なれ合い、妥協無しの本音ブログ

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新型コロナウイルスで志村けん氏死去 間違い続きの日本の政治と国民

2020-03-30 11:49:40 | 考え方
日本人は仕事ができない。これについてOECDのデータをもとに記事を書いたことがある。生産性が低くて世界の中でも話にならないレベルなのだ。

そして税金が高く、税金以外にも様々な形で金を出さねばならない国でもあるから、海外から見れば住みにくい国なのだ。

外国人の中で日本が素晴らしいというのは基本的に、金を稼ぐための主にアジアからの人たちと、今までお金に困ったことがないような欧米人であろう。日本は素晴らしいという類の偏ったテレビ番組に騙されてはいけない。そういう番組は政治とつながったプロパガンダと考えるべきである。

生産性が低い、つまり仕事が遅いということが一連の新型コロナウイルスに対する国、自治体の動きに象徴されている。リーダーシップを見せるべき政治家がダラダラと抽象的なことで時間を浪費している間に、日本は隠れ新型コロナウイルス感染者、つまり検査を受けていない感染者がとんでもない数になっているはずなのだ。

ここ数日、東京都の感染者数が大幅に増えている。答えは簡単だ。前まで検査していなかっただけの話。

新型コロナウイルスは自覚症状がない人が多い。それが実態である。しかしだからこそ怖いのだ。そういう人たちは当然未検査であり感染拡大をしているのである。

今日本ではあちらこちらで感染経路不明が増加し、慌てだした。しかしこれは間違った対策を続けた当然の結果であり、人災なのだ。

海外の指摘では、人によっては感染してから極めて短時間で悪化するというものがある。日本のようにある程度は自宅待機という考えは通用しないのだ。それが志村けん氏の死去であろう。

コメディアンの志村けん氏が新型コロナウイルスの影響で死去した。70歳。

3月17日、倦怠感があるが自宅療養。
19日、発熱、呼吸困難。
20日、訪問診察の医師により都内病院入院。
23日、新型コロナウイルスの陽性判明。
25日、感染発表。
30日、死亡判明。

17日に症状が現れ、20日に訪問した医師により入院。この訪問がなければまだ自宅だった可能性がある。少なくても3日間、日本の方針に従って検査を受けていなかった、受けられなかったということではないか。有名人が国の判断ミスの犠牲になったとしか思えない。

日本はいまだに一定の症状が出るまでは検査もできない。だから志村けん氏は重篤化し、帰らぬ人となったのではないか。感染したら一気に悪化する危険性があるという指摘があるにも関わらず生かそうともしない国、日本。

お悔み申し上げます。


他にも風邪との違いが判らず、自宅にいて症状が治まった人たちが実は感染者だったケースが山ほどあるはずである。

自覚症状がない人、一時似たような症状が出たが治まった人たちから症状が出る前に感染拡大していれば、もはや時間が過ぎていることで感染経路は不明となるのは当然のことではないか。

検査を少なくし、見かけの人数を調整してきた国は世界でもあった。今でもタイのように疑わしい国もある。タイでは国技であるムエタイのスタジアムで感染が広がり、今では開催されていない。このムエタイ観戦は特に欧米人には人気があったことから、タイから母国に新型コロナウイルスを持ち込んだ観光客は多数であることだろう。

しかし多くの国は検査を抑えるという方針を大転換し、大々的に検査を開始した。アメリカのニューヨークもそうである。つまり検査をしないことはもっと危険だということを理解したということであろう。日本はまだ、間違ったことを言い続けている。

その結果、海外では感染者数が爆発的に伸びた。だがこれが正解である。操作された数字でどうやって必要な対策が打てるというのだ。

イタリアやスペイン、フランスでは医療崩壊が起きているではないかという意見もあろうが、重症者と軽症者を明確に分け、そもそも重症化する前に手を打てばあそこまで悪化はしなかったはずなのだ。

ヨーロッパでは最初、このウイルスの影響を軽く考えていたからこそ、後になって大変なことになったのである。初期対応を台湾のように厳重にしていれば、今の事態はなかったはずなのだ。

ヨーロッパの惨状を例題とし、あのようにならないためにも日本は検査数を制限しているというのは全部デタラメである。あるいはその間違いに気が付いていない医療従事者やコメンテーターは全員、本質を見誤っている。

台湾が大惨事にならなかったのは、極めて早い段階からの中国人の流入をストップさせ、外国人の往来をストップさせ、マスクがどこにあるのかのアプリを早急に開発し、国民の不安を軽減する努力も合わせ多元的に初期対応したからなのである。

東京オリンピックが頭にこびり付いて離れず、中国人観光客の落とす金に欲を見せ、習近平氏の国賓待遇の来日を実現させようとして初動で大失敗したのが日本政府なのだ。あらゆる場面に出てくる話のすり替えに騙されてはいけない。日本国内の拡散は、人災である。

それは台湾と比較して当然の答えだ。国は違えども運営しているのは政治家であり、政治が違えばこれだけ違うということは、日本の政治は失敗した証拠。それはつまり人災という答えにしかならないのだ。途中過程がどうであれ、どんなに努力をしたとしても結果がダメなら政治は失敗という烙印にしかならない。それだけ厳しい仕事だからこそ本来尊敬されるべき職務なのだ。公約をうやむやにして、次の選挙の時だけ騒ぐ醜い連中は利権のためだけの連中である。

世界で起きている良くないことは間違いを続ける日本でも起きてくることだろう。しかし日本のお偉いさんたちは今になって感染者数が増えたと大騒ぎするのだから、よほど頭が悪いのであろう。

しかも日本の悪いところは、外出もイベントもお願いしかできない。諸外国と違って強制力を持ち法的に制限することが出来ない。今まで何もしてこなかったからこそ有事対応がない、平和ボケの象徴も政治なのだ。

大災害を経験しても、結局「喉元を過ぎれば熱さ忘れる」で対応しなかったツケが、こうして出ているのだ。

共産党独裁の中国は決して良い国ではない。そもそも今回の騒動の発端であり、しかし今では世界に協力しようというような姿勢でいる。経験を生かすことは大事だが、多数の死者が海外にまで出る状況に対し、申し訳ないという気持ちは皆無である。なぜこう書くのかと言えば、今回のウイルスは人造だと考えているからである。コウモリ由来で今の状態?バカバカしくて話にもならない。この脅威は人造だと考えるのが一番合理的なことである。

それでも武漢封鎖などは一定の効果があったのは事実であろう。フランスパリでは特定の理由がない限り外出できないし、イタリアも封鎖状態である。罰金刑、逮捕まである国が数ある中で日本は愚劣な政治の失敗である。そのボンクラを選んでいるのは国民である。その国民は世界でも生産性の低い仕事しかできない。それが日本の実態なのだ。

東京オリンピックの延期が明確になってから、感染者数が増えたという指摘があちらこちらにある。なぜそのような声が広がっているのかは、それが事実だからだ。つまり検査数を増やしたということだろう。逆に言えば、東京オリンピックという人の命に関わらないことを優先させ、国民を危険にさらし続けたということにもなろう。

日本の今までの感染者数の推移はまったくデタラメなのだ。今までの検査をしないでこの人数という話の展開があまりにも幼稚であり、これまで操作されただけのこの数字を使って新型コロナウイルスは大したことはないと言っていた学者や専門家はその職を辞するべきである。何がエビデンスだ。

検査をしないことがなぜ医療崩壊を防いでいることになるのだ。検査をして陽性でも、自宅に一定期間いるだけで鎮静化する人が大多数なのだ。8割は重症化しないという海外からのデータがあるのにまったく医療現場に生かしていない。

検査をした上で具体的な対応ということを未だにしていないからこそ、感染経路不明が続発しているのである。繰り返すがこれは、人災である。

そして検査をしないからこそ、実は新型コロナウイルスの影響で死んでいるかも知れない人は数に入れられていない。

日本の感染者の中で今では約3%の人が死亡しているといわれている。そもそも新型コロナウイルスの検査は医療崩壊が起きるという話のすり替えでしなかったのだから、実はかなりの人数が死んでおり、情報操作で隠されているというのが実態ではないのだろうか。

しかるにいまだに、重症化を防ぐことが大事、感染者数ではないという愚かなことを堂々とコメントしている人たちが山ほどいる。頭が悪すぎる。感染者数が増えるとは、重症化も比例する危険性があるのに、医療現場が崩壊するという何ら論理性の無い話しかできない。

発想がまるで逆で間違っている。だからこそ初期段階でも陰性か陽性をはっきりさせ、軽度の場合は自宅療養として明確に指示すべきなのである。

隠れ感染者が放置されて重症化し死んでも、そもそも検査をしていないのだから新型コロナウイルスとは無関係だと情報操作していると疑われたくなかったら、諸外国にならって検査数を格段に増やせということだ。

数か月前でも一日3000件の検査ができるといっていた政府なのだ。今ではもっと多くの8000件のはずではないか。どこまで醜い政治なのだ。

また、イベントの自粛は多くの企業が行っているが、地下アイドルのイベントなど止めないところもある。主催者側はお金が入らないと困るということを言っている。

実はここには二つの問題がある。開催する側と、参加する側。開催しても人が来なければしょせん経費倒れとなり、やらなかった方がよかったとなる。何事も相手がいるから成立している。

ネットで売春の呼び方を変えて男を探す女たちも多いが、結局はどちら側からも合意で成立ということであり、どちらか一方だけが悪いのではない。

参加しなければ成立しないのだが、ここがぬるい日本人であり、今でも多く参加しているのだ。それだけではなく気分転換に花見、気分転換でクラブで騒ごう、飲み会はやめないという連中。また、田舎の年寄りのところに避難しようという連中まで。さらには、いつまで続くかわからない不安という。

ヨーロッパでは新型コロナウイルスの現況を、戦時体制だと言っているのである。戦時下に気分転換も何もない。そういうぬるい考えは全排除せよということなのだ。それだけ危機感を持っているのである。

田舎の親のところに避難しようというのは絶対にやってはいけないことだ。年配者の重篤化がこれでもかと言われているのに、自分は無自覚で感染しているかも知れないのに、なぜ気分転換のため、子供のためという理由で会いに行けるのだ。身勝手の塊である。仮に親が来ても良いといっても、親のためを思えばこそ移動せずに自宅待機が正解ではないか。

日本の仕事の遅さの象徴たる政治は抽象的でリーダーシップもなく、大災害を経験し北朝鮮の脅威というのに何もしてこなかった。今でもノロノロダラダラ。しかしできる限り、しっかりと、今までにない大胆なと言葉だけ踊らせている。これが本当に全力で取り組んでいることなら、致命的な仕事能力の無さということだ。

日本国民の多くの年配者は我先にと物資を買い込む。オイルショックの経験があるから、大丈夫だとは思うのだが皆が買っているからと買い込む発想は情けない。

一部の若者は集まることを止めない。数日、数週間の我慢もできない。一人になるのが怖く、すぐにネットでつながろうとし、あるいは実際に集まろうとする。一人の時間を過ごすこともできない精神的な弱さをさらけ出している。

そしてマスコミとは、問題が大きくなることを喜ぶ傾向があることを忘れてはいけない。大変だ大変だで飯を食うのだから、煽る話も大好きなのだ。距離を保ち、冷静に判断すべきであする。また、クルーズ船の数を含む含まないで騒ぐ思想が偏った連中の話も聞くべきではない。

戦時体制だと明言し、困難を乗り切ろうという国とグダグダの日本。こういう時期だからこそ耐えることをし、その時間を使って様々なことを見直さねばならないはずではないのだろうか。

今の状況は中国発の、第三次世界大戦だと考えるべきである。たかが数日、数週間、あるいはこれが数か月になろうとも我慢できないような耐性の低い国民では話にならない。過去の大東亜戦争で日本人は連合軍(アメリカ軍)の爆撃から耐えてきた。沖縄では長期間、湿度が高く暗いガマの中で音を立てることも許されず耐えたのだ。

耐えるべきときに耐えられないようでは、やはりオワコン日本に未来はない。

総合的に考えないご都合主義で自粛を連呼する幼稚さ

2020-03-29 12:24:51 | 考え方
新型コロナウイルスの影響による自粛要請。不要不急の外出は控えてほしいということだ。感染者数が多くなるにつれて、多くの人が外出を控えるようになったのは事実である。しかし土日の外出自粛要請なので、金曜の夜はセーフという若者が都内の繁華街に集まっていたのは気持ちが悪いと言える。

中には不要不急とは何か、という意見も多数出ている。ここ数日、ようやく不要不急とはこういうことだという内容が発表されてきた。しかしその中身を見ると、実に陳腐なものだ。

1、 特に用のない外出は控える。
2、 人込みは避ける。
3、 閉鎖空間は避ける。
4、 近距離での会話は避ける。

何も目新しいことはない。今まで言われていたことと何ら変わらない。

政治家の仕事とは何かといえば、国民、あるいは地域民の「生命」、「身体」、「財産」を守ることである。つまり不要不急とはこの原則から考えればいい。

病院に行くこと、食料品を買うことは当然、不要不急とはならない。

さらにヨーロッパの国の中には給料の8割を補償するようなところもあり、金銭面での配慮がなされている。すでに法律が整備されているからこそ早急に補償を打ち出せているのだ。それからの外出自粛、あるいは違反した場合は罰則ということであり、まずは収入面での不安を軽減させているから自粛要請も受け入れやすいのだ。

アメリカは現金給付を決定した。

しかし日本はなんなのだ。行動の自粛要請だけでまだ何も補償対策を打ち出せていない。大胆なといういつもの大袈裟な表現だけで決まらない。下手をすれば和牛の購入権や商品券という話で時間を浪費する。全体主義は無責任という企業の会議に象徴されるように、時間の浪費は日本人の得意技である。阪神淡路大震災では、対策会議の名称をどうするかで時間を浪費した頭の構造は何も変わっていない。

また、現金給付は貯蓄に回るから疑問視する連中もいる。どこまで頭が悪いのであろうか。まず大事なことは、少しでも安心してもらうことではないか。貯蓄に回って安心の一助となるならそれで効果はあるのだ。それが分からない連中が政治家、大臣という国が日本である。

東京オリンピックの延期についても遅れに遅れ、ようやく1年後ということで話が進んでいるようである。しかしオリンピックの開催こそ、不要である。平和の祭典ともいうのだから、世界が大混乱しているのにグズグズと話を延ばし、それだけではなくしばらくの間は強行に開催するといっていた首相をはじめ、組織委員会連中の脳内はお花畑。

あまりのだらしなさに、海外からは選手や競技団体、協会そのものから延期要請、不参加表明さえ出てしまった。この状況を「恥」と思えないのだからもはやその価値観は底辺である。そのような連中が推進しているのだから利権、名誉だけの話としか考えようがない。

無くても多くの人に影響がないものはかなり早い段階から延期、あるいは中止で話を進め、その方向性を打ち出していれば一貫性のある話だったのだ。

オリンピックは4年に一度である。つまり3年間はないものだし、多くの人にとっては直接生命、身体、財産に関わることではない。ましてや様々な種目で毎年どこかで世界大会がある。

ずばり言うが、スポーツ大会が皆無であっても、人類の生存に直接影響を与えるものではないのだ。食い物が無ければ人は死ぬが、野球大会が無くても人は死なない。

それなのに法的拘束力もないイベントの自粛要請を連呼し、色々なスポーツ大会が中止のなか、オリンピックは開催前提でいた一貫性のなさ。この程度が日本とIOCであり、国民、人間ありきではなく利権ありきだから判断を間違っていたのである。

棋士の谷川浩司氏は、「将棋は世の中に無くても人が生きることに直接関係はない。だからこそ棋士は謙虚でなければいけない」という趣旨のことを言っている。名言である。

そして今現在、日本に帰国した人は、自宅あるいは宿泊施設で2週間待機し、公共交通機関は使わないということになっている。

しかし日本を鎖国でもしない限り、様々な事情で移動者がいる。海外状況の悪化によりやむなく帰国する人もいる。しかしSNSでは帰国者を一律旅行者と決めつけ、罵詈雑言。この時期に移動しているとは何事だということだ。ネットの自称裁判官たちがゾンビのようにうごめいているが、とにかく幼稚な人が山盛りだ。

安全を考えて帰国したが、今度は14日の自主隔離。空港から自宅が近距離の人たちはまだよい。遠距離の人たちはどうしろというのだ。

では空港近隣の宿泊施設に自腹で予約をしようとしても、今度はホテル側から拒否される事態が発生している。

どれもこれも、一貫性が無く場当たり的、包括的な対応をしていない政治の幼稚さから悪影響が出ているのだ。

あくまでも自主隔離なのだから政治は関係がないというのであれば、要請をするなということだ。自主隔離ではあっても、一定の場所は用意するというのが政治の仕事ではないか。何もしていない。

阪神淡路大震災、東日本大震災という苦しい経験をしたにも関わらず、あるいは北朝鮮の脅威ということを言ってきているにも関わらず、大規模な被害が出そうなとき、今回のように影響が出ているときにどうすべきかの法律が何もない。

税金で高い給料をもらってきたのに、目先の利権だけで大事なことを何もしてこなかったのが政府与党なのだ。マスコミは公約を徹底検証し、何をやったか何をやらなかったかを明示せよということである。あまりに税金泥棒が多すぎる。

今では首相夫人が桜の鑑賞で写真が公開されている。どこまで頭が悪いのかということだ。しかし首相はレストランに行くのが悪いのかと言っているようだ。話をすり替えるな。そもそも率先して自粛するのが公の立場ではないか。

国内でのやるべきことをせず、世界に税金をばらまくことを繰り返していた低レベルの人は、相変わらず抽象的な発言だらけである。おかしな点を指摘されるとすぐに顔色が変わり、感情的になる。器が小さいのだから当然ながら、まるでリーダーシップがない。

2チャンネル創始者でフランス、パリに在住している西村博之氏が、こんな発言をしている。「バカなの? ねぇ、バカなの?」と。

それは、3月22日に発表された政府与党により新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急経済対策で、国の財政支出を15兆円を上回る金額とし、民間支出を含めた事業規模を30兆円超で調整に入ったその内容についてである。

国民への現金や商品券の支給の他、外食や旅行代金の一部を国が助成することを検討するという部分だ。

自粛要請をしているのに外食や旅行代金の一部ということを言っているのだから、バカなの?と言われても仕方があるまい。

原発事故が起きてもまだ原発前提で推進病が治らない。しかし大災害が起きても、いまだに広域の避難をどうするかも無い。原発事故のゴミ、稼働する原発から出るゴミをどうするのかも決まっていない。

もし各家庭から出るゴミの処理場、処分場が無いとしたら皆さんはどう考えるであろうか。大問題だと感じないだろうか。これほど愚かな状態がこの国の現状なのだ。しかも放射性廃棄物なのだから、扱いを間違えば人体に影響があるわけだ。

森友学園問題で自殺した財務省職員が遺書を残し、告発しているのに蓋をすることしか考えていない。文章の改ざんを指示したという関係者はその後、告発されても不起訴となり、結果として軒並み出世しているのは、まるで映画のアウトレイジの世界に似て、全員悪人である。

公文書の改善は違法行為である。しかし全員無罪で逆に出世。今だ誰も悪くないというのがこの国の実態である。

「日本を今一度洗濯致したく申候」と言ったのは幕末の坂本龍馬であるが、今の日本を見たらあまりにもひどすぎて、洗濯しても無理だと思うのではないだろうか。

自粛要請も何もかもがおかしすぎる

2020-03-24 13:53:20 | 考え方
さいたまスーパーアリーナで3月22日に開催された格闘技イベント「K―1 WORLD GP」だが、埼玉県は自粛要請をしたという。それでも主催側は求められた対策を実施の上で、結果として観客が6500人のイベントを行った。

埼玉県知事は当日現地に行き、「イベントは自粛すべきと考え、再度のお願いに来た」としている。そもそも求められた対策をしたのだから、何が問題なのだろうか。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020032200367&g=soc
JIJI.COM

かたやギリシャから到着した東京オリンピックの聖火は、21日午後には東京五輪の聖火として展示された仙台市のJR仙台駅。そこには式典の開催前から、炎を間近で見ようと大勢の市民が詰め掛け、長い列を作った。とある。

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202003/20200321_13034.html
河北新報

K1の開催は政治家を含め批判、非難だらけだが、東北で展示された聖火は5万5千人が並んだという記事もあるのにまったく批判がない。記事の写真を見ると、列の人たちは距離も取っていない。

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202003/20200322_13008.html
河北新報

要請された態勢で準備をしイベントを開催したK1は批判され、東京オリンピック関係では多くの人が集まっているのに批判はない。

いったい、なんなのであろうか。自粛を依頼したのだから、あとは忖度するのが当然だというお上意識としかいいようがない。日本人が得意な種目「忖度」だが、これが多すぎるから責任の所在が不明なことだらけになっているのだ。

法的根拠もなくお願いベースの自粛では、開催されても文句は言えない。ましてや「さいたまスーパーアリーナ」の所有は埼玉県である。開催してほしくないのなら県知事自ら何らかの対策をすればよいのであり、自粛要請を聞いてもらえなかった、遺憾だというのは完全なるパフォーマンスにしか見えない。

東京オリンピックを強行に開催したがった側が、各国の選手や協会からの不参加表明、延期希望が続出し、海外のマスコミも予定通りの開催を崩さなかった「IOC」と「日本」に批判を展開した。今ようやく推進側は、何が何でもということでもないと話が変わりだした。

想像を絶するハイレベルな状態でコンディションを作り、試合に臨むのが世界の選手であるのだ。予選開催が出来ない、練習する場所がない、制限が多すぎる状況がすでに続いていたのに、ようやく今になって論調が変わりだしたというのは何とも情けない状態にしか見えない。

中国とは時期がずれてアメリカ、ヨーロッパの新型コロナウイルスはひどいことになっている。そしてアフリカにも感染者が出始めた。世界的なイベントの多くはとっくに中止、延期となっているのに、まだ東京オリンピックの延期、あるいは中止の決定はない。

いずれにせよ、可能な対応をしたのに批判され、東京オリンピックの名がつけばどれだけ人が集まり混雑しようともマスコミもほとんど取り上げないという推進側に忖度だらけのこの国。

こうしてお決まりのダブルスタンダードが見え隠れしている。こういう状態をよく見なければ、政治家のパフォーマンス、不備だらけの法整備が胡麻化されていることに思いが至らない。十分に注意をすべきである。

新型コロナウイルス情報の考え方と情報選択の方法

2020-03-14 11:04:32 | 考え方
今年初め、2020年は大変な年になると書きましたが、新型コロナウイルスは中国から世界に拡散し、経済は打撃を受け、大変な状況となってきました。おそらく後世、時代の変化が2020年だったといわれることでしょう。しかしながら混乱はこれだけではなくさらに複数の問題も発生し、2020年はもっと悪くなるはずです。

新型コロナウイルスは、とうとうアメリカから空気感染の危険性が指摘されました。もしかすれば変異を続け狂暴化しているのかもしれませんが、世界的な広がりを見ると状況は確実に悪化しています。

しかしながら、東京オリンピックは断固開催と言っている愚かな人たち。もはや立場や利権だけの人たちです。甘い判断が事態を悪化させたことがまだわかっていないのですから、利権と責任逃れに終始する愚昧な連中と考えるべきです。

仮に日本が収束に向かっても、世界は増加の方向にある今、ではどの国から選手が来るのですか?無観客試合とは何を意味しているのですか?観客を入れないことをしてまで開催することにどれだけの意味があるのですか?

参加できない国があれば「参加することに意義がある」ともいわれていることと整合性が取れず、「平和の祭典」というのなら健康を損ねるリスクを背負ってまでやる意味はまったくないのです。

さて、世の中は新型コロナウイルス関連の暗い話ばかり、マイナスの話ばかりで滅入ってくるという意見、考えがあります。しかしそれはおかしいのです。違います。「暗い話だ、滅入る」というその感覚はどこから来るのでしょうか。

確かにテレビを見てみると、新型コロナウイルスの感染者数の増加などが色々なチャンネルで取り上げられています。普段はテレビを視聴しないのですが、ここ数日、少し長めにテレビをつけてみました。どこもかしこも新型コロナウイルスの話と言えるでしょう。

しかしです。「情報とは取ってくるもの」です。自分に取捨選択の権利があるのであり、自分で選んできた情報ならば「滅入る」はずはありません。自分から取るとは必要だからです。逆に滅入る、暗い話ばかりだという人は、まだ情報を「与えられる側」にいるのです。

新聞、テレビからの情報で、特にテレビをつけっぱなしの人は、まずは情報遮断をすべきです。つけっぱなしでチャンネルをあちらこちら変えても、マスコミというのはとにかくまずは悪い話をするのが当たり前の存在ですから、当然どこも感染者がどうの、トイレットペーパーがどうのというのです。

暗い話、汚い話、醜い話、下品なゴシップ、をするのがマスコミの習性なのに、どこも暗い話ばかりという人の方がどうかしていると感じます。相手はそういう存在なのです。

なぜマスコミはそうかとなれば、人は良い話よりも悪い話に食いつくからです。他人の幸福には嫉妬し、不幸はかわいそうにといいながら多くの人は見続けているではありませんか。いつのまにか自分の品性の部分で視聴率を稼がされているのです。

撮影の素人たちが事故や災害現場で平気で撮影し、動画を撮ってSNSにアップするではありませんか。自殺現場を平気で撮影しているではありませんか。

マスコミについては、有害性を認識せず、従来の行動パターンだからダメなのです。過去に何度も書いているように特に旧来型の新聞、テレビはやめた方が良いというのはこういうことも関係しています。

自分から情報を選ぶ生活が当たり前なら、不快と判断したら見ない、聞かないで終わりです。簡単な話です。習慣化した新聞、テレビで常に洗脳され続けているよりも健康的です。

また、自分の周囲の人も暗い話ばかりというのなら、それがあなたの人間関係そのものです。自分で作ってきたものですから、それが自分で選んできた人生ですし、愚痴る理由はないと思います。

そしてこれも何度も過去に書いている通り、「危機管理とは最悪に備えて楽観的に構えよ」が大原則です。つまりいくら専門家が風邪と同類、インフルエンザのちょっと変形種程度であり怖がる必要はないと発言していても、そもそも信じてはいけなかったのです。

日本は日清戦争で勝ち、圧倒的な国力差があったロシアとの日露戦争でも勝ちました。ロシアに勝ったことが大東亜戦争での敗因の一つです。国力の差があっても勝てるという状況が変われば意味不明、まったく根拠のない精神論で突っ走ったのです。現に当時、大東亜戦争前はアメリカを見聞した人たちや状況を冷静に論理的に分析した人たちは戦争反対だったのに、その声は消されました。過去のパターンで考える人たちの怖さがここにあります。

未知なるウイルスなのですから従来の発想を当てはめる人たちは全員間違っていたということです。現に世界では感染者、死者数は増え、そして経済に大打撃が起きています。この現状なのですから、大したことはないといっていた人たちは全員、間違っていたことが証明されています。

また今まで、人造ウイルス説という「最悪」から発想して行動パターンを書いてきました。一部には兵器としてのウイルスはあり得ない、なぜなら兵器にしては死ぬ確率が低いという意見もありましたが、こういう人たちも間違っているのです。

殺傷だけが兵器ではないのです。現に経済的なダメージがあり、殺傷とは直接関係がないコンピュータウイルスやハッキングさえ武器になっているではありませんか。

固定観念の人たちが間違えるのは当たり前ですし、とくに専門家という人たちが間違うのは過去のパターンに当てはめることが多いからです。新しい現象に通用しません。

普段から準備をしていれば、マスクがない、トイレットペーパーがないという状況でもパニックになる必要はないのです。これが「最悪に備えて」の備える部分です。そしてその期間をしのげば物資というのはやがて流れ出します。ほんの数週間程度もしのげない日常の生活だからこそ、不安になり振り回されるのです。

振り回される人ほど新聞、テレビを妄信しています。常に偏った情報しかもっていないのです。これを機会に、生活の在り方を変えることが出来れば、「災い転じて」ということになるのではないでしょうか。

阪神淡路大震災、東日本大震災を知っている人がほとんどのはずです。それでなくても世の中、何がきっかけで変動が生じるかわかりません。今回は中国からのリスクであり、今ではヨーロッパ、アメリカに大きな影響を与えているのです。もはや遠くの国の出来事で話を終わらせる時代ではないのです。普段から日用品や食料品の備蓄があることは、色々な事態への備えとなります。

結論ですが、情報は自分から取り、最悪を想定して準備をし、後は滅多に起きることではないと考えてストレスをためない生き方をしていれば、滅入る必要も、慌てる必要も一切ないのです。

どこが先進国?もはや心も行動も後進国日本

2020-03-07 09:58:15 | 考え方
世界から見れば完全に後進国であるのが日本です。OECD比較でみていきましょう。OECD加盟36カ国中21位。これが約20年続いています。

記事のベースはこちら。
https://diamond.jp/articles/-/230703
もはや先進国とは言えない日本、アジアでの「あり得る未来」とは
野口悠紀雄:早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問

この記事から図を引用させてもらいますが、まずはこちら。

GDP(国内総生産Gross Domestic Product)は、OECD加盟国平均よりも下。

これを雇用者一人当たりにまで限定すると、更に順位を下げ、戦争をしているトルコ、経済破綻したギリシャよりも稼げないレベルとなります。日本の周囲にはもはや旧社会主義国しかないほどになります。

製造業を中心とし、「安全第一」は日常的な用語です。しかし、いざとなればまったく機能しません。なぜなら日本ほど形式主義に毒された人たちはいないからです。本当に安全第一なら、新型コロナウィルスに関係した満員電車で大騒ぎになるはずがありません。大企業の本社が集中する東京で起きていることはなんですか。気味が悪いほどレベルが低いのです。

あまりにも集中し過ぎているから、世界の鉄道利用者状況でも上位を占めているのは日本だけです。これでは有事対応など出来るはずがありません。一日の利用者数が世界1位から23位まで全て日本なのです。これは歪ということです。普段は便利と思えることが、有事では足を引っ張る構造こそ日本なのです。

また、生産性は低いのに何が何でも会社に行って、いったい何をしているのでしょうか。何をするかではなく、遅刻せずまずは会社に行くことが素晴らしいというこの国。

そして年金問題を含め、政府と官僚も実力の無い老人をますますいつまでも会社に縛り付けようとしています。自分たちのミスを全て民間が補えという気持ちが悪いことを平気でやっているこの国。

ある程度の年齢になったら、心身ともに第一線で活躍できるはずがありません。また、そういう人が第一線にいる構造が間違っています。年配者は当事者として、後輩に道を譲る心の余裕が必要であり、また社会はそういう年配者が安心して時間を過ごせる状態でなければいけないのです。

60歳どころか70歳を過ぎてもまだ働けという国を、気持ちが悪いと思えない人はよほど歪んでいます。

人はどこかの組織や価値観に縛られるために生まれてきたとでもいうのですか。自分自身のための時間は不要と言うのがこの国の頭のいい人たちが考え出した国家像なのです。

人生100年時代というような言葉に騙されて、いつまでも仕事をし続けなければいけない国は気味が悪いと思わねばなりません。

OECDの数字からしても、もう何十年も仕事が出来なくなっている民族なのに、それをさらに老後の豊かさを無くして組織に縛り付けるのですから、まったく改善の兆しはありません。

それどころから年寄りが多いとは、若者の新規雇用に影響が出るのは当然なのですから、年寄りは自分から道を譲るのが年齢相応の分別というものです。自分が残ることの害も考えのが大人の態度です。しかし中には勘違いも甚だしく、自分がいなければ会社は大変だという連中もいるでしょう。

そういう人たちは地位、肩書で仕事をしているだけで、一人では何も出来ません。しかし組織の力を自分が実力で作ったと思い違いをしており、恥ずべき醜態となっていることも気が付けません。

所詮、世界から見れば日本の実力など、図表の通り、まったく大したことはありません。それを続けてきた今の年配世代は一斉に辞職せよ、と言いたい。

ところが新型コロナウィルス関係でデマが流れれば、恥知らずに紙を求めて大騒ぎ。震災を何度も経験しているのにまったく学習していません。年配者の分別は皆無です。

過去の経験的な話をしますが、某ビジネスセミナーがありました。そこに参加した人たちの中の多くは、役に立たなかったと言いました。なぜなら自分の仕事に直接ヒットした内容ではなかったからというのです。こいつら、どれだけ頭が悪いのだとしか見えませんでした。

セミナーは様々な業種、立場の人がいるのですから、最大公約数的なヒントしか出てきません。そこから何を見つけ、どう役立てるかはそれぞれの力量なのです。それがまったくできないのは頭がよほど悪いのですが、そういう人たちがやがて会社の中枢になるのです。比較的年齢の若い層から頭が硬直しており、こういう人は役立たずなのに学歴が上ということで中枢になっていくのです。

しかしながら、実は基本的な日本人がこれです。他から学べないのです。まったく同じことが自分に展開するまで考えることが一切できないのです。アパレル業界が建設業から学ぶことは無いという人こそ、仕事が出来ない典型的な人なのですが多くの人はまったく気がづかない。なぜなら同じタイプだからです。

物事とはぴったり同じになるまで待つのではなく、役に立たないと思うのではなく、どう役立てるかでしかないのです。

また、仕事について人は時価で評価されるべきです。長年勤めていればそれなりの功績があるというのは今の時代、完全に間違った考えです。

確かに今まではそれで良かったのです。特に戦後は多くの人が苦労して様々なことを行ってきたからです。しかしもうその考えはダメなのです。その証拠があちらこちらに浮き彫りになっています。その証拠こそ、日本企業の多くは仕事をしないのに高給取りの年配者があふれている状態であり、組織に対しても若い人に対しても足を引っ張っているのです。

仮に事務職であってもある意味職人のように、様々なノウハウを持っていればその経験を生かすことが出来ますが、そういう人は若い時から仕事の仕方が違うはずであり、すぐに見抜くことが出来ます。また時代の変化があり、過去の知識と経験が応用できるかです。有用な人とは変化出来る人と同じ意味です。だから同じことを繰り返しているだけの企業は確実に衰退します。

ところが有用な人は個性が強いこともあり、潰される傾向がある日本です。だから現実問題として、生産性の無い無駄なことをしている人があふれる構造となり、OECDでも平均にさえなれないレベルが続いているのです。

年齢の関係なく中には残業を生活費の一部と最初から考えるゴミ社員だらけの組織もあり、そういう連中こそ自分は社員で他は派遣だ、アルバイトだと見下すのです。「残業は悪である」という価値観を持てない人が、役に立つ人であるはずがありません。断言します。

大東亜戦中、米軍は兵士の休息を考慮しています。日本軍は鬼畜米英、一撃十殺、精神で何とかしろでした。物資を確実に戦地に送ろうという米軍と、現地調達せよでは戦績に違いが出て当然ではないですか。

現代では、1年を11か月と考えて仕事を効率的に、合理的にこなし、1か月は長期休暇が当たり前というような国がありますが、これは休む時は休むという考えともなります。メリハリをつけています。ところが遅刻をするな、遅くまで残ってでもやれという精神論が未だに大好きな日本。日本はまったく学んでおらず、戦中から進歩もしていません。

それも戦後の復興は皆が無理をしなければいけない時代だったのは確かです。なぜなら戦争で負けたからです。しかしそこで成功しやがてはバブル時代となり、そこで失敗に繋がっています。

日新日露戦争で勝ったことが、大東亜戦争の敗戦に繋がっていることと同じ精神構造なのです。

他にも他地区で震災や何らかの問題があった時に、自分のところに発生したらどうなるかと考えること、それがあれば何をすべきか、何を蓄えておくべきの答えがあるのです。しかし自分のところに問題が起きてから、大騒ぎし他人を頼るのです。実に情けない。

日本人はあらゆる価値観をぶっ壊さねばなりません。

日本人は優秀、仕事が出来る、技術力がある、寛容である、忍耐力がある。それらは全部戦前までです。戦中は悪しき精神論だらけでした。歪んだ精神論で日本人は壊されました。そして敗戦を正面から見つめない悪しき構造が作られていったのです。

確かに戦争では家族のため、将来の日本の成功を信じて死んでいった人たちがいました。それなのに、日本は戦後の復興で満足してしまい、それが今では金になるなら何でもする下劣な人だらけになりました。

もちろん戦後は多くのものが生まれ、世界が注目し日本に学べという時代もあったのですが、いつのまにか変化し、長いこと日本は生産性の低い、そこそこ国になっていたのです。

今一度、今の政治、官僚システムだけではなく、新聞テレビを鵜呑みにし、下品な笑いや目先の快楽、グルメであるとか芸能人がどうのであるとかを止めねばなりません。

考える人が多くなることこそ、国が強くなることです。政治は逆に考えており、考えず自分のところに票を入れてくれという下劣な状態が続いたのも問題ですが、それを許容したのは国民です。

考えず意見を持たず、目先の笑いや快楽だらけの国が発展するはずはありません。だからこそ逆のことをしなければ、日本は本当に終わりとなります。

そして今回の新型コロナウィルスは政治、官僚の醜態だけではありません。自分から情報を取りに行かないからこそ多くの人は右往左往するだけで、簡単にデマに振り回されるのです。

あらゆる悪しき事柄が、有事の際に表ざたになります。しかしそれが過ぎると多くの人は、再び思考停止に戻ります。だから色々なことを経験しているはずなのに、この国は良くならないどころから沈下していっているのです。

アジアの周辺国が日本は素晴らしいと今でも思っていると勘違いしている人たちも、すでに追い越されだしており、やがては仕事を貰う立場になっていく現実をよく見つめることです。

日本はアジアの盟主でも先進国でもありません。今一度、自分の足元から見つめ直さねば、取り返しがつかないことになるでしょう。

このだらしない状態のときに、もし複数の天災が重なったらどうなりますか。南海トラフや富士山噴火、極端な豪雨や黄砂やPM2.5を含めた健康被害。それだけでも大変なのにそういう時に人災が多発します。天災の色々な被害は過去に出ており、それを含めて思い出し、将来のためにも今、よくよく考えることが必要なはずです。