①私は痩せます。この目的を達する為、お菓子は食べません。
②私は痩せます。この目的を達する為に、お菓子は食べません。
③私は痩せます。この目的を達する手段としては、お菓子は食べません。
②私は痩せます。この目的を達する為に、お菓子は食べません。
③私は痩せます。この目的を達する手段としては、お菓子は食べません。
①②③何れも目的は痩せる事ですが、お菓子以外を食べる事は可能です。
①は、お菓子を食べない強い意思を表明し、これを宣言しています。
②は、お菓子を食べない理由を説明しています。若し、痩せるお菓子が有れば食べるかもしれません。
③は、お菓子を食べない手段の一選択肢を書いています。違う目的が有れば食べるかもしれません。
憲法第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「GHQの支配下での日本国民」が決めた事とは言っても、これは憲法なのでの強い意志を表明している事は明らかです。当然ながら「目的を達するため、」と、①の表現になっています。
つまり、理由は何であれ、如何なる戦力(自衛隊も含む)も交戦権(自衛権も含む)も認めないとの強い意思を表明しています。
つまり、理由は何であれ、如何なる戦力(自衛隊も含む)も交戦権(自衛権も含む)も認めないとの強い意思を表明しています。
しかし、ここで問題になるのが、①の表現で、痩せるお菓子が有った場合、これも拒否するのか?と云う事です。
目的は痩せる事なので「道理」としては痩せるお菓子は食べるべきですが、唯一の手段として「お菓子を食べない」事を宣言しているので、「正当性」から言うと食べる事は出来ません。
目的は痩せる事なので「道理」としては痩せるお菓子は食べるべきですが、唯一の手段として「お菓子を食べない」事を宣言しているので、「正当性」から言うと食べる事は出来ません。
武力の行使や威嚇によって「平和の構築」が約束されても、憲法9条が有る事で、あくまでもこれを拒否し「平和の崩壊」を容認する事になります。自衛隊は「道理」によって編成されていますが「正当性」は有りません。
例えば、第二項に「前項の目的を達するために、」と書いてあれば、自衛の為の戦力保持は可能となります。
第一項の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」で、③の例の「・・・としては、」となっている事で、一方的な侵略に対する自衛の為には、武力の行使が可能である事が示唆されていますが、第二項に「前項の目的を達するため、」と書く事で、その可能性を強く否定しています。
第一項の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」で、③の例の「・・・としては、」となっている事で、一方的な侵略に対する自衛の為には、武力の行使が可能である事が示唆されていますが、第二項に「前項の目的を達するため、」と書く事で、その可能性を強く否定しています。
最近、9条第三項(或いは9条の2)を追加し「自衛隊の保持」を明記する案が浮上していますが、これを正当化する為には、「自衛隊は戦力に含まれない」事と「自衛権は交戦権に含まれない」事を、説明(証明)する必要があります。
昭和憲法はGHQが日本を支配(統治)する為の単なる「占領統治法」に過ぎません。
名目上でしか日本は独立していないので、名目上の「日本国憲法」が必要なのかも知れません。
いつの日か、「日本皇国憲法(十七条の憲法)」が、復活してほしいものです。
改めて憲法9条をじっと眺めさせてもらいました。
つくづく怖い憲法だなあ、と思いました。
何もそこまで手足をもぎ取らなくても・・・・