気ままな糖質OFF生活

八ヶ岳南麓と東京の二地域居住しているオヤジのつぶやきです。長年、糖質OFF生活を過ごし、楽しく生活しているおやじです。

中国ってそんなに小さかったのですか【Kenko フイルムスキャナー】

2020年09月18日 | 日記
過去に撮影したフイルムが棚の中に埋まっている。
埋まっているので、見ることはなかった。
そこで、見てみようと思った。
プロでもない、素人の私の場合、デジタルフォトフレーム、テレビで見るぐらいのお気軽な用途がお似合いだ。

そして、検討して購入したフイルムスキャナーはお気軽なものだった。


今回スキャンしたのは、2008年の北京オリンピック少し前の中国旅行のものだった。
しかし、その時の違和感が再び起きた。
万里の長城に行った時のことだ。
北京からバスで行くと言う。
「えっ、バス。」
それも、片道1時間半ぐらいだったと記憶している。
それが違和感。
北京は字の通り、北の京。
しかし長城は、それより北の匈奴などの北方民族に対するもの。
ある意味自分たちが決めた守る領土はここまでと言うことを示す。
その当時、誤解を恐れずに言えば、領土はここまで。
(万里の長城は、秦以降の歴代の王朝で作られ、特に現存は明代が多いと言われている)

すべてのあの地域にあった王朝を中国とするから誤解が広まる。
他の民族による王朝、例えば「元」・「清」はいわゆる制服王朝。
「元」はモンゴル人の作った国。

話はそれるが、お隣の半島の前大統領は1000年恨むと言った。
日本からの豊臣秀吉の出兵も恨んでいるということなのだろう。
しかし、大統領が1000年と言ってくれたので、ここで一言。
元寇は1274年1281年。
元寇は「元」とその属国「高麗」によって起こされたもの。
騎馬民族にとって、海は不得意。
それ故、特に1274年の実働隊は、ほぼ高麗(朝鮮)の軍勢だった。

そして「清」は満州族の国。
香港がイギリスの植民地になったのは清時代。

日本のように海で囲われた国の継続性と
かの地の王朝を中国と一言で片づけるのは、違和感がある。

そんなことを思いながら、フイルムをスキャンしていたら、アッという間に時間が過ぎていた。
フイルムスキャナーの動画をアップしました。
ご覧いただけると幸いです。
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