なれ合い、妥協無しの本音ブログ

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なぜやらないマスク不足、不公平対策に保険証

2020-04-02 10:10:28 | 考え方
連日、マスク不足が続いている。ドラッグストアの開店前に行列ができ、整理券が配られる状態。

マスクが重要だということは、新型コロナウイルスの影響を軽視する連中が多発していた頃からこのサイトでは警鐘を鳴らしていた。
https://blog.goo.ne.jp/yasnak/e/27a7d5a226c22a4e6077cce8975d779d

従来型の発想でマスクの意味を間違えていたいわゆる専門家、医療従事者、学者、マスコミでコメントした人たちは、今でも軽視する発言が出来るのか、言葉の意味をかみしめてもらいたいものだ。しかも明確に訂正しないようでは卑怯者でしかない。

さて、最近ではマスクが購入できない理由に不公平論が多発している。なぜなら朝ドラッグストアが開店して並べる人はいいが、勤め人であれば困難であるということだ。

対策としてマスクは四つの方法で販売、管理すべきなのである。

一つは時間を分けること。開店から並んだ人、整理券を受け取れた人が買えるというのも、従来型の発想でしかない。例えば開店が午前9時なら、9時から限定何箱、18時から限定何箱と時間を分ければいい。これで不公平感覚を少しは分散できる。しかし同じ人が並ぶかも知れない可能性がある。

二つ目は健康保険証の提示義務である。これにより同じ人が何度も買うことへの抑止力とする。一度買えば次に買えるのは2週間後。特に年配者の傾向は、ストックがあるのにまだ買おうとする貧困な頭の人もいる。他の人のことを考えることが出来ない。いろいろな場所を旅していると、身勝手な行動は特に年配者に多い。決まりを平気で破り、人が嫌がることでも平気でやっているのは年配者に多いのだ。同じ人が何度も買いにくくなるように、保険証を利用すると、いまだに水面下で続く転売抑止力にもなる。

そして三つ目であるが、生まれた月でさらに分散するということだ。例えば1月と6月生まれは月曜日、2月と7月生まれは火曜日、3月と8月生まれは水曜日というように、さらに購入できる機会を分散するのだ。これも保険証の確認で可能である。

最後に四つ目、店側は来店者の状況をパソコン管理する。保険証での管理を徹底させるにはここまで必要だ。それでも連日、限定された販売なのだからとんでもなく作業量が極端に増えることでもない。ちょっとした工夫で状況は大きく変えることが出来る。この程度のことはさっさと政府がソフトを開発し、公開して一元管理すればいい。しかし何もかもが遅く間違い続きの政府だから、無理な話なのだろう。ネットワーク検索し、誰がいつ買ったのかまで記録を残せば一番いいのだ。転売もできない上に、分散してマスクが行き渡る。都道府県単位でも考えてみればいい。実際には簡単なソフト開発でできるのだ。

これらは実際、台湾や中国がやったことである。感染が広がりだしたらあっという間にソフトを開発し、マスク不足をカバーするように動いたことは、対応の早さを認めるべきである。少なくても抽象的な口だけで、さらに悪いことに何事も遅すぎる日本の政治より素晴らしい。

最初に書いたように、新しい病気、未知なる病気にも関わらず発想が旧態依然として間違ったことを堂々と言い散らかしていた連中がいるわけだが、民間企業側も発想が古いままで行列を作らせ整理券でということはやめるべきである。少なくても、保険証の提示をさせるだけでも、何度も買いに来る身勝手な連中への多少なりとも抑止力にもなる。

ところで、日本の国会では、議員がマスクをするようになった。一斉にできるマスクはどこから来たのだ。

そしてそもそも論であるが、「参加することに意義がある」のが国会ではない。いるかいないかなどどうでもよい。仕事をしろ。座っているだけで仕事をしていると見せかける時代など諸外国では終わっているところがあるのだ。日本の政治の実態は、無駄に単にそこにいる、あるいはヤジを飛ばすような愚か者だらけならば、そこにいる必要もない。そこにいるだけということで無駄に人数を集めて、見かけだけを立派にしたがる日本型会議の象徴が国会である。

国会のシステムを変え、そもそも基本給を下げて、与野党ともに直接質問する、回答する人にだけ参加手当を出せばいい。選挙の時だけやりもしない公約を並べる連中に高い給料を払う必要はないのだから、実際にどのような形であれ動いている、公約を実現する人に必要な給料を出すべきである。

現在、新型コロナウイルスの影響があっても国会は休会しないといっているが、平時からいらない連中だらけであるのだから、発想の転換をして、ついでに税金を減らしてもらいたいものである。

なお、緊急事態宣言をまだ出さないといっている(4月1日現在)日本の総理大臣であるが、今までも全ての対応を間違っており、こういう人が日本のトップであることがさらに悲劇を拡大しているのである。外交と称して飛行機を乗り回し、海外に金をばらまくことしかしなかったのがこの人だ。昭和の発想をまだ続けている程度だから、もう話にならないのだ。ゴミ組織のWHOに金を出したのも最終的にはこの人だろうに。

各国も最初、検査数が少なく感染の様子が見えにくかった。しかし方針を転換し検査数を増やしたからグラフは一気に右肩上がりになった。対応を適正化してグラフが変動したことで実態に近づいたことである。しかしその状況を見て、ヨーロッパやアメリカはひどいと考えた日本人は多いはずだが、日本が間違っているのである。一番危険なのが日本なのだ。

未だに検査数をドイツの17分の1程度、諸外国と比較してけた違いに少ないことしかやっておらず、状況を悪化させているのは政治判断の大失敗である。検査数が少ないからこそ蔓延がさらに広がっているのだ。軽症者が分からないことこそ怖いのだと思えない愚か者集団が政治。単に自粛要請で感染拡大が治まらず、しかし今でもギリギリの段階だと言い、ギリギリが何日も続いているバカさ加減に気が付かない。金を出さずに自粛と繰り返すのは一番愚かな発想である。

夜な夜な出歩く若者、分別さえつかない飲み歩く中高年、そして時間があるからと物資を買いこむ年配者。どの層も身勝手で、どっぷり平和ボケの発想しかない。自分は大丈夫ということがまったく通じない、そして若いから大丈夫もまったく違うことになっているのにまだ分からない。もはや愚民である。

確かに当初は疾患がある高齢者の感染が多かったのは事実だ。しかし今はまったく違う。状況は変化し、若年層の感染が大幅に増えてきているのであり、新型コロナウイルスの変異が起きたのかもしれない。まさに戦時下の緊急体制であるという発想で、自衛する必要があるのだ。

世界からも対応があまりにも杜撰だと批判が続く甘い日本の発想は、政治家も国民も止めねばならない。医療機関の疲弊、医療崩壊を防ぐためという理由で検査数を減らしてきたからこそ、水面下で感染が爆発的に増えたのである。広げているのがほかならぬ自分かも知れないという緊張感が必要なのだ。

自覚症状がなくても「感染しているかも知れない」という前提で動かない。それを気分転換であるとかなんとかで出歩く。いい加減にしろよ、ということだ。

最後に、カラオケ、ライブハウスと自粛を要請というのならなぜパチンコを外すのだ。だいぶ前に韓国はパチンコを禁止した。しかし日本はパチンコで時間と金を浪費する人生を無駄に捨てている人たちだらけである。いい加減、政治も警察もパチンコと縁を切り、本気で国民のことを考えてほしいものであるが、利権でずぶずぶの愚か者だらけだから無理なのだろう。