おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

精神医学に限らず、最も重要な区別は、最も困難な区別なのかもしれない-闘病生活を経て考えてみたこと⑦-

2024-05-23 06:25:01 | 日記
双極Ⅱ障害の定義と評価には、欠点がある。

その欠点とは、製薬会社に勝手な解釈の余地を与えてしまったことである。

軽躁と単に気分がいい状態とのあいだに、明確な境界線はない。

そこを製薬会社に利用されてしまったのである。

気分が少しでも上向いたり、怒りっぽくなったりするのは、双極性障害の微かな徴候かもしれない、とする宣伝が製薬会社により始まってしまったのである。

この売り込みはうつ病の患者にとりわけ有効であった。

うつ病患者は、いわゆる「ハイ」な状態と気分の回復とを区別することが非常に難しいからである。

抗うつ薬や違法ドラッグも一時的に気分を高揚させる効果があることはご存知だろう。しかし、これらも双極性障害になるのだろうか?

DSM-5の作成者のひとりも述べているが、双極Ⅱ型障害が双極性のカテゴリーを単極性の領分にまで広げるものであることはDSM-5作成時に承知済みであったのだが、その二役を演じることになるとは、DSM-5作成者たちは、思っていなかったそうである。

確かに、DSM-5の作成者たちの決定により、診断がより正確になり、まぎれもない双極性障害であるのにもかかわらず、それまで見落とされていた多数の患者にもっと安全な治療が施されるようになった。

しかし、流行の例に漏れず、行き過ぎがあった。

単極性障害の患者の多くが実に怪しげな根拠に基づいて双極性障害と誤診され、不要な気分安定薬を投与される事態になったのである。

何故、このような飛躍が起こってしまったのだろうか??

やはり、としか言いようがないが、製薬会社のマーケティングのせいである。

双極性障害の市場は、統合失調症の市場よりもずっと大きくなる可能性があったので、製薬会社企業は、双極Ⅱ型障害に飛びついたのである。

短気、興奮、腹立ち、気分の昂揚が少しでも見られると、「双極性の病気が疑われる」という口上で病気が売られた。

専門誌だけではなく、テレビ、雑誌、映画などの至るところに双極性障害が登場した。

精神科医、かかりつけ医、その他の精神医療従事者、患者、家族には、それまで「見落とされてきた」とされる双極性障害の危険がこれでもか、これでもかとばかりに警告されることになったのである。

やはり、精神医学の全分野で重要な区別は、最も困難な区別なのかもしれない。

患者に見られるのは、双極性の気分変動なのか、それとも単純な単極性の抑うつなのか。

この診断の違いは、その後の治療に大きく関わってくる。

気分の落ち込みに抗うつ薬は有効であるが、短気、気分変動、そしてうつ状態と躁状態の急速交代を引き起こして双極性障害の総合経過を悪化させかねない。

このリスクを減らすために、双極性障害の患者には抗うつ薬に加えて気分安定薬か抗精神病薬のどちらか、または両方が投与される。

しかし、抗うつ薬の害を防ぐための戦いは、ときに多大な犠牲を伴う。

気分安定薬には、肥満や糖尿病や心臓病といった危険な副作用がある。

難題は、気分安定薬を飲むリスクと飲まないリスクを見定めるために、双極性と単極性の間にどのように診断の線引きをするか、ということである。

従来型の躁病のエピソードがあり、明らかに双極性障害の患者ならば、この問題は簡単である。
気分安定薬による援護という安全策なしに、抗うつ薬を投与してはならないことに留意すれば良いからである。
(→ちなみに、素人でも従来型躁病の診断は数分で下せるはずである)

しかし、「軽躁」と呼ばれる不完全な躁病エピソードは、難しい問題を提起したのである。

抑うつと軽躁の時期が交互に現れる患者は、双極性障害と単極性障害のどちらのグループにも分類され得る。

双極性に分類すれば、危険の大きい薬を必要もないのに飲ませることになりかねず、単極性に分類すれば、抗うつ薬しか投与されないが、躁病エピソードの引き金になりかねないという難題を突きつけられたDSM-5作成者たちは、双極Ⅱ型障害という新たなカテゴリーを加え、うつ病エピソードと軽躁病エピソードのある患者を差して使うことを決めたのである。

これが、双極Ⅱ型障害の定義と評価の欠点を生んだ背景である。

製薬会社が発する「見落とされてきた」とされる双極性障害の危険を喧しく叫ぶ声を聴きながら、ひとつの問いを、私は考えてきた。

このような双極Ⅱ型障害の流行を考えたとき、双極Ⅱ型障害を含めたDSM-5を日本の医師や患者はバイブルのように扱う状況を見直すべきではないだろうか、という問いである。

難しい問いであるが、明らかなことがひとつある。

判定が難しい境界線上の症例では、医師も患者も、製薬会社の誇大宣伝が作り出した(双極性障害などの)流れに身を投じるべきではないということである。

なぜなら、まっとうな理由がない限り、抗精神病薬の服用は危険が大きすぎるからである。

その危険を私は身をもって知っている。

さらに言うならば、闘病生活を経て私は、精神医学に限らず、最も重要な区別は、最も困難な区別なのかもしれない、とよく感じるようにもなったように思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

毎日、暑いですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。