なれ合い、妥協無しの本音ブログ

右、左、自称保守のどの立場にも属さないで自由に書く。時事、歴史をイデオロギー発想ではなく発信、コメント不要

注意しても、著作権侵害を止めない年配者たち

2022-07-23 10:11:48 | 考え方

当方はフェイスブックもやっているのですが、そこで新聞の切り抜きを撮影しアップする人たちを多数見かけます。今回の記事は実際に面識がある2人、60代男と70代女について、それぞれに「作成元の許可無き掲載は違法行為」と伝えました。もう一人は不法侵入です。まずは著作権侵害の2人について。

複製権侵害、ネットで公開すれば公衆送信権侵害。

実際、新聞社の編集委員の方にも口頭で直接確認しており、コメントはおおよそ以下の通り。

「自分自身の記事に限定して、その個所のみをネットに掲載するのは多めに見る範囲ですが、自分に直接関係ない新聞記事を撮影し、SNSで公開するのは権利の侵害になります」

まず1人は自然保護活動、郷土史研究で知られた60代男なのですが、数年前のこと。新聞記事の切り抜きを撮影し、掲載を頻発していたので「未許可であれば著作権に抵触しますが、許可を取っていますか?」とメッセージを送信したことがあります。それまでは時々やり取りをしていたのですが無視され、今も継続。なおその後、一切の連絡は来なくなりました。つまり都合が悪いか気分を損ねたということでしょう。

なぜ、このような簡単なことさえ守れないのでしょう。自然保護だとか立派なことをやっていても、このような小さなことさえ自らを正せないようでは結局偽者です。

数日前、同じように未許可であれば著作権侵害だと70代女にメッセージを送信しました。安倍を断固糾弾と何度も発信してる人で、前回記事にした人です。最近は夫人の素行は悪かったなど、もはや批判のための批判を繰り返しだしています。

政治的なコメントを主に新聞の切り抜きがある記事を他人から転載しているのですが、「転載、リツイートも同権利の侵害に当たることがあるので許可済みですか?」というメッセージを送信。しかし、結局無視され今も継続しています。何も言い返してこないとは、都合が悪いのです。

当方は知り合いだからと忖度はしません。間違いは間違いです。日本人的なくだらない、いや、知人だからと間違った思いやりなのか、知らぬ振りなのか知りませんが、そういうことだから日本は良くならないとしか思えません。

ましてやこの2人は日本を良くしたいというのです。

また、この女性つながりで、同じく70代女とも知り合いましたが、この人は不法侵入を繰り返したのです。理由は民家の敷地内に残されている文化財の確認ではありますが、当方が「該当宅に連絡してから入った方が良いです」と言っても、「田舎の人たちは気にしないから」と言うのです。

仕事なら「依頼元に連絡して各家庭に連絡してもらえばよい」とまで言いましたが結局やりませんでした。法に都会も田舎もありません。

全員ともに、他の人もやっているからということで気にもしないのでしょうが、その性根が間違っているということです。

2人の女性は明らかに左翼政党を支持している人ですが、普段はおかしいものはおかしいと言っています。それなら、まずは自らを正しなさいとしか思えません。

ところで左翼系の特徴ですが、現実味がないことでも理論的に表現して立派なことは並べるのですが、いざ自分のことになると徹底的に甘いという人たちを何度目にしてきたことか。自分に甘く、他人に厳しいです。

故安倍元首相には保守を名乗るもまったく保守ではない行動を含めて批判してきた当方でも、あのような最後となったのは残念でした。

しかしこの70代女は心配停止の時から徹底して批判しそれをフェイスブックで公開、絶対に許さないを繰り返していました。さすが左翼です。

少なくても数日くらい静かにしろよとしか感じませんでした。少ししたら、亡くなったことと何をしてきたかは別で、問題を闇に葬ってはいけないと行動するのは自由ですが、心肺停止時から許さないを繰り返す心境は理解できません。

60代、70代といい年をした人たち。やりたいこと、言いたいことはわかりますが、著作権の侵害を繰り返しながらでは偽善者に見えてしまうだけです。よくそれで子供たちの未来だとか地域のためにと言えるなと。

悪法も法は法と、毒杯を飲み干したのはギリシャの哲学者ソクラテスです。日本で昭和22年に食糧管理法に沿った配給食糧のみで闇米を拒否し続け結果、餓死してしまったのは裁判官の山口良忠です。

フェイスブックを使って2人が世の中のためにという自分たちなりの大義名分、自然保護や政治的メッセージを、自分たちが正義だといいながら発信しているのに自分たちの間違いは指摘されても直さない。およそSNSを利用するなら基本となる著作権を侵害し続ける神経が理解できません。

正義を主張するならソクラテスや山口良忠を見習うべきだと思います。


元首相が銃殺されるという大事件を通して、知人の品性を問う

2022-07-09 11:36:21 | 考え方

昨日7月8日(金)、安倍元首相が銃撃され、同日午後5時3分に亡くなったと報道された。

映像を見ると狙撃された直後に心臓マッサージをしており、考えるに実態はほぼ即死状態であったと見える。また、搬送にも時間がかかったことから、大量の輸血が遅れたのも希望が無かった理由であろう。

しかしマスコミの中には正式発表を待たず「死亡」したと報道し、謝罪するところがあれば、正当化するところがあるなど、いずれにせよ視聴率、スクープありきの下品さが改めて伝わってきたところである。

当方は今まで自民党と安倍元首相を厳しく批判してきた。日本という国は憲法改正はせず、自衛隊を軍隊にしない姿も情けないと思っている。

政治は結果であり、日本人がどんどんと落ちぶれていく様子を見ていると、当然そうなる政治を選んだ国民が悪いわけだが、だからと言って国のかじ取りを間違ってきたから世界と比較して落ちぶれて行ったのが現実である。

しかしである。元首相が銃撃され亡くなるとはあまりに痛ましいことであり、今のタイミングで小沢一郎のように自民に同情票が行くとか、驕りの結果というような声を発する気にはならない。

さて、フェイスブックで繋がりがある人たちも色々な反応をしている。一部は面識があり割と親しくしてきた人たちだが、あまりに残念な反応をしているので、その中から2人について触れたい。

1人はSPについて書いている。「一発目で、犯人を仕留めないとSPではない」、「某総理大臣のSPだった人が知り合いで彼らはすごい」など。

この人は前にも、大々的に反コロナウィルスワクチンで大騒ぎしていたが、就職が決まり職場接種(あくまでも任意)となると急に黙った過去がある。

当方は本来、ワクチンそのものは接種しない方だが、それでも反ワクチンには金目当てで煽っている偽者も多数混在しているので注意をと直接話したことがある。その時は「知人の言葉に騙された」と自分を正当化していた。なっていないが・・・。

まず言いたいのは、今回の事件でSPが失態だったのは事実である。なぜなら安倍元首相は銃で撃たれて被弾し、しかも亡くなってしまったからだ。この事実だけで失態だったとしか言いようがない。

今回の事件での細かなことには触れないが、この知り合いの言葉について書いていく。

一発目で犯人を仕留めるとはあまりに無知である。動画の様子も見たが、あれでは一発目は防ぎようがない。そもそも警備が銃を防げる状態ではない。

加害者は既に現場に待機しており、最初から殺害の魂胆が定まっていて演説に拍手するなど挙動不審な様子もうかがえない。

日本の警備体制そのものが近距離まで行けるというナイフや暴行想定なため、一発目の銃撃から犯人を仕留めるなど不可能だということがなぜ分からないのか。

同時に知人の発言の裏に別の意図が隠されていると感じた。

世界のSPでも大事なのは二発目は絶対にヒットさせないことだ。

なぜなら連射の場合、二発目は一発目の反動があり外すことが多いので、スナイパーは時間を置き、照準を再調整するからである。もちろん一発目の弾道を補正する意味もあるのだ。

つまり数秒の時間があるということで、ここでこそヒットさせては絶対にいけない。今回も数秒の間があった。

一発目はあまりに不意を突かれるので当たることもあり得るからこそ、外国では防弾ガラスや仕切り、死角には目隠しを利用するわけだ。

前提がまったく違うのにSPが一発目を、その目付きや動作で見つけ静止せよ、というのはあまりに幼稚である。

ターゲットの近距離まで行ける日本の体制が問題であり、バッグからカメラを出す人まで静止するとしたら、そもそも一定の距離から近づけさせず、さらに持ち物検査が必要だったのである。

近寄っても良い体制なら防弾が必要なのだ。だから極端な平和ボケ日本は諸外国と違う体制であり、今後は全面的な見直しが当然となる。

そういうあまりに違う前提を無視してまでその人が何を言いたいのかだが、実はその心には自分の知り合いがSPでありすごかったということが本音に見えてならないのである。

あまりに愚かしい。なぜならその知り合いが警護したという某総理は銃撃されたことはない。

ここでも前提があまりに違いすぎるのに、自分の知り合いはすごいと言いたいがため、つまりそのすごい人と自分は知り合いだと自慢したいようにさえ見えるのだ。だから品性が感じられない。

続いて2人目は、「赤木俊夫氏の死に心からの謝罪と哀悼の意を表してない。死に対して、私は絶対に追悼しない」ということだ。

また自分の周囲の人たちの態度というものにもふれ、皆、安倍元首相に対し「非難囂々」だという。狙撃され心肺停止と報道されているさなかにも関わらず。

こうして自分だけではなく周囲も安倍元首相に対し、非難ごうごうだとして、ほら、こうして自分だけではないのだと言いたいと当方には見えてしまった。

正直、今は黙れと感じる。自分が左翼思想そのもので徹底して安倍首相を嫌ってきたとしても、である。その人の周囲も下品であろう。

当方も人として安倍元首相を信頼し評価してきたのではない。真逆である。だが今は「お悔み申し上げます」というのが本音でしかない。

日本人の美徳とは何か。

人は得意の時とどん底のときに本性が出ると言われるが、実は今回のような大きな出来事でも本性が出るであろう。

自衛隊反対、武器反対と大騒ぎしていても、では北朝鮮や中国がミサイルを撃ち、自分の家族が犠牲になっても話し合いましょうと言えるのか。それでも話し合いが出来る、という人を当方は絶対に信用しない。

左翼の本領とは、言っていることといざという時は全く別の言動をするという姿だ。だからどんなに立派なこと、美しいことを言っていても最後は手のひらを反すと思っている。

表と裏があり過ぎる。

普段はにこやかに人の役に立つようなことをしているようだが、本音は自分が過小評価されていることへの不満で、他人を引き合いに出して知人が凄いから自分も凄いでしょ?と便乗しているように見える姿。

様々な社会的活動をしているようだがそのエネルギー源には不平不満が渦巻いているようでは、もはやどちらも品性の部分に感じる。

こういう表裏があり過ぎるのが、多くの日本人の特徴とも考えている。日本は停滞し続けているのが現実。いや、世界は向上しているので、日本は下落しているのが現実である。

実際、実質賃金は減っているし、様々な形で増税され、インフラ料金も上がり、物品の値段も上がっている日本では、もはや発展する姿は想像できない。

政治が腐っている日本は、国民がそういう連中を選んだからに他ならない。つまり日本は好んで没落の道を歩き続けている。

本当に大事な部分は直視せず、たまに出てくるのは負のエネルギーでは、向上、発展するとは思えない。

目先のことだけ、己や家族、自分が属する組織のことしか考えない人があまりに増殖しているが、そのような人たちは一言「下品」としか言いようがない。

奈良県立医科大学付属病院には、クレームが多数いっているとの報道がある。このような下品な日本人があとを絶たない日本に、未来はない。


いかなる理由があろうとも、銃撃は言語道断である

2022-07-08 12:27:46 | 考え方

先ほど、安倍元総理が演説中に銃撃され、今は心肺停止という速報が数多く流れている。

狙撃の瞬間の動画が既に公開されているが、あそこまで近距離に行けるとは警備の失態は間違いない。まさに平和ボケと指摘が可能であろう。

当サイトはイデオロギー発想を否定し、それだけではなく長年日本を悪化させた自民党は大批判を繰り返している。

特に安倍元首相は何度も批判している。

しかし、いかなる理由があろうとも銃撃するなど言語道断である。

暴力は絶対に間違っている。

戦争や自衛のための軍備を保持することは正当な行為であり、国は絶対にやらねばならない。

それとこのような卑怯な暴力は全く違うことだ。

散弾銃という情報があるようだが、近距離で散弾銃が使われたなら厳しい状態であろう。

それでも、何とか回復して欲しい。

その気持ちに偽りはない。


褒めて伸ばすは必ず失敗する

2022-07-05 11:25:34 | 考え方

かつて日本を代表する保守派の知識人たちが、バブル後の低迷する日本という時代に、「日はまだ昇る」、「製造業は必ず復権する」というような著書を数多く出版していた。

当方はそれらの本は基本的にすべて、というくらい読書してきた。

確かに歴史を振り返ると日本は、卑弥呼の時代、遣隋使の手紙、元寇、幕末の動乱、大東亜戦争の敗戦などを乗り越え、困難の後に安定をもたらす、あるいは飛躍した歴史がある。

また、かつての日本人は勤勉で、恥の感覚を持ち合わせ、陰に日向に努力を続けた国民性ということがあり、コツコツと建設的なことをやってきたのは事実である。

しかし著名人が言っていたはずの「日本はやがて再び世界の中で輝く」という論調は外れた。全滅としかいいようがない。

なぜならもはや日本はかつてのように世界が注目する国では無くなり、そして将来もそのようになることも無いとしか言いようがない悲惨な国になってしまっている。

なぜ、保守派を中心とした今でも名が残されている著名人、時代に輝いた人たちの予言は外れたのであろうか。

それは彼らの予想を大幅に超えて、日本人そのものが堕落したからである。

彼らはまさかここまで日本民族が墜ちるとは、想像もできなかったのであろう。

政治家はほぼいなくなった。己の欲得と党利党略しかない政治屋集団になり、公務に携わる人としてはおよそ恥でしかない行為を行っても平気で居座り、金をもらい続ける輩が増えた。

確かに制度として領収書有の実費精算のみという会計方法にしないことも悪い。つまり都合よく利用したい輩だらけで、自らを正すという政治家がおらず、いつまでも利用したいために制度改正はやらない政治屋。

数が異常に多すぎることも是正しない。一切機能しない参議院でも、「当選したら勉強します」のタレントを担ぎ出し、国を私利私欲で利用したい人と党だらけになった。

居眠りする、質疑無し、誰かが準備した原稿を読んで終わり、視察と称した旅行で騒ぐことしか考えない破廉恥な連中しかいない。これは国から地方まで全部である。

この人たち、ザ政治屋こそが日本没落の象徴なのである。

どんなに頭脳明晰な官僚たちであっても、この腐った政治屋が次々と大臣になる、いつまでも地方議員で居座れるとなれば、知識も何もない連中がトップになってもまともにやる気は起きないだろう。

それよりもその頭脳を使って立場を強くすることを考えるのもまた人間であろう。人間は自己防衛という本能があるが、それがやがて自己保身になり、それが通ってしまえば欲に溺れだすのである。弱い存在、それもまた人であろう。

かつての政治家、田中角栄なら人間の甘いも酸っぱいも十分に理解したうえで、官僚と接したであろうし、日本はもっと良い国になっていたことと思われる。本当に仕事をする人間が潰される、企業でも同じ原理で、舌先三寸の偽者、他人の成果を盗むような連中が上に行く。

日本というのは実に奇妙で、立場が上がるに比例して給料は上がるかも知れないが、責任と仕事がどんどんと無くなっていく。だから仕事をしないおっさん、おばさんがいつまでも組織に残れる。いざ問題があれば今度は集団に隠れ、個人の間違いを正さない傾向が異常に強い。

しかも老害の認識がないので、まだ役に立っていると自認する。

これは政治も官僚も全て同じである。

歴史を見ても失敗した人ほど昇進することがある。失脚させれば組織の責任も追及されるので、当人を昇格させて何も無かったことにするという癖さえ持っている。

その日本では、「日本はすごい」、「日本には技術がある」、というような論調で多くの番組が作られ、多くの人が日本は素晴らしいと思い込んだ。外国人から見て魅力がある国だと錯覚させられた。

とんでもない間違いである。外国人の中で日本の文化、歴史、技術、芸能に興味を持つ人がいるのは喜ばしいことだが、極めて少数派でしかない。レアな人々であり、そこに焦点を当ててもまったく参考にはならないのは当然のことである。

おそらくは今のアメリカ人であっても、日本の位置が分からない人が多数いるであろう。

かつてアメリカの大卒の女性と話をしたとき、日本に来るまで中国の一部だと思っていたくらいである。正直言えば、多くの外国人には具体的な日本のことなどどうでもよく、単なる集金場所くらいでしかない。

日本人は日独伊の三国同盟の歴史があることからドイツに親近感を持つ人もいるが、日本のことなどどうでも良いというのが多くのドイツ人だと思った方がいい。

アジアの親日国と言われた国々も認識は変わってきているのが現実である。一部日本人観光客が海外旅行して破廉恥な行為を連発し、すっかり信用を落としていることもある。

日本ではやらないことを海外だからと平気でやる愚か者があまりに多すぎるのだ。

そこにはアジアをまだ見下している心理も含まれていることだろう。既に周回遅れなのにわからない精神性の低さ。

また、日本人はあまりにも発想が貧困で、外国人が観光に来るから世界の中でも知られていると思っているようだが、それは全く違うのだ。

多くの外国人は日本の場所くらいはわかる人は増えていると思うが、まさか米軍基地があるとは思ってもいなかった、その程度でしかない。

日本人にしても、例えばラオスとカンボジアの位置が分からない人だらけだろう。

しかも米軍優先で日本に制空権が無いというと、目を丸くして驚かれる。

だから敗戦国日本は米国の占領下であり属国でしかないということが現実で、米軍基地の中で起きていることは日本は一切関与できないというと、皆が占領下であるという表現に納得する。

日本人でも知らない人が多い現状、当然多くの外国人は知らない、その程度が世界の認識である。外国人が知ってしまうと、なんと弱腰な国だという認識となる。

自衛隊は軍隊ではない異様さ。

尖閣諸島や沖縄に中国が攻めてきたとしたらアメリカさんが助けてくれると思っている人が多く、ましてや中国が攻めてくると思っている人はほとんどいないというと、「嘘でしょ?」と言われるのだ。

世界から見ればどれだけ甘い国かであるが、単に知られていないかである。

ロシアや中国が海と空で執拗に挑発している、北朝鮮がミサイルを撃っても「遺憾」しかないのが日本政府であり、北方領土と竹島を取られたままだと説明すると、独立国じゃないと言われる。

しかし喜んでロシア、特に韓国旅行する日本人のなんと多いことか。

自分の家の庭が取られたら怒るであろうが、それが国家になればどうでもよいし、そもそも知りもしない。それが多くの日本人であろう。

外国人からすれば富士山と寿司、ラーメンという程度で、日本のことなど知らないのが大多数であり己惚れない方がいい。

そして日本人の若者が日本の歴史、文化、伝統には一切目を向けず、技も磨かない状況で将来があるはずはない。

日本人であるのに大事な日本の製造、土木建築、重労働では無くても誰かがやることになる縫製や弱電の仕事、コンビニやファーストフードもやりたがらないから外国人に頼るしかない。技能実習生という隠れ蓑や学生という名目で実態は労働者の補充である。

極めて恥ずかしい二重行政、政治の表と裏という日本らしい嘘で成り立たせている。

日本の労働力で大事なことであるのに、多くの人が見下す職業を外国人労働者が変わりにやってくれている。給料が安いだ、見た目がどうだとやらない日本人の変わりに日本を支えてくれている。

しかしその多くで搾取や暴力が蔓延し、知性も理性も無い獣が外国人を利用しまくる状態という会社もあるわけだ。

日本人自らが日本人を貶める行為を続け、世界から信用を失っていっているのである。

日本で仕事をしてくれる数少ない人々から最終的には嫌がられ、その結果日本そのものの印象を悪化させているのに知らない振りを続けるこの国の政府は観光大国を目地しているという。

円安で外国人の皆さん、どうぞ遊びに来てと言いながら未だに国を全面開放せず、株を買ってくれというバカなトップ。

グローバル経済を押し付けられ、食料自給率は低いまま、資材や物品を輸入しなければ成り立たない中小企業の悲鳴もどうでもよい、聞く振りなんちゃって総理が国を破壊している。

このようなことを続けていながら製造業の復活も何もあったものではない。当然の話であろう。日本はどこを見ても衰退しか見つけられない。

マスコミが素晴らしい素晴らしいと言っていることに、正解は無い。褒める行為の裏には何かを隠す意図があるのだ。

なぜなら厳しい指摘こそ大事なことなのに、スポンサーや政治の顔色しか見ることが出来ないので本当のことを言わないのだから。

学校や家庭教育で、もしほめて伸ばすなるものこそ正しいと信じてやってきたのなら、一時の成功はあるかも知れないが、大事なことは継続である。

褒めると同時に違うこと、間違っていることもしっかりと伝えないと現実を直視しないということになる。しかし職業先生が蔓延し、公職である意識、子供を導くという聖職感や倫理観の無い破廉恥教師だらけにしか見えない。

少し前、知人が言っていた。先生に倫理観を求めるのが間違い。食うためにやっているだけだと。なるほどと感じたものだ。

だから子供はその嘘を見抜き、その程度の職業先生に教えられは、たまったものではない。。

だから子供目線でも真面目に考える子、鋭い子ならこの国からの脱出を考えるではないのだろうか。

そして大人になれば今度は私利私欲の政治屋しかいない。

日本素晴らしいという番組と同じ状態で、悪しきことは隠し、都合のよい部分だけを言っていては極端に偏っているだけである。

そしていつの日か、人は失敗や挫折を経験する。その時に立ち直れないのが褒めて伸ばされた側の人たち。なぜなら物事は忍耐することや時に歯を食いしばって継続していくことを通してしか分からないこともある。

辛さを耐えたからこそわかる世界もある。

どこかで辛さを正面から受け止め、克服することをやってこなければ、褒められて調子に乗っているだけでは、いざ大きな壁に当たった時に乗り越えられないのだ。

分かりやすく言えば登山である。

あなたなら大丈夫、必ずできると幾ら繰り返されても、実際にやってみれば楽しいだけではない。天候不順になることもあるだろうし、足を滑らせて捻挫することもある。上から石が落ちてくることもある。

しかし都合の良い「あなたなら出来る」では、現実を直視していないから失敗する可能性が高い。

昨今、高齢者を中心とした登山での事故が増えているが、新型コロナの影響による日本政府の失策で自粛という名の隔離が続き過ぎたことがあり、その反動も手伝って人と遭遇しにくい山ならという人も多いであろう。

中には過去に山をやっていたという人もいるだろう。

しかし現実は衰えた自分がいる。気持ちはまだまだいける、あるいはこの程度の山ならという現実を直視しない甘さがケガや大事故に繋がっているのだ。

現実は厳しい、その当たり前のことが、褒めて伸ばす側、都合の良いところだけを切り取る思考法の人は問題に直面しても回避能力が低いか、無いのである。

だから本当の苦労、挫折に直面するとダメになるのだ。

世の中はどんなに左翼側が平等だと騒いでも明確な縦社会であり、階級が存在する。山奥にこもってバンダナをして酒を飲みながらVサインを出して歌って現実逃避している人がこの令和の時代にもいるが、しかし大自然だと山の中に入っているあなた方も環境破壊の一因だということを理解しているのだろうか。

手を繋いで歩きましょうと幾ら言っても、マシンガンを向けてくるのが世界であり、話し合いましょうと幾ら言っても目の前で親兄弟が撃たれるのが現実である。

残酷な社会、厳しい現実を直視しないから、失敗から学ぼうとせず都合よくすり替えるから日本は世界の中でも弱い国に堕したのである。

割と多くの人が「選挙で投票したい人や党が無い」という。そして、良いことはやっている振り、聞いている振りだけで実際は国民が苦しくなることしかしない自民党と、ばら撒きの公明党という図式でますます悪くなっているのに、投票したい人や党が無いから同じく自民党という人だらけになっている。

よく分からないから今までと同じという構造で左翼政党という人たちも同類である。

そもそもあなたが望むような完璧は存在するはずはない。政治はベストではなくベターでしか選べない。

その判断は、小異を残して大同である。多少の違いは目をつぶらなくてはいけない。そして少しは自分にあった考えが含まれているのなら、変えることを選ぶのが大原則である。しかし勉強不足も手伝って結局同じ党に戻るのだ。

つまり本気で変える気など無いのである。良く調べ、少しでも可能性があるなら賭けるしかないではないか。

自ら考えてどうにかする、それが無いから壁に直面した時、周囲をきょろきょろとみて何となく皆にあわせる、あるいは困ったら国が何とかしてくれるという極めて甘い発想しかない多くの日本人。大災害の映像で日本人は整列しているというのは、日本人の美徳として数えるのは違う。

考えることが出来ないから何となくそうしているだけだ。

しかし政府が日本を破壊し続け、潜在的な不満が高まってくればくるほど、整列は無くなりやがて暴動という日が来るだろう。

世界では暴動がよく起きるが、あまりの日常の不遇からきっかけがあれば爆発してそうなるのだ。日本もそういう日が来るのは近いのではないか。

あるいはいつまでも飼いならされたペットでいたいのかどうかだ。暴動を肯定するのではなく、自分で考えよ、自分で選べ、そういうことである。考えて行動せよということだ。

世界は、世の中勝ち負けの論理ということを明確に理解しており、弱いものは食われる原理で動いている。

そこにきて伸ばすために褒める、つまり臭いものには蓋、現実逃避し悪しき部分から目をそらすということを続けた国が勝てるはずも発展するはずはない。それが今の日本、発展できず、不遇の人を増加させているだけという現実がここにある。

自殺者は多く、統計の都合により状況から見て自殺であろうが、不審死として処理してまで数を調整している。

なぜ日本は戦争で負けたのか。考えてみるべきである。失敗から学ぶべきである。しかし国民の多くは目を反らすだけだ。

あるいは保守から右側のように軍神だ侍だと美学に酔いしれていても絶対に良くなることは無い。それだけ立派ならなぜ負けた?

逆に中国や韓国と歩調を合わせ、悪しき日本、残虐な日本軍と繰り返していても絶対に良くなることは無い。

素晴らしい素晴らしいを連呼しても、ダメダメを連呼しても、それこそダメなのだ。だからイデオロギー発想ではうまくいかないと過去に何度も書いているのである。

いずれにせよ、褒めて伸ばす的発想は、やがて壁に当たった時に乗り越えることが出来ない。世界の中でこんな甘ったるい国は日本だけだろう。繰り返すが世界は競争の原理でしか動いていない。

世界平和と言葉でいうのは簡単だが絶対に世界に平和は来ない。弱肉強食こそが世界の原理であり、平和とは勝手に想像するだけの逃避に近いものだと考えた方がよいであろう。

なぜ、かつての保守派の知識人たちの予言は外れたか。

それはほめて伸ばすとは真逆の時代を生きた日本人を前提に論調を組み立てたからである。

まさか恥も外聞もない連中が政治屋集団を作り、税金を食い逃げするために政治を目指すゴミ日本人がいるという前提ではなかったからである。

企業も商道徳、倫理観があるという前提だったのだ。まさか目先の利益のために技術を切り売りし、技術者を解雇し、開発をせず、大事なメンテナンスを軽視するとは思わなかったのだ。

メンテナンスが利益を生むという製造では大原則の理屈を忘れ去り、補修費を削る。そして自分たちの首を絞めることになった。そして最後は外国企業に身売りするとは、まさかそこまで日本人が墜ちるとは考えられなかったのである。

そこまで恥ずかしいことをするのは日本人だと考えなかったからこそ、日本の復活を信じていたのだ。

コンプライアンスという名のもとに、自縄自縛になり部下の指導も出来ない。当然、そういう期間が続くと指導経験が無いから今度は発想力も無い。そんな連中が管理職の会社が発展するはずが無い。

そして極めて異常なSDGsなるものに右も左も見事に騙された。こんなものは形を変えた搾取でしかないのに気がつけないほど、本来は頭の良いインテリ層が多いはずの左翼まで見事に引っかかっている。

環境だ、貧困対策だ、人権だといういかにも左翼が好むことに隠れて搾取するのがSDGsだと見抜けないのは、厳しい現実を直視せず、反対のための反対、あるいは単なる感情論で論理思考を捨てた結果であろう。

子供をほめて伸ばすのは、やがて前を塞ぐ壁を乗り越えられないひ弱さだけが残ってしまう。だから世界で勝てなくなるのは当然の話である。そして子供たちは大人になってもまともな就職先が無い。かつてのアジア諸国が日本に出稼ぎに来ていた現象が、日本人がアジアに出ていく時代になっていくだろう。

悪口は厳しくいうが現実逃避しているのが左翼である。単なる悪口評論家でしかない左翼政党の票を減らすのは国民の義務だ。政治は結果であり、長年政党でありながら日本を良くしない左翼なら、為さぬことの罪で落選という罰が必要である。

しかしだからといって見た目に美しく舗装した道で、結局日本を地獄に向かわせているのは今の与党であることも知らねばならない。

言葉で誤魔化し、嘘をつき、平気で論調を変え、本当に都合が悪くなれば、つまり本質を突かれると語気を荒げて相手を恫喝するような連中が元総理という異常な国が日本であるという現実を直視すれば、あの人たちの党はあり得ないのだ。自民党は絶対に保守ではない。

日本人は日本をどうしたいのか。

まさか全日本人が目先の欲得だけに生きているのではあるまい。本気で考えて、本気で行動しないと、歴史と伝統がある日本は崩壊することになる。

踏襲型で行動せず、理屈を並べて結局やらないのがあなたなら、あなたこそ日本破壊への加担者である。


元号、夫婦同姓、戸籍は止めよ!無駄と搾取だらけの日本

2022-07-02 11:52:01 | 考え方

タイでは、タイ式の仏暦です。今年は2565年を使っています。だから日本の様に元号が変わることで大変なことにはなりません。西欧は当然西暦ですから2022年。日本は元号を使うのでカレンダー、役所、日常を含めて結構面倒です。皇紀2682年を使えばいいだけです。

そうすれば皇室を貶めることにもなりません。なぜ、国民全員のためのことをしないのですか。なぜ国民は求めないのでしょうか。

日本人は物事の改善を得意とするはずの民族なのに、実態は大事なことほど放置して過去を踏襲する思考停止型です。時に嘘までついて文化伝統、歴史だと言い、だから変えないという珍妙な屁理屈を出すのです。

なぜ仏暦まで出して皇紀と比較したかは合理的だからです。西暦は便利だから使われているのが日本。西暦を使うなら、そもそも自国でしょう。簡単な話です。

日本の歴史だ伝統だという自称保守派なのに、では西暦が使われていることに違和感が無いのは、あの人たちが偽者だからです。

なお、皇紀の歴史的根拠は?となったら正直、そこはどうでもよいとしか思っていません。国民にとって便利であればそれでいい。タイの仏暦も釈迦の確実な生没年は分からないのです。

イエスも本当はわかりません。そもそもクリスマスと結び付けているほどキリスト教もいい加減な状態です。

それでも少しだけ触れれば、元号を天皇と一致させるのは明治からで、かなり新しいわけです。皇紀も明治5年の話です。ということは皇紀でも、元号を使用する根拠とさして変わらないわけですが増えるだけで変わるわけではないのでいかに便利になるかということです。

当方は神武天皇を信じておりません。なぜならほとんど縄文時代の話です。当時のことがほとんど分かっていないにも関わらず、しかし天皇については明白なことこそ無理があります。

無理して歴代天皇を当てはめるから、例えば初代神武天皇も127歳(日本書紀)みたいになるわけです。景行天皇は147歳です。

元号も大化の改新の645年からでその後も令和で248個もあるのです。時代や天皇とはほとんど関係が無いことが分かります。その時々で、なんとなく災害が多いから変えよう、そういうものでした。

ましてや元号の考え方そのものが古代シナです。これこそ自称保守派の大矛盾なのです。そして元号を使っているとは、今では世界の中でも日本だけではないのでしょうか。元号は止めるべきです。

続いて夫婦同姓問題です。政治は自称保守を名乗る連中が夫婦同姓のままにせよと、いつまでカビの生えた発想から抜け出せないのでしょうか。元号と同じで、法律で夫婦同姓をいっているのも、もはや世界でほぼ日本だけではないのですか。

どうしていつも大事なところで判断を間違えているのか。

自由主義を標榜するなら選択の自由を最大限に認めるのが筋です。何も完全に夫婦別姓にせよということではありません。選択的夫婦別姓にすればいいだけです。

自由とは、選択の自由があるわけです。日本が自由主義国家なら、なぜ選べない夫婦同姓なのか、まったく理屈が通りません。

普段はアメリカ型の物いいをすることが多い政治家も、大事なことになると意味不明の考えで逃げ切ろうとするから意味が分かりません。アメリカは残酷なまでに合理的な判断をしますが、そういう大きな意味があることは知らんふり。

それが日本の歴史だ、伝統だ、文化だという意味不明の言い方で逃げるのです。

州によって違いはあれども、選択的夫婦別姓がアメリカです。そのうえで同姓を選択するのだからそれでよいのです。日本もそうなれ、そういう話です。アメリカ大好き、あるいはアメリカに盲従する政治屋はアメリカを見習いなさい。

なお、日本はアメリカの属国、占領下にあります。なぜなら敗戦国だからで、戦争に負けるとはいかに悲惨かということです。しかし多くの日本人は考えもしないことでしょうが、それが現実です。

だから偏った情報が多いのは仕方がありませんが、情報を鵜呑みにするかしないかは各人の生き方であり、その人の頭の問題です。

しかしアメリカ追従だからロシア、ウクライナ問題もウクライナ側の主張を鵜呑みにする幼稚な人が後を絶たないわけです。アメリカ型の情報を鵜呑みにするから、見えなくなっていることが山ほどあるわけです。

ロシアを一方的に悪者にして得をするのはどこですか?それはアメリカではないですか。マスコミは危険です。情報操作されてから後、どこかのメリットのために情報が流れるという当然のことを日本人の多くは認識できません。

新聞を読むのもいかに危険かが分からないので、無駄な金を使って購読を続けているのが何よりの証拠です。

話を戻し政治家を自認する人たちは、夫婦別姓にしたら将来子供が困るだとかまで口出しする存在では絶対にありません。それは各家庭で判断すればいいし、なぜお前が各家庭のことにまで口出しするのか、そして保守を名乗るのか気味が悪いのです。

現実に世界は選択的別姓で標準。保守を名乗る政治家がいかに不気味かということです。

いずれにしましても、どうしてこういうことは誰のためかで考えないのか?です。皇紀2682年とし、西暦や仏暦と同じでただ増えるだけなら混乱は無いのです。自由主義というのなら選択的夫婦別姓以外、ありえません。自由ではないから苦しむ人も出てきているのです。無駄と苦しみは止めるべきです。

そして戸籍の話です。

古代に制定された戸籍制度も、住所がある現代では不要です。戸籍制度がないのに成立している国、例えばアメリカやフランス、シンガポールがあるわけですから、やれば出来るということです。

最近、中国にたてつくようになった韓国でも2008年に止めています。日本も即刻止めるべきです。そこに関わる膨大な無駄を全部排除すべきです。

日本はかつて、流通に多くの組織が関わり、高コスト体質でした。しかし中間搾取が減ることで便利かつ安くものが手に入るようになったのは事実です。

しかし税金を使う連中の安泰のために、高い税金を払わされている構造に怒るべきが国民です。税金を浪費することで成り立つ行政なら国民の為ではありません。

政治屋や公務員も生活があるという反論をしたい人はいるでしょうが、根本的な間違いです。いらないものに金をかけることに、擁護は不要です。

そもそも成果が極めて低く長時間残業している能力の低い人、残業代を生活費としている情けなくもずるい人に対しても、あの人なりに頑張っているという意味不明の理屈を長年通してきたのが日本なのです。

世の中、本当の部分で見ましょう。表面だけのごまかしはいりません。

もう、そういうバカなことを止めないと、ただでさえ世界の食い物にされており目減りするだけなのに、多くの日本人は上級国民という大原則として搾取する側に奪われているという二重構造からの脱出ができません。

多くの日本人を苦しめているのもまた、日本人であるという現実を考えて、多くの国民は「いい加減にしろ」と反旗を翻さないと嘘です。なぜならこのままでは当然日本の未来は無く、子供たちには残酷な世界が待っているだけだからです。