おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

Re:定義の難しさ-WHOの定義に仰け反る-

2023-11-17 21:37:00 | 日記
(投稿しようとしたら全部が消えてしまい。今6:40から描いています。覚えていることをマッハで描きます。)

前回、「正常」と「異常」
について明瞭な定義ができない、と、描いたので、

「健康」と「病気」ついてWHO(世界保健機関)の定義を今回は見てみようと思う。

世界保健機関憲章前文

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう」

(Official Records of the World Health Organization,no.2,p.100)

1948年以来変わらない定義かと思うとぞっとすることを禁じ得ない。

この定義の下で、誰が堂々と「健康」であるといえるのだろうか。

多様な文化や風土、それに基づく習慣に左右される中で、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、「すべて」が満たされた状態など、どのように定義するのであろうか。

しかも、時代や時流、それに基づく価値観の変化(変遷)もありながら1948年4月7日以来変わっていないというWHOのこの定義に仰け反ってしまった。

確かに、現在、健康診断などであるような、特定の病に対する予防手段として、血圧、血糖値、骨密度などの連続性に線を引き、いわゆる健康の維持に役立てている方法を採っている。

しかし、私たちが生きているこの世界において、問題を整理し、解決に役立つような、「普遍的」で「超越的」定義など存在し得ないと私は、思う。

ただ、この定義が出来ない曖昧さに乗じて、
「おおむね健康」を「いくらか病気」
とすり替えるようにして
病気の領域を広げるような
製薬業界のビジネスモデル
同様な手法を用いて対象者を増やすことにより購買層を増やそうとする、曖昧さ利用のことばによるマーケティング

そしてその線上にある
診断インフレ
について次回以降考えていきたい。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
いきなり全ての文章が消え、真っ青でした。必死に思い出しながらスマホに向かいましたが、やはり、抜けているところも多々ありますが、次回以降にも繋げて頑張りますので、またよろしくお願い致します。
では、また、次回。


最新の画像もっと見る