シェークスピアは
「愚か者は自分のことを賢いと思っているが、
賢い人間は自分が愚か者であることをわかっている」
ということばで、
「自分が知らないということをわかっていなければ、(自他ともに)矯正することは出来ず、
そして、失敗しているのにそれがわからなければ、
失敗し続けることになる。」
ということを述べた。
私たちの祖先の遺伝子は、長期計画のニーズには、合っていなかった。
そして、それは私たちにも同様である。
なぜなら、進化がゆっくりとしたペースでしか進まないために、私たちは、短期的視野に立った近視眼的な意思決定をする傾向から抜け切れずにいるからだ。
確かに、その傾向は、先史時代には賢い行動だったのだが、今では、個人の悪い判断と社会の危険な先行きにつながる愚かな戦略になりつつある。
短期的な満足が持つ力は「マシュマロ・テスト」として知られるようになった一連の単純明快な実験で明らかになった。
ただ現在では、「マシュマロ・テスト」は、追試困難だとされてしまっているのだが、
約50年間、しかもごく最近までは問題なく使われていたことを鑑み、またさらに、私は、濃淡は別にしても、ある程度の普遍性が在ると思うので、挙げることにする。
「マシュマロ・テスト」は、子どもたちが難しい選択を迫られる。
某テレビ番組風にいうと、子どもたちの選択、である。
マシュマロをもらえる。
今すぐ、ならば、マシュマロを1個もらえる。
しかし、
15分待てば、マシュマロを、2個もらえる。
という状況を子どもたちは、与えられる。
この子どもたちの選択は、
私たちにも今この瞬間の満足を我慢することの難しさを教えてくれ、さらに、
成長するとともにその難しさを正当化し合理化する術ばかりを身に付けていく大人たちの姿をも教えてくれているように私は思うのだが、
心理学のテキストには、
満足を遅らせる能力は成長とともに高まり、
年齢にかかわらず、満足を上手に遅らせる子どもは、将来よりよい人生を送る、とある。
確かに、私や私のようにあまり我慢がなく、あまり褒められた行いをしない大人たちにも追試困難だとされる試験かもしれない......。
ホッブズは、自然状態にある人間の生が
「孤独で、貧しく、残高で、短いものである」
と述べた。だが、こうした彼の理解が正しかったと言えるのは、ほんの一部分である。
先史時代の人生も、孤独ではなかったであろうし、現代よりはある意味ずっと残酷ではなかったであろう。
しかし、先史時代の人生は、貧しく、極めて短いものであった。平均寿命が35歳を下回る状況下である。
ホッブズは、このような状況から起きる結果については正しく理解し
「そこには芸術も学問も社会もない。そして何より悪いことに、恐怖が続き、暴力による死の危険が生まれる」
と述べている。
「私たちの祖先」は、過酷な世界で、日々生きるための苦しい闘いに臨まなければならなかったため、長期的視野に立って、予測し、計画を立てることは出来なかった。
しかし、「私たち」は?
「私たち」は、(先史時代の)「私たちの祖先」とは、私たちの祖先の努力のおかげで環境が違うはずだ。
確かに、私たちもまた、ある意味、きわめて不透明な未来に向かって生きていくとき、その未来を心配しながら、長期的視野に立って考えることなど苦しい時代にいる。
しかし、その心配は、自分が知らないことがあるということをよく理解しているからこそ起きる不安だと、私は思う。
また不安や心配も、しすぎは良くないが、適度に持つことは思い遣りにも繋がるとも、思う。
逆に、物事を知らない人ほど不安や心配になるどころか、傲慢で尊大になる。
そんな人たちを考えるとき、人間心理に固有の自己過信が強く出る性質の人間の研究から示されたといえる「ダニング=クルーガー効果」を私は、想起してしまう。
「ダニング=クルーガー効果」とは、コーネル大学の2人の心理学者を中心に行われた実験によって示された。
「能力か不足している人ほどがタスクを与えられたとき、それがどのようなものであっても、自分のスキルを過大評価し、他者のスキルを過小評価する傾向が強い」
というものである。
さらに「能力のある人ほど真逆となる。」
この効果は、勉強、スポーツ、将棋、車の運転、仕事全般など幅広い活動に当てはまる。
ここで、冒頭の
「愚か者は自分のことを賢いと思っているが、
賢い人間は自分が愚か者であることをわかっている」
と述べたシェークスピアのことばと、シェークスピアの天才性がやはり怖いほどすごいなあと、描きながらシェークスピアに戦慄を覚える。
アルゼンチンの新大統領が決まった。
先の見えない恐ろしい世界において、
新大統領が、自身の「ダニング=クルーガー効果」を体現しながら、
他者の「ダニング=クルーガー」効果を無意識に体現しない人物であることを願うのみである。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
アルゼンチンの新大統領のニュースに、長文になってしまいました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。