1957年、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の物語を当時のアメリカ社会に移植したミュージカル『ウエスト・サイド物語』によって、レナード・バーンスタイン(1918~1990)の名前は世界に広く知られることになった。
1961年に『ウエスト・サイド物語』が映画化されると、当然ながら、バーンスタインの名前はさらに世界で有名なものとなる。
バーンスタインはアメリカ生まれ、アメリカ育ちのスター的な指揮者であり、作曲家でもあった。
そんなバーンスタインが作曲を担当した『ウエスト・サイド物語』において、
モンタギュー家とキャピュレット家の争いは、
白人青年とプエルトリコ移民の娘との道ならぬ恋に
読み替えられ、ており、『ウエスト・サイド物語』というミュージカルは移民国家が宿命的に抱えざるを得ない社会問題を鋭く描き出していた......のであるが、バーンスタイン作曲の音楽もまた素晴らしく、全米が熱狂してしまったのである。
当時、アメリカに留学していた小澤征爾氏は自伝に
「タクシーに乗るといつも『ウエスト・サイド』の『トゥナイト』が流れていて、アメリカ中が本当に熱狂していた」
と記している。
『ウエスト・サイド物語』の成功は、伝統的クラシック音楽の作曲技法とジャズ、ロック、マンボのリズムなど南米由来の民族音楽を組み合わせて、誰も聴いたことがなかった音楽空間を切り拓いたことにあるのではないであろうか。
バーンスタインは
「あの旋律はバレないように、チャイコフスキーの『ロミオとジュリエット』をパクったんだよ」
豪放に笑いながら語るが、豪放と繊細は表裏一体である。
ひとは、自らの繊細さを無意識に隠すがゆえに、無意識に豪放さを演じることがあるのだ、と私は、バーンスタインの豪放な笑いに彼の繊細さを思う。
バーンスタインには2つの顔がある。
ひとつは、アメリカ生まれ、アメリカ育ちであり、アメリカ的にジャズとロックとクラシックを組み合わせて売れっ子作曲家バーンスタインとしての顔である。
もうひとつは、バーンスタインという名前からも解るように、ユダヤ人として自分の祖先に対して思いを馳せ、ユダヤ教をモチーフとする音楽の作曲家であるバーンスタインの顔である。
バーンスタインは、アメリカという、さまざまな場所から集まった人たちが建国し、成長し、大国となったアメリカで生まれ育ったからこそ、自らのルーツに思いを馳せずにはいられなかったのであろう。
バーンスタインは、『ウエスト・サイド物語』や『キャンディード』といった商業的なミュージカルの作曲経験を活かし、
ついに積極的にイディッシュ語を用い、ユダヤ教をモチーフとする音楽を作曲するようになる。
そうして成立したのが、旧約聖書の予言者エレミアを名に冠した交響曲第3番『エレミア』であり、
イギリスのチチェスター聖堂から名をとった『チチェスター詩篇』である。
ところで、
アメリカンドリームの本質は、個人や集団が持つ願望である。
アメリカを建国したのは、疲弊していて、人口過剰で、争いが絶えない世界から集まった移民たちである。
そうした世界から逃れてきた彼ら/彼女らを迎えるアメリカという新たな国は、少なくとも建前では、
勤勉によって、自由、平等な機会、そして成功がもたらされるという理想を唱えていた。
「すべての人間は生まれながらにして平等」と謳ったアメリカ独立宣言は、アメリカ国民にとって大きな励みとなった。
しかし、願望は実現の同義語ではない。
約250年経っても、理想はいまだに実現しておらず、ひとつの理想にとどまったままなのである。
「アメリカ」は、いわば進行中の高尚な一大事業なのかもしれない。
北アメリカ大陸がどの程度よい場所になるのかについて、悲観的だったシェークスピアと対照的に、トマス・モアは架空のアメリカ像である『ユートピア』を描いた。
社会改革を目指すモアの衝動は、カルバンやクエーカー教徒に浸透し、新たな地上の楽園の創造を願ったイギリス人入植者に大きな刺激を与えた。
旧世界の人々による新世界への入植は、宗教の自由や完璧な政治の理想主義的追求として美化されたり、物語風に表現されることが多い。
当初から、アメリカのユートピア信仰と理想主義は、現実的な営利主義と戦わなければならなかったのである。
領土拡大熱やビジネスチャンス、2人目、3人目の子供たちの居場所を開拓すること、法から逃れることなどにみられるような、高尚さに欠ける動機についてあまり触れられないのは、それがアメリカ例外主義を支持し正当化するような、建国の神話にならないからである。
ユダヤ人としてアメリカ合衆国に生まれ育ちながらも、「アメリカ」から離れユダヤ人である自分やユダヤ人が本当の意味では未だ持たざる国家の国体ともいうべきものを見つめる。
『詩篇』は、バーンスタインがそのすべて書き込んだようにも感じられる。
『詩篇』の中心的人物は、少年ダビデであるが、バーンスタインはダビデの言葉に、繊細かつ美しい音楽をつける。
旧約聖書は、過酷な運命を課せられたユダヤ民族が、その過酷な運命こそが、神の恩寵の証であると読みかえた。
バーンスタインの『詩篇』は、人生は、苦しみの連続であるが、その苦しみこそ神の恩寵のあらわれだと思想転換を行った。
その思想転換の過程をバーンスタインは音楽によって語っている。
人生は苦しみの連続かもしれないが、『ウエスト・サイド物語』のように素晴らしい芸術と出会うとき、苦しくとも生きよう、と、私は思える。
バーンスタインは音楽を通じて、苦しくとも生きようとする心の動きを、世界に示したのかもしれない。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
ここ数日、アメリカ大統領選挙について考えていると、ゴダイゴの『ガンダーラ』が頭の中に流れっぱなしです^_^;
(→私よ、そこ『ウエスト・サイド物語』じゃないんかい......(T_T))
ところで、最近、私のスケジュール変化の都合で、しばらくの間、コメントを書いていただける欄を大変勝手ながら一時的に止めています。
コメントは楽しみなのですが、拝見する時間的余裕がない中で、頂くのは申し訳ないので、変わった環境(スケジュール)に慣れるまでしばらく、ブログ更新のみにさせて頂きますm(_ _)m
本当に自分勝手でごめんなさい。
こんな私ですが、これからも読んでいただけると幸いかつ嬉しく思います。
よろしければ、また、これからもよろしくお願いいたします。
そして、いつもありがとうございます( ^_^)
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。