1929年、ベニート・ムッソリーニが権力を掌握し、「強いイタリア」建設に着手した時、イタリアに重ねられたのは、かつてのローマ帝国の栄光の記憶であった。
当時のイタリア人の興奮は推しはかるしかないが、最近のトランプがよく用いる「アメリカを再び偉大にする」という台詞に、一部のアメリカ人は熱狂し、トランプがあまり好きではない人々も、どこか満更もない様子を想起するに、
バイオリンを弾き、哲学に造詣が深く、乗馬を嗜む偉大な文化人でもあった総帥ムッソリーニのもとで、文化的にもローマ帝国の栄光を取り戻そうとする機運が高まったことは、想像に難くない。
そのような機運の中、オットリーノ・レスピーギ(1879~1936年)は、政治的な作曲家ではなく、ファシスト党党員でもなかったのだが、純朴な愛郷心ら、
『ローマの噴水』、『ローマの松』、『ローマの祭』という、通称「ローマ3部作」と呼ばれる一連の交響詩を書き上げたのであるが、
(私の独断と偏見によれば、)「ローマ3部作」の中で最も完成度が高い『ローマの松』についてみてみたいと思う。
ローマ市内には、松がたくさん植えられているが、その松は、ローマの歴史を眺めてきた証人でもある。
『ローマの松』は、まず、ボルゲーゼ庭園の松、時刻は昼間、現代のローマからはじまる。
子どもたちが「軍隊ごっこ」などで遊んでいる声に混ざり、いつの時代も歌い継がれてきた小唄のようなものも歌われ、そんな喧騒が最高度になった瞬間、舞台はカタコンベ周辺、地下洞窟近くに生える松へと移る。
時刻は夕暮れ、キリスト教が弾圧されていた時代、闇が迫るとともに地下からグレゴリオ聖歌が玲瓏と、しかし哀感をたたえつつ響いてくる。
やがて信徒たちの祈りの声がざわめき、その声が徐々に大きくなる。
そして、それは勝利の凱歌として響き渡るかのようになる。
キリスト教がローマの国教となったのである。
祈りの声が静まると、ジャニコロの丘の松へと移る。時刻は深夜、静まり返った松林に月光が静かに降り注ぎ、時折吹き抜ける松風に混ざって、ナイチンゲール(小夜啼鳥)の声がきこえてくる。
人間世界とは違い、常に美しい自然の姿が語られているかのようである。
さて、『ローマの松』の4曲目にして圧巻な、アッピア街道の松に移る。時刻は明け方、アッピア街道の彼方から、大軍勢がやって来る姿が浮かび上がってきた。
先頭を歩いているのは、今しがた、戦争によって奴隷にされてしまった敵国の民のようで、うめき声をあげている者もいる。
その後には、ローマ軍の整然たる行進、である。
威風堂々とローマ軍は最高神ユピテルを祭るカピトリウムの丘へと凱旋し、勝利を高らかに宣言するのである。
『ローマ松』という曲は、第二次世界大戦後、不幸な運命を辿ることになった。
レスピーギにしてみれば愛郷心の発露として作り上げた曲だったのであるが、
いわゆる、世論による
「直接ファシズムとの関連性は薄いとはいえ、イタリア人の愛国心を鼓舞したには違いない、
そんな戦争に利用されたような曲は演奏してはならない」
という自粛が働いたのである。
もはや、世論の強制のようにして演奏がされなくなる時期を経て、1970年代頃から徐々に「ローマ3部作」は解禁され、今やレスピーギの音楽にファシズムや「軍靴の足音」をききつけて非難するような無粋な人が非難されるようになった。
芸術は、決して、イデオロギー的に正しいから、素晴らしい、などということにはならないはずなのである。
私は、レスピーギの『ローマの松』という曲が紡いでゆく歴史に、「芸術が世論という抑圧を斥けるとき、や、その姿」を見るように思う。
ところで、
「デマゴーグ」という言葉は、「民主の指導者」を表す古代ギリシャ語に由来し、それは当たり障りの無い意味にも思えるのであるが、あまりよくない指導者がもたらしたつらい経験から、「急速に」悪い意味合いを帯びるようになった。
しかし、この世にまったく新しいものなど、ない。
デマゴーグはあらゆる時代や場所を通じて似通っており、それを生み出す状況も似ている。
民主主義が在るところにはどこでも、そしていつでもデマゴーグは存在していたし、存在するのである。
(芸術に政治が介入しては欲しくないが、その政治の正体も少しずつ視ていけたら、と、思う。)
ある人にとっては、良い意味を持つポピュリズムでも、別の人からは民衆扇動と見なされることがあるようである。
本来のポピュリズムは、一般市民の日常を守る政府を目指すものであるはずである。
しかし、偽ポピュリズムは、政権を取る前にはどんなことでも約束するが、そのあとは搾取すること以外なにももたらさない「デマゴーグ」による民主の誘導ではないであろうか。
デマゴーグは、皆、感情、雄弁、守れない約束を用いて、自分勝手な目的のために人々を利用する。
2400年前にアテネのデマゴーグであったクレオンに関するアリストテレスの
「壇上から汚い言葉を叫んだのは彼が初めてだった。
彼以外の者は、これまできちんとした作法で演説をしてきた」
という記述は2016年のトランプの登場の際の驚きを彷彿とさせる。
歴史的に見ると、ポピュリズムは、独裁者が使う方法であり、民主主義の墓場とされる。
アテネは僭主になりそうな者から市民と民主主義を守るために、陶片追放という巧妙な制度を設けなければならなかった。
しかし、だからこそ、危機に満ちたペルシア戦争の間、ギリシャ連合軍の救世主となったデミストクレスは、1番の成功を収めた指導者であったにもかかわらず、戦争に勝ったも直後に民主主義に脅威を与える者として追放されたのである。
民主主義はもろく、簡単に崩壊してしまうものだということをアテネは解っていた。
市民は、権力者からも、それに追随しようとする自らの本能からも守られなければならない。
アリストテレスは
「民主主義国家における革命は、概してデマゴーグによる節度のない言動によって起きる」
と述べている。
ポピュリスト運動は、市民のニーズに無関心であったり、それに敵意を示したりする政府に対する不満を大衆が共有するところから起こる。
ポピュリストの運動の契機となる危機はどこでもよく似ているが、右派と左派で、
政権を取るまで、はかなり違って見える。
しかし、独裁者になったあとは極めてよく似ている。
スターリン、ヒトラー、ムッソリーニ、毛沢東、フランコ、ピノチェト、ペロン、イディ・アミンといった近年のデマゴーグ、および第三世界の独裁者たちが想い起されるのだが、さらに名前を付け加える独裁者が増えないことを、私は、願っている。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
天気予報によれば、今日は、気温が4月上旬並みに上がり暖かい1日となるようです( ^_^)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。