大震災から3年目となった3・11・・
釜石市東日本大震災犠牲者追悼式に参列した翌日に、プレオープンしたイオンモール釜石へ駅前からレンタサイクルを走らせました。生憎の天候で横殴りの雪模様がだんだんと激しくなって、全身びしょ濡れとなってしまいました。が、観光協会で借りた一日ワンコインの“電動自転車”が威力を発揮、救われた感じがしました。ここイオンで、縄文にんにくの野村信吾さんとお会いする約束をしていましたから、必死だったんです。
人生最後の仕事として岩手県大槌町へ単身移住、「自立復興」事業を行っている方がいらっしゃる。
先の3月8日、松戸 聖徳大学オープン・アカデミー 震災復興企画 「あの日から3年 東日本大震災」が開催されました。
講演は、「3.11 釜石のあのとき~現状」
(この日の様子については、本ブログ・3月9日付けに詳しくあります。)
突然の大地震・大津波を体験した生々しい釜石の惨状のなかで「あるとき、九州の方から派遣されてきた新聞記者さんが、何をどう伝えたらいいか、ただ茫然としている姿をみた」ということばが、いまでも忘れられません。
なにか質問が・・・の司会者の声にトッサニ手を上げて「わたしは釜石生まれです。2019年ラグビーワールド杯開催地の釜石招致をして、元気に復興した証として世界中に釜石を発信したい!とにかく、“一歩ずつ、前へ” 明るい地元のニュースを聞かせて下さい」と質問しました。
講演会が終わって「わたしも釜石です。釜南高校卒業です」と、倉川悦子さんという方にお声をかけていただきました。釜石人のあれやこれやの情報交換?の最後に「釜石へ行く機会があったらぜひ、縄文ニンニクの野村さんをお訪ねしてみて下さい」と。
丘の上のひょうたん島 イラストに自立復興の名刺・・・
大槌縄文にんにく復興組合 代表 野村信吾
釜南嬢に初めて縄文ニンニクのことを聞いて、4日後。何の予備知識もなしにナマでお話を伺いました。わたしの素人質問にも判り易くお話しいただきました。喜界島を出てから今日までのこと。こども会議で、99カ国、15歳以下のこどもらとひょっこりひょうたん島作戦をやっていた、第2回岩泉町で開催した時に立ち寄った大槌町との出会いがありました。
どん底 挽回 夢 チャレンジ 必ず勇気づけて・・・話を伺ったメモ用紙にこんな言葉が。
より強く良いものを、早く。手間かけず、立体鉢植えだと車椅子作業もOK、自立につながる、2週間でできる24毛作、トマト栽培の100倍の製造が可能に・・・
2007年から研究開発を続けて6年間して、年間を通して栽培可能な技術を確立することが出来ました。
新野菜の誕生・・・
食後に臭いのしないニンニクスプラウト「縄文にんにく」のミネラル栽培に成功しました。
志あるところに道は開ける!と、思い知らされました。そしてまた・・よそ者(土地のものじゃない)、バカ者(奇想天外な発想理想を持った)、若者(年齢じゃなく、いくつになっても情熱がある)そんなひとが地域を変え創る!と。
縄文ニンニクの販売コーナーは、イオンが地元ともに歩む象徴となる広いスペース「産直 結いのはま」の一画にあります。
「球根・根・葉すべて美味しく召し上がれますよ」丁寧な 説明をしながら・・・お客さんの反応もいい。
野村さんのお話を伺って・・・
いそざきよしひろは・・・すっかり精気をいただいた様子!デス。
(ここまでは、イオン釜石での当日取材です。
つぎに、釜石南高校卒業・倉川さんからご提供いただいた写真で紹介します)
(大槌の山からは、昔から清らかな湧水がながれている、という。)
20年以上前に、豚舎だったところを借りて、縄文にんにく作りと、住居に。
ボランティアの人も泊まれます。
何もなかった、豚舎を野村さんは、ペンキ塗り、壁、屋根張り、お風呂、トイレをつくっていきました。
被災し廃校になる中学校の廃棄される机を、縄文にんにく作成の棚にして、リサイクルするための運びだし。
(処分されるところだった机270台を、東京からやってきたメキキのトラックと10人で作業した、という。)
最後になりましたが・・・・
今回の縄文にんにく・野村さんのきっかけをつくってくれた
聖徳大学オープン・アカデミー 震災復興企画 「あの日から3年 東日本大震」(3月8日)
聖徳大学の声楽コースを卒業した同級生で活動している歌姫さんとミニコンサートのあと、ワンショット。
震災復興活動で被災地を訪問している Diva-Ranger(ディヴァレンジャー)と一緒に。倉川悦子さんと、わたし。
当日の講師は、釜石からはるばる。
村井大司(むらい だいじ)課長さんは、なんと!釜石南高校で倉川さんの2年先輩!
倉川さん曰く・・「聖徳大学卒業生なので来てみました。村井さんが講師でいらしたことを、今日初めて知ってびっくりしました」村井さんの奥さん「ゆみちゃん」とは大の仲好、という。そして、おまけ!に。そのゆみちゃんは、3・11釜石追悼式典席上で「献唱」のステージに立った釜石市合唱協会のメンバーでいらっしゃいました。追悼会場では村井課長さんとお会いしました。が、“ゆみちゃん”はどの方だったかは、残念ながら?
追悼式会場は、県立釜石高校体育館でした。(釜石北高と釜石南高が統廃合した高校)
以上、これまでご拝読いただきまして感謝申し上げます。
3月11日に宿泊した釜石「高金旅館」さんの部屋で行ったキャンドルナイトの一枚で、本稿を終いとさせていただきます。
<鎮魂 復興 希望 記憶>
地球への貢献 野村信吾
(メキキの会 特別会員紹介 をクリックするとあります)
釜石市東日本大震災犠牲者追悼式に参列した翌日に、プレオープンしたイオンモール釜石へ駅前からレンタサイクルを走らせました。生憎の天候で横殴りの雪模様がだんだんと激しくなって、全身びしょ濡れとなってしまいました。が、観光協会で借りた一日ワンコインの“電動自転車”が威力を発揮、救われた感じがしました。ここイオンで、縄文にんにくの野村信吾さんとお会いする約束をしていましたから、必死だったんです。
人生最後の仕事として岩手県大槌町へ単身移住、「自立復興」事業を行っている方がいらっしゃる。
先の3月8日、松戸 聖徳大学オープン・アカデミー 震災復興企画 「あの日から3年 東日本大震災」が開催されました。
講演は、「3.11 釜石のあのとき~現状」
(この日の様子については、本ブログ・3月9日付けに詳しくあります。)
突然の大地震・大津波を体験した生々しい釜石の惨状のなかで「あるとき、九州の方から派遣されてきた新聞記者さんが、何をどう伝えたらいいか、ただ茫然としている姿をみた」ということばが、いまでも忘れられません。
なにか質問が・・・の司会者の声にトッサニ手を上げて「わたしは釜石生まれです。2019年ラグビーワールド杯開催地の釜石招致をして、元気に復興した証として世界中に釜石を発信したい!とにかく、“一歩ずつ、前へ” 明るい地元のニュースを聞かせて下さい」と質問しました。
講演会が終わって「わたしも釜石です。釜南高校卒業です」と、倉川悦子さんという方にお声をかけていただきました。釜石人のあれやこれやの情報交換?の最後に「釜石へ行く機会があったらぜひ、縄文ニンニクの野村さんをお訪ねしてみて下さい」と。
丘の上のひょうたん島 イラストに自立復興の名刺・・・
大槌縄文にんにく復興組合 代表 野村信吾
釜南嬢に初めて縄文ニンニクのことを聞いて、4日後。何の予備知識もなしにナマでお話を伺いました。わたしの素人質問にも判り易くお話しいただきました。喜界島を出てから今日までのこと。こども会議で、99カ国、15歳以下のこどもらとひょっこりひょうたん島作戦をやっていた、第2回岩泉町で開催した時に立ち寄った大槌町との出会いがありました。
どん底 挽回 夢 チャレンジ 必ず勇気づけて・・・話を伺ったメモ用紙にこんな言葉が。
より強く良いものを、早く。手間かけず、立体鉢植えだと車椅子作業もOK、自立につながる、2週間でできる24毛作、トマト栽培の100倍の製造が可能に・・・
2007年から研究開発を続けて6年間して、年間を通して栽培可能な技術を確立することが出来ました。
新野菜の誕生・・・
食後に臭いのしないニンニクスプラウト「縄文にんにく」のミネラル栽培に成功しました。
志あるところに道は開ける!と、思い知らされました。そしてまた・・よそ者(土地のものじゃない)、バカ者(奇想天外な発想理想を持った)、若者(年齢じゃなく、いくつになっても情熱がある)そんなひとが地域を変え創る!と。
縄文ニンニクの販売コーナーは、イオンが地元ともに歩む象徴となる広いスペース「産直 結いのはま」の一画にあります。
「球根・根・葉すべて美味しく召し上がれますよ」丁寧な 説明をしながら・・・お客さんの反応もいい。
野村さんのお話を伺って・・・
いそざきよしひろは・・・すっかり精気をいただいた様子!デス。
(ここまでは、イオン釜石での当日取材です。
つぎに、釜石南高校卒業・倉川さんからご提供いただいた写真で紹介します)
(大槌の山からは、昔から清らかな湧水がながれている、という。)
20年以上前に、豚舎だったところを借りて、縄文にんにく作りと、住居に。
ボランティアの人も泊まれます。
何もなかった、豚舎を野村さんは、ペンキ塗り、壁、屋根張り、お風呂、トイレをつくっていきました。
被災し廃校になる中学校の廃棄される机を、縄文にんにく作成の棚にして、リサイクルするための運びだし。
(処分されるところだった机270台を、東京からやってきたメキキのトラックと10人で作業した、という。)
最後になりましたが・・・・
今回の縄文にんにく・野村さんのきっかけをつくってくれた
聖徳大学オープン・アカデミー 震災復興企画 「あの日から3年 東日本大震」(3月8日)
聖徳大学の声楽コースを卒業した同級生で活動している歌姫さんとミニコンサートのあと、ワンショット。
震災復興活動で被災地を訪問している Diva-Ranger(ディヴァレンジャー)と一緒に。倉川悦子さんと、わたし。
当日の講師は、釜石からはるばる。
村井大司(むらい だいじ)課長さんは、なんと!釜石南高校で倉川さんの2年先輩!
倉川さん曰く・・「聖徳大学卒業生なので来てみました。村井さんが講師でいらしたことを、今日初めて知ってびっくりしました」村井さんの奥さん「ゆみちゃん」とは大の仲好、という。そして、おまけ!に。そのゆみちゃんは、3・11釜石追悼式典席上で「献唱」のステージに立った釜石市合唱協会のメンバーでいらっしゃいました。追悼会場では村井課長さんとお会いしました。が、“ゆみちゃん”はどの方だったかは、残念ながら?
追悼式会場は、県立釜石高校体育館でした。(釜石北高と釜石南高が統廃合した高校)
以上、これまでご拝読いただきまして感謝申し上げます。
3月11日に宿泊した釜石「高金旅館」さんの部屋で行ったキャンドルナイトの一枚で、本稿を終いとさせていただきます。
<鎮魂 復興 希望 記憶>
地球への貢献 野村信吾
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