おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

Re:シリーズ 悪人≠病人-診断インフレに揺れる精神医学と司法の境界線-

2023-11-17 15:19:00 | 日記
診断インフレは、
精神医学と司法の境界線を
も脅かしていることに、
はたして、私たちは、どこまで、気付いているであろうか?

1881年

ジェームズ・ガーフィールド大統領暗殺事件の裁判で、

「愚か者として釈放されるよりは、
人間として絞首刑にされるほうがましだ」

とチャールズ・ギトーは、
陪審員たちに叫んだ。

ギトーは拒否していたが、
弁護団は「精神異常」
を主張しようとしていた。

ギトーを正当化するつもりは全くないが、

彼は、
「精神疾患患者」として刑を減じられる
(→「病人」として減刑される、弁護団からすれば「病人」に仕立て上げて減刑を勝ち取る)
よりも、

自分の主張の信憑性がある
「犯罪者」として
有罪の宣告
(→「悪人」としてそのまま裁きを受けること)
を選んだ。

この裁判でさらに特筆すべきは、
多数の医師が、
弁護側および検察側の証人として証言し、
今日に至るまで引き継がれる
「病人」と「悪人」に関して
精神医学と司法(≒法律)の境界線が揺れること
の先例を作り上げたことである。

このような論争(の延長線上の論争)は、現在の日本にも存在するが、
解は出ていない。

さらに拡張すれば

米国のセオドア・カジンスキー(いわゆるユナボマー)や
ノルウェーの大量殺人犯アネンシュ・プライビクのような政治的テロリストは、
政治犯とみなされるべきなのか、
それとも精神疾患患者とみなされるべきなのか、

やはり解は出たことがない。

追記するなら、メディアが
「ほんとうに、真摯に、継続して」取り上げるべきは、
被害者が著名人か、でもなく、加害者の背景でもなくて、
「その後の裁判などの経過と結果」
ではないだろうか。

そもそも
ギトーが正気を喪っているるとみなす医師たちと、
心得違いをしているが正気の犯罪者であるとする医師たちとの狭間で、
「正常」と「異常」の境界線までが揺れはしなかっただろうか?

「そもそも正常も異常も定義されていない」こと*1

を私たちは認識すべきである、のにもかかわらず。

ある事件の犯人を
「病人」とみなすか
「悪人」とみなすかは、

「医学」ではなく、
「社会」が決めること
忘れてはならない、と、私は思う。

法廷での診断インフレは
押さえ込むべきだ。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
*1 論拠や思うことなど詳しくは過去記事で何度か描いています。よかったらご覧下さい。
今日も頑張りすぎず頑張りたいですね。
では、また、次回。





最新の画像もっと見る