「社会主義」は統治手法の一つで、「共産主義」は経済手法の一つです。
「ソビエト国家の最高の目的は社会的共産主義的自治が発達している無階級の共産主義社会の建設である」と、国家目的を明示し「共産主義社会の建設を将来の到達点」とした事が、ソ連崩壊の必然性を示しています。
「資本主義」や「共産主義」は、経済手法(≠経世済民)の手段に過ぎず、国家の到達目標には成り得ません。
「自由主義」や「社会主義」も、統治行為の一手段に過ぎず、国家の到達目標には成り得ません。
手段を目的にする事は、宗教に似ています。
真理を悟る為に修行を積みますが、悟る事は「何かになる(ならない)・何かをする(しない)」為の手段に過ぎません。しかし多くの宗教は「悟る事」を目的にしています。悟った後の結果が重要であるにも拘らず、その結果を「宗教」は示していません。死ぬこと以外は。
悟ったとされる人は「開祖」と言われ絶対的な信仰の対象になります。「開祖」は自ら悟っているのだから、自分を「開祖」として「信仰される事を望む(=欲望)」はずもなく、「開祖の意思」に反して信者が増加します。
「開祖」が、自分の信者を増やす事を目的にしているのなら納得できます。但し、この「開祖」は欲望を捨てていないので「悟り」の域に達してはいません。
マルクスやレーニンなど、多くの「社会主義」「共産主義」を主張する人々が誕生しましたが、「主義(思想)」だけならば「自由主義(思想)」とは共存できます。それは「自由主義」だからです。
ここで問題になるのが「革命」です。「IT革命」でも「固定電話」は残り、「流通革命」でも「移動販売」は残り、既存の手法を排除しませんが、「共産主義革命」は確実に「自由主義」を排除します。
この「非対称」で「不可逆」な「革命」は、「革命」でしか「革命」出来ません。
いずれ中国も「自由主義革命」が起こり、確実に「共産主義」を排除します。しかし、「革命」の結果として成立する国家は「革命」を是とし「過去の否定」を肯定するので、「革命」による崩壊を自明とします。
これは現代版「易姓革命」とも言えます。
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