昨日7月8日(金)、安倍元首相が銃撃され、同日午後5時3分に亡くなったと報道された。
映像を見ると狙撃された直後に心臓マッサージをしており、考えるに実態はほぼ即死状態であったと見える。また、搬送にも時間がかかったことから、大量の輸血が遅れたのも希望が無かった理由であろう。
しかしマスコミの中には正式発表を待たず「死亡」したと報道し、謝罪するところがあれば、正当化するところがあるなど、いずれにせよ視聴率、スクープありきの下品さが改めて伝わってきたところである。
当方は今まで自民党と安倍元首相を厳しく批判してきた。日本という国は憲法改正はせず、自衛隊を軍隊にしない姿も情けないと思っている。
政治は結果であり、日本人がどんどんと落ちぶれていく様子を見ていると、当然そうなる政治を選んだ国民が悪いわけだが、だからと言って国のかじ取りを間違ってきたから世界と比較して落ちぶれて行ったのが現実である。
しかしである。元首相が銃撃され亡くなるとはあまりに痛ましいことであり、今のタイミングで小沢一郎のように自民に同情票が行くとか、驕りの結果というような声を発する気にはならない。
さて、フェイスブックで繋がりがある人たちも色々な反応をしている。一部は面識があり割と親しくしてきた人たちだが、あまりに残念な反応をしているので、その中から2人について触れたい。
1人はSPについて書いている。「一発目で、犯人を仕留めないとSPではない」、「某総理大臣のSPだった人が知り合いで彼らはすごい」など。
この人は前にも、大々的に反コロナウィルスワクチンで大騒ぎしていたが、就職が決まり職場接種(あくまでも任意)となると急に黙った過去がある。
当方は本来、ワクチンそのものは接種しない方だが、それでも反ワクチンには金目当てで煽っている偽者も多数混在しているので注意をと直接話したことがある。その時は「知人の言葉に騙された」と自分を正当化していた。なっていないが・・・。
まず言いたいのは、今回の事件でSPが失態だったのは事実である。なぜなら安倍元首相は銃で撃たれて被弾し、しかも亡くなってしまったからだ。この事実だけで失態だったとしか言いようがない。
今回の事件での細かなことには触れないが、この知り合いの言葉について書いていく。
一発目で犯人を仕留めるとはあまりに無知である。動画の様子も見たが、あれでは一発目は防ぎようがない。そもそも警備が銃を防げる状態ではない。
加害者は既に現場に待機しており、最初から殺害の魂胆が定まっていて演説に拍手するなど挙動不審な様子もうかがえない。
日本の警備体制そのものが近距離まで行けるというナイフや暴行想定なため、一発目の銃撃から犯人を仕留めるなど不可能だということがなぜ分からないのか。
同時に知人の発言の裏に別の意図が隠されていると感じた。
世界のSPでも大事なのは二発目は絶対にヒットさせないことだ。
なぜなら連射の場合、二発目は一発目の反動があり外すことが多いので、スナイパーは時間を置き、照準を再調整するからである。もちろん一発目の弾道を補正する意味もあるのだ。
つまり数秒の時間があるということで、ここでこそヒットさせては絶対にいけない。今回も数秒の間があった。
一発目はあまりに不意を突かれるので当たることもあり得るからこそ、外国では防弾ガラスや仕切り、死角には目隠しを利用するわけだ。
前提がまったく違うのにSPが一発目を、その目付きや動作で見つけ静止せよ、というのはあまりに幼稚である。
ターゲットの近距離まで行ける日本の体制が問題であり、バッグからカメラを出す人まで静止するとしたら、そもそも一定の距離から近づけさせず、さらに持ち物検査が必要だったのである。
近寄っても良い体制なら防弾が必要なのだ。だから極端な平和ボケ日本は諸外国と違う体制であり、今後は全面的な見直しが当然となる。
そういうあまりに違う前提を無視してまでその人が何を言いたいのかだが、実はその心には自分の知り合いがSPでありすごかったということが本音に見えてならないのである。
あまりに愚かしい。なぜならその知り合いが警護したという某総理は銃撃されたことはない。
ここでも前提があまりに違いすぎるのに、自分の知り合いはすごいと言いたいがため、つまりそのすごい人と自分は知り合いだと自慢したいようにさえ見えるのだ。だから品性が感じられない。
続いて2人目は、「赤木俊夫氏の死に心からの謝罪と哀悼の意を表してない。死に対して、私は絶対に追悼しない」ということだ。
また自分の周囲の人たちの態度というものにもふれ、皆、安倍元首相に対し「非難囂々」だという。狙撃され心肺停止と報道されているさなかにも関わらず。
こうして自分だけではなく周囲も安倍元首相に対し、非難ごうごうだとして、ほら、こうして自分だけではないのだと言いたいと当方には見えてしまった。
正直、今は黙れと感じる。自分が左翼思想そのもので徹底して安倍首相を嫌ってきたとしても、である。その人の周囲も下品であろう。
当方も人として安倍元首相を信頼し評価してきたのではない。真逆である。だが今は「お悔み申し上げます」というのが本音でしかない。
日本人の美徳とは何か。
人は得意の時とどん底のときに本性が出ると言われるが、実は今回のような大きな出来事でも本性が出るであろう。
自衛隊反対、武器反対と大騒ぎしていても、では北朝鮮や中国がミサイルを撃ち、自分の家族が犠牲になっても話し合いましょうと言えるのか。それでも話し合いが出来る、という人を当方は絶対に信用しない。
左翼の本領とは、言っていることといざという時は全く別の言動をするという姿だ。だからどんなに立派なこと、美しいことを言っていても最後は手のひらを反すと思っている。
表と裏があり過ぎる。
普段はにこやかに人の役に立つようなことをしているようだが、本音は自分が過小評価されていることへの不満で、他人を引き合いに出して知人が凄いから自分も凄いでしょ?と便乗しているように見える姿。
様々な社会的活動をしているようだがそのエネルギー源には不平不満が渦巻いているようでは、もはやどちらも品性の部分に感じる。
こういう表裏があり過ぎるのが、多くの日本人の特徴とも考えている。日本は停滞し続けているのが現実。いや、世界は向上しているので、日本は下落しているのが現実である。
実際、実質賃金は減っているし、様々な形で増税され、インフラ料金も上がり、物品の値段も上がっている日本では、もはや発展する姿は想像できない。
政治が腐っている日本は、国民がそういう連中を選んだからに他ならない。つまり日本は好んで没落の道を歩き続けている。
本当に大事な部分は直視せず、たまに出てくるのは負のエネルギーでは、向上、発展するとは思えない。
目先のことだけ、己や家族、自分が属する組織のことしか考えない人があまりに増殖しているが、そのような人たちは一言「下品」としか言いようがない。
奈良県立医科大学付属病院には、クレームが多数いっているとの報道がある。このような下品な日本人があとを絶たない日本に、未来はない。