「断言できなくていい、
断言しないからいい、
そして
断言できなくてアタリマエ、
文学であれ哲学であれ、世の中の事象であれ、
そんなことばかりだ。」
この助言に、最近、私は、本当に救われた思いがした。
(実際はこのあと
「断言しろなんて言っているやつらの方が解っていない。
断言なんて出来ていたらこの世の中はノーベル賞だらけだ。」
などと、続くのだが……。)
なぜなら、久々に、M・フーコーの
「狂気の歴史」(と「監獄の誕生」)
について
描こうとしていたとき、途中で
手が止まった、止まっていた、そんな状態が長く続いた。
「解っていない。」
「1から1行1行読み直してもどうだか。」
などと、
批難された場面や言葉だけがよぎる→描く手が止まり、考えこむ→自信をなくして→
と
そんなことが長く続いていた。
思い切ってそのことと、これまでのM・フーコーの「狂気の歴史」との付き合いを相談したとき、冒頭の
「断言できなくていい、
断言しないからいい、
そして
断言できなくてアタリマエ、
文学であれ哲学であれ、世の中の事象であれ、
そんなことばかりだ。」
ということばをかけていただいたときは、
本当に救われた思いがしたし、前向きになれた。
ことばのみならず、
出来たことだけを語るひと(das Man・世人)たちが多い中で、出来なかったことを語りながら、執筆意欲に燃えていらっしゃった先生の姿勢に感動したことも、前向きになれた要因のひとつだ、と思う。
やはりまた頑張れるんだ。
と、決意を新たにしたここ数日(間)である。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
気温はまだですが、日の出日の入りだけは秋らしくなってきました。
今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
いつも見に来ていただきまして、ありがとうございます。
昨日から、村山聖先生の最後の対局を私なりに書いてます。
よろしかったら見に来て下さい。
リクエストに応えてくださり嬉しかったです。
詳しくは解説いただいた記事にも書かせていただきましたが、嬉しかったです。ありがとうございます。