復興のまちづくり・・・スクラムかまいし復興プラン

2011-07-30 20:57:18 | 3.11大震災・釜石
早いものでもう7月下旬・・・、松戸駅西口近くの広場に、盆踊りのやぐらが出現。
市民コン合唱練習の後に通りかかったのが午後9時だったので、”本日は終了”の様子でした。名残惜しそうにしている親子連れの浴衣姿がありました。涼しい、夜風でした。

少子・高齢化が進むいま、どのまちにも、将来を見越したまちづくりプランが、市民の間にまで意識されたものとして必要です。

気になって、生まれ故郷の岩手県釜石市のHPをみた。3・11震災直後にみた市役所HPは、解体してゼロでしたが、いま、それは復旧していました。

釜石市復興まちづくり基本計画
スクラムかまいし復興プラン


釜石市役所災害対策本部から、長男のところに連絡がはいったのが、今週火曜日。
「天神町1-7の磯崎家を金曜日に解体しますが、現場立ち会いますか」と電話があったという。

すぐ現地へ行ける所にいれば、立ち会いへ行けるのだけれど、これだけは何ともし難い。

=6月4日、釜石教会・葬式の際に、天神町の自宅を訪ねた時の様子=
  
乗用車は取り除かれていたが・・・家屋を一本足で支えていた
  
玄関には「赤い旗」=取り壊しを了解した印

裏庭には、こどもの頃に父・兄とつくった池、柿の木、紅葉の木などが

札幌から来た妹夫婦、道路から変わり果てた居間をみる


“全壊”と判定された建物の解体撤去のことは、覚悟はしていたが、いよいよかと、複雑な気持ちです。

建物の一階部分は、瓦礫とともに流されてきた乗用車が2台も家の中に突っ込んだ状態で、瓦礫でめちゃくちゃでしたが、2階部分は、平常時のまま。室内の片付けや家財を持ちだすために作業をしたいのですが、建物が倒壊する危険があるために“立ち入り禁止”で、満足にできませんでした。

(自衛隊が被災地で行った組織だった整然とした諸活動・・・瓦礫撤去作業、無線連絡、輸送体制など連日の出動。3月28日天神町でこれがなければ、母の身元確認ができませんでした。これが現実です。被災地での諸活動を、目の当たりにして頭が下がりました)

松戸市内に仮設された踊りやぐらの広場の灯りをみて、ふと、被災地のいま、将来のことなどが、頭をよぎりました。

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