オメガねこ

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「文明」 と 「国家」

2020年11月12日 | 歴史
 初期の「文明」は、「地勢学的」な集合体によって一定の規範が生まれ、「社会」が構成されました。これを「文明1.0」とします。俗に言う「世界4大文明」がこれに当たります。

 「世界4大文明」とはメソポタミア文明(紀元前3500年?)・エジプト文明(紀元前3000年?)・インダス文明(紀元前2600年?)・黄河文明(紀元前7000年w)と言われていますが、日本と中国以外では「そんなもの知らん」そうです。

 
「文明」とは、都市(国家)の成立を意味し大規模集団での定住が必須要件で、農耕での「余剰生産」が発生しなければ不可能です。狩猟採集での小規模集団の場合は「文明」とは言わず、「縄文文化」等の様に「文化」と言うようです。つまり、水稲耕作が大規模に始まったとされる弥生時代は「弥生文明」と言えます。

 「文明1.5」の時代には、文明が衝突しましたが「地勢」によって境界が設けられていた為に、多くの地域国家がうまれ、中原国家と朝貢国家の集合体が最も安定した「文明領域」になり、その外は「世界の外(文明領域外)」とされ、中原国家にとっては「化外の地(文化果つる地)」なのですが、単に中原の支配者が無知だっただけで、別の領域には別の「文明」が有りました。

 近代以降現代までは、「地政学的」な集合体によって「覇権」が構成され、「文明社会」が誕生します。これを「文明2.0」とします。俗に言う「大航海時代」がその始まりです。

 「大航海時代」とは言ってもその実態は「大侵略時代」で、インドで金儲けをするにも、欧州の西側には強敵がいた為に東回りで大航海に出たのですが、何を勘違いしたのかアメリカ大陸を「新大陸」と名付け侵略を始めました。その時代を「大航海時代」と言い換えただけです。これも、無知の為せる業で、「新大陸」とは言っても「文明」を持った大集団が定住していたので、「第一次文明の衝突」と言えます。

 「文明2.5」の現在では、「第二次文明の衝突」により「超国家(未定義)」が生まれます。これは「地政学的」な境界の変更が目的なので、従来の「国家の争い(限定戦争)」とは違い、国境は障害にはなりません。これを中共は「超限戦」と言い、「泥棒国家」の正当性を主張しています。これは「大航海時代」と言って正当性を主張したのと同じです。

 進化論では、「環境に適応した生物が生き残る」と言われています。共産主義ではこれを一歩進め「環境そのものを、生き残る生物(支配者)に合わせる事で適応させる」と云う「進化型進化論」に拠って世界(地球全体)の覇権を握ろうとしています。これは「超国家」の一つのカタチです。

 欧米型一神教では「神に祝福された者(生物)が生き残る」とされています。グローバル主義ではこれを一歩進め「生き残った者が神に祝福される」と主張し、構造改革を進めて「弱い者は衰退し、強い者が生き残る」社会を構築します。これも「超国家」の一つのカタチです。

 「超国家」の定義を決める為の覇権争いが、現在の混乱の正体です。何れが勝ったにしても、「文明3.0」の世界は、世界中の何処へ行っても同じ風景なので旅行する必要もありません。外に出ても、家で見た映像がそのまま見えるだけなので、意味はありません。「拡張現実」の世界です。

 「拡張現実」では、例えばコーヒーを飲みたければ、そう思う事で外部から神経が刺激され、水を飲んでも「コーヒーの香り」がします。

 完全なグローバル社会では、自分自身が何処にも移動しなくても総てが充足するので、本籍地に定住して「ゆりかごから墓場まで」を実戦出来る、極めて小さな「文明社会」と言えます。




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