おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

ラフマニノフが「ピアノ協奏曲第4番」によって喪った天才ラフマニノフの名声-堕ちた天才たち①-

2024-05-07 06:02:54 | 日記
いったいどうして、卓越した能力を持って生まれた人間は、堕落してしまうことがあるのだろうか。

また、どうして美しく生まれついた人間は美しいままに終わりを迎えることが出来ないのであろうか。

セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943年)が哀しいほど明るく、凡庸極まる「ピアノ協奏曲第4番」で意図せずして示したのは、人間のこうした根源的悲劇であるようにも感じる。

昔の人が言ったことのなかには、
「才能といものは、財布のようなものだ」
と気の利いたものがある。

その心は、
「運次第で、財布を拾えた人もいるし、拾えなかった人もいるように、結局、才能とは運なのだ」
ということのようである。

しかし、概して才能は財布のようなものではない、と、私は思う。

なぜなら、才能は財布のように道端に落ちてはいない。

元から持っていない人が後から獲得することは決してないからである。

ところが、困ったことに、財布と同じで、才能は、持っていた人は、後から落とすことがあるのである。

ラフマニノフの人生は、生まれ持った大きな財布を落とす過程である。

それは、天才が見せることのある無残であるし、無残極まりないものである。

ラフマニノフは、紛れもなく天才であった。

チャイコフスキーを慕い、ロシアの大地に根ざした叙情性溢れる音楽を作っていた。

例えば、自らも優れたピアノ演奏者であったラフマニノフの最も人気が高い「ピアノ協奏曲第2番」の冒頭は、荒涼たりながらも、慈悲深いロシアの大地の夕暮れに、正教会の鐘の音が甚深と響き渡るように始まる。

冒頭から聴衆をロシアの精神性そのものへと誘う、まごうかたなき名曲である。

この時、ラフマニノフは、確かに、ロシアの大地に根ざし、自分の作曲活動はロシアなしにはあり得ないという自己認識のうちに作曲をしていたのである。

しかし、ロシア革命が訪れるや、すぐに彼は亡命してしまうのである。

もちろん、ロシア革命の前後に亡命した作曲家は他にもいる。

グラズノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフなど錚々たる作曲家たちが亡命している。

彼らが、新天地でも故郷を想いながら作曲活動に従事したのに対し、亡命したラフマニノフは、アメリカでの演奏活動という巡業に終始してしまい、自らの音楽を掘り下げるということが出来なかったのである。

残念なことに、彼は、昔作曲した協奏曲を演奏する、巡業芸人として日銭を稼ぐことに専心したのである。

彼は、聴衆に
「あのカッコいいところを、もう一度!」
と要求されれば、恥ずかしげも無く、所謂「サビの部分」を演奏しておひねりをもらう日々を送ったのである。

その巡業の日々は、厳しい言い方をするならば、才能を二束三文で切り売りして銭を乞う日々に他ならなかった。

時代が少々ズレるが、ナチスの迫害から逃れてハンガリーから同じくアメリカに亡命したバルトーク・ベラは、むしろアメリカで生活するなかで、マジャール人としての自己意識を強め傑作を創ったのとは、対照的である。

ラフマニノフの巡業公演も飽きられてきたため、新作が要請されるようになる。

それは、すなわち、聴衆が求める、それまでのピアノ協奏曲第2、3番のように「気持ちいい旋律」に満ちた曲、すなわち作曲家の精神性というものを無視して、とにかく金銭になる新作が要請されたのである。

そして、ラフマニノフは、ピアノ協奏曲第4番を作曲するのであるが、哀しいことに、すでにラフマニノフの才能は枯渇していた。

もはや、ラフマニノフは、かつての栄光を博した自分の音楽を、
「それが何を意味していたか」も忘れて、醜悪に自己模倣せざるを得なかったのである。

そうして作られた音楽は内的必然性を欠いて、まったく無意味に盛り上がり、前後の脈絡なく、
「これならば聴衆を惹きつけることができるだろう」
という商売的意図が見え透いた甘い旋律がでたらめに配置される。

この音楽は、ただ、単に、かつてのラフマニノフを思うとつらく、聞くに堪えないものがある。

オーケストラはいたずらに咆哮して、ピアノはただよく調教された動物のように、まったく意味のない曲芸的超絶技巧の音階を奏でるだけでなのである。

すなわち、ここに、かつてラフマニノフが書いたような、人の心に触れるような「音楽」は存在しない。

ピアノ協奏曲第2番、第3番を続けて聴いた後に、このような第4番を聴くとき、哀れさと無残さのあまり涙してしまうのは、私だけでは、ない、と、思うのである。

繰り返しになるが、いったいどうして、素晴らしい能力を持って生まれた人間は、堕落してしまうのであろうか。

また、どうして美しく生まれついた人間は、美しいままに終わりを迎えることが困難なのであろうか。

ラフマニノフが「ピアノ協奏曲第4番」で意図せず示したのは、人間のこのような根源的悲劇であろう。

ラフマニノフは、紛れもない天才作曲家かつ優れたピアノ演奏者から、ただのピアノの上手な巡業芸人として、その人生をカリフォルニア州のビバリーヒルズでひっそりと終えた。

彼は、いくばくかの金を得たが、このピアノ協奏曲第4番を作曲したことによって、彼がそれまでに作った名曲の数々による名声を凌ぐ汚泥を被ることになったのである。

なぜだか、最近、とみに、堕ちた天才ともいうべき人々の生き方やその背景に、何か学ぶべきことがあるように、私は、思うようになった。

今回は、ラフマニノフについて描いてみた。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

暑さでGWの最後は、少し体調を崩していました^_^;

皆さまは、GWいかがでしたでしょうか??

気候の変化が激しいように思いますが、体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。