『天人五衰』のなかで、三島由紀夫は、
「平日といい、雨も良いというのに、三保の松原の入口の広い駐車場には車が満ち、土産物屋は埃っぽいセロファンの包みにことごとく灰色の空を映していた。」「空気はしたたかに車の排気ガスに犯され、松は瀕死の姿だった。」
と書いている。
今でこそ、ユネスコの世界文化遺産に指定されており、綺麗にはなっているが、三島が『天人五衰』を著した頃の三保の松原は、波打ち際に打ち上げられた木片や空き瓶が1本の曲線をなして列んでおり、満潮時の水の堺を示していたようである。
『天人五衰』のなかで、本多は、『羽衣』を習ったばかりで浮かれている慶子に、この「景勝地の荒れ果てた俗化のありさま」を見せて、「彼女のいい気な浮っ調子の夢想」を打ち破ろうとする魂胆が在ったのであるが、
慶子に
「これはこれで結構だわ。
私ちっとも絶望しないわ。
いくら汚れていたって、いくら死にかけていたって、この松もこの場所も、幻影にささげられていることはたしかなんですもの。
却ってお謡の文句みたいに、掃き清められて、夢のように大事にされていたら、嘘みたいじゃなくて?」
と言われてしまう。
松が歴史や神話を眺めてきた証人であるのは、イタリアも同じであるようである。
ローマ市内には、松がたくさん植えられており、その松は、ローマの歴史を眺めてきた証人でもある。
1922年、ムッソリーニが、権力を掌握し、いわば「強いイタリア」建設に着手した時、イタリアに重ねられたのは、かつてのローマ帝国の栄光の記憶だった。
当時のイタリア人の興奮は推し量るしかないが、ヴァイオリンを弾き、哲学に造形が深く、乗馬を嗜む文化人でもあった総帥ムッソリーニのもと、文化的にもローマ帝国の栄光を取り戻そうという機運も高まったのである。
そのような機運の中、オットリーノ・レスピーギは、政治的な作曲家ではなく、ファシスト党の党員でもなかったが、純朴な郷土愛から、『ローマの噴水』『ローマの松』『ローマの祭』という、通称「ローマ3部作」と呼ばれる、一連の交響詩を書き上げた。
ここでは、その中で最も完成度が高い(→と、私が勝手手前に思っている)『ローマの松』について描いていきたい。
先にも述べたように、ローマ市内にたくさんある松は、ローマの歴史を眺めてきた証人でもある。
まず、曲は、ボルゲーゼ庭園の松、昼間の時間、現代のローマで、子どもたちが、声を上げて遊び回り、何世代も歌い継がれてきたような唄が歌われている。
喧騒が最高度に高まった瞬間、舞台は、カタコンバ付近の松、夕暮れの時間、キリスト教が弾圧されていた時代に移る。
闇が迫るとともに、地下からグレゴリオ聖歌が哀愁をたたえつつ響いてくる。
やがて信徒たちの祈りの声がざわめきだし、その声は徐々に大きくなってくる。
そして、それは、勝利への凱歌として確然と響き渡る。
ついに、キリスト教がローマの国教になったのである。
祈りの声が静まると、舞台はジャニコロの丘の松、深夜の時間、静まりかえった松林に月光が静かに降り注ぎ、時折吹き抜ける松風に混じり、とおくからナイチンゲール(→小夜啼鳥)の声が聞こえてくる。
人間的世界から隔絶し、常に美しい自然の美が語られている。
最後に舞台は、アッピア街道の松、明け方の時間に移る。
アッピア街道は、ローマ帝国の主要街道であり、「街道の女王」の異名を持つ。
明け方、この古くから在る街道の彼方から、大軍勢がやってくる姿が浮かび上がる。
先頭を歩かされているのは、戦争によって奴隷にされてしまった敵国の民たちである。
その後ろに続くのが、雄壮なローマ軍の整然たる行進である。
威風堂々と、ローマ軍は、最高神ユピテルを祭るカピトリウムの丘へと凱旋し、勝利を高らかに宣言するのである。
このレスピーギの郷土愛に満ちた曲は、第二次世界大戦後、不幸な運命を辿った。
「直接、ファシズムとの関連性は薄いとはいえ、イタリア人の愛国心を鼓舞したには違いない」、
「そのような戦争に血塗られた曲は演奏してはならない」
という自粛が働いたのである。
しかし、音楽は、それが優れているか、優れていないか、私たちの心に響くか、響かないか、それだけではないだろうか。
決して、イデオロギー的に正しいから、この音楽は素晴らしい、ということには、ならないはずである。
レスピーギのこの傑作を結局、人々は、無視することが出来なかった。
三島が、『天人五衰』を発表し終えた頃、1970年代頃から、徐々に「ローマ3部作」は解禁され、今や、レスピーギの音楽に、軍靴の足音を聴くような無粋な人はいない。
三島が、公然と演奏されるようになった『ローマの松』を聴けなかったのか、と、思うにつけては、残念である。
さて、『天人五衰』のなかで、慶子は透に向けて
「自分の願望が他人の願望と一致し、誰かの思っていたことが、他人のおかげでするすると叶えられるなんてことがあると思って?」
「あなたは歴史に例外があると思った。
例外なんてありませんよ。
人間に例外があると思った。
例外なんてありませんよ」
と言い放つ。
歴史に接したときの心の動きを人間が語ること、その方法のひとつが、音楽が歴史を語るということであるとするならば、現代の私たちは、レスピーギの音楽に、政治的な思惑になど左右されない、レスピーギの心の動きと、純然たる郷土愛と、その音楽の素晴らしさを聴くだろう。
なんだか、慶子に
「別にむつかしく考えることはないわ」
と、言われてしまいそうである。
素直に、『ローマの松』を、レスピーギの心の動きを聴こうと思う。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
朝から、暑苦しい長文の日記になってしまいました......すみません^_^;
読んで下さりありがとうございます(*^^*)
暑苦しい日記を描いておいて、言ってしまうのですが、毎日、本当に暑いですね^_^;
体調管理に気をつけたいですね( ^_^)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。