おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

マーラーの交響曲第5番と「死」というテーマ-20世紀初頭の時代精神をマーラーの裡にみるとき-

2024-07-21 07:09:34 | 日記
グスタフ・マーラーの第5交響曲の第4楽章といえば、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で用いられたことでも、有名である。

そこでは、決してかなわぬ美への憧憬として、ほとんど絶望的なまでに甘美な音楽として第5番4楽章は使われていたように思う。

ただ、マーラーの第5番4楽章に、「ヴェニスに死す」よりも
、その原作者であるトーマス・マンの代表作「魔の山」(の末尾)を想い起こさせるものがあると思うのは、私だけであろうか。

マーラーは、死の間際まで「第5交響曲」の改訂を行っていた。

マーラーは、
「死によって終わる生に、一体何の意味があるのか」
という、自らが第2交響曲、後には「大地の歌」などで対峙した虚無的問いかけに、「第5交響曲」によって、
「生には意味があるのだ」
と決然と答え、または、そのように信じようとしていたように思う。

彼は、その後の人生でも、自分の出発点を確認するかのように、改訂という作業を通じて「第5交響曲」に立ち戻ってきた。

最後の改訂は、1911年であり、それは彼の死の年であり、ちょうど、「第10交響曲」を作曲していた頃である。

残念なことに「第10交響曲」は未完で残されているが、私たちは、その遺稿の最終楽章の中に、第5番第4楽章の引用を、あるいは、残響を聴くことが出来るであろう。

さて、ヨーロッパ文化は、「人間」という言葉に、必ず、「やがて死すべき」という形容詞をつけることを忘れなかったギリシア人から始まり、中世の「死を忘れることなかれ(メメント・モリ)」という標語や、モンテーニュの「エセー」に代表される死の省察、あるいは、土俗化したキリスト教の殉教崇拝、というように死の影が蔓延しているのである。

例えば、ルネッサンスの美術作品が端的に示すように、美や若さ、といったものをヨーロッパ人は求めてやまないのは、美術史家W・ペイターが指摘するように、
「それがすぐに失われて、やがては死によって奪い去られることがわかっているから」なのである。

そのようにして至り着いた19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパ世界は、頽廃と懶惰を極めていたようである。

ワイルドは耽美主義を標榜し、ニーチェは「神は死んだ」と叫び、ショーペンハウアーは「この世界は我々の心が勝手に作り出した幻影に過ぎない」と説いていた。

虚無感と刹那主義が社会を覆い、世界を収奪した人々はいよいよ戦争の準備を始めていた。

そして、小声ながらではあるが、西洋の没落が囁かれ始めていたのである。

このような背景の中に、マーラーは、立っていた。

いわば最も精鋭な形で、マーラーというひとりの人間のなかに、20世紀初頭の時代精神、すなわち、躁と鬱、葬送と祝祭、絶望と歓喜、諧謔と無垢な喜びとが宿っていたのである。

マーラーは、自らがヨーロッパの歴史と伝統の申し子であることを自覚し、死と頽廃と没落の瘴気を胸一杯に、吸い込んでいたからこそ、
「やがて、私の時代が来る」
と言えたのであろう。

マーラーの交響曲第5番は、5
つの楽章からなっている。

この交響曲では、ベートーヴェンの第5交響曲、つまり、
「過酷な運命とそれに対する勝利」というテーマとの親近性もあり、事実、1楽章では運命の動機が引用されているのだが、ベートーヴェンよりも、もっと個人的な、内面的な要素が扱われているのである。

簡単に言ってしまうと、マーラーの交響曲第5番では、絶望、もしくはニヒリズムという、死に至る病におかされた人間が、苦悩を経て、やがて、マーラー自身も手に入れた幸福、つまり妻アルマとの愛によって快復して、ついには生を謳歌するに至るドラマなのである。

妻アルマも
「第5交響曲で新しいマーラーが始まります。
(中略)......彼はもはやかなしまず、嘆いたりせず、立ち向かおうとするのです。
この曲は空想ではなく、現実そのものなのです」
と述べている。

第1楽章は、トランペットの凛烈なファンファーレで始まる葬送交響曲である。

葬送交響曲ではあるが、特定の誰かの葬列が考えられているわけでもなく、極端に言えば、私たちの生そのものの葬送の行進をマーラーは、考えていたのかもしれない。

私たちは、近づいてくる死に怯え、嘆いたりもする。

しかし、葬列は静かに、しかし確実に進んでゆくのである。

第2楽章では、音楽が荒れ狂っている。

「生が、死によって終わる」事実に、ひとたびとらわれると、人は虚無感に襲われるものである。

宗教や刹那主義に逃げても、死から逃れることは出来ない。

死は万能なのであり、荒れ狂う死の猛威のなかで、かつては、少なくとも、まだしも、価値があった、と思われていた事物ですらも、もはや意味を失い、私たちは、途方に暮れる。

ペストが猛威をふるった中世ヨーロッパでは、「死の舞踏」というテーマが、絵画をはじめとした芸術で好まれた。

そのなかの骸骨たちは、この上ない喜びの最中にも、死はすぐ隣に在ることを、私たちに教えてくれるのだが、第3楽章は、まさしく「死の舞踏」であるといえるかもしれない。

あるいは、マーラー独特のイメージを想起するならば、彼が未完の第10交響曲の第3楽章に予定していた「煉獄」ということばをあてはめることも出来るかもしれない。

要するに、この世の楽しみや喜びが、生み出される側から焼き尽くされ、滅ぼされるようなイメージである。

実際に、この曲は、ウィンナワルツ風の、一見楽しげな雰囲気で始まるが、すぐに奇怪な旋律が乱入し、甚だしい場合には荒れ狂ってしまうのである。

この曲について、マーラーは、
「次の瞬間には、破滅する運命の世界を絶えず新たに生み出す混沌」
と語っていたようである。

第4楽章は、弦楽とハープのみで演奏される。

この曲は、愛する妻アルマへの愛の告白である、とする説が多く、私もそのように思いたい。

この曲を最初に清書したのがアルマであるから、やはり妻アルマに対する愛の告白であろう。

死と絶望の、まさしくそのさなかから、愛そのものが、虚無の宇宙を満たすべく、玲瓏と響き始めるのである。

第5楽章は、第4楽章と連続しており、ホルンの伸びやかな音で始まり、全体を通して溌剌として喜びに満ちている。

光が差し込むように始まり、今や、苦悩と不安と懐疑の夜は去り、日輪は赫奕と昇り、世界は喜びに包まれる。

この最終楽章は、
「生は輝きに満ちている」
と、マーラーが自分自身に、そして私たちに言い聞かせるかのように、力強く、断言的に「勝利の喜び」のフィナーレを迎える。

この曲は、そのように終わるのである。

まるで、マーラーが、
「死は勝利を収めるだろうが、私の音楽のなかで、愛は永遠に生き続けるのだ」
と言っているようである。

死神が馬車を導くのは真実であるが、生もまた、馬車を導くのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

暑い日が続きますが、体調管理に気をつけたいですね。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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