オメガねこ

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「やまと国」 と 「邪馬台国」

2024年03月28日 | 歴史
 昔々、国家の概念が無かった日本海周辺に自分のことを「わ(我)」と言う、言霊を信じ文字を必要としない人々が住んでいました。そこに文字を必須とする民族が現れ「どこに住んでいるのか?」と訊かれて「わはやまと(我は山門)に住んでいる」と答えたために、「倭人の国は邪馬台(ヤマト)」とされました。

 「門(と)」は出入り口の意味で、「やまと」は、山岳地域や海岸沿いよりも安全な「山のすそ野」を意味し、特定の地域名ではなく、日本海周辺にある一般農耕民族の居住地区です。

 海浜部には「海人(あま)族」が住んでいて後に「天(あま)津神」の系譜となり、「海人(天)族」が「やまと」を統治することで「大和(やまと)」が成立した・・とさ。

 誰が日本列島を「やまと」と名付けたのかは分りませんが、言葉だけで信頼関係を築けた時代が去り、信用のおけぬ民族との付き合いが始まってから証文としての「文字」が必須となり、その民族から与えられたのが「邪馬台」の文字のようです。

 「邪馬台」は、「ヤマタイ」と読むか「ヤマト」と読むかは分からないのですが、「ひらがな・カタカナ」の成り立ちから考えると「也末止(やまと:ヤマト)」が正しいと思います。

 現在では「日本(ニッポン)」を英語で「Japan(ジャパン)」と呼ばれても何の違和感もなく日本人が受け入れているのと同様に、当時の「ヤマト民族」は「やまと」を外国人から「邪馬台」と書かれることを受け入れたと云うことになります。

 「シナ大陸」では、どの地域出身の王朝がその中原(チュウゲン)を支配しているかによって、シナ大陸の統一名を「・・秦・・漢・・宋・・隋・・唐・・元・明・清・(中華民国)・(中華人民共和国)」と呼ばれているようです。

 つまり、「シナ大陸」は「シナ」と云う国名ではなく、中原を支配している「天子である王朝」に由来する地域名が「国名」と云うことです。中華世界には天子は一人しかいないので、中華民族は他国の意思とは関係なく「中原を支配している者が世界(地球)の支配者」と考えています。

 歴史上の話とは言っても、「中原の天子」によって命名された「邪馬台」をそのまま表記している間は、日本人の意思とは関係なく、「日本は中華の周辺地域である」と認めることになります。実際に今でも、これを認めている政治屋・学者屋・報道屋は多いようで、政府の意思を決定する書類にも「中華ロゴ」が使用されていますww

 実際には、無知な自称「天子」が一人いるだけですが、「カネメ」も有って、これを「裸の王様」であると言う人は少ないようです。

 現在に於いて、「やまと」に「倭」「邪馬台」「大和」「日本」(「也末止」)の内の、どの字を当てるかによって、その人の「
脳のシビレ度」が判るかもしれませんww

 それは兎も角、外国人によって当て字された「倭」「邪馬台」などは「やまと全域(日本列島)」を指しているのではなく、特定の地域名にすぎないと云うことです。現在でも「Japan」には、国際法上明らかに日本領である「北方四島・竹島」や、「サ条約」で日本が「戦勝国連合(通称、国連)」に対して放棄しただけで、何処の国にも領有権のない「樺太」「千島列島」「満州」「台湾」等々は、連合国側と主張する個別の国々に「不法占拠」されたままで、「Japan」には含まれていません。

 もしも、連合国がこれらの「領有権が定まっていない地域」を、(国際法上は有効である)信託統治権を放棄し、「敵国条項」を無効にして日本に移譲(返還)すれば、日本国領となる可能性は残されています。
 
 これもさておき、私は「やまと」は日本列島全体を意味し、一方「倭」「邪馬台」「大和」は、「シナ大陸」での歴史上の成立国名に似ていて、日本列島の地域名に過ぎなかったと思っています。

 「神話」では、天の意思で中原の統治を任された天子によって「中国(チュウゴク)」が成立し、天の使い(天津神)が大国主(国津神)から国を譲りを受けた事で「葦原中国(あしはらのなかつくに:日本列島=やまと)」が成立した事になっているようです。



2 コメント

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刮目天さん、こんばんわ。 (テレビとうさん)
2024-03-28 19:05:02
好字の国は中華の朝貢国で、悪字の国は朝貢国の敵対国なので、漢字は解り易いですね。
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倭と邪馬台の意味 (katumoku10)
2024-03-28 12:15:46
興味ある話題をありがとうございます。いままで、いろいろな説がありましたが、最近のDNA解析などから日本人のルーツがはっきりしてきました。
倭は本来の意味は委で、発音は、古い呉音も漢音もイ(ヰ)、ワです。「まかせる、ゆだねる」の意味にニンベンがついていますので、「支配者に従順」という意味になります。
長江下流域(江南)の倭人(Y-DNA O-47z)の支配層が原始夏人(O1a)で、紀元前3500ー3000年頃の良渚文化の担い手です。紀元前2千年頃に北上し、黄河中流域を支配した夏王朝を建てました。長江南部の越人(O-M95)も元々夏人の支配下にあったとされていますが、呉と越は仲が悪かったようで、呉が滅ぼされます(詳細は「中国神話は日本人の神話だった?」参照)。
倭人は水田稲作と漁労を行う人々で、紀元前1000年頃には半島の南部に展開していましたから呉王族を半島南部で面倒を見ていました。紀元前四世紀(弥生中期初頭)に寒冷化の影響で南下し、福岡市吉武・高木遺跡に移住しました。初代天御中主から十八代素戔嗚尊までの奴国王が日向宮(4代目から春日市須玖岡本遺跡)に居て北部九州の倭国を統治していました。その後、経緯があって三世紀に奴国王の子孫が桜井市纏向遺跡に遷り、日本列島主要部を統一しました。七世紀末に唐に大和朝廷が朝貢して国号を日本としたとシナに報告しましたが、日本書紀の話で歴史を誤魔化したので、倭国と日本は別物だと誤解されてしまいました。10世紀に入宋した東大寺の僧が、上で述べた日本の王年代紀を献上して日本は古(いにしえ)の倭の奴国と認知され「日本」という国号が確定されました(詳細は「「日本国」へ、八百年も掛かったのか?」参照)。
倭、日本、山門、大和などすべて「ヤマト」と発音しますが、邪馬台は「ヤマドゥ」という発音で、意味もヤマ国に住む女王という意味があります。これは漢字を読み書きできる教養人の倭人が魏の役人に書いて教えたことが分かりました(「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。どうもお邪魔しました(;^ω^)
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