本のことなどどうでもよく、単なる集金場所くらいでしかない。

日本人は日独伊の三国同盟の歴史があることからドイツに親近感を持つ人もいるが、日本のことなどどうでも良いというのが多くのドイツ人だと思った方がいい。

アジアの親日国と言われた国々も認識は変わってきているのが現実である。一部日本人観光客が海外旅行して破廉恥な行為を連発し、すっかり信用を落としていることもある。

日本ではやらないことを海外だからと平気でやる愚か者があまりに多すぎるのだ。

そこにはアジアをまだ見下している心理も含まれていることだろう。既に周回遅れなのにわからない精神性の低さ。

また、日本人はあまりにも発想が貧困で、外国人が観光に来るから世界の中でも知られていると思っているようだが、それは全く違うのだ。

多くの外国人は日本の場所くらいはわかる人は増えていると思うが、まさか米軍基地があるとは思ってもいなかった、その程度でしかない。

日本人にしても、例えばラオスとカンボジアの位置が分からない人だらけだろう。

しかも米軍優先で日本に制空権が無いというと、目を丸くして驚かれる。

だから敗戦国日本は米国の占領下であり属国でしかないということが現実で、米軍基地の中で起きていることは日本は一切関与できないというと、皆が占領下であるという表現に納得する。

日本人でも知らない人が多い現状、当然多くの外国人は知らない、その程度が世界の認識である。外国人が知ってしまうと、なんと弱腰な国だという認識となる。

自衛隊は軍隊ではない異様さ。

尖閣諸島や沖縄に中国が攻めてきたとしたらアメリカさんが助けてくれると思っている人が多く、ましてや中国が攻めてくると思っている人はほとんどいないというと、「嘘でしょ?」と言われるのだ。

世界から見ればどれだけ甘い国かであるが、単に知られていないかである。

ロシアや中国が海と空で執拗に挑発している、北朝鮮がミサイルを撃っても「遺憾」しかないのが日本政府であり、北方領土と竹島を取られたままだと説明すると、独立国じゃないと言われる。

しかし喜んでロシア、特に韓国旅行する日本人のなんと多いことか。

自分の家の庭が取られたら怒るであろうが、それが国家になればどうでもよいし、そもそも知りもしない。それが多くの日本人であろう。

外国人からすれば富士山と寿司、ラーメンという程度で、日本のことなど知らないのが大多数であり己惚れない方がいい。

そして日本人の若者が日本の歴史、文化、伝統には一切目を向けず、技も磨かない状況で将来があるはずはない。

日本人であるのに大事な日本の製造、土木建築、重労働では無くても誰かがやることになる縫製や弱電の仕事、コンビニやファーストフードもやりたがらないから外国人に頼るしかない。技能実習生という隠れ蓑や学生という名目で実態は労働者の補充である。

極めて恥ずかしい二重行政、政治の表と裏という日本らしい嘘で成り立たせている。

日本の労働力で大事なことであるのに、多くの人が見下す職業を外国人労働者が変わりにやってくれている。給料が安いだ、見た目がどうだとやらない日本人の変わりに日本を支えてくれている。

しかしその多くで搾取や暴力が蔓延し、知性も理性も無い獣が外国人を利用しまくる状態という会社もあるわけだ。

日本人自らが日本人を貶める行為を続け、世界から信用を失っていっているのである。

日本で仕事をしてくれる数少ない人々から最終的には嫌がられ、その結果日本そのものの印象を悪化させているのに知らない振りを続けるこの国の政府は観光大国を目地しているという。

円安で外国人の皆さん、どうぞ遊びに来てと言いながら未だに国を全面開放せず、株を買ってくれというバカなトップ。

グローバル経済を押し付けられ、食料自給率は低いまま、資材や物品を輸入しなければ成り立たない中小企業の悲鳴もどうでもよい、聞く振りなんちゃって総理が国を破壊している。

このようなことを続けていながら製造業の復活も何もあったものではない。当然の話であろう。日本はどこを見ても衰退しか見つけられない。

マスコミが素晴らしい素晴らしいと言っていることに、正解は無い。褒める行為の裏には何かを隠す意図があるのだ。

なぜなら厳しい指摘こそ大事なことなのに、スポンサーや政治の顔色しか見ることが出来ないので本当のことを言わないのだから。

学校や家庭教育で、もしほめて伸ばすなるものこそ正しいと信じてやってきたのなら、一時の成功はあるかも知れないが、大事なことは継続である。

褒めると同時に違うこと、間違っていることもしっかりと伝えないと現実を直視しないということになる。しかし職業先生が蔓延し、公職である意識、子供を導くという聖職感や倫理観の無い破廉恥教師だらけにしか見えない。

少し前、知人が言っていた。先生に倫理観を求めるのが間違い。食うためにやっているだけだと。なるほどと感じたものだ。

だから子供はその嘘を見抜き、その程度の職業先生に教えられは、たまったものではない。。

だから子供目線でも真面目に考える子、鋭い子ならこの国からの脱出を考えるではないのだろうか。

そして大人になれば今度は私利私欲の政治屋しかいない。

日本素晴らしいという番組と同じ状態で、悪しきことは隠し、都合のよい部分だけを言っていては極端に偏っているだけである。

そしていつの日か、人は失敗や挫折を経験する。その時に立ち直れないのが褒めて伸ばされた側の人たち。なぜなら物事は忍耐することや時に歯を食いしばって継続していくことを通してしか分からないこともある。

辛さを耐えたからこそわかる世界もある。

どこかで辛さを正面から受け止め、克服することをやってこなければ、褒められて調子に乗っているだけでは、いざ大きな壁に当たった時に乗り越えられないのだ。

分かりやすく言えば登山である。

あなたなら大丈夫、必ずできると幾ら繰り返されても、実際にやってみれば楽しいだけではない。天候不順になることもあるだろうし、足を滑らせて捻挫することもある。上から石が落ちてくることもある。

しかし都合の良い「あなたなら出来る」では、現実を直視していないから失敗する可能性が高い。

昨今、高齢者を中心とした登山での事故が増えているが、新型コロナの影響による日本政府の失策で自粛という名の隔離が続き過ぎたことがあり、その反動も手伝って人と遭遇しにくい山ならという人も多いであろう。

中には過去に山をやっていたという人もいるだろう。

しかし現実は衰えた自分がいる。気持ちはまだまだいける、あるいはこの程度の山ならという現実を直視しない甘さがケガや大事故に繋がっているのだ。

現実は厳しい、その当たり前のことが、褒めて伸ばす側、都合の良いところだけを切り取る思考法の人は問題に直面しても回避能力が低いか、無いのである。

だから本当の苦労、挫折に直面するとダメになるのだ。

世の中はどんなに左翼側が平等だと騒いでも明確な縦社会であり、階級が存在する。山奥にこもってバンダナをして酒を飲みながらVサインを出して歌って現実逃避している人がこの令和の時代にもいるが、しかし大自然だと山の中に入っているあなた方も環境破壊の一因だということを理解しているのだろうか。

手を繋いで歩きましょうと幾ら言っても、マシンガンを向けてくるのが世界であり、話し合いましょうと幾ら言っても目の前で親兄弟が撃たれるのが現実である。

残酷な社会、厳しい現実を直視しないから、失敗から学ぼうとせず都合よくすり替えるから日本は世界の中でも弱い国に堕したのである。

割と多くの人が「選挙で投票したい人や党が無い」という。そして、良いことはやっている振り、聞いている振りだけで実際は国民が苦しくなることしかしない自民党と、ばら撒きの公明党という図式でますます悪くなっているのに、投票したい人や党が無いから同じく自民党という人だらけになっている。

よく分からないから今までと同じという構造で左翼政党という人たちも同類である。

そもそもあなたが望むような完璧は存在するはずはない。政治はベストではなくベターでしか選べない。

その判断は、小異を残して大同である。多少の違いは目をつぶらなくてはいけない。そして少しは自分にあった考えが含まれているのなら、変えることを選ぶのが大原則である。しかし勉強不足も手伝って結局同じ党に戻るのだ。

つまり本気で変える気など無いのである。良く調べ、少しでも可能性があるなら賭けるしかないではないか。

自ら考えてどうにかする、それが無いから壁に直面した時、周囲をきょろきょろとみて何となく皆にあわせる、あるいは困ったら国が何とかしてくれるという極めて甘い発想しかない多くの日本人。大災害の映像で日本人は整列しているというのは、日本人の美徳として数えるのは違う。

考えることが出来ないから何となくそうしているだけだ。

しかし政府が日本を破壊し続け、潜在的な不満が高まってくればくるほど、整列は無くなりやがて暴動という日が来るだろう。

世界では暴動がよく起きるが、あまりの日常の不遇からきっかけがあれば爆発してそうなるのだ。日本もそういう日が来るのは近いのではないか。

あるいはいつまでも飼いならされたペットでいたいのかどうかだ。暴動を肯定するのではなく、自分で考えよ、自分で選べ、そういうことである。考えて行動せよということだ。

世界は、世の中勝ち負けの論理ということを明確に理解しており、弱いものは食われる原理で動いている。

そこにきて伸ばすために褒める、つまり臭いものには蓋、現実逃避し悪しき部分から目をそらすということを続けた国が勝てるはずも発展するはずはない。それが今の日本、発展できず、不遇の人を増加させているだけという現実がここにある。

自殺者は多く、統計の都合により状況から見て自殺であろうが、不審死として処理してまで数を調整している。

なぜ日本は戦争で負けたのか。考えてみるべきである。失敗から学ぶべきである。しかし国民の多くは目を反らすだけだ。

あるいは保守から右側のように軍神だ侍だと美学に酔いしれていても絶対に良くなることは無い。それだけ立派ならなぜ負けた?

逆に中国や韓国と歩調を合わせ、悪しき日本、残虐な日本軍と繰り返していても絶対に良くなることは無い。

素晴らしい素晴らしいを連呼しても、ダメダメを連呼しても、それこそダメなのだ。だからイデオロギー発想ではうまくいかないと過去に何度も書いているのである。

いずれにせよ、褒めて伸ばす的発想は、やがて壁に当たった時に乗り越えることが出来ない。世界の中でこんな甘ったるい国は日本だけだろう。繰り返すが世界は競争の原理でしか動いていない。

世界平和と言葉でいうのは簡単だが絶対に世界に平和は来ない。弱肉強食こそが世界の原理であり、平和とは勝手に想像するだけの逃避に近いものだと考えた方がよいであろう。

なぜ、かつての保守派の知識人たちの予言は外れたか。

それはほめて伸ばすとは真逆の時代を生きた日本人を前提に論調を組み立てたからである。

まさか恥も外聞もない連中が政治屋集団を作り、税金を食い逃げするために政治を目指すゴミ日本人がいるという前提ではなかったからである。

企業も商道徳、倫理観があるという前提だったのだ。まさか目先の利益のために技術を切り売りし、技術者を解雇し、開発をせず、大事なメンテナンスを軽視するとは思わなかったのだ。

メンテナンスが利益を生むという製造では大原則の理屈を忘れ去り、補修費を削る。そして自分たちの首を絞めることになった。そして最後は外国企業に身売りするとは、まさかそこまで日本人が墜ちるとは考えられなかったのである。

そこまで恥ずかしいことをするのは日本人だと考えなかったからこそ、日本の復活を信じていたのだ。

コンプライアンスという名のもとに、自縄自縛になり部下の指導も出来ない。当然、そういう期間が続くと指導経験が無いから今度は発想力も無い。そんな連中が管理職の会社が発展するはずが無い。

そして極めて異常なSDGsなるものに右も左も見事に騙された。こんなものは形を変えた搾取でしかないのに気がつけないほど、本来は頭の良いインテリ層が多いはずの左翼まで見事に引っかかっている。

環境だ、貧困対策だ、人権だといういかにも左翼が好むことに隠れて搾取するのがSDGsだと見抜けないのは、厳しい現実を直視せず、反対のための反対、あるいは単なる感情論で論理思考を捨てた結果であろう。

子供をほめて伸ばすのは、やがて前を塞ぐ壁を乗り越えられないひ弱さだけが残ってしまう。だから世界で勝てなくなるのは当然の話である。そして子供たちは大人になってもまともな就職先が無い。かつてのアジア諸国が日本に出稼ぎに来ていた現象が、日本人がアジアに出ていく時代になっていくだろう。

悪口は厳しくいうが現実逃避しているのが左翼である。単なる悪口評論家でしかない左翼政党の票を減らすのは国民の義務だ。政治は結果であり、長年政党でありながら日本を良くしない左翼なら、為さぬことの罪で落選という罰が必要である。

しかしだからといって見た目に美しく舗装した道で、結局日本を地獄に向かわせているのは今の与党であることも知らねばならない。

言葉で誤魔化し、嘘をつき、平気で論調を変え、本当に都合が悪くなれば、つまり本質を突かれると語気を荒げて相手を恫喝するような連中が元総理という異常な国が日本であるという現実を直視すれば、あの人たちの党はあり得ないのだ。自民党は絶対に保守ではない。

日本人は日本をどうしたいのか。

まさか全日本人が目先の欲得だけに生きているのではあるまい。本気で考えて、本気で行動しないと、歴史と伝統がある日本は崩壊することになる。

踏襲型で行動せず、理屈を並べて結局やらないのがあなたなら、あなたこそ日本破壊への加担者である。


元号、夫婦同姓、戸籍は止めよ!無駄と搾取だらけの日本

2022-07-02 11:52:01 | 考え方

タイでは、タイ式の仏暦です。今年は2565年を使っています。だから日本の様に元号が変わることで大変なことにはなりません。西欧は当然西暦ですから2022年。日本は元号を使うのでカレンダー、役所、日常を含めて結構面倒です。皇紀2682年を使えばいいだけです。

そうすれば皇室を貶めることにもなりません。なぜ、国民全員のためのことをしないのですか。なぜ国民は求めないのでしょうか。

日本人は物事の改善を得意とするはずの民族なのに、実態は大事なことほど放置して過去を踏襲する思考停止型です。時に嘘までついて文化伝統、歴史だと言い、だから変えないという珍妙な屁理屈を出すのです。

なぜ仏暦まで出して皇紀と比較したかは合理的だからです。西暦は便利だから使われているのが日本。西暦を使うなら、そもそも自国でしょう。簡単な話です。

日本の歴史だ伝統だという自称保守派なのに、では西暦が使われていることに違和感が無いのは、あの人たちが偽者だからです。

なお、皇紀の歴史的根拠は?となったら正直、そこはどうでもよいとしか思っていません。国民にとって便利であればそれでいい。タイの仏暦も釈迦の確実な生没年は分からないのです。

イエスも本当はわかりません。そもそもクリスマスと結び付けているほどキリスト教もいい加減な状態です。

それでも少しだけ触れれば、元号を天皇と一致させるのは明治からで、かなり新しいわけです。皇紀も明治5年の話です。ということは皇紀でも、元号を使用する根拠とさして変わらないわけですが増えるだけで変わるわけではないのでいかに便利になるかということです。

当方は神武天皇を信じておりません。なぜならほとんど縄文時代の話です。当時のことがほとんど分かっていないにも関わらず、しかし天皇については明白なことこそ無理があります。

無理して歴代天皇を当てはめるから、例えば初代神武天皇も127歳(日本書紀)みたいになるわけです。景行天皇は147歳です。

元号も大化の改新の645年からでその後も令和で248個もあるのです。時代や天皇とはほとんど関係が無いことが分かります。その時々で、なんとなく災害が多いから変えよう、そういうものでした。

ましてや元号の考え方そのものが古代シナです。これこそ自称保守派の大矛盾なのです。そして元号を使っているとは、今では世界の中でも日本だけではないのでしょうか。元号は止めるべきです。

続いて夫婦同姓問題です。政治は自称保守を名乗る連中が夫婦同姓のままにせよと、いつまでカビの生えた発想から抜け出せないのでしょうか。元号と同じで、法律で夫婦同姓をいっているのも、もはや世界でほぼ日本だけではないのですか。

どうしていつも大事なところで判断を間違えているのか。

自由主義を標榜するなら選択の自由を最大限に認めるのが筋です。何も完全に夫婦別姓にせよということではありません。選択的夫婦別姓にすればいいだけです。

自由とは、選択の自由があるわけです。日本が自由主義国家なら、なぜ選べない夫婦同姓なのか、まったく理屈が通りません。

普段はアメリカ型の物いいをすることが多い政治家も、大事なことになると意味不明の考えで逃げ切ろうとするから意味が分かりません。アメリカは残酷なまでに合理的な判断をしますが、そういう大きな意味があることは知らんふり。

それが日本の歴史だ、伝統だ、文化だという意味不明の言い方で逃げるのです。

州によって違いはあれども、選択的夫婦別姓がアメリカです。そのうえで同姓を選択するのだからそれでよいのです。日本もそうなれ、そういう話です。アメリカ大好き、あるいはアメリカに盲従する政治屋はアメリカを見習いなさい。

なお、日本はアメリカの属国、占領下にあります。なぜなら敗戦国だからで、戦争に負けるとはいかに悲惨かということです。しかし多くの日本人は考えもしないことでしょうが、それが現実です。

だから偏った情報が多いのは仕方がありませんが、情報を鵜呑みにするかしないかは各人の生き方であり、その人の頭の問題です。

しかしアメリカ追従だからロシア、ウクライナ問題もウクライナ側の主張を鵜呑みにする幼稚な人が後を絶たないわけです。アメリカ型の情報を鵜呑みにするから、見えなくなっていることが山ほどあるわけです。

ロシアを一方的に悪者にして得をするのはどこですか?それはアメリカではないですか。マスコミは危険です。情報操作されてから後、どこかのメリットのために情報が流れるという当然のことを日本人の多くは認識できません。

新聞を読むのもいかに危険かが分からないので、無駄な金を使って購読を続けているのが何よりの証拠です。

話を戻し政治家を自認する人たちは、夫婦別姓にしたら将来子供が困るだとかまで口出しする存在では絶対にありません。それは各家庭で判断すればいいし、なぜお前が各家庭のことにまで口出しするのか、そして保守を名乗るのか気味が悪いのです。

現実に世界は選択的別姓で標準。保守を名乗る政治家がいかに不気味かということです。

いずれにしましても、どうしてこういうことは誰のためかで考えないのか?です。皇紀2682年とし、西暦や仏暦と同じでただ増えるだけなら混乱は無いのです。自由主義というのなら選択的夫婦別姓以外、ありえません。自由ではないから苦しむ人も出てきているのです。無駄と苦しみは止めるべきです。

そして戸籍の話です。

古代に制定された戸籍制度も、住所がある現代では不要です。戸籍制度がないのに成立している国、例えばアメリカやフランス、シンガポールがあるわけですから、やれば出来るということです。

最近、中国にたてつくようになった韓国でも2008年に止めています。日本も即刻止めるべきです。そこに関わる膨大な無駄を全部排除すべきです。

日本はかつて、流通に多くの組織が関わり、高コスト体質でした。しかし中間搾取が減ることで便利かつ安くものが手に入るようになったのは事実です。

しかし税金を使う連中の安泰のために、高い税金を払わされている構造に怒るべきが国民です。税金を浪費することで成り立つ行政なら国民の為ではありません。

政治屋や公務員も生活があるという反論をしたい人はいるでしょうが、根本的な間違いです。いらないものに金をかけることに、擁護は不要です。

そもそも成果が極めて低く長時間残業している能力の低い人、残業代を生活費としている情けなくもずるい人に対しても、あの人なりに頑張っているという意味不明の理屈を長年通してきたのが日本なのです。

世の中、本当の部分で見ましょう。表面だけのごまかしはいりません。

もう、そういうバカなことを止めないと、ただでさえ世界の食い物にされており目減りするだけなのに、多くの日本人は上級国民という大原則として搾取する側に奪われているという二重構造からの脱出ができません。

多くの日本人を苦しめているのもまた、日本人であるという現実を考えて、多くの国民は「いい加減にしろ」と反旗を翻さないと嘘です。なぜならこのままでは当然日本の未来は無く、子供たちには残酷な世界が待っているだけだからです。


人生の成功と失敗、勝ち負けをどう判断するか

2022-06-28 11:17:34 | 考え方

皆さんは自分の人生にキーワードがあるでしょうか。モットー、信条、そのように言ってもよいのですが、指針のようなものです。

何かを基準にしていると、どういう「ずれ方」をしたかが分かりますが、何もない人はふらふらし、感情も簡単にグラつくはずです。

「人生を正面から考える」、この大事なことをほとんどの人はやりません。何も毎日考える必要は全くありませんが、逆に全く考えないで時間を過ごしていると、気が付いたら何もない自分だけがただフワフワしていて、やがて老いた自分を後悔してしまうかも知れません。

人生の成功と失敗、そして勝ち負けを分けて考えてみます。

何をもって分けるのか。

成功と失敗で、人生の成功者とは「自分の自由に、好きに生き続けている人」です。

この一文で考えると、出来ている人は極めて限られます。

多くの日本人が致命的にそもそも失敗している考えが、金銭の多寡です。自由に好きに生きられるとは、生活に不自由せず生きることであり、しかも好きなことがあることは大金持ちである必要はありません。好きに生きられればいいのです。

金持ちだから幸せだ、社長だから幸せだ、そういうことは一切ありません。金が少なくても自分らしく自由に、好きなことをして生き続けていれば成功を続けています。

失敗者とは、生活に追われ自分の無い人です。しかしもっともらしい理由を出してきて、家族の為、会社の為、〇〇の為といいます。他のために生きている自分というのは一番の隠れ蓑です。その道は変えられるはずであり、変え方も千差万別なのが本当なのです。諦めた心情から始まり、家族その他を理由としていないか、よく見つめるべきです。

成功という言葉。ここで重要なのは、継続です。一時思い通りになってもそれは人生の成功ではないのです。

人生は誰のものですか?とにもかくにも自分自身のものではないですか。自分がどうあるかで周囲との関係が決まります。これを逆に見ている人だらけです。そして自分さえ我慢すればという考えでは、実は無理しているだけの話であり、単純にいって無理をしている成功など無いのです。

だから成功か失敗かで分ければ失敗者であり、失敗を日々継続しているだけです。だからもっともらしい理由を並べている自分が失敗側だと気が付けば、そこからようやく新たなる視点も生まれる可能性があります。現実逃避、あるいは思考停止は止めるべきです。

前にも取り上げましたが自由とはとても難しいことです。多くの人が望むが手に入らないもの、それが自由です。仮に自由らしきものが手に入っても継続こそが難しく、やがてそれは真の自由ではなかったことに気が付くのです。

なぜなら、これもそもそもん論ですが、自分の好きなことが明確な人も極めて少ないのです。自分の好きなことは何かと改めて問いかけられると、実は無いという人がとても多いのが現実です。当然、時間が生まれてもやりたことが無いのです。

典型的な言い訳パターンに今は忙しいが定年したら、どこかで時間が出来たら好きなことをしたいというものがあります。こういう人は大勢いますが、すみませんが典型的な失敗者の部類です。本当に好きなら今すぐやればいいのであり、そのやがてという時間は来ないと思うべきです。

定年を指折り数えて待つ人は、自分が本当に好きなことがありません。本当にやりたいのなら、勤めながらでは無理なのなら、たとえ定年の1年前にどうしても槍田こと、好きなことが見つかったのなら、その道に進めばいいのです。先送りに良いことなど何もありません。

周囲がどういうか、どうでも良いことです。誰のための人生かです。

定年までもう少しと待っても、何もかが変わっていきます。状況が変わり、定年後の自分は老いていて、しかも想像よりも悪化しているはずです。これはもはや法則です。今を生きられない人に豊かな老後は無いということです。いざ現実に直面してから、「まあ、こういうものだろう」と言い訳して、誤魔化すのです。

過去に会社勤めをしていたころ、年配者の知人で定年退職となった人たちの中で何人もの人が病死するのを見ました。定年したらあれをしたい、これをしたいと言っていた人たちがその数%もできずに他界しました。また、定年して数年後、痴ほう症で徘徊しだした人もいます。全員ではありませんが、現実はこういうものでしょう。

先のことなど一切分からないからこそ今を生きるべきです。先延ばしにしていると、全く想像と違った定年後、そういうこともありえます。今を大事に出来ない人、理由をつけて先延ばしする人に、先延ばししていた好きなことなどほぼ出来ない現実が待っていると考えるべきです。

国民皆保険という世界でも極めて珍しい国にもかかわらず、先の見えない将来だと世界で断トツ、異常なまでに保険に加入しているのに、いざその保険が必要になる事態になった時の自分の時間はどうなるのか、そこまでは考えていないのです。

ちなみに、「忙しい」は多くの人が使う隠れ蓑ですが、心が亡い人、縦にすると物事を忘れる人が好きな言葉であり、忙しいを連呼する人に仕事の出来る人は存在しません。断言します。当然、忙しい部署には無能な上司しか存在しません。見抜き方は実に簡単です。まともな仕事をしていないから忙しいのです。

やることが多いからと機械的にそれをしているだけなら、機械やコンピューターで代替えできるだけのこと。人間なら頭を使って改善し、時間を生み出すべきではないのですか。まるでいつまでも電卓で複雑な計算をしている人のようです。そのようなものエクセルに関数設定するだけの話です。

ここから人生の勝ち負けです。人生の勝ちとはどういう意味か、どういう人たちなのか。それは挑戦を続けているかどうかです。新しいことに挑戦しているかです。守りの人生は完全に負け組です。

「出来るか出来ないか」、これは時間の無駄であり、失敗、負けの典型です。「やるかやらないか」、それだけです。「うまくいくかどうか」はやってから後の話です。

「後悔と反省」の決定的な違いは、後悔はやらずに後から悔やむことであり、反省はやってから失敗点を見つけ、改善することです。つまり反省は行動しない人にはあり得ないのです。

やってみてうまくいかなかったことも経験という財産です。

行動している、挑戦している人こそが人生そのものの勝ち組であり、しかもそれが自分の好きなこと、興味を持てること、自由の自由な時間を生かすことのためにやっているのなら、人生の成功者です。

繰り返しますがそこに、地位、名誉、金品的な財産は一切関係ありません。なぜなら時間は金では買い戻せませんから。どんなに金があっても買い戻せない時間なら、今を生きるしかないのです。今をという時間を充実させるからこそ、振り返った時に充実した人生といえるのです。

何も挑戦しない今を生きているのなら、何もなかった人生ということです。

日本人は「バケツの中のカニ」と比喩されます。ガサガサ動いているが無駄な動きだらけであり、しかも他の足を引っ張るだけ。SNSには妬み、嫉妬、誹謗中傷だらけで建設的な話は壊滅状態です。さらには愚痴不平不満とゴシップがあふれています。そのような類をニヤニヤ見ているのは下品の一言です。

マスコミは問題の本質に切り込みません。スポンサーがつかないと成り立たない以上、その業界の誤魔化しや嘘は触れません。だから政治のスキャンダルやタレントの話だらけであり、そこに乗っかって一緒になり、どこぞの不倫だとかで正義感ブル偽善者だらけになってしまっています。そういう人たちこそ一番下品です。

あなたがまんまとその手法に騙されているとしたら、時間をそこで捨てているのなら完全なる人生の失敗者です。自分の大切な人生を、過行く時間を下品なことにしか向けられないあなただとしたら、何が大事なのか、自分のやりたいことは何なのか、自由の素晴らしさとは何かを1%も考えることなく、一生を終えることになるでしょう。

繰り返しますが、自分の人生は自分のものであり、まずは自分がどうありたいのかです。足を止めてみると、好きなことも見えなくなっているようでは完全に足を踏み外しています。

今が見えなくなれば先は不安だらけになり、誰かを頼りたくもなるでしょう。それもこれも日常に埋没しているからそうなるのです。根本的な問いを自分にしていないからです。

本来、そこに他人の言動による未来予想の占いや宗教は一切不要のはずです。自分の人生を自分らしく生きるために、なぜ占いや宗教が必要なのですか。未来予想が必要という人は、ずばり自分の人生を生きていないからです。単に日常に埋没しているからです。対人関係を改善できず、自分自身や他人を信じられないからです。

だから詐欺的手法満載の占いや極めて俗な類の宗教に頼り、詐欺的手法が満載だからそれらしく納得させられてリピーターになるのです。

全部、いりません。

成功と失敗、勝ち負けとあえて極端な角度から書きましたが、他人の言動に振り回されることなく、自分の立ち位置をよく見極め、自分らしさとは何かをよく考えていけば、おのずと将来は見えてくるはずです。

そこに他人を頼る未来予想や、こっちの方角だとかこの色だとか、これを持てば幸せになれるだとか、そういう類のことは全部不要になるはずです。

実はこういうことが不要な生き方も、本来の自由の一つなのです。なぜなら他人の言動に縛られず、自分の人生を生きられているからです。

自分らしい好きなことで囲まれて自由に生きているなら、それは成功であり勝ちであり、幸せな人生といえます。

時間は今しかありません。今の連続が将来を作る、それだけです。この簡単な真理を無視している人が多すぎです。今を大事に出来ない人は将来も大事なものとはなりません。

目先のこと、刹那的なことだけを選んでいれば、結局は場当たり人生で終わるだけです。

真の成功者、真の勝ちとは、自分の好きなことで時間を自由にできる幸せ者ということなのです。言葉では成功、勝ちと表現していますが、結局はその言葉も不要であり、好きなことを自由にしている幸せな人という意味です。


本当のゴミ問題、環境破壊の意味、隠れたSDGsと台湾問題を知る

2022-06-24 10:44:13 | 考え方

日本ではだいぶ前からごみの分別がやかましく言われていますし、実践している人がほとんどのはずです。

しかし知っておくべきことがあります。数年前に「いい加減にしろ」と停止させられましたが、海上コンテナに大量のプラスチックゴミを押し込んで、タイを含めたアジアの国に海上輸送していたのが日本です。

分別してちゃんと処理していたかといえば、いやいや、まとめて海外に押し付けていただけだろが、でした。その量は年間150万トンになっていたとされます。

そもそも論でゴミは分別するの前に減らすことが大事ですが、ほとんど無視。企業は売り上げ至上主義で少し変えただけでも誇張して騒ぐ新製品もどきを連打し、買え買えだらけ。大量消費の考えはもはや悪という時代に入っているいうことを認めず、とにかく金をよこせしか考えられなくなっています。

しかもその多くの海外資本に吸い上げられて、これではもはや奴隷状態ではないですか。

国民も大量消費の生き方を覚えてしまい、もはや後戻りできないツケを海外に送って帳尻を合わせていたとは、実は相当恥ずかしい話でしかありません。

中国は人権問題を含め、日本人でも色々と言っている人はいます。確かにそういう問題はあるのが中国です。歴史を見ても、日本がかつて学んだ素晴らしい歴史があるのは事実ですが、一方で虐殺を続けたわけです。

しかし少し前までその批判対象の中国にもゴミを送り付けていた過去があり、タイだけではなくマレーシア、ベトナムにも送り付けていたわけです。

もちろんそれらの国も、資源として再利用したかったでしょうが、現実はどんどんと規制。日本のあまりの無計画な失策に処理が追い付かないわけです。

道路の見かけのきれいさよりも見えない部分の姿こそ本質です。本来日本人は恥の文化があったことから、見えなくても手を抜かないことで芸術的なまでの技術を習得してきたわけです。しかし見えなければ誤魔化せるを繰り返し、日本の美徳であった恥の文化は壊滅しました。

その一番悪い例、ゴミの話が「原発」で根本が間違っています。よそに出す、取りあえず埋める、仮貯蔵して今をしのいでいるだけとは、文明国がやることではありません。解決方法が無いのにゴミを出し続け、どこかで引き受けてくれとウロウロを何十年も続けている醜態。

アメリカやロシアのような広大な廃棄場所があるわけではない日本で、廃棄物ゴミを処理して捨てる目処が無いのに、ずっと動かしていた原発など最大級の誤魔化しです。実に日本らしいの一言。

企業も消費を煽るだけのまやかし商品開発だらけですから、現実は良いものを消費者にではなくとにかく売り上げ主義なので、どんどんとゴミを増やすことに加担しながら方やSDGsとは、どこまで性根が腐っているのでしょう。

矛盾が甚だしいとしか感じませんが、それが出来ることが不気味にさえ思えるのです。こういう誤魔化しを見抜けない左翼陣営も壊滅しているとは、なんども指摘していることです。

地球環境を、ゴミの無い世界をというのなら、本気でいうのなら、そもそも出すゴミから減らすのが筋。大量消費を煽っておいて、分別だとか再利用だとか。その前にとにかく出すなよ、売り上げよりも地球だろうが、という人しか信用できません。

しかし話はすり替えられて、ちゃんと分別しよう、あるいは再利用しているから優良会社だと誇ります。そこにきてSDGsなる気味の悪い誤魔化し、矛盾だらけの新たな金儲け手段がありますが、結局まともな作業はしておらず、その多くは補助金その他で太るだけです。組織があるところ、100%利権あり、絶対に忘れてはいけない視点です。

SDGs17ある項目から、

SDGs1 貧困をなくそう
SDGs2 飢餓をゼロに

これ、実は簡単じゃないですか。企業が大騒ぎして社員を巻き込んでやっている振りは不要です。社内留保を大々的にそういう地域に回せばいいだけです。世界の巨大企業はどれだけ金儲けしていますか。取締役が何十億と収入を得ているうちのほんの少しを貧困や飢餓で苦しむ人たちに差し出しなさいよ。それでかなり解決です。

日本人がボランティアでアフリカに行って井戸を掘るなど、本来あってはいけないことであり美談でもなんでもないのです。なぜ金や権力があるところはやらないのですか。見かけ上やっていてもそれは将来の見返りのための先行投資でしかありません。大掛かりな組織が、金がある人たちが本気でやらないから、個人が自腹で、そうなるのではないですか。

SDGs7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに

太陽光発電や風力発電は典型。よくもこんな醜いことをやっているものです。「再生可能エネルギー発電促進賦課金」とは、電力会社らしい国民への押し付け。なぜこんなことがまかり通るのか、つまり政治が腐りきっているという答えになります。その政治屋どもを支持する国民の性根が治らない限り、この国は終わるだけです。

それどころか悪化を加速させるだけの海外資本が儲かる構造であり、環境破壊の典型でしかないパネルや風車のために金を払わねばならないのか、どうしてかくも国民は疑問がないのでしょうか。皆、騙されています。

ちなみに個人宅であっても太陽光パネルは採算が合わないでしょう。だいぶ前に徹底して試算したことがありますが、結論はメリットどころか損失という答えしかでませんでした。

少し前に動画で見ましたが、採算が取れるか取れないかという20年に及ぶ自宅に取り付けた太陽光パネルを実地体験した人の結論、採算は取れず持ち出しとなっていました。当方の試算と、他人に実地は同じ結論になったのです。

実に簡単な話です。多額の投資の割には結局、補修費その他の維持費が必要になり金が出続ける、いかにも日本らしい嘘システムということです。

先に書いていますが、海外資本が大きくかかわる太陽光パネルと風力発電は、結局利権の話でしかなく、様々な種の保存のために重要な湿原を潰して大々的に並べられたソーラーパネル、見事な景観を破壊するだけの風力発電設備など、クリーンとは真逆の環境破壊でしかないのです。

クリーンどころかゴミを中国にも押し付けていたわけですが、中国の話が出たのでその流れ。割と世の中を賑わしている中国と台湾問題も、台湾の貿易で一番重要な国が中国であるという事実を知ったら、表で言われていることとは別な政治的な駆け引きの裏があるはずと視点が変わってくるわけです。

台湾人は香港の状態をみて一気に怖くなったことでしょう。中国政府は平気で嘘をつくと。そしてロシアがウクライナに攻め込んだので、戦争はあり得ると考えているはずです。

中国からすれば歴史的にも同じ国扱いのまま、そして実効支配してさらに儲けを増やし、アジアに勢力を確立したいという思惑。台湾が本格的に中国政府の管理下になったら、困るのはどこか、そういう視点は大事です。

いずれにせよ、

現実として台湾は、中国が無いと困る国なのです。それなのにいくら日本の自称保守を名乗る政治屋を含めて勢いのあることを言っているとしても全部踊らされているだけです。あるいは知っていて票を取りたいだけで騒いでいるのでは。

本当に保守かどうか簡単に見分ける方法があります。それは台湾よりも北朝鮮の拉致問題が先ということです。現実に被害が発生している自国民を放置していながら、台湾問題もへったくれも無いのです。国会議員は日本国民を守るのが仕事であり、台湾人ではありません。

それでも拉致問題からは隠れて「台湾を、台湾を!」と騒ぐのなら、それが本気なら、では正式に台湾を独立国とし、国交を樹立し、威勢の大騒ぎにふさわしい対応をすれば簡単ですが、絶対にやりません。だから嘘であり、答えはかくも簡単に転がっているのです。

現政界に政治家は数えるだけでしょう、その他は単なる職業政治、利権政治という政治屋です。だから矛盾しても、何ら仕事をせずにやっている振りでも再選したがるのです。

台湾についてはあくまでも事実で物事を見るとこうなるわけです。報道なんて、95%くらい割引いて考えないと、どこかに引きずり込まれます。

アメリカが台湾を守る理由がまったく見当たらない当方です。台湾は大好きな国ですし、自由に繁栄して欲しい国です。しかし、昔のイデオロギーの戦争時代ではあるまいし、アメリカが守る理由が分かりません。

むしろ問題は日本にどういう影響が出るかでしかありません。日本はあの辺りがルートとなる石油輸入で困って戦争にまでなったわけです。その重要性は今も変わらないのです。

何度も書きますが台湾は大好きです。何度も行っており、行くたびにいい国だなと思います。しかし歴史を見れば、もう中国の一部としかいいようがないのでは?

実は日本もそれを証明しているのです。下関条約です。日清講和条約で、日本は清国から台湾を譲り受けたのですから、そもそも清国となるのです。

【清国は遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)】

こういう経緯が歴史的事実です。

その前もざっくりいえばオランダと中国(明)です。事実上支配したオランダに対し、「抗清復明」で何とかした明。それまでは多民族が寄り集まっていて、明確な統治が無かったのが台湾という島で、どちらかといえば中国本土からも少しずつ人が入ってきていたのです。

倭寇も拠点としていたわけですが、実はその倭寇には朝鮮半島の人たちなども混ざっていたので、単純に日本の海賊ともいえません。しかし教科書ではなんと教えてきたのでしょうか。よって一方的に日本人をイメージさせる倭寇という言葉は捏造用語です。

もしオランダが、実質的な統治をしたのは我々だなんていい出したら、じゃあ台湾はオランダ領土なのか、という話もせねばなりません。

歴史をもって我が国の領土というのがいかに危うい話かということです。歴史的にどうだこうだというのは実は双方に言い分があり、古い文章が見つかったというのは、その時の話であってまたひっくり返るかも知れません。ではどうするか。

武力で奪われたものは武力で奪い返すのが国際社会の本当の姿です。なぜかは簡単な話で、そうしなければ舐められて要求がエスカレートするだけだからです。それに準じるのが盗まれたものにとんでもない額を提示して買い戻す方法。長い間やらないから結局難しくなるのです。完全なる政治に失態です。

どこが与党だったのですか?政治は全て結果、言い訳せずに舞台から降りねば偽保守です。保守を名乗るなら、大和魂だとか大和撫子だとか、侍だというのなら誇りがあるはずですから。

ゴミ問題に戻しながらちょっと似たような事例で多くの人が騙されている話が買い物袋。ビニール袋が海洋生物に影響を与えているからスーパーの袋は自前となって久しいわけですが、エコバックというウソの名前のバックを持参しても海洋生物とは1%も関係がありません。

ビニール袋があるからウミガメが飲み込む、いやいや、その前にその辺に捨てるから海に流れていくのです。ゴミとして処理されていれば海に行かないのですから、これはビニール袋が有る、無いではなく、その辺に捨てるというモラルの話。いつのまにかすり替えられているのに、なぜ気が付かないのでしょう。

ところがなぜかレジ袋を有料にして、問題解決に繋げたいという気味の悪い、意味不明の論理を皆、信じ込まされたわけです。

それで万引きが増えて大混乱。だからここでも証明されていることは、本当はどこまでいってもモラルの話でしかありません。

自前の袋になったら万引き増加とは、結局本性が出ただけです。個人的には、今までの様々な経験、あちらこちらで見聞きしたことを含めて、日本人は世界でもモラルが高い民族とは特に思っておりません。話をすり替える人たちにモラルは無いのです。

JTも世界では明確に健康問題として扱われるのが普通なのに、環境だとか他人に配慮だとか話をすり替えている典型で、そうまでして、全てを誤魔化して生き延びようとする姑息な方法だということを国民は認識すべきです。

北極や南極でも氷が溶ける季節はありますが、その溶けた映像を使っても温暖化の証明にはならないのに、その映像で信じ込まされることがあるように、世の中は実は、事実を使ってはいるものの意図的にゆがめられることが多いことには、注意が必要です。

事実と真実の違いを理解しない人たちが多すぎるのですが、事実とは反復性がある物、万人が同じと認めるもので、一つのことです。真実とは、ある事柄に対し自分はこう思うという人によって解釈が変わることです。つまり当人のみがそう思う、そう感じたというのは真実です。

例えば10という数字、これは事実です。しかし10が多いか少ないかは人によって違い、ある人は10が多いと思うのでそれがその人の真実なのです。ところが世の中の多くの人は、事実で物事を話しません。自分の解釈で物事を語るので平行線だらけ、だからいつまでもダメなのです。自分の解釈など自分だけであり、事実と真実を分けて考えられないことから世の中は混とんとするのです。

事実は一つ、真実は複数というのが意味の違いです。だから多くのことは事実で話さねばならないのです。

事実で物事を見るようになると相当な部分が分かります。

たとえばある政治家が公約を守っていないとなれば、数値目標の達成が出来なかったとなればそれが事実です。ところが理由を並べてお涙頂戴、言い訳をして公約を守らなかったという事実に対し、こういう部分はこうなっただとか理屈を並べます。つまりやらなかったという事実、これだけで判断すればいいのです。

結果が全ての政治の世界において、出来なかった理由を並べる姿が政治屋の典型です。潔く下野することが出来ないから、だからこそ政治屋なのです。

しつこく書きますが政治の大原則は全て「結果」です。なぜしつこいからはあまりに多くの国民が全く理解していないからです。とにもかくにも出来なかった理由を並べる途中過程は不要です。

選挙で投票すべき人が分からないという声が多くありますが、実は相当簡単な話なのです。結果のない人は落選、たったこれだけです!

そして今がダメなら新人に賭けてみるしかないのです。政党という枠は大きな視点のみ。個別にはぐちゃぐちゃなのが現実で、ということを人を選ぶのはそんなに難しいことではないのです。過去の人は実績をみる、新人ならかけてみる、それだけです。

しかし特に新人の注意点は、「当選したらこれから勉強しまーす」、という類のタレント議員は絶対に選んではいけません。政治の志が無く、今は落ちぶれたものの過去の知名度がまだある程度で流れで来ているだけです。

そういう人本人、そういう人を選ぶ政党も腐っていることを認識すべきです。典型的な職業政治で、公僕の資格は無く、当然ながら公憤も皆無です。

過去に当選したタレント議員も実績をみるだけです。再選の価値があるのか、つまり税金で飲食させる価値があるのかです。

いずれにせよ、事実であっても悪用するのが政治の手段の一つですからこちらも十分に注意が必要です。

溶けていることだけが事実で、それが温暖化なのかは別の話。こうしてデータがある、映像があるということでさえ、そのまま信用してはいけないのです。季節により大きな変動があるのも事実であり、溶けている=温暖化では無いというシンプルなことを知っていればいい。

ゴミ問題から色々と書きました。いずれにしましても、こういう視点を持てる人は、世の中の怪しげな洗脳、占い、マスコミ、政治の嘘に騙されにくくなるはずです。

氷の理論で水面から上は1割、水面下が9割。世の中で見えていることもそれはたったの1割で、見えない世界で暗躍している人たち、隠されていくことこそ本当の人間の姿、この世の姿でしかありません。

世の中、陰謀論というCIAが考えたともいわれる言葉がありますが、それをバカにして否定したがる人たちこそ、暗躍している人たちの思うつぼ、かなり幼稚な部類です。

陰謀が無い世の中など絶対に存在しないのです。そういう甘ちゃん発想は捨てて、何が事実かに向き合う姿勢が大事なのでは。


なぜ、日本は成長できなくなったのか。それは失敗を恐れる人だらけだからである。

2022-06-17 10:44:10 | 考え方

アジアを旅していると、日本で失われた寛容さをあちらこちらで感じることがある。日本では想像すら難しい徹底した格差社会になっている様々なアジアの国。しかしそれでも寛容さを持ち合わせ、ゆったりとした時間で生きている人たちを多く見かける。

世界を知らずに日本はいい、日本は素晴らしいという人は、あまりに狭い視点でしかない。かつて日本にあった美しさ、良さを残している地域が世界には存在している。

今の日本は皆が三面記事、ゴシップ大好きに堕してしまい、ちょっとしたことも大騒ぎし、少しのミスや失敗も厳罰にでも処したいほどくるってしまっている。

コンプライアンスの意味を理解せずに乱用し、何も言えない、出来ない社会構造にまっしぐら。いくらこれが外国から仕掛けられたこととはいえ、まるで奴隷のように受け入れて、やがては自分たちのものにして喜んで自滅していく様子は、愚かという言葉では表現できないだけ腐っている。

寛容さが無くなった日本では、何もかも縛りたがる。同時に、まるで悪しき相互監視社会になってしまった。

色々なことは経験であると思えなくなった多くの大人たち。口では言うが行動は真逆である。「可愛い子には絶対に旅をさせない」社会は縮小しかない。

例えば、小さな子供は歩いていて転ぶもの。それが危ないからと先回りして保護ばかりしていれば、結局子供の成長は遅くなる。体で覚えることを数多く経験させなければ、人との距離感やいざという時にどうあるべきかという発想が生まれにくいのは当然である。

アジアの場所によっては、今でも裸足で外を歩く人を多く見かける。そこは林の中だというところでも、子供が裸足で平気で歩いている。昔の日本もそうだったわけだ。人はもともと、環境に適応していく強い存在なのだ。

昔、企業で働いていたことがあるが、更衣室でのできごと。自分のロッカーの前のスノコに何かの拍子に一時的に靴で上がったことがあった。それをたまたま見た年配者が即座に怒鳴ってきた。

「何をしているんだ、汚いじゃないか!」

そんなに大げさなことか?とあきれた記憶がある。アメリカ映画でも見ようものならベッドの上まで靴を履いたままの人がいるわけだが、そういう人は発狂するから見ないのだろう。

外を裸足で歩いても滅多に大事にはならない。ましてや靴でスノコの上を一時的に歩くくらい、何が問題なのかまったく分からない。玄関を出て鍵をかけてから忘れ物を思い出すことがある。鍵を開け靴のまま居間に入ることがあるが、その程度のことで大騒ぎになる理由が全く分からない。

昔、中国に仕事で赴任していたことがある。休日に外を散策していたとき、リアカーにたくさんのスイカを乗せた人が商売をしていた。周辺には客が食い散らかした皮が散乱していた。そこに一人の老婆がいることに気が付いた。その老婆は、誰かが捨てた皮を広い、水たまりで洗ってから食べだした。

多少のものを口にしても人は死なない。お腹が痛くなってもそれは経験の一つ。

安全に安全に、きれいにきれいに。そして免疫力の低い子供が成長を続け、弱い人として大人になるわけだ。

昭和の日本で当たり前だったことが、今やすべて不衛生になっている。その割に病気が増える一方なのはなぜか、よくよく考えてみたらいい。全て商売の為、理屈をつけているだけなのだ。全員がカモである。

日本は大東亜戦争で敗戦している。ちなみに日本側の立場は大東亜戦争であり、第二次世界大戦でも、ましてや太平洋戦争でもない。

歴史の次いでであるが、中華人民共和国は1949年からであり、そこに数千年の歴史など存在しない。国名を略して中国というのはまだ分かる。しかしそれ以前の特に歴史的な意味を込めてシナと言えばダメだというのはあまりに頭が悪い。

英語のChina、チャイナはつまりチナ、シナを意味している。英語が良くて日本語でシナと言えば差別用語になるのは発想が完全に崩壊していると言える。

そのチャイナは日本に戦争で勝った気になりたいのか、それとも負けた悔しさが忘れられないのかずっと捏造反日を続けている。そういうこともマスコミが報道したら知り、報道が無ければ無関心という人は、何のことは無いマスコミに操られているだけだとそろそろ自覚してはいかがだろうか。

ロシア、ウクライナは交戦状態にあるのは確かだ。しかしウイグル、チベットへの中国の侵略は解決したのか。香港での弾圧は無くなったのか。さらに広げればミャンマーでの国軍の暴力は解決したのか。報道があるか無いかではなく、世界の現実というのは常に争い、侵略、暴力の中にしか無い。

話を戻し、日本は大東亜戦争で敗戦した。そう敗戦である。これを終戦と言い換えるのは極めて悪しきことであろう。負けは負けだ。

なぜ今の日本がこんなにもばかげた状態になっているのかは、敗戦が大きな理由の一つなのだ。単に負けただけではなく、巨大な嘘をやったのが日本である。

戦時中、大本営は事実を公表せず、隠し続けた。マスコミは大本営に加担し、嘘の情勢を流し続け国民は騙され続けた。しかしそれでも気が付く可能性はあった。それが言葉を創作しだしたことにある。そこで何か変だぞと気が付く人はいたが、大勢は考えることをしないのでどんどんと悪化した。

負けて逃げたことを「転戦」といった。こうして言葉で誤魔化し、結局手を打たないこと現代に通じる姿勢は戦時中に確立していったのである。

今でも政治屋は、善処する、配慮する、前向きに検討する、不徳の致すところ、遺憾であると言葉を並べるが、全てその場限りの舌の動きで本質的な対応は一切せず、時間が流れて忘れられることだけを待つ。

最もらしい言葉を並べて取り繕い、実際は行動せず何も変えない連中は、ずばり悪魔の側であることを覚えておくべきであろう。

戦争で日本は負けた。なぜ、負けたのか。それを現代人はどれだけの人が本気で、正面から受け止め、学びに変えていったであろうか。ほぼやっていない。

犠牲だけを前面に出す左翼、負けにもかかわらず軍事美談を流し続ける保守から右側。だからいつまでたっても何も学んでおらず、議論にさえならない時間の浪費を繰り返しているのが日本である。

負けという失敗を正面からとらえ、その理由を様々に考えて学ぶことが大事のはずである。しかし戦後は目を背けることばかりであった。右も左も所詮、命令により命を散らした人たちのことを本気で考えていない。

左右という立場に自分はあまり深くは属さないと思っている人たちは、「見ざる聞かざる言わざる」を続ける人が多数いる。知らない振りをしても起きたことが消えることは無い。それなら正面から考えるべきではないのだろうか。しかしずっと知らない振り、気づいていない振りを続ける。

そしてイデオロギー発想の人たちも、別の意見から学んだらどうだ。確かにそれが出来ない全体主義者だからいつまでも歪んだ視点であろうが、戦争について話すなら、自分は本気だというのなら違う態度がある。

本気なら自らのくだらないこだわりを排除し、そこから様々な形で学ばなければいけないのに、批判か美談かの極端しかないのは、結局立場に終始して先人が犠牲となった命から学ぶ姿勢は無い。

日本人はとにかく極端にぶれる国民性がある。右側だった戦時中から極端な左の戦後へ。何でも極端にぶれてしまい、ほどほどが分からない。一か八か、ダメなら止めるだけで、中間というもの、ほどほどが分からない。グレーということが発揮できるのは責任逃れするときの不透明さだけである。

例えば事件の容疑者が検挙されたとしよう。裁判が終わり有罪となるまで犯人ではない。つまりグレーでしかない。しかし逮捕=犯人という気味の悪い発想から抜けられないマスコミと洗脳された国民は絶対に理解できない。後で冤罪だったとなっても、極めて小さい扱いでその頃には誰も興味さえ持っていない。衆愚の典型である。

敗戦という大失敗をしたのに学ばない日本人だが、その傾向は時間の流れで悪化していく。

どこもかしこも為さぬことの罪を考えず、踏襲主義、自己保身、責任転嫁、そしてちょっとしたことでも問題があれば、大合唱して責任の追及である。こんな国が良くなるはずは無い。

人は経験して大きくなり、その経験を生かして学んだ知識と結び付け、次につなげねばならない。しかし恐れてばかり、責任追及を逃れるために為さぬことだらけでは、どうやって大きくなれるというのだ。

言い逃れ名人が数多く出れば出るほど、悪化の証拠でしかない。

企業はどんどんと小さくなり、誰も責任を取らない。普段は縦社会を振りかざし偉そうにしている高給取りたちだが、いざとなると集団責任に隠れ、時間が過ぎるのを首を引っ込めて待つだけである。

海外で日本のニュースを見ているとき、周囲の外国人にいうことがある。

「この会社は不祥事を起こして記者会見するが、三人が出てきて謝罪するから見ていて」

その通り、三人が出てきて頭を下げる。人数が多ければいかにも謝っていると受け止めてもらえると思っているのか、一人が怖いのか、集団に隠れたいのか、なんなのだこの器の小さな経営陣たちは。

間違いは間違い、失敗は失敗、状況を説明する場なのに、どの企業もいつも三人。形式主義を続けているようでは本当の謝罪も反省もそこには無い。

政治は口だけ批判の野党と、何かあっても誤魔化しだらけの与党。大本営の転進よりも悪化し、統計データを調整してまで自己正当化できる今の様子は末期状態である。

失敗を恐れ、小さな失敗が見つかれば鬼の首を取ったように大騒ぎするマスコミとゴシップ大好き国民。自分の誤魔化しや嘘を棚に上げ、よくも他人のプライベートやどうでもいいことで大騒ぎできるものである。

そして今の日本人とは、問題があれば問題解決よりも、そのものを止めてしまう意気地のない多くの日本人。どこかの公園で子供が怪我をしたとなれば、その遊具は使用禁止。下手をすれば水平展開して存在そのものが消されている。

今の公園にジャングルジムはあるのだろうか?

そして、何事も考えた結果だととってつけた理由を並べ、やらねば分からないことでも挑戦することもしなくなった。責任問題になることの撤収は秒殺で素早く、次に繋げることからは逃げてしまう。

戦後、なぜ多くの日本企業が世界で戦えたのか。それは挑戦したからである。焦土からの復興で、これ以上失うものは無いからこそ、前に進むことに力を注いだ。失敗を繰り返しても前に進むことを選んだのだ。

GHQに始まり、その後も米国から圧力を受け続けようとも企業は独自の道を、自分たちを信じて、何度も失敗を繰り返しながらも進んだのである。そこから奇跡的な経済の成功を手にすることが出来た。そのブランド力は諸外国からは脅威か、憧れであった。それだけ存在感があったのだ。

しかし今の日本はもうその片鱗さえない。

学校からして、友達と仲良くすることだらけにしか見えない。そもそも友達が必要だとか、友達が多くいることが大事という気味の悪い価値観こそ狂っている。一人になれない奴はまずもって、弱い、それだけのことだがそれを極端に恐れさせることを生徒に教えているのではないだろうか。

自主性と言いながら、個性と言いながら、いざ本当に個性的で我が道を行く生徒が出てきたとしたら、よってたかって矯正と洗脳であろう。とにかく均一、昔風に言えば金太郎飴が大好きなのである。

その大きな理由の一つが、責任を取りたくない職業先生だらけだからだ。

教育委員会も同様で責任の回避しか感じられない。もはや文化財保護を除いて存在価値は無い。

大人が見せる偽善姿勢や誤魔化しを生徒の目の前でやっているのに、口では個性だとか友達という。だからそれを見抜く鋭い、つまり個性的な生徒が潰されていくのだ。多くの生徒は洗脳されて思考停止となっていく。

そして大人になっても就職が困難なこの時代で、学卒で挫折を味わう。レールに乗った上級国民には分からない世の中の多くの人の現実である。

組織に入っても、横社会の様に見えながら極端なまでの縦社会が会社というものである。公務員の世界も同様だ。そして上役は自分の責任にならないように部下を育て、手柄だけは出世のために欲しいという構造がどこにでも転がっている。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」も死語の部類であろう。日本で偉くなるとは、金は上がるが徹底して責任逃れが出来る構造ということに近い。頭をたれず、謙虚さが無く、己の利権に酔いしれている連中だらけで国が良くなるはずはないではないか。

日本は望まないにも関わらず、戦争状態となり、そして敗戦。その後アメリカの属国に堕してしまった。それでも先人たちは失敗を繰り返し、努力を繰り返して日本を盛り返していった。

今の日本はその歴史を食い漁り、小分けをしておこぼれにあずかることしか考えない連中は、失敗を責任を恐れ、逃げ隠れをモットーとして生きてきた。

日本が再び立ち上がる日は来るか。無理である。

研究機関も予算が取れない。失敗からしか次は生まれない研究なのに、結果が出ないからと予算が出ない国は没落しかない。

そして、世界的な価値観は他国に完全に握られている。日本の得意分野だった細かな技術も、もはや外国資本に買われるのが当然となってしまっている。

長い年月をかけて築いたものが、あっという間に金で買い取られている。そこに手を打つどころか加速させる政府と止められない野党。中にはそれこそ善であると信じている政治屋も多数いることだろう。

企業は失敗を恐れ、経験を積ませず、身の安泰だけを考える老害の巣窟となり、それだけでなく外国資本に主要な株を持たれ、利益の多くの海外に吸い取られるシステムになってしまった。

少なくても個人として、失敗から学び次に繋げるという人とのみ、関りを持っていく。