「天体の運動なら計算できるが、
群衆の狂気は計算できない。」
(アイザック・ニュートン)
1930年、経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、
「人類に必要とされる労働時間はまもなく週に15時間だけとなり、
それにより人類は自らの関心を深めるための余暇の時間が増える」
と、予測した。
確かに、それ以前の50年の間に、急速なテクノロジーの進歩と週労働時間の削減の両方が実現したことを考えると、理にかなった予測だった。
また、資本主義を激しく批判していた哲学者のヘルベルト・マルクーゼは、短縮し続ける週労働時間を道徳的観点からみていた。
つまり、短縮し続ける労働時間は浅はかな大量消費主義の「一次元的社会」から人類を守る唯一の方法だとマルクーゼは考えていたのである。
マルクーゼは
「労働時間を減らすことは、自由を実現するためにまず必要となる条件である」
と述べている。
ケインズもマルクーゼも極めて賢明な人物であったが、
2人とも、テクノロジーが余暇に与える影響に関しては、ほぼ予測できていなかったことが、現時点では、)明らかになっている。
なぜなら、
歴史のさまざまな段階において、テクノロジー革命が起きるごとに、
人々はその革命が起きる前より忙しく働くようになった。
それは、常に生産性の向上によってさらに多くの産物が作られ、
さらに多くの人手が必要とされたために、
余暇の時間が増えなかった事実が在るからである。
例えば、農業革命が起きる前の狩猟採集民には、革命後の農民よりも余暇の時間が在った。
また、産業革命が起きる前の農民には、工場労働者よりも余暇の時間があった。
さらに、情報革命が起きる前の工場労働者には、コンピューターを操作する人よりも余暇と呼べる時間が在った。
(→どんなにハイテクなオフィスでも、スマートフォンとコンピュータで、1日24時間365日対応を期待されるオフィスに縛られることに皆が皆、喜んで働くとは思えない。
橋本五郎さんが、テレビ番組で、デジタル田園都市国家構想の話題の際、
「デジタルを活用して、田舎で短時間で仕事をして、夜は仕事終わりに縁側で日本人らしく鈴虫の音なんか聴きながらのんびりするのか、と僕は、はじめ聞いたとき思った。
でも、フタを開けたら、どこに行ってもスマホに縛られているひとばかりじゃないか!」と仰っていたのが印象的だった。)
テクノロジーの進化によって労働者は、
さらに奴隷化するか、テクノロジーにまるごと取って代わられるかになった。
結局、今、私たちは、
現代のテクノロジーがもたらしたとてつもなく高い効率によって、
1.ますます多くの物を生産する
2.労働時間が減る
3.失業者がますます増えるという
シンプルな3つの選択肢のうち、どれをどのようにコントロールするのか迫られていると言っても良いだろう。
持続可能な経済の重要な成果といえば、誰もが労働時間が減少するものの、誰でも何らかの仕事があるという状況であるのは、間違いない。
私たちは、ケインズやマクルーゼが思い描いたようにテクノロジーを活用する必要がある。
私たちは、物質的には豊かになり続けることではなく、時間、知恵、幸福、人間関係でよら豊かになれるようテクノロジーを活用すべきであろう。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
昨日の夜、過去の想い出の埃を一部だけでも、と、払うように、リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」の古本を注文しました。
私の読書履歴は好きだったそれらの本や三島をを大学1年生のときあたりに、うつで読めなくなってからうつが深刻化していくにつれて一時止まりました。
難治性うつ病と診断されたときより、処方箋の断薬・減薬による離脱症状の方がつらかったのですが、今は治まりつつあります。
また向精神病薬の副作用で、脚が悪くなるほど急激に太ったときからも、脚も体重も元に近いカタチに戻りつつあります。
しかし、気が付いたら30代過ぎになっていて、もう着れないだろう20代向けの可愛い服を見たりしたときや、失ったものたちを数えるとき、やはり、哀しくなります。
ただ、「(いろいろな局面で)自分と同じ思いをするのは私で最後がいい」そして「病や後遺症と生きながら、考えたことを描くことで表していきたい」と思っています。
何だか本を注文しただけで、語りすぎちゃいました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
仕事はロボット
情報はネット
これだら世の中の若者の失業率ま半端ねぇべ
結婚する若者が減って少子化にも歯止めがきかねくなる
予言者ジッちゃんの言葉は40年近い前よ
今思うと度っちゃん すげぇ~って思う
今日のブログ読んで
御意です。
素敵すぎるコメントありがとうございます!!
&ジッちゃんさんの予言スゴすぎです!!( ^_^)