なれ合い、妥協無しの本音ブログ

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現実を直視!日本は30年、良くなっていない劣等国!誰が政治屋を支持してきた?

2022-06-14 12:19:33 | 考え方

日本は四季があり、長い歴史があり、先人が大切にして守ってきた文化伝統もある。

長い歴史があるとは素晴らしいことで、隣国のように王朝が変わり続けているのに4000年だとか5000年だとかいうのは、実は本当の長い歴史とは言えない。革命の歴史は時代を分断しているからである。土地が存在しているだけで、長い歴史というのはペテンの類である。

ところが日本も、決して褒められたことだけではない。今の日本は過去を食い物にし、私利私欲の連中が群れをなしている。

政治家、政治屋の違いを過去に書いているが、誰が政治屋を支持しているのか。地域の人ではないか。

なぜ、私利私欲の政治屋を選ぶのだ。結局は、見返りを求めたドロドロの関係を証明しているだけである。

連立与党の自民党と公明党。基本的に自民党が与党であり続けてきたわけだが、日本は悪化しかしていない。この現実を直視しないからこそ、日本はますます腐っていっている。

自民党は公明党の支持母体である創価学会にも取り入っておかなければ票が難しい、こんな政党、存在意義などとっくに無い。

国会議員の仕事は何か。高額の報酬をもらっているにも関わらず国の仕事をせず、再選のために地元しか考えてない輩を政治屋と呼ぶ。単なる職業としての政治が欲しいだけなのだ。本当に、どこまでいっても国のことなど考えていない。考えている人こそ政治家であり、地元優先をする連中は全員、政治屋である。

日本は全く良くなっていない。もはや四季の美しさ、長い歴史、文化伝統だけではカバーできない。観光大国を目指すとしながら、例えば、では自然はどうか。破壊活動しているのは誰か。

はっきり言うが、エコだ、再生可能エネルギーだという名の太陽光パネルや風力発電は、全部嘘だと断言する。そもそも現状の自然と景観を破壊する経済活動は全部、嘘である。個人の家庭の太陽光パネルでさえ、まず採算は取れない。

結局は太陽光パネルや風力発電設備を大量生産している外国企業が儲かるだけなのだ。日本人の基本さえ踏まえていない暴挙でしかない。金、金、金。

地域の人たちも同様で金、金、金だ。場所を提供する人たちがいるから、大規模な太陽光パネルの設置、巨大な風力発電設置が可能になる。

観光立国とは外国人に多く来てもらうということだ。外国人は日本の景観を楽しみにして来る人も多い。しかしもはや大自然とは言えない醜い太陽光パネルと風力発電。奇怪なあの様子にあきれ果て、再びそこに行きたいとは考えないだろう。

もちろん大規模開発であるとは、政治屋が関わっていないはずがない。この醜い構造も日本を破壊する一つである。

日本は経済的に、まったくダメである。それも単に失われた30年や、停滞の30年ではない。他国が成長しているなかで、まったく伸び率が無い国とは完全に衰退である。安倍元首相をはじめ、いかにも日本が良くなっているように言う連中は、政治屋であることを見逃してはいけない。

政治は結果である。全て結果である。公約だマニュフェストだ、どこがどれだけ守ってきたのか。選挙の時だけ「舌先三寸」、お涙頂戴の芝居、そして統計さえ誤魔化していかにも実績があるという連中だらけではないか。

結果が全ての政治だからこそ、その人たちが何をしたのかで判断するだけである。北方領土の返還や拉致被害者問題を口にしながら解決しなかったのは、元首相を筆頭に全員が政治屋である。

もちろん、自民党は保守でも何でもない、単なる偽物であることに気が付かない自称保守の支持者も同罪なのだ。ということは、偽物の自称保守を支持し続けるとは、売国政治でしかない。再生可能エネルギーという名の売国行為が出来ているのは、現政権及び地方自治体が腐っていて国益を考えない証明でしかない。

そして自民党とは、公明党とずぶずぶの関係で政権維持だけが望み。国が良くなるはずはないではないか。

対して野党はどうか。もはや語る必要も無いほど邪魔な存在である。何が大事か分からず、小事のこだわり、日本人の典型である「バケツの中のカニ」で足を引っ張りあうだけだ。

しかし当選したなら、劣悪なコメンテーターをしていれば生活できるのだから、責任を取らず騒いでいて金が入るとは、三面記事とおしゃべり好きな人の集団では皆、天職だと思っていることだろう。

この国日本は、もはや一部を除いてまともな賃金上昇が無い。実質賃金は減少である。賃金が多少上がったとしても、加速して物価はあがっている。なんだかんだと支出が増える。増税もしている。国民の多くはとにかく我慢の強制しかない。

我慢の強制を誤魔化す言葉がある。未だに教育を含めて日本の心は「和」だとかなんだとか、戯言をいうのだ。つまり「黙っていろ」、「考えるな」という意図を「和」という言葉ですり替えている。その嘘教育を見抜かねばならない。

個性が大事と言いながら、では個性的な人が出てきたら今度は和である、調和だ、協力だ、配慮だ、バランスだと逆を言って潰しにかかる。子供でどんなに能力があってもまともな飛び級は無く、バケツの中のカニどもの中に閉じ込められる構造。

政治、企業を含めた大人社会のなーなー、なれ合い、忖度構造は個性と真逆であり、それは上役の顔色を窺う職業先生だらけの学校も同様。ずば抜けた子供が才能を生かせる可能性は絶望的なほどゼロに近い。

ところで民主主義とは、有権者一人一人が自分自身の意見を持ち、それを戦わせて良いものは良い、違うものは違うとしたうえで、多数決を取るということ。黙っていろ!ではない。

和だとか、穏やかであるとか、民族性だとか、全部違う。自由主義、民主主義国家というのなら、静かで従順な国民ということそのものが間違っている。だから日本にはいまだに、自由も民主も無く、肝心の国民はその意味すら理解していなとしか思えない。

自由に政党を選ぶ、多数決だ、こんなレベルを自由主義と民主主義国家だと思っているのは、既にその人が何も学んできていない証明でしかない。

また、反論しない、反撃しない、そういう洗脳は戦後のGHQに始まり、それを利用してきたのが自称保守、あるいは保守本流なる意味不明な言葉で民衆を惑わしてきた連中ということ。日本人はいい加減に、その洗脳から脱出しなくてはいけない。

知る必要な無い、黙って自分たちに投票しろ、そうして物言わぬ民衆を好むのが政治屋であり、そういう人たちが国のかじ取りをしてきた結果が、このみじめな国、日本ということだ。

有事の際に黙って列をなすことを素晴らしいというが、違う。どうしていいか分からない、自分の考えも無いからとりあえず黙って並ぶのが今の日本人だと思えてならない。

歴史的には敗戦の失敗に始まり、アメリカ主導の政治でまんまとやられた政治の失敗、それが現代日本のこのだらしなさに繋がっている。アメリカの奴隷のような政治の下、おとなしい、真面目だ、調和だとか意味不明の言葉で騙されて声を上げない国民という図式は完全におかしい。

ところで民間企業が原材料を理由に値上げするが、では原材料費が下がったら値下げしているか。上がる一方ではないか。

同じ値段で売っていても、内容量を減少させているのは値上げそのものである。そんな詐欺まがいのことを平気でやる。

添加物を大量に投下して、飲食する人たちの健康は考えない。だから癌大国。そして医療関係が儲かるこの狂った仕組みは、政財官一体の日本破壊活動である。

多くの企業で正社員は減少。派遣その他の労働者は、正規雇用とはますます賃金格差が広がる。しかし一度入ってしまえば、働かないおっさん、おばさんでも辞めさせることができない不気味な労働制度。企業なら戦力にならない人を解雇するのが当たり前のことなのに、出来ない。

左翼の様に何でも保護を訴えると、結局は自然環境もそうだが悪用されるのが落ちである。環境保護と言いながら大々的な開発で環境破壊をする「自然エネルギーの活用」というキャッチフレーズとまったく同じである。

電力、水道、ガスも基本料金は全部止めよ。完全従量制として本来の企業活動をすべきである。甘えた組織は悪化するだけである。だから日本全体がいつまでもダメなのだ。基本的な生活部分に金がかかりすぎるのだ。しかし多くの人はまったく疑問を持たない。基本料金や契約料金というものは全部、ダメである。

さて先日、某教育委員会で長年、偉い立場であった上級国民側の人と話す機会があった。

その人は言う「人生100年時代、80歳過ぎまで働かなくてはいけない社会になる。健康は大事だが、新たな学びを繰り返しながら新しい仕事に挑戦していく生き方が大事になる」と。

これは典型的な上級国民の発想である。そもそも論から指摘していく。

若者の多くはまともな職に就けない。安定した正社員になれない。多くの組織はすでに硬直し、給料が高い働かないおっさん、おばさんが遊んでいるのに解雇できず新陳代謝が無い。

金が無い、仕事が無い、そういう多くの若者という現実を直視したなら、いつまでも何歳になっても、年寄りになっても仕事をしろという発想は残酷そのものでしかない。

また、失業や解雇された人たちの再就職がどれだけ大変かもわかっていない。ましてや高齢者の再就職など、皆無と考えねばならない。新しい仕事に挑戦どころではない、無理だというのが現状なのだ。可能性すらほとんど無い!

もし、求人欄に条件年齢が復活したら実に分かりやすいのだが、平等なのか何なのか本音を隠すからダメなのだ。実態は年齢制限があるのに求人では誤魔化すことになっているから、双方に無駄な時間が発生しているが形式大好きな日本は是正しない。

現代において未だに座っていればお茶が出てくるような組織や立場に長年いた人たちは、絶対に本当の日本を理解することはできないのだ。

こういうことが分からない人たちがこの国をコントロールしているわけだ。よくなるはずが無いではないか。

当方の考えは、50歳定年制である。人間、50歳になったら思いっきり次のステージに行けと考えている。65歳が定年だからと社会や会社のルールに従って、退職する日を指折り数える人が多いからこそ衰退なのだ。然るにこの国はさらに年寄っても働けという側。

なぜ、こんな幼稚なことさえ分からない連中がこの国を操作しているのか。そう、なぜではない、そういう連中を選んでいる人たちがいるからである。

年金制度を大改革し、当たり前に支給されるようにせねばならない。しかも50歳からもらえるような大改革。問題をどんどんと先延ばしにし、支給年齢も上に上にとする国は間違いなく将来性は無く失敗する。

官僚は政治次第である。政治が政治屋だから官僚は前向きな仕事をせず、結局は政治屋と同じで制度を維持し、権力が集中することにエネルギーを注ぐ。実はすべて、有権者が間違った判断をするからグルグルと回って国が悪くなるだけなのだ。

50歳で定年とし、再雇用とは戦力となれる人のみである。本人が残りたければ残れる現状の制度は完全に腐っている。だから日本の企業はだめなのだ。変化を嫌い、常に現状維持を選ぶ。

現状維持とは衰退でしかないという現実を受け入れる可能性すら存在しない。

50歳になったら、何かにチャレンジせよ、そうとしか思わない。それも金、金、立場、立場というしがらみではなく、例えば趣味やボランティアを充実させる社会ということだ。そういう社会にならなければウソだ。

勤めている時から何もしてこなかったからこそ、定年後に何をしていいか分からず、いつまでも組織にしがみつこうとするのだ。

そもそも論として、先延ばしのシステムがおかしいから、個人の問題というよりも構造そのものが狂っていては皆、おかしくなるのも当たり前とも言える。

定年が60になり、65になり70になりでは、残り時間の方が圧倒的に少ない。こんなことだから、だから何も考えず、考えることはどうやって組織にいるかとなる。しかも仕事をしている振りをしながら。

そもそも単なる組織ではないか。それを自分の人生だと考えるのは、実はみじめであろう。仕事を充実させることと組織にしがみついていることは何の関係も無い。

中には単なる組織であることを忘れ、そここそが自分の居場所だと錯覚するから、いつまでも居残る発想になるのだ。偉そうにふるまうわけだ。仮に自分が作った会社でさえ、健全化のためにどこかで離れるべきが、いつまでも居残るワンマン型経営者は既に独裁者になっていることさえ分からない。

健全な精神があるなら、さっさと後輩に道を譲れ、それしか無い。

年金支給も遅らせていくのは国家的詐欺である。そこにメスを入れるとした元首相がいたが、結局それは消滅。よくもそれで保守を自認できるものだ。それこそ恥知らずではないか。

ところが50歳定年で年金もあるとなればさすがに残りの時間は長く、自分の人生を正面から考えねばならない。だからこそ人生半ばの40代から何をすべきかを本気で考え出す人が増える。それまでに引き継ぎできる体制を作り、多くの企業が会社内を循環させるようにすれば当然、社会も活性化するのだ。

仕事が遅くてもなんでも一生懸命だったという意味不明の感情論を全部排除し、その中身が確かな人だからこそ、会社側は残ってほしいと考えるべき。そして当人と話し合うことにすれば、会社はいつまでも良い状態にある。

それでも組織とは60歳になったら、誰もが完全定年である。老兵はただ去るのみ。逆にどんなに優秀でもそれ以上いてはいけない。それだけ変化する組織、社会でなければいけないのだ。

特に政治は20年定年制である。60歳定年ではない、20年定年制である。権力者が長い間、権力の側にいると絶対に腐敗する。断言できる。

政治も企業も理由を並べて居座る連中は全員、社会に貢献していない。年齢が上の層がいなくなるからこそ、若者にチャンスが生まれる。だから年寄りは去れ、ということだ。

長い間居座り続けて、若者論を言うのは政治屋とまったく同じ精神構造で、何が大事かが分かっておらず、ほかならぬ自分自身という存在が「害」であるという認識が無い。

本来、日本人とは恥の文化を持っていた。しかも裏表無くという考えがあった。だからこそ「お天道様に顔向けできない」という感覚があったからこそ、見えないところで手を抜くことをせず、努力精進したわけだ。今の日本でこの考えはほぼ壊滅といってよい。

「もし約束を違えたなら、万座の前で笑い飛ばして構わない」とは、江戸時代の商人倫理と言われている。然るに現代政治と現代ビジネスは、「舌先三寸、騙される方が悪い」になってしまっている。

誰もかれも、己や組織の利益しか考えないから、政治屋とそれにくっつく悪徳商売屋という構造になり、地域や国を破壊しているのである。

国民は目覚め、再選を目指す人が政治家か政治屋かを見極め、政治屋を落選させねばならない。本気でこの国を、自分たちの子孫を、多くの子供たちの未来を考えるのなら、1%でも良心があるのなら、本気で歪んだなれ合い構造を変えねばウソである。

変えたいが投票すべき人が見つからないから、とりあえず前と同じ党にしておくか。これは最悪の考えである。変えたいなら変えろ、新しい人たちを見つけろ、そういうことになる。調べもせず、単に日常生活を送っているだけでは、自分自身が変わっておらず、結局その姿勢がこの国を悪化させているわけだ。

他人を変える前にできることは、自分が変わること。

現状のメリットのみを追いかける国が発展するはずはないではないか。失われた30年は、もうすぐ40年となり、そしてアメリカ、中国、ヨーロッパその他に利用されるだけの構造も変えることが出来ず、確実にうま味を吸い取られるだけの現状。当然悪化し、滅亡に向かう。

それも諸外国と戦える政治家がいないからだ。皆が政治屋を選ぶから、全ての発想が間違っているから、諸外国に利用される。

政治は実績をみよ。「政治は結果である」という大原則を常に忘れず、何をしたかで判断せよ。

「もう一度チャンスを」、「議席を死守」、「自民党公認」、こういうことは全部嘘である。政治屋どもを政界からたたき出し、本気でこの国を良くすることを考える人に、かじ取りを任せなくてはいけない。

あなたの目先の利益が、あなたの子孫の未来を破壊しているのである。


織田信長は本願寺と比叡山を潰しにかかったが、今の仏教界はどうか

2022-06-10 11:50:24 | 考え方

織田信長が石山本願寺と戦いを始めるのは元亀元年9月12日(1570年10月11日)のこと。約10年戦い続ける。

比叡山焼き討ちは、元亀2年9月12日(1571年9月30日)のこと。どちらも有名な話である。

特に比叡山焼き討ちは女子供の首も撥ねた残酷な戦い方であったとされ、後世からも極悪非道の烙印を押されることになる。仏教側からすれば憎き仏敵ということだが、これは後世の見方であり、そのまま信じると本質を見誤ってしまう。

なぜここまでやったのか。それは仏教界がダメだったからである。

僧兵という言葉があるが、僧侶が武器を所持し戦う準備をしている、しかし実態はその多くが乱暴狼藉を働く、芸者と乱痴気騒ぎをするということが度々行われていた当時。現代の仏教のイメージはまったく違うのだ。

日本を統一しようとしていた織田信長からすれば、腐りきった仏教界にしか見えなかったであろう。

ちなみに比叡山の焼き討ちの提案者は明智光秀ともいわれている。京都「本能寺」で織田信長を討ったとされる明智光秀だが、比叡山焼き討ちでは一番の功労者という評価がある。心優しく、追い込まれて信長を討ったイメージの人が多いと思うが、実態は違うであろう。そのような軟な人物であるはずがない。

出自も幼少期も不透明な人は、様々な手法を使ってのし上がるしかない。厳しい時代にも関わらず、名が残るとはそういう意味である。

比叡山焼き討ち後、領土は信長のものとなるが、居城の安土城から琵琶湖を挟んで対岸に、明智光秀が坂本城にて管理することになる。これは織田信長がさらに仏教勢力に釘をさしたということだ。

ここから見えてくるのは、後の処理はお前に任せるという信長の姿勢であり、光秀を信用していたとしか見えない。

つまり、比叡山焼き討ちで一番働いたのが明智光秀であり、その後光秀が管理することになったと読むのが普通の解釈であろう。光秀領内となったことから今度は一転して鎮静化に入り、保護を大々的に行った光秀というのが事実ではないのだろうか。

そこに政治的駆け引きがあり、それを一方的に光秀美談にしてしまうのは時系列の展開をあまりにも見ておらず、点で評価しているように思えて仕方がない。

なお、比叡山焼き討ちも全土ではなく、一部だけだったという指摘もあることは知っておいてもよいであろう。

さて、信長は当時の絶対的タブーである仏教界に戦をしかけた。どんなに巨大勢力になり、横暴な僧兵がいようとも、一部の僧が酒池肉林を展開しようとも我慢しかない時代に、討ってでた。この勇気は認めるべきである。仏教本来の姿であれば起きなかったことであろうから。

インドで釈迦牟尼によりはじめられた仏教だが、大きく二つに分かれる。いわゆる小乗仏教(上座部仏教)と大乗仏教である。日本には基本的に古代シナ、今の中国で編纂され体系化されていく大乗仏教という流れが入ってくるわけだ。そこには数多くの如来、菩薩、羅漢というような仏が出てくることになる。

対して小乗仏教には仏である仏陀しか存在しない。考えてみれば、誰が保証できるわけでもない数々の如来や菩薩というのと、存在が明確な釈迦牟尼では、小乗仏教の方が本質をついていると考える。

日本で大きな勢力を持っている宗教団体に「創価学会」がある。日蓮正宗であるが歴史を見てみると、そもそも創価学会という信者団体が宗教法人を取得して行ったことそのものがおかしい。また、ご本尊模刻その他、数々の問題を起こして寺側から破門されたのが創価学会。その後は醜い訴訟合戦である。

日蓮とは鎌倉時代の有名な日蓮上人であるが、日蓮は法華経の地涌の菩薩を自認しており、あくまでも仏陀の弟子の1人。法華経が弘通(広める)されるときに湧いて出てくる地涌の菩薩であると自らを認めていた。

つまり彼自らが自分を根本仏や根本神ではないとしていることで、巷の日蓮正宗に対する全ての答えが出てくるだろう。

さらに触れておけば、法華経がまとまりだすのは釈迦没後であり、紀元後に成立した創作経典ということが明らかになっている。釈迦は約2600年前の人物であり、紀元後とは6百年も後のこと。この辺りもキリスト教の聖書と似ている。もちろん仏典、聖書ともに釈迦やイエスが編纂させたものではない。

ついでに触れればキリスト教では、日本人が知っているのは西方キリスト教で、イタリアやフランスで見られるなじみ深いキリスト教。ある意味大乗仏教の姿に似ている。

しかし本質に触れているのは東方キリスト教で、ルーマニアやブルガリアなどの正教でありこちらは小乗仏教に流れが似ていると見ても良い。華美なことをさけ、本来の姿でいようとしているからだ。

日本人の多く、いや西方キリスト教徒の多くがイメージするイエスは金髪で白人だが、その印象そのものが決定的に間違っていることに多くの人は疑問すら持たない。

イエス誕生の地ベツレヘムであり、聖地エルサレムの南10キロとなっているが2000年前のこの辺りに白人が多数いたはずがない。大事なイエスやマリアのイメージさえ全く変えられていることで、それではその教えがどうなのかと、疑問を持たないのであろうか。

釈迦は生まれてすぐに天地を指差し「天上天下唯我独尊」と言ったという話があるが、これを信じている日本人は皆無であろう。では、イエスの生誕は?

法華経であるがシナ大陸において天台智顗が釈迦の最終的な教えで最も重要な経典としているが、これはまだまだ経典の歴史的解釈が無い時代の話。今では紀元後の創作経典ということが分かっているからだ。

つまり、鎌倉時代の日蓮がこれこそ本物と信じても無理はないのだ。時代を考えれば日蓮に罪は無い(激しい他宗排撃はやりすぎだったが)が、今の人が日蓮こそ根本仏である、あるいは天照大御神の上位神であるというような解釈は全て間違っている。

人は自分に都合のよい情報だけを集めてさらに凝り固まっていき、違う意見や情報は徹底的に排除することを繰り返すのでなかなか受け入れられない。だから前から書いているように、イデオロギー発想を含め、特定の立場でいれば視野が狭くなり、排他的になるのは当然。

イデオロギー発想から抜けられない人と、熱烈な一部の新興宗教信者は実にそっくりである。ついでに言えば、Qアノンを信じ込んだ陰謀論者もそっくりである。皆、対象が違うだけで聞く耳を持たない閉鎖的思考法は全部似ている。

小生は世の中、陰謀でしか成り立っていないと考えているが、それでもQアノン系統は異常としか考えていない。

どこかに属し熱烈に支持するとは必ず敵対する存在が生まれる。こういうことが日本国内はもちろんのこと、世界は絶対に一つになれず、戦争は今後も続く理由の一つである。

左翼側が軍備反対と言えば言うほど、逆に戦争は絶対に無くならない皮肉に気が付いて欲しいものである。その偏った考えこそが戦争を呼び込むことに気が付かない。

ではここから、特定の宗教や宗教団体ではなく日本の仏教全般に触れていく。

ミャンマーやタイ、ラオスなどの小乗仏教でも葬式は行われるが、法要は行いたい側がお寺に申し込むときのみ。日本の様に何回忌というのは存在しない。

今を生きる人間の結婚披露宴は通常1度だが、故人をとてつもなく長い間法要するのは仏教の根本からして間違っている。この世を離れたのだから何度も呼び戻し、執着させてはいけない。

お寺と遺族側に仲介業者は存在しない。〇〇葬儀社というものがない。直接お寺や遺体の運搬を業者に頼む。

戒名は無い。

少し触れただけでも決定的に違うことがわかる。

さらに触れていけば、例えば小乗仏教のタイでは、信仰の対象は釈迦牟尼(仏陀)のみであるが、僧侶は仏陀側に座り、参列者の方を仏陀と同じ視点で向いている。

仏教には三宝という考えがあり「仏法僧」は等しく尊いとされている。三宝は日本でも知られていることだ。それならば僧侶が仏陀側にあり参列者を向くのは正しいことになる。

日本の仏事で感じていたことだが、葬儀にしてもなぜ僧侶は本尊を向いて読経するのかまったく意味が分からない。

皆さんは宗派超越の経典「般若心経」の意味を調べたことがあるだろうか?

内容はあくまでも釈迦が生きている弟子に対し、どう生きるべきか、どう考えるべきかを教えたものである。

仏教は本来、死者のためのものではない。自らを振り返り、行いを正し、精進していく教えが仏教である。正しい思いと行いがあれば、やがて悟りを得られ平安になるということだ。

しかるに僧侶が本尊を向いているとは、まるで本尊に向かって読経という説法をしているようにしか見えない。誰のための読経なのだ。読経は故人と参列者に向けた教えでなければいけないのだ。だからタイのように僧侶が参列者に向かって読経することこそ正しいはずである。

任意でしかない法要では、故人を示すものとして写真が飾られることがあるが、それはあくまでも僧侶と参列者の間であり、仏の側ではない。写真が無ければ俗世の氏名であり、戒名は存在しない。

小乗仏教において戒名は存在しないと書いたが、こちらもそもそも日本の様に死ねば皆仏というのが本来の仏教ではない。生前の行いにおいてその後の道が決まるのであり、高額の布施をすればするほど良い戒名が与えられるとは、そこらの奇怪な新興宗教と本質はまったく変わっていない。伝統仏教こそすでに危ない集金方法を使っているのである。

また、仏教界で〇〇祈願のようなことをしているのは全て違う。なぜなら仏教は因果応報の宗教観だからだ。個人の状況は困った時に祈願する、欲望達成のために祈願する程度で変わるものではない。

その状況こそ自らが作りだしたのであり、まず原因は自分にあると考え、その結果が今展開していることだと考えるのだ。だからこそそこから、自らの間違いを正すという発想に繋がれる。

〇〇祈願はこの仏教の本質を全部破壊しているのである。繰り返すが仏教を名乗り、〇〇祈願というのは全部間違っている。

さらには宗派によっては、これがあれば救われるというものがあるが、ルターが批判した免罪符(贖宥符)と何ら変わらないことをしているのに気が付くべきである。つまり、全部偽物なのだ。

ちなみに神道の祈願は、古代シナの道教の流れを汲んでいることを重々認識しておいたほうが良い。神道といえば何でも古来の日本よりと思考停止する人が多すぎる。そのほとんどが道教の、表現は悪いがパクリである。

そういうお前はどうなのかとなれば、当方の考え方はまさに宮本武蔵と同じである。

「神仏は尊べどこれを頼らず」

だから占いの類も一切やらず、自分で道を開くことこそ、この世に生まれた意味であると考えている。そして最後は散骨してもらって終わりである。ミャンマー仏教のように墓は不要。現代人が墓じまいで苦労している姿は、なんとも異様に思えてならない。あるいは放置。

正直、占いをして何になるというのだろうか。ノストラダムスの予言のように、解釈でどうにでもなる抽象的なことを並べらえても無意味であるし、他人に頼って先を知りたいという状態そのものが自分の人生を生きていない。自分の人生を「当たるも八卦当たらぬも八卦」にゆだねることこそ、己を信じず、歪んだ方向に自らを導く行為でしかないのでは。

自分の人生、自分自身が生きなくて何のために生まれてきたのだろうか。

現代日本の仏教界。何もかも違うとみえて仕方がない。そこにいる人たちは今一度、襟を正し冠婚葬祭仏教から抜け出さねばならない。現代に織田信長は出ないだろうが、実はそれはよいことではなく結局自ら衰退していくのみである。

自分は職業僧侶に堕してしまっていないだろうかと振り返ることは重要であろう。

さらに広く言えば、政治屋や教育界に巣くう職業先生、患者よりも儲け優先の先生と呼ばれてふんぞり返っている医者や医療従事者も、自らの立ち位置を考えねばならないはずではないだろうか。

本来人を導くべき存在が宗教人である。宗教界が立ち上がり、日本の闇にメスを入れ、あるべき姿に変えていかねばウソであろう。

人を導かず、非課税に隠れて現世を満喫しているようでは、宗教の資格は無い。


世の中で一番難しいこと、それが「自由」になること

2022-06-08 12:22:34 | 考え方

自由。多くの人が憧れる言葉だと思うが、実はこれが一番難しいことに気が付いていない。その自由について、色々な角度から考察してみる。

七十而従心所欲不踰矩

孔子が70にして到達したという境地、これが自由である。だから難しいわけだ。

「心の欲するところに従えども矩を踰えず」こそ、本来目指すべき姿かも知れない。

しかし世の中は、自由らしきもので自由を勘違いしている。例えばイデオロギー発想がそうだ。わかりやすく言えば長年、特定の政党を支持しているような人たちは自由を放棄している事実に気が付いていない。それが本当に都度の選択の自由の結果なのか、単なる惰性なのか、洗脳されすぎているのかの違いが分からないのだ。

特に右翼、左翼、保守などを自認する、そのような政党(少なくても党是をみれば世の中的にどういう立ち位置なのかはわかる)を支持しているとは、視点が偏っているということである。自分は保守であるということをさも嬉しそうに話す人は気持ちが悪い。だからよく自称保守と皮肉って書いている。

自由人は特定のものに左右されない。この根本が抜けているのに、分からない。この自由が分かっていると、機械的にどこかに属しているのではなく、次の選挙ではそれまでの実績を色眼鏡なく見つめ、都度選択する生き方となるはずなのだ。

人は自分に甘い存在であり、一度信じてしまうと政治も洗脳型の宗教と同じ、異なるものを寄せ付けなくなる。異質なものを排除すること、その方が居心地がよいからだ。選択の自由はだれしも認めていることだろうが、離脱の自由になると急に難しくなる。

違和感があり抜け出そうかとしても周囲が強烈に止めるし、一番は違和感があっても何か理由を出してきて自分を納得させる、あるいはうやむやにして先送りするから、自ら抜け出さないこともある。

組織に長年属する人も同様。自分は色々な発想をしている「つもり」だが、相当偏っていることに気が付かない。だから時に「捨てる」経験は重要なのだが、長年いるとは立場と給料が上がっている場合が普通なので、ますます無理となる。

政治も宗教も長年やっているとその多くの場合、はっきりと指摘するが洗脳状態から抜けるのが難しくなるのだ。発想に柔軟性が無い老人は、老害でしかない。老害を自覚しないで一方的な表現をするからこそ、害の中の害なのに。

個人的には政治は20年定年制にすればいいと考える。正直言えば60歳を過ぎた政治家は全員いらない。妥協しても65歳までである。年齢が上がり、立場もある、いい大人は捨てることを一番知っているべきなのだが、執着の権化だらけである。長老議員で目がきれいな人はほぼいない、これがこの国である。

まだ働けることと、地域や国のために全力でやれることは全く関係が無い。多くの年寄りはここが致命的に分かっていない。企業や組織も同じ原理で、自分はまだ働けるということと、そこを良くできるかどうかはまったく関係が無い。

なぜ若い人たちにどんどんと場を提供し、チャンスを作らないのか。そこに誰かがいるから身動きが取れなくなっているのだ。その冷酷なまでの事実に目を向け、身を引くことこそ美しいと考えるのだが。

余生は趣味に金を使って生きることこそ、素晴らしい老後の世界観だとしか思っていない。もはや還元だけの生き方が老後であるべきと考えている。趣味に金を使う老人が増えれば、相乗効果でよいことがあり、それは世の中に立場を利用したような老害は存在しなくなることでもある。

政治は公の仕事であり、世の中おかしなこと、問題だらけ、間違いだらけなのが実情であるからこそ、公憤を持ち続けなければウソである。そして公憤だからこそ20年を超えて持ち続け、行動し続けるなど人として限界があり、不可能であろう。

政治屋ではなく政治家なら、潔く身を引くことが本物の証明である。そのために全力で20年働いたなら、年金支給すればいい。地方のため、国のために心身ともに行動し結果をだした人は、その後の人生を補償すべきである。

ところが現状はどうだ。庶民を苦しめる与党と、高額の給料をもらいながらコメンテーターでしかない野党、居眠り議員のオンパレードではないか。この国が長い期間をかけて悪化している理由がまさにここにある。

人は、似たもの同士の中にいると、ますます自分はこれが正しいのだとある種、正常性バイアスを働かせ納得させる。ここが自分の居場所であり、居心地が良い。

分かりやすく言えば、左翼側の人たちは軍備を否定する。例えば基地反対だとなれば、同じ考えの人が集まり同じことばかり言っていて、どんどんとこれこそ正しいのだと決めつけるのだ。そして異なる意見に耳を貸さない。

基地反対が、日本は自主独立し軍備を持つためだから外国の軍隊は出ていけ!となれば素晴らしいことだが、単に戦争反対、軍備反対が理由ならそれは違う。

都合の良い情報しか集めない。だから世の中、フェイクニュースに簡単に騙される人だらけになってしまった。

知り合いの話だが、この前まで真面目に畑をやっていたおばさんが、ある日突然、世の中は全て操られている、トランプ前大統領が革命を起こす、世界を根本から変える戦いをしていると本気で言い出し手が付けられなくなった人がいた。フェイクを信じるのも自由の一つだが、他人を巻き込もうとするのは自由の本質的な意味が分からない典型である。

政治や特定の思想の人たちが議論の場で耳を貸しているように見えても、実は相手の言い分をひっくり返そうとしか考えていない。これは左翼に限らずイデオロギー発想から抜けられない人たち、全員に共通することであろう。当然、寛容という言葉は死語でしかない。

長年特定の新聞を読んでいる人たちも偏っている。それぞれが意図を持った社説を掲載しているのであり、それを読み続けていると当然洗脳されているのと同じなのだ。繰り返すが本当の自由とは、特定のものに染まらないことだ。

朝日新聞を読み続けていた人がある日、産経新聞に変えるなどほぼ聞いたことが無い。どの立場にしろ、多くの新聞は本来のジャーナリズムを持ち合わせてはいないのが現状でもあり、それは危険な存在なのだ。

特にネット社会の今なら、右から左まで何でも見ることが出来るのだから、時代に合わせて変化する自分でなければそもそも自由ではない。当然、外国ではどういわれているのかも情報として持っていなければ、視点に広さは生まれない。

天使と悪魔が敵対しているとしよう。悪魔からは天使こそ悪魔にしか見えない。世の中、逆切れという言葉もあるが、明らかにそいつが悪いのに逆切れし、さらに状況を悪化させるのも自分に甘いからである。

自由ではない証拠こそ、他を認めないことなのだ。

こうして立場の違いで永遠に歩み寄れないのだから、だからこそ国内だけではなく世界が一つになる、特定の宗教で世界が一つになるなど幻想中の幻想でしかない。特に新興宗教は気を付けられたし。世界平和と何度言葉を並べても単なる集金の理由付けでしかない。

違うものは排除したがる。その表現の一つが戦争なのだ。つまり、戦争は無くなることは絶対に無い!

無くなるとしたらどこかがどこかを完全に力で封じ込めたときである。戦争の最終段階から後の話でしかない。これが世界の現実であるのに、軍備反対などと言っているようでは様々な形で侵略されるが答えとなる。

過去に悲惨な体験をした、だから戦争反対は理解できる。沖縄に何度も行っている当方はよく分かる。しかし戦争反対と軍備反対は全く意味が違うのであり、戦争反対なら軍備をしっかりしていないと、悪い国は存在するという事実に目を向けていない夢、幻でしかない。この違いさえも分からないから一律反対して現実世界から乖離していくのだ。

軍備を一律反対するのは論外である。武力を否定するのなら警察が武器を所持することも否定せねばならない。平和ボケの日本国内でさえ、いくらでも悪い奴はいるではないか。武器を持たずにどうやって制圧するのだ。

ひったくりのレベルでも相手が反撃してきたら警棒程度はいる。格闘技術も必要だ。もっと悪質な連中なら銃の使用も必要になることがある。現実を直視すれば、軽率に軍備反対は言えないはずであり、特定の考えに染まっているとその簡単なことさえ分からなくなっているのだ。

軍と警察は違うというのは詭弁であり、本質は人を傷つける武器があるか無いかの話である。

日本の歴史では、日本軍は悪いことばかりやったというのは間違いだ。立派な軍人は存在したし、命を懸けて家族を、国を守ろうとしたのは崇高な精神である。

しかしである。

悪い連中もいた、これも事実である。だから保守から右側の様に、何かにつけて軍神であるとか、日本の一番の目的はアジアの開放であるとか、理由を並べるだけでは発想が偏っているのだ。

今現在でも良い人と悪い奴が混在しているのに、なぜ歴史に関しては右か左かでしか語れないのだろうか。

大東亜戦争というだけで右のレッテル貼られるのも狂気だ。日本からみたら大東亜戦争で何がおかしいのかさっぱり分からない。日本の立場はアジアであり、列強の植民地状態のアジアの国々を開放しなければいけないと考えたのは事実である。

しかしそれだけではない。戦争は政治の一つの表現形態で、あわよくば日本に都合よくなるようにとアジアの開放を使おうとしたのもまた事実である。利権もあれば、国防の意味もあったからこそ、単なる善悪では語れないはずなのだ。

政治や戦争を単に一方からの視点で善悪、右、左、保守という立場で語ることこそ間違っているのであり、だからイデオロギー発想から抜けられないで政治や戦争を語るからいつまでも歪んでいるのだ。

そして自由が分からない人が民主主義を語っても意味は分かっていない。民主主義の重要なポイントは異なる意見にも耳を傾ける姿勢だ。そのうえで、政治で言えばとりあえずの行為として多数決のような形式をとるということなのだ。

特定の立場にたって、違う意見を潰しにかかることこそ民主主義が全くできない証明である。

同時の多数決の恐ろしいところは「数は力」の原理で、大衆迎合型、ポピュリズムになることなのだ。タレントが政治をやってはいけないということではない。しかし総選挙前になると急にテレビで見たことあるな、という人が出てくることは異常である。

特定のタレントがそもそも政治を目指していたのならタイミングだけの問題だが、そうではなく多少の知名度で票を集めようという発想そのものが腐りきっている証拠、民主主義をバカにしているともいえる行為でしかない。そしてそちらに票が流れればバカにされている人たちが本物のバカになった瞬間である。

民主主義とは最上のものではない、この当たり前のことから出発しなければいけない。民衆がある程度そろえば愚かな発想はしないだろうという希望のうえで、最悪ではないシステムというだけに過ぎない。しかし日本はその愚かな発想を続けているから、国は良くならない。

ところで根本的に、日本は民主主義国家、自由主義国家だと思っている人がいるかも知れないが、全部フェイクでしかない。

政治の幼稚さもある。なぜ、良くならないことが続くのに同じ政党が与党として居座れるのか意味が分からない。特定の利権のために政治が動いている証拠で、当然ながら国民全体が良くなるはずはないのだ。

アメリカがまだ日本より健全と見える部分は、政権が大きく入れ替われることにある。日本は壊滅している。たまに自民党の他に任せてみたら悪化した、つまり今の野党連中はいざとなると機能しないことで、多くの人はどうしようもなく同じ党を選んでいるようだが、それでは視野が狭すぎる。変えるとはリスクを背負うことであるが、変えないとはさらに重いリスクがあるという原理を十分に理解しておく必要がある。

いつまでも変えることが出来ないから、世の中には老害という言葉があるのだ。政治もまったく同じである。

特定の連中がいい思いをしているとは、その他多くがマイナス部分を背負っているに過ぎない。それが現在の日本であり、「生かさず殺さず」状態にされていながら日本は自由でいい国だと思っている思考停止こそ、政治と上級国民に食い物にされているだけ。

裏で薄笑いを浮かべた連中に操られていることにさえ気が付かない典型的な洗脳であるのだ。

さて、最初に掲載した言葉だが、孔子のたとえを理解するのは難しい。あえて言えば、車両の運転のようなものである。道路交通法で速度制限があるなか、どこに向かおうと基本的に自由ということに似ているであろうか。

散歩をしていて、どの道を進もうとも自由であるが、時には通行禁止や入ってはいけない公園の芝生がある。そういう規制があるなかで、悪態をつくわけでもなく自分の時間や好きなことに時間を使えるのが自由。

ところが自由とは行動や選択の自由だけではなく、心の自由が一番重要である。

ここが出来ないから多くの人が洗脳された団体、組織にしがみつき、自分を誤魔化し、本質の部分では違和感があっても、抜ける怖さがあるから無理にでも何かを見つけて幸せ気分で時間を過ごしていることが、本当の自由になれない一つの理由であろう。

日本人はどこに向かっているのか、皆、何をやりたいのだろうか。

多分、多くの日本人は、何も無いのだろう。

本当の自由を理解せず、自由ごっこで満足し、人によっては高級スパであるとかグルメであるとか美容整形であるとか、年齢が若いほど目先のことにとらわれ過ぎているように見える。それらは、人が生きる本質とは遠すぎる場所で「その自由」を謳歌しているだけに見えてしかたがないのは、当方1人だけなのであろうか。

責任が伴う本当の自由で、自分の時間を構築していき、そして大事な判断を特定の立場のこだわらずに行う。こういう生き方があるべき姿だと考えるのだが。


食料自給率が異常に少ないのに大量廃棄!歴史に学ばない日本は確実に有事対応できない

2022-05-31 11:04:51 | 考え方

日本は軍備について、愚かなまでに鈍感なのか、過剰なのか極端な人たちが多い。長年、平和ボケで反対のための反対をしてきた野党の愚かさは話にならない。そもそも軍備は必要に決まっているではないか。

強盗が家に押し入り、目の前で自分の子供を傷つけているときに、話し合いましょうも何もない。体当たりしてでも守るのが親というものではないか。それは武力の行使であると同時に、正当なことでしかない。

ロシア、ウクライナの動きでまだ分からないのなら、もはや政治や憲法を語る資格は無い。

自衛隊という呼称もいい加減に目覚めたらどうだ。軍でない武器を持つ集団は意味がおかしい。なんだそれはヤクザか半グレか。そして世界は自衛隊を軍隊としてしか認識していない。

良識ある国とは、自国軍を尊敬する国である。有事の際、命を懸けて国民を守る人たちに敬意を表せない国は、衰退する。

日本は外に出て戦争しないことになっている。しかしフェイクを含め一方的な報道でロシアが悪、ウクライナが被害側だとウクライナに多額の支援をすれば、それは海外での戦争加担でしかないだろうに。なぜこんな簡単なことが分からないのだろうか。

当方はロシア、ウクライナの戦争のどちらの側も支持しない。難民というのはコントロールされたうえで受け入れるべきだ。しかし物事は限度があるのも事実。その加減は難しいから政治は高度な判断が必要である。しかるになんだ今の抽象的、前言変更内閣は。

岸田内閣の奇妙な支持率は70%に迫ろうかという異常事態。この政権、なぜ人は支持するのか。やってるふり、なんちゃって内閣の典型としか思っていないのだが、世の中はどうなってしまっているのだろう。存在感の無い閣僚も情けない。

日本人は「なんとなく」が大好きである。責任をうやむやにする。具体的な指摘は軋轢を生むと、忖度だらけの国が日本である。だから現政権に親和性があるのかも知れない。うやむやと忖度を「和」と誤魔化す。

うやむやが好きなのは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」を間違って解釈しているからである。日本人は聖徳太子が和といったから、和の民族だと勘違いしてる人が多い。まったく逆だということが分からないのは、歴史をまったく勉強していないからである。日本人は和がダメだから、和を尊べといわれたことに気が付いていない。

イエスキリストは隣人愛を説いた。なぜか。戦いばかり、奪い合いばかりで殺伐としていたからだ。逆のことを説いたのは、それが必要だからである。

日本人は江戸時代まで、殺伐としていたことに気が付くべきである。昔の日本は魑魅魍魎の世界である。比較的穏やかだったのは、気候が温暖、今よりも気温が高かった縄文時代まで。それ以降は戦い、奪い合いが増えていくのだ。のんびりしていたのは平安時代の貴族ぐらいだろうに。

なぜ鎌倉時代にこれでもかと様々な仏教諸派が出たのかは、殺伐としていたからである。救われないから浄土を願った人たちも増えたわけだ。イエスキリストが愛を説いたのとさほど変わらない。

しかるに戦国時代までは殺し合い、奪い合い。地域でも変わり者や協調性が無いと村八分。どこに和がある?その地方では旅人や托鉢する人が忽然と消えるのは、日本の歴史のタブーの一つである。

江戸時代は身分制。その流れをシナの方式を取り入れながら「戸籍制度」としたのが明治政府である。オリジナルのシナでも形骸化した戸籍制度を、未だに高い税金で維持する意味は無い。もう、戸籍など止めてしまえばいい。

明治の戸籍には職業欄があり、職業差別に利用されたわけだ。もちろん、出身で差別も行われていた。日本人は現代人でも差別意識から抜けられない人たちが山のようにいるが、それが明確化されたのが明治政府によるものである。その明治政府、諸手を挙げて素晴らしいという人たちは、ご都合主義だけではなく悪しき面も正面から認識すべきである。

それと明治政府は、天皇を頂点とするために廃仏毀釈をし、仏教弾圧をしている。昔に古代シナでできた元号を導入した日本は何かあれば元号を変えていたが、天皇の在位と一致させたのも明治政府である。

だから元号など、昔の多くの日本人には正直、どうでも良いことだった。天皇教育の中で固定されていき、今では日本の歴史や伝統だという自称保守層の元号大事ということも、何のことは無い、たかが明治からの話でしかない。

ちなみに日本の歴史や伝統だというが、日本の様々な行事には昔のシナの影響が多いのだ。正月の行事から始まり、神道の考えや行事にも多く入っている。それだけではなく日常的な考えも多分に道教の影響がある。

だから過去の天皇でさえ道教信者だった人もいるのに、特に明治以降は天皇を神格化するため、道教の影響を目に見える形から消して、行事をいかにも日本古来のものと捏造した。だから日本人は道教の知識が壊滅的に無い。

さて、社会の損失でしかない元号は廃止すべきなのだ。そして日本国としての独自性をいうのなら、せめて、せめて皇紀を使う方がまともである。皇紀は「西暦+660」だから覚えやすい。

本題の前に色々と書いたが、それでは日本の食料である。日本の食料自給率は病的に低い。40%に達しない。

食料など輸入すればいいではないか?島国日本でよくもそう言えるものだ。

今回のロシア、ウクライナを見ても、食料はどこかで何かが起きれば大影響を与える。物価が高くなる。高くなった物価は事態が鎮静化してもまず下がらない。だから上がるのみが大原則。給料は上がらないのに物価は上がり、税金は高く、年金は減る。日本はデフレだデフレだという人がいるが、嘘だ。

日本という国は支配層による「国民とは生かさず殺さず」という江戸時代と同じなのだ。

歴史の話。日本は石油の輸入をアメリカを中心としてイギリス、オランダを含め禁輸(中国を含めればABCD包囲網)とされ、対日資産凍結もされた。特に石油の80%をアメリカに頼っていた日本は戦争に踏み切った。1941年の出来事が今はロシアに制裁として行われている。

そのロシアがウクライナに対し(日本側に流れている情報を前提として。当方はロシア、ウクライナのどちらも支持していない)の略奪や処刑、女性への性的暴行はかつてソ連から日本がやられたことである。

歴史は繰り返す。

ソ連はそれにとどまらず、日本人をシベリア抑留(約60万人、死亡約6万人)し、北方領土を奪った。どちらも明確な違法行為である。ロシアは中国と教育体制は同じで、シベリア抑留など無かったことになっている。中国は沖縄も中国領と教えている教科書がある。

韓国がどさくさに紛れて盗んだ竹島も違法行為である。

中国、韓国の名が出たので食料ついでであるが、中国や韓国が福島県産の食材を禁止としたときは、大騒ぎした連中がいる。中韓が嫌いな勢力で、自称保守や右側だ。では、イギリスや台湾はどうなのだ。イギリスは来月6月にようやく規制が撤廃だ。そう今でも続いている。台湾が福島その他の地域からの輸入の規制緩和をしたのは今年の2月である。

なぜ、こちらは大騒ぎしない?台湾を守れ、台湾は中国の一部では無いという人たちこそ口を閉ざし続けた。何事もご都合主義でしかない。

ところではっきり書くが台湾は歴史をみれば中国の一部である。詳しくは一つ前の記事を一読願いたい。

https://blog.goo.ne.jp/yasnak/e/5bde7ed6b8bfd9e63787c09a0c4a8f25

再選を目指す人は政治家か政治屋か

さらにさかのぼればオランダが占有権を主張したらどうなる。まったくもってご都合主義の歴史解釈しか日本にはない。

中国の政治体制はまったく信用していないし、ウィグル自治区、チベット自治区というのも自治など無く強制力による中国の嘘でしかない。不法に占拠し自分たちの都合で管理しているのは犯罪行為であるが、それが国連の常任理事国なのだから恐れ入る。ロシアもそうだ。国連というのは特に日本人にとっては最悪の存在でしかない。いい加減に気がつけよと言いたい。

しかし、そういう話と歴史は別にしなければいけないのだ。おかしなことはおかしい、認めるべきは認める、このバランスが取れない人たちを、左翼、右翼、あるいは自称保守と呼ぶ。

イデオロギーの枠から出られない人たちは、確実に視点が歪んでいる。そういう人たちは、当方の文章を読んでも左翼なのか右翼なのかサッパリわからないことだろう。そもそもどこにも属していなことが理解できない、それがイデオロギー発想である。

戦争の蛮行について話を戻せば、日本も例えばタイとミャンマーの泰緬鉄道については触れない。捕虜と多くのアジア人を使って、1年3か月で全長415キロの鉄道を敷設。今でもタイにはその痕跡が残されている。

連合国の捕虜6万2000人(うちイギリス人6904人、オーストラリア人2802人、オランダ人2782人、アメリカ人133人の合計1万2621人が死亡)

募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれたタイ人労働者数万人(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人(華人・印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。

Wikipedia

他にも日本軍は重慶で爆撃を行っている。確かにアメリカの違法行為である大空襲や原爆の被害は凄まじく、全くもって許されることではない。しかし日本も爆撃はやっているのだ。目的は軍事施設や政府機関などであったとしても、一般市民も被害を受けている。規模は違っても米軍と発想は同じである。

さて、日本の当時の石油備蓄量は有事対応で1年前後しか無い状態。それなのに長期戦になったことは明確な政治の失敗である。戦争のきっかけはアメリカの仕業としても、長く続けたのは日本の政治の大失敗である。

石油が足りなくなっても精神論で戦え、大和魂だとか現実を無視した日本軍だから、アジアに広く展開した日本軍に食料を配給できず、現地調達せよという無謀なことをした。これは歴史的事実である。

そこで考えてみて欲しい、食料を現地調達するとは現地の人からすれば「略奪」でしかないということを。現地の人も有事下であり食料が大事なのに、そこに軍刀を振りかざした日本軍が来る。これでは、自称保守や右側が好む日本軍人は勇敢だ、侍だという美化が虚しいだけである。海外では通じないことが分かるだろう。

餓える兵士にとっては、恥も誇りも無い。これは戦争ではいつも起こることである。事実は事実として教訓としなければ意味が無いのだ。改善する気持ちがあれば失敗から反省は生まれるが、失敗を認めないと悪化しかしない。日本賛美型の人は失敗を認めず、つまり反省できない体質で物事が良くなるはずは無い。

いずれにせよ、ちゃんと尊敬される軍隊でい続けるけるためにも、物資の供給は確実に行わなければいけないが、旧日本軍はやらなかったのだ。海軍と陸軍でもめているようでは話にならなかったのだ。論戦している間にアジア各地域で兵士は餓死。旧日本軍人、軍属の死者数は約230万人。そのうちの6割が餓死と栄養失調による病死という指摘もある。

歴史で分かるように、日本は本当に有事対応ができていない。島国で何となく皆同じということが有事では災いとなる。そしてこれが食料自給率に繋がる話で、輸入すればいいではないかというのはあまりにも能天気すぎるのだ。

原子力政策を、いわゆる保守が支持しているわけだが有事対応は出来ているのか。敵軍が攻めてきたら、ミサイルで狙われても本当に防御できるのか?東日本大震災の福島原発で証明されたことは、国土や地形からして日本はあっという間に大惨事になるという事実だけである。

原発ゴミの適切な廃棄を含め、それらが整っているのなら堂々と稼働させればいい。出来ていないのにさも安全なエネルギーだ(安倍元首相のようにコントロール下にあるというデタラメ)、安価だというのは詐欺でしかない。島国だからこそ原発のようなエネルギーが必要だというのはまったく逆である。逃げ場がないのだから。

だからといって、クリーンエネルギーという大ウソの太陽光パネルもダメだ。あれこそ明確な環境破壊でしかない。さらには水道、電力を海外資本に売りさばくような連中は国賊でしかない。

こうして島国日本は、地震や火山活動も多い日本は有事に異常なまでに弱い。そこにきて生きる根本である食料自給率が低い。

しかもである。その食料輸入も遺伝子操作された穀物で育った家畜の肉を輸入している。日本は食品添加物大国で、危険な食材を輸入し、添加物だらけのものが販売される異常な国なのだ。

国産だから安全というのも、とうに終わった話である。農薬、除草剤の一部も世界で危険性が指摘され、利用禁止としている国が多数あるものでも、日本はOKなのだ。こういうことだから、当然日本は癌大国である。

その異常性にメスをいれず、ガン保険に入れ、皆苦しむぞ、金がかかるぞ、死ぬぞと脅す構造。もはや国をあげて国民を病気にして、その利権に巣くう政治と医療業界、保険業界だとしか思えない。

更に加えるならば添加物をばらまく食料品業界と、良い材料を使わず安価品が多い飲食業。最も飲食店は金のない日本人は安さばかり求める構造も問題である。

食料自給率が低いことを輸入で補うとは、単に有事対応だけではなく日常的に劇毒物と指摘してもよいようなものを連日食わされて癌にまっしぐらということなのだ。

そして、自前でまともに調達出来ないのに食料品の大量廃棄がとまらない。自分たちで国内で作れず大量に輸入して金を海外にばら撒き、そして大量廃棄である。もはやバカの構造ではないのだろうか。

子供の発育に関係する大事なことを歴史でみれば、国の制度として学校給食が提供されるようになったのは、1946年から。お気づきであろうか。日本の正式な敗戦は、米戦艦ミズーリ号での降伏調印式で1945年9月2日である。

日本の貧困対策で学校給食制度というのは嘘である。アメリカの都合で牛乳とパンになったのだ。牛乳をどんどんと飲ませることができれば牛用の穀物が必要になりアメリカにすれば輸出に繋がる。パンは当然小麦である。敗戦国に売りつけよ、それがアメリカの政策であったのだ。

遺伝子組み換えと添加物でゆっくりと衰亡に向かう。しかし取れるうちは取れ、それが現実の国際社会である。

多くの日本人がさらに惨めなのは、それを同じ日本人の上級国民という連中からもやられていることだ。

知らない、考えないとはかくも恐ろしいことである。こうして食料自給率が低いことも恐ろしいことなのだ。

日本人が日本人からの搾取は止まらないが、そこにきて日本は独立国ではない。前回も書いたが制空権は無く、米国軍人が好き勝手に出入り出来て、日本は一切関知できない。それが日本だ。エネルギーと食べ物をコントロールされているということは、植民地である。

また、そもそも前出の牛乳が体に良いなどというのはデマであろうに。牛乳は体に悪い。根本的に子牛用の飲み物が人間に当てはまるはずがない、簡単な話である。今でも医療従事者の中に牛乳を推奨する人がいるが、まったくの勉強不足か、企業、アメリカの手先であろう。もし、牛乳の発がん性を知らないとすれば、もはや医療に関わってはいけない。

さらには、アメリカが占領下の日本に飼料や食料を売り続けるため、日本の食料自給率向上を許さない。繰り返すがエネルギーと食べ物を押さえられている国に本当の繁栄は無い。

いずれにせよ、食料自給率が低いことは大問題でしかないのに、輸入に頼り、遺伝子操作や添加物だらけのもので周囲を囲まれ、ガンになる。

日常的にガンは怖いぞと保険だらけになり、その他の病気を含めて医療保険加入が世界ナンバーワンの国。とっても高い国民皆保険という税金なのに、世界で一番民間の保険に入っているという思考停止と漠然とした未来への不安。もはや異様である。

スポンサーという業界からの金に転んで、良心とジャーナリズムを売ったマスコミによって洗脳され、あるいは気味の悪い宗教や占いと同じで将来の不安に付け込まれ、万が一だらけで自分の自然治癒能力を信じない日本人。

自らを信じないで免疫力、自然治癒力が活性化するはずはない。

この国は、自滅の道しか歩いてないのではないのだろうか。


再選を目指す人は政治家か政治屋か

2022-05-29 10:38:11 | 考え方

既成政党は与野党を問わず全滅、そう考えている。任せるなら「しがらみの無い新しい党」でなければと。 長く与党をやっている自民党が、日本を良くしてきたのか。いや、していない。

子供たちの将来を本気で考えるのなら目先のニンジンだけを追い続けず、世の中の実態を、本質に目を向けるべきであろう。自分や家族の生活だけを考えていれば、正直どんどんと器は小さくなると思う。そういう人が多くなったから、日本は衰退しているのだ。

日本は諸外国に比べて安全だしマシだと思える人が多いのは、それは先祖のお蔭。過去の人が努力した成果を今、食っているだけだと思っている。昔の人が築いたものを食いつぶしているだけでは。貯金はいつか底をつく。

こちらの表をご覧いただきたい。

国のために戦う意思があるかの国別回答だが、通常は「ある」、「ない」に注目が行く。確かに日本は、国というものを大事に考えない傾向があるのは事実だ。意思表示がはっきりしているドイツ人は「ない」が多いが、恐らくこれはナチスドイツの教育も関係あるだろう。

逆に自国こそ素晴らしいと自己都合の教育が多いロシア、中国の戦う気があるが高いのは、その教えが正しい正しくないとは関係なく、教育が国民にどういう影響を与えるかを示唆しているように思える。

何とも皮肉に感じるが、当方が取り上げるのは、「わからない」が日本は断トツに多いことだ。自分の考えが無いのだ。考えていても答えを出せない。結局わからないでは意見が無いのと同じで、大事なことを考えなくても、答えを持たなくても過ごせていることは、有事には危険だということなのだ。

昨日、今日、明日は違う日だということが分からない。昨日は何もないから今日も何もなく、明日も同じと考えるのは能天気の極致であろう。

昔から平和ボケという言葉があるがよほど痛い目にあわない限り直らないのだろう。 中国が尖閣を取り、沖縄は中国のものだと表立って主張を始めてから気がついても遅い。ちなみにアメリカはどう考えても助けてくれない。特に尖閣については、なぜアメリカ人が血を流す必要があるのか、簡単な話である。

台湾についても、最終的にはアメリカは直接助けることはしないはずだ。理由はこちらも簡単で、アメリカのメリットは何か、それだけである。台湾を死守する意味が無い。冷戦時代よろしく、イデオロギーの発想から抜けられない人だけが、未だにアメリカは台湾を守ると妄想しているのだ。

その台湾も、歴史をみればなぜ中国の一部と言えないのか、不思議でならない。過去に日本も台湾は中国だと認めていたではないか。

デジタル大辞泉「下関条約」の解説
明治28年(1895)日清戦争講和のため、下関で清国の全権大使 李鴻章 りこうしょう と日本の全権大使伊藤博文・ 陸奥宗光 むつむねみつ との間で調印された条約。 清国は朝鮮の独立、2億 両 テール の賠償金の支払い、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲などを承認。 馬関条約。

日清戦争講和で、台湾は清国から割譲ということは、日本は戦争に勝って台湾を譲り受けたということ。どこから?清国。清国はどこ?中国で最後の王朝といわれているわけだ。日本は自ら、台湾は清国の領土だとしているのに、なぜ台湾は中国の一部だということを忌み嫌うのか、不思議でならない。

個人的には、台湾は何度も行っており、海外旅行のお勧めを聞かれればまず先に台湾を推薦するほど、台湾は好きな国である。しかし個人的感情と歴史の経緯は分けるのが当然のことなのだ。

さて、今回のロシアの行動で、核を持っていれば何でもできる、国連というのはゴミ集団であることが明確に証明された。

また、グローバル経済だと世界一体化を一部の連中がもくろんだ結果、下手をすれば自分に経済的被害がかえってくる事態にもなったということだ。

ところで、日本はアメリカの植民地であることを実感している人はどれだけいるだろうか。占領下にあり独立国ではない。このことに違和感が無い日本人があまりに多すぎる。 北方領土交渉で、安倍元首相が成果をアピールしていたが政治は結果、返還されていなければ彼は失敗しただけである。単純な話である。自称保守が持ち上げるのもいい加減にしてもらいたい。政治は結果である。

プーチン大統領は「日本とは領土問題は存在しない」と言ったとされる。多くの人はこれを、議論する気が無い、あるいは日本から何かを引き出したい、と受け取ったのではないだろうか。しかしである。「独立国ではない日本とは領土という重要な問題を話す意味が無い」ということだったのかも知れない。

日本はアメリカの植民地というのは、言い過ぎではと思うのが甘い日本人である。日本には米軍基地があり、その上空を飛行するのは一定の高さや許可がいる。そして米国軍人の基地内の往来は日本に報告する必要もない。つまり日本ではないのだ。その状態を当たり前だと思うような日本人はもはや、何も考えないで今日、明日のご飯だけという人であろう。

「日米地位協定」や「日米合同委員会」を検索して調べてみればいい。日本は植民地でしかない。

過去に遡れば日本人は好奇心の塊だった民族である。知らないなら知ってやろう、分からないなら分かるまでやろうという根気も強かったと思う。研究心も強かったからこそ独自で価値の高い芸術や文化を生み出した。戦後も根気強さがあったから焦土から復興し、発展もした。

しかしながら、どんどんと日本人の勤勉さ、真面目さ、情、思いやり、そういうものが薄れてしまっていると思っている。

その大きな理由は教育がおかしいからであろう。教育がおかしい理由は教育機関が歪みすぎているからというのは当然だが、根本は政治がおかしいからである。政治がおかしいから日本人としての教育をまともにせず、知識偏重、画一的。

教育機関も本来は政治と同じで公の存在であり、子供たちの未来に関わる重要な役割にもかかわらず、自己保身や職業先生があまりに増えすぎた。教育機関の人間は、愚痴不平不満があるなら転職してほしい。職業先生は子供をダメにするだけである。

そして教育そのものがいつまでも政治や宗教から距離を取っているから、大事なことがすっぽり抜けたままの教育でしかなく、人の心や考え方、あなたはどう思うのかが無い。 政治も宗教もタブー視するのは止めた方がいい。政治なら党是があるし、どこでどういう判断をしたのかがある。宗教も歴史がある世界的なものはもっと正面から踏み込むべきである。

宗教観を抜きにして世界で話をするのはかなり難しい。特定の信者である必要はない。知識が必要なのだ。 たまに歴史は大好きだが宗教は分からないという人がいるが、宗教を抜きにして歴史が分かるはずがない。

単に自己投影して酔いしれるだけの歴史ならどうぞご勝手にだが、宗教を抜きにしては本質が分からないまま酔っているだけである。こういう偏りのある大人を生まないためにも、学校教育でちゃんと宗教は触れるべきなのだ。

政治を教育に取り入れ、あまりに当たり前の自分たちの選ぶ権利と、それぞれ何が違うのかについて教えるべきなのだ。政治を正面から考えるようにならないで、どうやって国や地方が良くなるというのか。

現実に力を持っているのが政治なのに、その教育が無いとはあまりにも愚かではないだろうか。だから違いが分からず、考えることすらしなくなるのだ。

たまにネットでテレビのインタビュー場面をニュースで見るが、感想を聞かれた大人が「美味しかった」、「楽しかった」しか言えない情けない国になってしまっている。

では野党は?正直、政権を取る気は無いと思っている。なぜなら現実味の無い批判を繰り返しているだけで、責任は一切取らないのに議員でいればお金が入る。これ、楽過ぎて止められないのでは。だから野党でいる方が都合がよいから本気の態度が見えない。批判のための批判を繰り返すとは、責任が無いからであろう。

政治の場にいながらコメンテーターをしてお金が入る、楽過ぎてその立場を失いたくはあるまい、それが万年野党。

再びなぜ与党はだめなのか。現に所得は上がらないどころか実質は減少である。先進国で下の方。

物価を考えると、例えばタイは、日本よりまだ安いがマクドナルドは日本よりも高い。タイに限らず、今の日本人では海外でゆったり楽しめないほど差が出てきている。日本が停滞している間に、アメリカや中国も所得は増え続け、もはや勝てない状況だ。その事実から目を背け、数字のトリックで国民を翻弄してきた与党など存在価値は無い。

日本人は周辺アジア諸国を見下す傾向が強いと感じているが、既に周回遅れになっている事を直視しない。

例えば先ほどと同じくタイであるが、大手企業の部長級の年収は日本の大企業の部長級と変わらない。物価が約三倍違うタイなので、日本の大企業の部長職年収が2,000万円だとすれば、タイでは6,000万円もらっている計算になるのだ。

世界的に日本は中国に抜かれ、韓国に追いつかれ。 世界の企業時価総額ランキングで比較すると、日本は衰退しかしていないことがわかる。こんなことでいい国だ、と言っているようでは能天気過ぎだろうに。

今ではトヨタのみとは、惨敗でしかない。

こうして日本は技術力も総合的な力も無くなったのにまだ変なプライドだけ持っている。トップ50に入る力も努力も無いにも関わらず、大企業だけは賃金上昇し、ある意味特権階級化しているわけだ。大企業を除いて給料がまともに上がらず、しかし様々な形で支出は増えている。

エコだ、環境だ、リサイクルだといいながら、拝金主義が実態なので新商品を連発し、少しの変化なのに買え買えと迫る。ゴミを出し続け、さっさと壊れる商品を出して新品購入に強制参入させられ、古いものを大事にしても部品が無い。古くても良いものは良い、気に入っていると長持ちさせようとすると税金が上がる国。

世界では禁止されている添加物だらけの食べ物王国、日本。農薬、除草剤その他、世界は禁止しているものが日本では売り放題。危険なものだらけ。

だから今では国産は危険ということが分からず、それだけではなくアメリカや中国からの輸入品もアメリカ人、中国人が口にしないものを甘ちゃん日本に売りつける構図。危険なもの、そういうことが共通認識になれない。だから世界でトップクラスの癌大国。これが現実。

連立を組む公明党は大衆迎合でばら撒き推進しかない。だから最近は支持母体である創価学会も距離を置き始めたとさえ言われている。 何でも財源が必要となるが、当方の考えはまず参議院の廃止。衆議院も半分でいい。経費は領収書付きの事後清算。身を切る改革をしてから偉そうなことをいえとなる。

ちなみに参議院廃止の意味は、機能していないからである。貴族院の流れをくむ参議院は良識の府であるべきで、利害関係ではなく国のためにその法案がどうなのか、大所高所から判断できる人たちの集まりでなければいけない。それが現実はどうだ、議席が欲しいだけの党利党略の場では不要でしかない。

色々な形で結果として増税の連続であり、所得が上がらないのに増税では生活は苦しくなる一方。それでも日本はいい国だと公言してはばからないのは、現状の政治に迎合する人たち、太鼓持ち、くっついていた方が利益がある人たちだからだと思う。

医師会のような組織や多くの企業、労働組合、どこもかしこも利権でぶら下がっているからこのままでは日本は没落しかないと断言できる。 日本の自殺者は多く、その数字でさえ不審死や変死扱いは自殺に含めないという数字で成り立っている。こんな国に良識があるとは思えない。統計は一番簡単に人を騙せる手段なので気を付けた方がよい。新型コロナウイルス関係も、あちらこちらに数字のトリックがあることだろう。

日本はいい国だを連呼している人たちは、格差社会の上位側か、現実を直視しない人たちだろう。そういう人たちは、自己保身で人を選ぶので、だから日本はいつまでも変わらず、変わらない状態が続くとは結局悪化しているということになる。

誤魔化しと自分で考える力を失った多くの日本人と思えるのだが、ここから本題で再選を目指すのは政治家か政治屋か。 そもそも再選とは、一定年数政治をやっていたわけだ。 大事な部分は、政治は実績で見るしかない。何を言い、何をやったのか。過程は不要である。表に出てくる結果のみ。だから確かな実績があれば、悲壮感を漂わせて票を集める必要はない。

議席を死守だとか、もう一度チャンスをくれだとか、公認がどうだとか、こういう人たちは全員政治屋であり、落選させねばならない。日本人は目覚めないといけない。

実績があるなら堂々と再選を目指せばいい。実績で勝負すればいい。中身が無いから別の理由を持ち出すわけだ。

だいぶ前に新聞の勧誘が来たことがあるが「生活が苦しくて助けて下さい」という。論外だ。中身が良くその値段なら価値があるとなれば新聞を購読するわけだ。こうして情に訴えるやり方は、確実に誤魔化しがある。本質から目を背けさせ結果として再選すればいい、購読してもらえばいいというレベルなら存在価値が無い。

既存政党の多くの人は職業として政治をやっているだけで、まともな立法も質問も無い居眠り政治屋だらけではないか。資金は地元で再選のために使うだけだ。それが現状では?

国会議員なら国を、県会議員なら県をどうしていくか、そういう本来政治がスベキことが無い人たちだらけで、それが政治屋である。

どういう方向であるべきか、そのために何をすべきで何を実行したか。そこを押さえていれば、答えは出てくる。 この国はいい国だという発言は現状維持であり、未来はこのまま続くと思っている平和ボケであり、こういう人たちには公憤が無い。公憤無き人は、絶対に政治をやってはいけない。

職業として政治を選ぶ人たちには、間違いなく公憤は無い。 政治家が儲かる職業であってはいけない。様々な優遇は仕事のためにあるのに、経費誤魔化しのオンパレード。ミスがあったではすまされない真剣さが政治には求められる。方向性に関わる、世界ともつながりがある政治だからこそ、ちょっとのミスを見逃すのはダメなのだ。

儲かる職業ではなく、それだけ高度なことをやっているのだから、高額の報酬が当然となればいい。ちゃんと国民が審査し、政治屋ではなく政治家が当選していれば高い報酬にするべきなのだ。

女性スキャンダルや不倫、そういうものはどうでもいい。ハニートラップでなければ本当にどうでもいい。人格者でなくてもいいのが政治である。なぜなら結果を出せばいいだけだからだ。犯罪を犯しても結果を出せばよいということを言っているのではない。異性のことで肝心の仕事が滞ることこそ問題だと言いたいだけである。

また、芸能人の話を含め、そういうネタで楽しむのはゲスの極みで、そういう人こそ品性が低いだろう。他人のプライベートを、匿名に隠れて批判する連中はあまりに下品。 世界には一夫多妻制、逆に多夫一婦制というところだってあるし、過去の日本では愛人、妾は普通のことだった。

知りもしないのにこういう部分だけ変な道徳論や宗教観を出すことの方が下品に見える。普段からの信仰心は無いのに、年末年始や人間が考え出したイベントで神仏に頼るのも情けないが。

話を戻して、税金をもらうだけの政治屋は、地位や名誉で喜び、中身が無いのに大臣になりたがっているようにしか見えない。内閣の一員で、原稿を見ないで自分の言葉で最初から最後まで話せるだけの、知識と熱意のある人はいないのだろうか。一人もいない。だから政治屋なのであり、それを選んでいるのが国民だから、当然衰退するしかない。

教育も政治もだめ、企業は技術力が無くなり新しい道を開けず、株主の顔色を窺うだけだから、どこに繁栄の要素があるというのか?

このままでは、日本人がまだ歪んだプライドや過去のカビの生えたイメージで日本品質だ、日本はすごいのだと己惚れていても、やがてはアジアに出稼ぎしないと金が稼げない落ちぶれた国になることだろう。

諦めてどこも同じだ、誰がやってもダメと考えて政治を動かさない人が多くなれば、それこそ団体票を持っている党が有利になり、ますますバカをやる。 年寄りだらけの政治では、今の我が世を楽しめばいい、後のことは知らん、という逃げ切り老害に食われているだけが続く。日本を衰退させている与党はダメ、野党は何も結果が無いで税金を貪っている。

成果が無いことを恥じない野党議員は、なぜ辞職しないのか。日本の美徳は恥にあるが、コメンテーターは自分たちの為さぬ罪が全くわからないだけ、落ちぶれている。いや、その立場が美味しいから話を逸らし、与党が悪いとして生き延びているだけだ。それなのに、当選させる情けない国民という図式。

新しい情熱ある風、世界情勢、歴史を含めた豊かな知識、社会に対する問題意識、都合の良い話をしない現実に即した視点で物事を語る、しがらみ無き政治が望まれると、当方は思う。