オメガねこ

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「西田哲学」 と 「鳩山哲学」

2020年01月15日 | 思想・思考
 「西田幾多郎」と「鳩山由紀夫」を並べて書く事は「言語道断」と言えます。 

 言語道断:
① あまりひどくて言葉も出ないほどであること。とんでもないこと。もってのほか。
② あまりにも立派で、言葉で言い表しようのない程であること。 

 どちらの意味なのかは、さて置いて、「西田哲学」の思索は(Wikipedia)、

禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した純粋経験論から、その純粋経験を自覚する事によって自己発展していく自覚論、そして、その自覚など、意識の存在する場としての場の論理論、最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される絶対矛盾的自己同一論へと展開していった。

と書かれています。

 純粋経験:
反省を含まず主観・客観が区別される以前の直接経験。

 「鳩山氏」はこれを実践している「生き仏」と言え、70歳を超える年齢でも「反省を含まず主観・客観が区別される以前の状態」を維持しています。千葉大学教授の小林正弥は鳩山氏を「まさに科学について、”無知の知”を持っていると言うことができる」として、ソクラテスになぞらえて賞賛したそうです。

 「ソクラテスの弁明」を日本語に訳した「無知」な人が誰かは知りませんが、私の記憶では「ソクラテスは、他の(傲慢な)学者とは違い、無知を自覚している。」と云う意味だと解釈しています。決して「無知の知」では無く、「無知の自覚」です。つまり、「鳩山由紀夫は無知の知者」で、「ソクラテスは無知の自覚者」と言え、次元が違います。

 自覚:
① 自分自身の立場・状態・能力などをよく知り、わきまえること。
② 自ら迷いを断って悟りを開くこと。

 「知」とは、知る事であり受動的な「純粋経験」と言えます。「自覚」とは知ったことを咀嚼し判断を加えることで能動的な「倫理経験」になります。

 「鳩山氏」は、最後に聞いた文言を「知」とし、反省を加えず直ちに実行します。「鳩山哲学」に思索があるかどうかは判りませんが、「無の境地」から純粋経験によって得た「知」を「自覚」することなく、無意識のうちに道徳的な絶対矛盾的自己同化論へと展開し、「純粋行動」に移ります。

 純粋行動:
反省を含まず主観・客観が区別される以前の直接行動。

 政治家は、「道徳」ではなく、「倫理」に基づき政策を実行する職業です。国民の「道徳(観)」が一つに纏まっているのなら「倫理」も「法律」も必要なく、政治家も必要ありません。「道徳」は主観であり多種多様なので、国家を形成する為には「反省を含む倫理経験」のある政治家を必要とします。



2 コメント

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Unknown (mobilis-in-mobili)
2020-01-16 06:19:41
個人の持つカネの力を当てにして、あの者を首相にしたことが民主党最大の誤りであった。それさえなければ後々これほど非難されることはなかっただろうに。
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Unknown (yk-soft-85)
2020-01-16 08:08:04
mobileさんへ。 本文を少しだけ加筆しました。

鳩山氏は、本人の持つカネを当てにしたのではなく「親の財産を利用しただけです。」その遺産で、今度は新党「共和党」を立ち上げるようです。「共和主義」とは(Wikipedia)「君主制の国においては、民主主義に基づき君主の廃位を要求すること、つまり君主制廃止論を意味する場合が大半である。」とあります。恐らく、鳩山氏はこの意味を知らずに、中共での「純粋経験」を「純粋行動」に移す準備をしていると思われます。
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